第11話 地下水路の秘密


 玉座から立ったアルヴァントが言った。

「茶の時間じゃの。クッコロ、そちもつきあえ。いろいろと話を聞きたい」

 クッコロは固辞した。

「いえいえ、あたしは一介の冒険者。魔皇陛下と陪席など畏れ多いことでございます。平にご容赦を」

「そう嫌そうな顔をするでない。心理戦の機微にはまだ疎いようじゃな。心配せずとも茶を飲んだら放免してつかわす」

「はぁ。ではご相伴にあずかります」


 案内されたのは、庭園に散在する東屋のひとつ。供された茶菓は、クッコロの前世知識にもないものだった。

「如何した? 冷めるぞ。毒など盛っておらぬ。安んじて喫するがよい」

「あーいえ、不調法者で作法を弁えませず、戸惑っております」

 アルヴァントは笑った。

「作法などに拘泥する必要はない。茶が不味くなるだけじゃ。自由に香りと味と雰囲気を楽しめばよかろう」

 クッコロは意外に思った。先般目にした奴隷たちの扱いを見るに、苛烈な圧政を布く暴君という先入観を持っていたのだが。

 ティーカップとソーサーを繊手で弄ぶアルヴァント。

「単刀直入に言わせてもらうが、妾に仕えぬか? そちの力が欲しいのじゃ」

 クッコロは背筋を伸ばしてアルヴァントを見た。吸い込まれそうな紅眼と目が合って、視線を逸らす。

(この人もかなりヤバいわね)

 知らず知らず臣従したい誘惑に駆られる。こんな印象を受ける相手はベルズ十五世以来だった。

(『魅了』の術使われた痕跡もないし。所謂帝王の器ってやつなんだろうな、この人も)

「申し訳ありませんが、お断りします」

 アルヴァントが目を伏せた。形よいまつ毛が美しい。

「……惜しいのう。理由があれば聞こう」

「あたしもかつては宮仕えしておりました」

「過去形で語るということは、今は在野の浪人であろうが。我が国に仕官するのに不都合はあるまい」

「魔皇陛下の仰る通り、仕えた国は既に滅び、忠誠を捧げた主君もお隠れになられました。だからと言って、なかなか他の方にお仕えする心境にもなれません」

「忠臣は二君に仕えずというやつか。死して後もそちほどの者に欽慕されるとは。そちの旧主に羨望を禁じ得ぬの」

「買い被りでございます。あたしなんて、たいそうな者じゃありません」

 吐息をもらすアルヴァント。

「残念じゃが是非もなし。クッコロは妾の敵ということじゃな」

「いやいや、何故そうなります」

「憶えておけ。覇道をゆく者にとって世界の色分けは至極単純。服従する臣民と、征討する敵の二つのみ」

「あなた様へ敵対する意思はありません」

「ならば妾の臣下となれ」

「それはご容赦を」

「では敵と見做す」

 クッコロの困惑は深まった。

(何この押し問答……どうしてこうなった)

 クッコロは苦し紛れに放言した。

「じゃあ魔皇陛下、あたしとお友達になりませんか?」

 アルヴァントが固まった。まずい、逆鱗に触れただろうか。給仕のため控えている侍女たちが蒼白になり、固唾をのんだ。

「妾を前に、そのようなことを言ってのける者がおろうとはの。さすがの胆力、恐れ入ったわ。しかし……ふむ、友達、か。妾の悠久の生涯からすれば、人間との交誼など刹那の戯れに過ぎぬであろうが……それもまた一興かもしれぬな。よかろう、友達になろうぞ」

 意外な事の成り行きに思考回路が混乱しかけたが、どうにか立て直す。

「えっと、よろしくお願いします?」

「顧みるに、妾は生まれてこの方友人などいたためしがない。クッコロは、妾の人生初の友じゃな。そしておそらくは最後の友であろう。よしなにな。ふふふ――妙なものじゃ。なにやら気分が高揚してまいった」

「光栄でございます、魔皇陛下」

「他人行儀じゃの。ちと呼び捨てにしてみよ」

「そんな、一国の君主たる御方を呼び捨てなどとんでもない」

「友達よりたっての頼みじゃ。そうさな、しからば何か愛称のようなものを考案いたせ」

「じゃあ、陳腐ですけど……アルちゃん、とか」

 アルヴァントはみるみるうちに頬や耳を紅潮させ、恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。

「このような遣り取り、慣れぬせいか、なかなか来るものがあるの。クッコロ――微妙に愛称にしづらい名じゃな。クッコちゃん……クーコちゃんがいいかの。そちはどう思う?」

(いったい何が起きているの……)

「……普通にクッコロとお呼びいただければ」

「ふむ、さようか。クッコロがそう申すならそうしようかの。そうじゃ! 友情の証に爵位と封地をやろう」

「いやいや、それじゃ臣下と一緒ですって」

「そうか? ならばこれを進呈させてくれ」

 アルヴァントは指輪の一つを外して卓上に置いた。

「『感応の指輪』という。これを装着しておれば、どんな遠方からでも妾と念話できるという不思議アイテムじゃ」

 魔皇が明らかにウキウキと舞い上がっている様子なので、すげなく断るのも気が引ける。

「では、せっかくなので頂戴します」

「我が国の領土内で官憲絡みのトラブルに遭遇した際は、その指輪を示すとよい。妾の身内として遇されるはずじゃ」

「それは、正直助かります」

 某御老公の印籠のようなご利益が期待できそうだ。実際携帯電話的な機能より、そちらのほうが実利が大きいだろう。魔皇には内緒であるが。

「なんの。臣下どもの安全を守るための措置でもある。知らず知らずそちの如き猛者と事を構えたら、魔将クラスはともかく、末端の部下どもが気の毒なことになろうゆえ」

「じゃあ貰いっぱなしじゃ悪いので、これを返礼に」

 『空間収納』の奥に仕舞った神剣シリーズから無作為抽出で一振取り出した。卓上にごとりと転がった黒い剣には、几帳面な執事長の仕事らしく付箋が張られている。『神剣グラム』と書いてあった。

(十二振あるし、一振くらいいいよね。ローエルさんも路銀の足しに売り払ってオッケーとか言ってたし)

「これは所謂、友達同士によって行われると噂に聞く儀式――プレゼント交換というやつじゃな?」

 込み上げる嬉しさを隠し切れない様子のアルヴァントだったが、グラムを見て硬直した。驚愕に目が見開かれる。

「な、なんじゃこれは……さすがにこれは受け取れぬ。クッコロの愛剣であろうが?」

 グラムに目が釘付けになっている故か、『空間収納』はスルーしてくれるようだ。もっとも手下のメーベルトに『転移扉』を見られているので今更なのだが。アルヴァントほどの魔法使いならば、見聞きした情報の断片でいろいろ察することだろう。

「あたしはどうも剣士廃業ぽいので、魔――アルちゃんが使ってくださいな」

 アルヴァントがグラムを手に取って検分する。

「妾もあまたの魔剣を見てきたが、これほどの業物はついぞお目にかかったことがない。尋常な剣ではないぞ。まさしく神剣と呼ぶに相応しい……本当によいのか?」

「どうぞ」

「忝い。謹んで拝領する。この剣ならば、彼奴らにも届くじゃろう。クッコロの友情に報いるため、妾はこの剣を佩いていつの日にか宿敵どもを討滅してみせよう」

 魔皇ほどの怪物が宿敵と呼んで警戒するからには、彼女の敵対者とやらはきっと想像を絶する化け物たちなのだろう。そのような終末決戦、巻き込まれたくはないものだ。クッコロは小声で激励するにとどめた。

「頑張って……」


「クッコロは冒険者なのであったな」

「うん。まだ新人だから、あんまし稼げてないけどね」

「神剣をしれっと所持しておきながら何を申すか。とんでもない新人じゃの」

 愉快そうに笑うアルヴァント。私的な場では平素の言葉遣いを通すよう頼まれたので、そのように接している。

「地下水路には潜ったのか?」

「探索したのは浅い階層だけかな。例のドラゴンともあそこで会ったし」

「そうじゃったの。友達として忠告させてもらうが、深層の探索には心してかかるがよい。十階層あたりより下は、油断すればそなたでも危ういやもしれぬ。折角できた唯一無二の友を失いたくはないでの」

「え? そんなヤバい魔物が徘徊してるの?」

「冒険者ギルドでは、地下水路深層の魔力溜まりが原因で地下迷宮化したと分析し、世間に吹聴しておるがの。真相は異なると妾は睨んでおる。若いクッコロは知らぬかもしれぬが、ここリスナルはかつて、ゼラールという巨大帝国の都があった場所なのじゃ」

(ようく知ってますとも)

「帝国の開祖ミューズ・フォン・サークライがこの地に拠点を構えて以来、三千年にわたってこの地の都を維持してきたのには何か謂れがあると考えての。ゼラールの膨大な歴史を繙いてみたのじゃ。そうしたら、いくつかの古文書にとても興味深いことが書いてあった」

 アルヴァントはおそらく長命の魔法使い。かなりの知見を蓄積しているのだろう。クッコロは魔皇の話に耳を傾けた。


 太古の世界では、四人の大魔法使いを中心とする陣営と七体の龍神を中心とする陣営が、世界の覇権をかけて激しく相克を繰り広げていたという。千年におよぶ激戦を制し勝利を収めたのは四大魔法使いの陣営。結果、敗れた七体の龍神はそれぞれ悲惨な運命を辿った。

「白龍ザファルトは討伐され、現在の竜骨山脈辺りが終焉の地といわれておる。緑龍ウルムガルと黒龍ローエルは行方不明。そして紅龍フルムネート、黄龍アスラン、青龍アグネート、紫龍リスナールの四体が世界各地に封印されたと古文書にある。この地の古い地名をリスナル峡谷と申しての、ゼラールの時代は忘れられておったが、妾の治世になってここへ遷都した際、都市の名を古き時代の物に改めたのじゃ」

「つまりそれって」

「古文書の多くは上代の謎言語で記述されておるため、なかなか解読が捗らんのじゃが、妾はこの地に紫龍リスナールが封印されておると見ておる。古代の四大魔法使いの一角でもあったミューズ・フォン・サークライがここに拠点を構えたのは、龍神の封印を維持管理する目的だったと考察したのじゃ。そしてゼラール帝国が滅んだ今、封印の箍が緩み、地下水路の魔物が活性化しておるという訳じゃ」

(それって、結構おおごとなんじゃ……)



 皇都リスナル地下水路十一階層。大小八体のサラマンダーに包囲される冒険者パーティがあった。熟練の冒険者たちなのか、この危機的状況においても焦燥や絶望の表情を浮かべたものは一人としていない。

「この広場は安全地帯だと思ったんだけどな」

「腹ごなしの運動に丁度いいわ。あたしがやる。バルナス、風呂の準備しといて」

「あいよ。火ィ吐くから熱傷に注意しろよ」

「んなもん中りゃしないわよ」

 サラマンダーの群れの間を縦横無尽に駆け回る女剣士。まさに電光石火。左右の細剣が目にもとまらぬ速さで繰り出されるたび、サラマンダーは細切れの肉片になって斃れた。その流麗な双剣の軌跡を目で追える者はこの場にいなかった。

 盾持ちの重戦士と槍持ちの軽戦士が呟く。

「俺たちいらんなこりゃ」

「だな。やっぱ聖銀ミスリル級に上がる奴ぁすげえや」


「返り血でベトベトだわ」

「怪我してないか?」

「するわけないでしょ、こんな雑魚で」

「雑魚って……そいつら一応、討伐難易度レベル40くらいだぞ確か」

 【幻影双剣】の二つ名を持つ聖銀ミスリル級冒険者メルダリアは、パーティの男たちの視線など意に介さず、装備していた革鎧や下着を脱ぎ散らかして、豊満な肢体を惜しげもなく晒した。

「おい……せめて物陰で脱いでくれ」

「早く風呂風呂」

 水魔法使いのバルナスが用意した、宙に浮く温水の塊に飛び込むメルダリア。

「はぁ~極楽極楽。狩場で入浴は乙なもんだわー。あんたと組んで大正解だわ」

「ったく聞いちゃいねー。パーティの士気とかお構いなしだな。ダルム、ルディウス――お前らも気を付けとけよ」

 盾使いと槍使いに注意喚起するバルナス。

「ギランとドランの兄弟知ってるだろ?」

「昔お前たちと組んでた霊鉄ダマスク級の奴らだろ。アレク大森林探索中におっ死んだとか」

「メルダリアが殺っちまったんだ。あの馬鹿兄弟、よりにもよってメルダリアに夜這いかましやがってな。俺が起きたら、もう首も手足もバラバラに斬り刻まれて地面に転がってたよ」

「おっかねえな……」

「あれはメルダリアも悪いと思うんだ俺。この稼業、探索中は禁欲生活だろ? にもかかわらず風呂だなんだって所かまわず素っ裸になりやがる。羞恥心もなにもあったもんじゃねえ。パーティ組んだ野郎どもの、行き場のない欲情どうしろっつーんだ」

 重戦士のダルムが訊いた。

「お前とメルダリアはその、懇ろな仲なのか?」

「俺もそれ訊きたかったんだわ。リスナルギルドじゃ、【水聖】と【幻影双剣】は夫婦だって思ってるやつらも多いからな」

 バルナスは嫌そうな顔をした。

「美人ちゃー美人だけどよ、俺のタイプじゃねえわ。俺ぁもっとこう、すれてない町娘みたいなのが好みなんだ。あいつも俺なんか便利な家政夫くらいにしか思ってねえだろ。炊事洗濯に風呂係。最近じゃ水寝台なんて技も編み出したぜ」

「水魔法は重宝するもんな。ましてお前くらい器用な水魔法使いは、国中探してもおらんだろ。ん? どうしたルディウス。深刻な顔して」

「バルナスの女じゃねえっつーんなら、俺、告ってみっかな。ダメもとで」

 バルナスがルディウスの肩を叩いた。

「あいつ、自分より強い奴じゃないとダメらしいぞ。精々頑張るこった」

「うへえ、いるのかよそんな奴……【千手拳】の爺さんくらいしか思い浮かばん」

「今はアルヴァント十二魔将のなんとかって鉄仮面の将軍に御執心らしいが」

「ああ、閲兵パレードん時遠目に見たことあるが、あれは確かにヤバそうだ。でもあの将軍って人間なんか?」

「メルダリアのやつ、何かの機会に素顔見たらしいぞ。口髭の渋いオヤジだったとさ」

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