第9話 地下水路の捕われ竜


 コカトリス素材の売却代金は、かなりの臨時収入となってクッコロの懐を潤した。討伐報酬はクエスト受注者たるラディーグの総取りが筋として、素材売却益は三等分することになったのだ。

「いいんですか? ほとんどラディーグさんがやっつけたのに」

「大量の素材を鮮度を保ったまま運搬できたのは、お前さんの功績じゃ。いいから取っておけ」

 キュープラム級パーティの面々も固辞する。

「助けてもらった上に、そんな泡銭いただけませんや。俺らなんもしてねえし」

「まぁ貰っとけ。この金にはな、口止め料が入っとる。嬢ちゃんに恩義を感じておるなら、嬢ちゃんについて決して口外するでないぞ。もし口外するようなことがあれば……」

 微かに洩れた殺気に慌てふためくボーディルたち。

「も、もちろんすよ! 事情はよく分かんねえけど、命の恩人に不利益なことは、俺たちだってしたくねえ。昨日見聞きしたことは、墓まで持っていきますぜ」


「嬢ちゃん、この後時間あるかの? 一杯付き合わんか?」

「いやーあたし下戸なもので」

 未成年であるとは言わない。この世界では、十五歳が成人扱いだったはずだ。

「ふむ。しからばそちらで茶でもしばくかの」

 ギルドのエントランスロビーの一角に併設された喫茶店へと向かうラディーグ。不承不承付いていく。万が一、彼によこしまな意図があるにせよ、転移魔法で難を逃れることは簡単だ。

「おい見ろよ。【千手拳】が女連れだ」

「誰だ? あの覆面の娘っ子」

「ラディーグの旦那、ロリコンだったのか」

「旦那の孫とかじゃねえの」

 そんなひそひそ話がそこかしこで交わされる。ラディーグが足を止めてロビーを睥睨した。一斉に視線を逸らす冒険者たち。

「おい。今何事かほざいた奴。後で訓練場にツラ貸せ」

「ひぃ」


「そういや、まだ嬢ちゃんの名を聞いてなかったの。儂はエルダードワーフのラディーグ。この街で冒険者稼業をしておる」

「あたしはクッコロ・メイプル。遠い異国から旅してきました。冒険者は登録したてのホヤホヤで、アルボー級です」

 ラディーグが莞爾として笑う。

「救国騎士殿と同じ名とはの。なにやら痛快じゃ。それにしてもアルボー級じゃったか。『空間収納』の術の存在が知れ渡れば、問答無用で霊鉄ダマスク級あたりに昇格すると思うが。クッコロよ、あの術は秘匿しておいたほうがいいぞ。さもなければ面倒事を呼び込むじゃろう。魔皇国政府も冒険者ギルドも、お前さんを囲い込もうと躍起になるじゃろうからな」

「むう……そんなに珍しい魔法だったとは知らなくて。軽率だったですかね」

「儂もけっこうな年月生きておるが、『空間収納』の遣い手に会ったのは、お前さんで二人目だ。受け売りの蘊蓄じゃが、『空間収納』ってのは時空魔法という伝説的な魔法の系統らしくてな。遣い手は殆どおらんらしい」

(あー……そういや観星ギルドの従者さんたちも、気を付けて使えとか言ってたような……)

 しかし、時空魔法というワードが気になる。もしや、かの魔導司ワイズマンワールゼンの消息に繋がる手掛かりとなるのだろうか。

「あたしともう一人か……そのもう一人の方って、どんな人だったんですか? やっぱ冒険者?」

 ラディーグの口から出たのは、意外な名前だった。

「軍人じゃった。昔ゼラール帝国の大帝に仕えておったアルネ元帥という人物じゃ」

(え? アルネ元帥閣下が?)

「アルネ元帥ともお会いしたんですか?」

「会った。冒険者業界にゲソ付ける前のことじゃが、儂ぁ一時期、ゼラール帝国の兵士をやっとったんじゃ。ひそかに敬慕しとった救国騎士殿が戦死なさったと風の噂に聞いて、世を儚んでの。当時まだ若造だった儂は、何を血迷ったのか帝国軍に志願したんじゃ」

 クッコロはなんともいえない表情。

「アルネ元帥は大陸統一の最大の功労者と言ってもよかろう。連戦連勝で向かうところ敵なしじゃからの。アルネ元帥の軍団が常勝不敗だったのは、彼の駆使する『空間収納』の術に依拠するところが大きい。なにせ兵站学の常識が通用せんのじゃ」

 当時のゼラール帝国の部隊編成では、輜重兵科に従事する非戦闘員が総兵力の六割以上を占め、帝国軍総勢百五十万と号してはいたが、純粋な戦闘要員は五十万人ほどであったといわれる。ところがアルネ元帥麾下の第五軍だけは、戦闘要員の比率がじつに九割に達するとみられ、鈍重な輜重兵を擁さない分、冠絶する機動力を有していた。そのくせ、アルネ元帥の『空間収納』から無尽蔵とも思える軍需物資が供給されるので、継戦能力もまた抜群という、殆ど手の付けられない精鋭であった。敵国にとっては、まさに悪夢の軍団であろう。

「まぁアルネ元帥の『空間収納』について知ったのは、ずっと後年になってからじゃがな。ゼラール帝国が滅んでから、歴史書を読んで知ったよ。もちろん当時は最高度の軍事機密じゃろうから、それこそ下っ端の一兵卒の儂に知るすべはない」

「帝国が大陸統一した後、アルネ元帥はどうなったんですか?」

「大帝の崩御後は宮廷を致仕して、郷里で隠居したらしいが。世捨て人となって世間との関りを一切合切断ち切ったようじゃ。史書にも全く記述がない。ありがちなことじゃが、元帥の武勲が巨大すぎて、次代の皇帝や大貴族たちに疎んじられたんじゃろうなぁ」


「いろいろ御忠告ありがとうございます」

「なんの。可愛い弟子候補生のためじゃて。この街でなんぞ困ったことがあったら、いつなりと儂のところへくるがいい」

 ラディーグと分かれた後、クッコロはラディーグから得た情報を吟味した。

(アルネ元帥が時空魔法の遣い手……しかも八次元『魔道』に分類される『空間収納』を会得してたってことは、確実に魔道師メイジ以上の魔法使いってことだよね)

 気になる情報だった。当時は飄々として掴みどころのない人という印象を懐いたものだが、今にして思うと、得体のしれない不気味さがある。仮に高位の魔法使いだとすると、現在もどこかで存命の可能性がでてくる。

(元帥閣下の御屋敷、内廓のどのあたりだっけ……)

 養女とはいえ、一応ネイテール侯爵令嬢の身分を持っていた前世のクッコロ。幾度か晩餐会や午餐会に招かれて、アルネ元帥邸を訪ったことがある。一貫して壁の華要員であったのは苦い思い出だ。

(なんか引っかかってしようがないから、ちょっとだけ調べてみるか)

 魔力の残滓を検知できれば、何らかの情報を得られるかもしれない。うろ覚えの元帥邸の場所へ向けて、複数の偵察用結界玉を飛ばす。

(転移魔法あるから、潜入できなくはないけど……ヤバそうな雰囲気の魔族何体かいて、ちょっと怖いな。たぶんだけど、こいつらラディーグさん並みに強そう)

 第六感が頻りに警鐘を鳴らす。こういう得体のしれない感覚は、無視するべきでない。

(ん~潜り込むいい方法ないかな……あ、そうだ。地下水路があった)


 旧ゼラール帝都だった皇都リスナルの地下には縦横無尽に暗渠が張り巡らされ、秘匿された管理用通路や大人の事情で封鎖された抜け穴なども数多い。時代が下った現在、その全貌を把握している者などまずいないだろう。

(昔、近衛騎士団の訓練で宮殿からの抜け道幾通りも憶えさせられたなぁ。もうかなり忘れたけど……)

 クッコロは堅固な結界を展開して水路を進んだ。結界自体が発光して暗闇の水路内を照らす。時折光を嫌った巨大な鼠や蝙蝠たちが、水音や羽音、鳴き声を残して闇の彼方へ逃げ去る。腐乱した謎生物の死体もそれなりの頻度で転がっていた。

(うひー結界ないとやってらんないわ、ここ)

 結界内は、転移魔法で森林の綺麗な空気を取り寄せ、常に換気している。試みに結界の外気を分析したところ、けっこうな濃度の硫化水素を検知した。地球にいるのとよく似た働きの細菌たちがいて、よく似た仕事に精を出しているのだろう。

(まさか、いくらファンタジー万歳の世界でも、微生物や細菌まで魔法使いだしたりしないよね……うんにゃ、魔素被曝の影響は侮れないか……普通の金属が、アダマンタイトとかミスリルなんて謎物質に変貌を遂げる世界だもんね、こっちは)

 水流や水深の変化でバランスを崩し、何度か転んだ。

(ふぅ、結界がなけりゃ汚水まみれだったわね。臭いヤバそうだし、破傷風恐いし。破傷風菌ここにいるのか知らないけど……)


 記憶を頼りにうろつきまわったところ、首尾よく隠し通路のひとつを発見。絡繰りによって開いた穴に潜り込む。時々天井からスライムが降ってきて結界の縁にへばりついたが、転移魔法で魔石核を抜き取るとぐずぐずに液状化して沈黙した。

 しばし道なりに進むと、かなり広い空間に出た。息をのむクッコロ。

(ドラゴンだ……)

 広間の中央に巨大なドラゴンが横たわり微睡んでいる。

(普通ラスボスは迷宮の最奥に鎮座して探索者を待ち受けるもんじゃないの。なんでこんな浅い階層にドラゴンいるのよ……様式美がなってないわ)

 クッコロは抜き足差し足で広間の外周を慎重に進んだ。

(絶対に起こさないようにしなきゃ)

 こんな時に限って鼻がむずむずし始めた。運命神の悪ふざけとしか思えないタイミング。

「へっぶし!」

 慌てて口と鼻を覆うも時すでに遅し。なかなかの音量なくしゃみが反響して、クッコロは天を仰いだ。ぼやき節も最高潮に達する。

(コントか!)

 どうやら転移魔法で換気用に取り寄せた森林の空気に、なんらかの樹木の花粉が大量に混入していたようだ。

(でも結界あるから、そんなに音洩れてないよね?)

 ドラゴンの様子を恐る恐る伺うと、爬虫類的な縦長の瞳孔がクッコロの姿を映していた。固まるクッコロ。

『……失せろ人間。目障りだ』

 軽い衝撃波を伴った念話が、クッコロの脳に響いた。

「あわわ、お昼寝タイムの邪魔してすみません」

『疾く失せろ』

「言われなくても、すぐ出て行きますとも!」

『待て』

「はい?」

『……私の言葉が理解できるのか?』

 クッコロは首を傾げた。

『私は今、竜族の言葉で念話を放っておるのだが』

「え? 普通に人の言葉に聞こえますけど……」

 ドラゴンは何やら合点がいった様子。

『なるほど、飛竜交感持ちか。姑息な魔皇め、今度は懐柔策できたか』

(あー……やっぱ今のあたしの体にもあるのか。飛竜交感適性)

 飛竜交感体質者に特有の、とある身体的特徴。秋川楓の身体にもこの特徴がみられたので、もしやとの思いはかねてから懐いていた。

「仰る意味がいまいちよく分からないんですが……魔皇とか、懐柔策とか」

『貴様、魔皇の手の者なのだろう。私を魔皇に隷属させ、世界制覇の尖兵とする魂胆なのだろうが、そうはいかん。貴様らの手先となるくらいなら、名誉ある死を選ぶわ。あまり私を安く見るなよ。私はかつて偉大な英雄の騎竜として共に戦い、彼女の死に際して後事を託されたのだ。ここで晩節を穢しては、あの世の戦友に顔向けできぬ』

「長広舌の最中恐縮なんですけど、あたし、本当にただの通りすがりの冒険者なんですが……魔皇って人も知りませんし、ここへだって地下水路の探索中に偶々迷い込んだだけですし」

『ほう、面白い。偶々迷い込んだ者が、偶々飛竜交感持ちであったと、こう申すのだな? 捕われの身で無為な時間を持て余しておったところだ。退屈凌ぎに、すこし話相手になってやろう。如何なる詭弁を弄して私に詐術を仕掛けるのか、興味が湧いた』

「だから、あたしはそんなんじゃありませんて。つかぬ事を伺いますが、あなたはドラゴンなんですよね?」

『いかにも』

「飛竜交感はワイバーンと思念波を同調させて心を通わせる能力だと、昔学校で習った記憶があるんですが、ドラゴンにも有効なんですか?」

『他の同族のことは知らん。私はワイバーンから進化した個体なので、ワイバーンの先天的な能力を継承しているのだろう』

「へー。てことは、若い頃はワイバーンだったんですか」

『遠い昔のことよ。脆弱で矮小で知能も低かった私が、こうして竜族への進化を成し遂げたのは、戦友の遺言を愚直に守って戦ってきたからであろうな。色気を出して竜族から龍族への更なる進化を目論んだが、人間の冒険者如きに不覚を取り、こうして虜囚の辱めを受けておる』

「虜囚って、ドラゴンのあなたなら、こんな地下空間から脱出するくらい朝飯前でしょうに」

『皮肉を申すな。それが出来ておらぬから、こうして無聊を託っておるのだ。見るがいい』

 ドラゴンはその巨体をわずかに動かした。途端、地面に魔法陣が現れ、魔法光を放つ。ドラゴンの全身を雁字搦めに束縛する半透明の鎖が浮かび上がり、鎖表面に施された複雑奇怪な呪紋が明滅した。

『魔皇手ずから施した縛鎖の魔法陣だ。忌々しいが、あれは稀代の魔法使いと言わざるを得ん』

 クッコロは唸った。

「これはまた……入念というか、執念深いというか。見事な術式で付け入る隙がありませんけども、粘着質な性格が滲み出てますね」

 ドラゴンは面白そうにクッコロを見た。

『言うではないか。いいのか。魔皇は貴様の雇い主か上司なのだろう? 不穏分子として粛清されても知らんぞ』

「あなたもしつこいな。あたしは魔皇とかいう人とは無関係ですって。面識もありませんし」

『む。おい、何をしている』

 おもむろに『身体強化』を発動したクッコロ。膨大な魔力を込めじわじわと出力を上げていく。尊大なドラゴンもこれには驚愕した。

『馬鹿な……なんという魔力か……』

「いえね、この鎖、破壊できるか挑戦してみようかと思いまして」

『やめろ! 魔力爆発に地下空間が持たぬ。落盤を起こして地上に甚大な被害が出るぞ』

「おっとっと、すみません。意外と良識的なんですね。ドラゴンの癖に」

『……地上の都市は、今でこそアルヴァント魔皇国の皇都リスナルなどと呼ばれておるが、もともと別の国家の首都だったのだ。そこは私の亡き戦友がこよなく愛した街でな。私にもいささか愛着がある』

「ふむ。では穏便に引き千切れるか、やってみます」

 巨大な鎖に華奢な両腕をかけるや息む。クッコロが手をかけた辺りを中心に無数の亀裂が生まれたが、自己修復の機能があるらしく、すぐに塞がった。

「ぷはーっ! ダメだこりゃ」

『さもあろう。貴様――おぬしもなかなかの者ではあるが、魔皇のほうが一枚上手だ』

「押してダメなら引いてみろって昔の賢者も言ってますし、搦め手の自己修復機能をつついてみましょう。案外これが、蟻の一穴になるかもしれません」

 クッコロは『縛鎖の魔法陣』に強化魔法をかけ始めた。ドラゴンの小言を無視して、どんどん魔力を注入していく。しばし静謐な状態が続いたが、やがて縛鎖全体がのたうち回るかのように放電を始め、『縛鎖の魔法陣』は砕け散って光の粒子となり消滅した。

「おお、上手くいったみたいです。これで自由の身ですね」

『……感謝する。そして、これまでの非礼を詫びよう』


「見つけたぞ」

 尋常でない剣気をまとう仮面の男が、突如クッコロとドラゴンのいる地下広場へと出現した。

『今度こそ魔皇の手下のおでましのようだぞ』

(やだなー、こいつ見るからにヤバそう。てゆうか、あたしの気配感知かいくぐって、どこから出てきたのよ)

「拙者はアルヴァント十二魔将が一人、メーベルト。魔皇陛下が貴殿を御召しである。拙者にご同行願いたい」

「アルヴァント十二魔将……」

 この時。日本文化に毒されたクッコロは、またぞろ明後日な感想を懐いた。

(マンガとかラノベじゃ、この手の敵の大幹部って大抵かませ犬だよね。四天王とか八部衆とか……)

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