第8話 【千手拳】と呼ばれる男


「怪しい者じゃありません。通りすがりの冒険者です」

 覆面の怪しい娘が言った。自分たちとそう年端のかわりなさそうな、否、いくぶん若そうな少女だ。危険地帯のこの森を単独で徘徊しているところを見るに、かなり腕の立つ高位冒険者なのだろう。

(接近されるまで、まったく気配を感じなかった……)

 アリスは軽くショックを受けていた。弓使いの自分にとって気配感知は死活的に重要なので、意識的に磨いてきたつもりなのだが。どうやら相手は高位冒険者らしいので、是非もない事か。

「救助、必要です。助けてもらえるんですか?」

 警戒しつつ訊く。アリスはある疑惑を拭いきれなかった。こうして遭難者に手を差し伸べるお人好し冒険者――そんな者がそう都合よくいる訳ないのだ。なにせ生き馬の目を抜く世知辛い世界だ。良心や倫理観を放棄した連中も多いので、死体剥ぎや落人狩りもごくありふれた慣行だと聞く。

(あまり見ない装束だな。異国の人か?)

 覆面娘は横たわるガレンに手をかざすと、なにやら念じ始めた。


(やば……辻ヒールでドヤろうと思ってのこのこ出てきたけど、今のあたし、回復魔法使えないじゃん!)

 前世では普通に初歩の『回復』を駆使していたので、術理は朧げに記憶しているのだが、何故か術式が組めない。後で青の月アグネートに戻って、『アカシックレコード』先生に訊く必要がありそうだ。

(手持ちのカードでなんとかするしかないか……)

 まずは精度を高めた魔力波走査で倒れている男の状態を確認。

(日本のおじいちゃん入院した時見たCTスキャンとかMRIみたいだよね、これって。さて、傷口洗っとくか)

 大気中の水分を転移魔法で集めて抽出。大量の純水を一瞬で生成して空中に水球を浮かべる。患部を洗浄。

(感染症とか心配だし、減菌しとこう)

 怪我人を結界で覆う。魔力波走査で検知した雑菌を、転移魔法でポイ。ついでに、おそらくは毒素であろう謎の高分子化合物を体中に仰山検知。

(こっちの世界の人たちの生命維持に必須の成分とかだったらごめんなさいだけど……たぶんコレ毒だよね? まわりの細胞壊しまくってるし。いいや、取り除いちゃえ。えい)

 患部の血管やら神経やらを、極薄微小な結界の膜で包んで仮養生。可能であれば糸状の結界で縫合。

(出血とめて……自然治癒力を強化魔法で促進、っと……いいのかなこんなんで? 医療ドラマもっと見とくんだったな)

 明後日な感慨を懐くクッコロ。

「すごい……見たこともない回復魔法」

 遭難パーティのヒーラーらしき女が素直に感嘆している。

「おお、あなたはヒーラーですね? ちょうどよかった。回復魔法お願いします」

「わたし、初歩の魔操級『回復』しか使えませんが? しかも今、魔力枯渇気味であまり効果が……」

「大丈夫。あたしが『強化』しますので」

 ユミィが残存魔力を振り絞って回復魔法を使用。淡い微弱な治癒の光で傷口を漸進的に癒す、よく見慣れた魔操級の『回復』。ところがだ。クッコロが未知の魔法を重ねた途端、これがまったく別物に変化した。ガレンの全身が眩い光に包まれ、傷口がみるみる塞がって完治してしまった。唖然とする遭難パーティ一同。

「やれやれ、呼吸も落ち着きましたし、一命取り留めそうですね」

「あ、あなたはいったい……」

「さっきも言いましたが、通りすがりの冒険者です」

 弓士の女と揉めていた剣士が頭を下げた。

「助かった。ありがとう。俺はこのパーティのリーダーをしている、ボーディルつうもんだ」

「礼には及びません。困った時はお互い様ということで……それはそうと、早くここから離れた方がよさそうです。何か向かってきます」


 数分後。一同はコカトリスの群れに遭遇していた。

「くそ! もう血の臭いを嗅ぎつけてきやがったのか」

「コカトリスって、討伐難易度レベルいくつだっけ?」

「知らねえよ!」

白金プラチナ級とか霊鉄ダマスク級のやつらが狩る対象だったはず」

 アリスによってもたらされた無慈悲な情報に、天を仰ぐ面々。

「ダメだ、もうおしまいだ……」

(ていうか、この魔獣の群れ、この人たちを追ってきたっていうより、何かに追い立てられて逃げてきた感じだよね)

 群れの後方に巨大な気配を感知。クッコロは警戒を一気に引き上げた。木々の間から姿を現したのは、白髯白髪の筋骨隆々たる巨漢。思わず第一印象がそのまま口をついてでた。

「……オーガ?」

「誰がオーガじゃい! 儂ゃ冒険者じゃ! ほれ見よ、角が生えとらんじゃろ」

 落雷のような大音声。なかなかの地獄耳らしい。

「【千手拳】ラディーグ……」

 アリスが呟いた。

「へぇ。有名人ですか?」

聖銀ミスリル級冒険者のドワーフよ。今現在、リスナルギルドじゃ最強と謳われていますね」

「ドワーフ? ドワーフってもっと小柄な種族なんじゃ……」

 あれはどう見てもオーガに匹敵する巨躯ではないか。

 恐慌をきたしたコカトリスたちがけたたましく鳴き、ラディーグに突進。巨躯に似合わぬ洗練された体捌きで次々と躱し、躱しざま巨大な鉄拳で殴りつける。殴られたコカトリスは一羽の例外もなく頭部を破裂させ、血や脳漿を噴いて息絶えた。

「すげぇ」

「これが聖銀ミスリル級……」

「聞きしに勝る化け物ね……」

 猛威をふるうラディーグに恐れをなしたのか、数羽のコカトリスがボーディルのパーティに転進してくる。

「む。そこのガキども! 早う逃げィ!」

 クッコロが進み出て、コカトリスの前に立ちはだかった。アリスの警告。

「視線合わせないで! 石化の呪詛がある」

「なるほど。了解」

 冒険者登録実技試験の際に使った、例の『体表面被膜結界』と出力1パーセント『身体強化』を発動。人間離れした威力のデコピンで、たじろぐコカトリスたちの魔石を破壊していった。

「ほう」

 ラディーグが、何故か嬉しそうにクッコロの動きを目で追う。


 威圧感ゆえか、近くで見るといっそう雄渾な大男だ。ラディーグがクッコロたちをじっと見詰めた。それだけで、いろいろな情報を見透かされた錯覚をおぼえる。

「お前たち、リスナルギルドの若い者か? そっちの嬢ちゃんはともかく、お前たちの腕では、まだこの森は時期尚早じゃぞ。早う街に戻れ」

「負傷者がおりまして」

 ラディーグは思案した。

「そりゃ森を抜けるのも難儀しそうじゃの。よし。儂が森を抜けるまで同行してやろう。同じギルド所属の誼じゃ」

 散乱するコカトリスの死体を見渡す。

「これほどの群れになっているとはのぅ。儂にお鉢が回ってくる訳じゃて。どれ、無事な魔石だけ拾って帰るとするかの」

 ボーディルは残念そうだ。

「なんか、遺棄するの勿体ないっすね。売れそうな魔物素材、けっこう取れそうなのに」

「若えの。戦利品も嵩張れば、探索を掣肘する桎梏でしかありえんからの。欲をかかんことじゃ」

 クッコロが無邪気に提案した。

「あたし、『空間収納』の術習得してます。なんなら全部仕舞っときますけど?」

 一同クッコロの言葉を真に受けず苦笑い。クッコロが無作為に歩き回ったところ、近付くそばからコカトリスの死体が煙のように消え失せ、唖然とするボーディルたち。さしものラディーグもこれには瞠目した様子。

(『空間収納』じゃと……ということはあの娘、伝説の時空魔法の遣い手か? 何者じゃいったい)


 夜の帷が下りてきて、その日は魔境アレク大森林で野営する運びとなった。転移で青の月アグネートの快適な屋敷に一旦戻り、豪勢な食事と温かい風呂とふかふかの寝床にありつくクッコロのひそかな計画は、あえなく頓挫。

 夕餉は、それぞれ持参の携帯食料を黙々と使った。この手の野外活動の手筈は、業界人の常識の範疇らしい。ところが初心者で野営など想定していないクッコロは、当然ながら何の準備もない。

「なんじゃ、メシの用意しとらんのか。迂闊な奴じゃな。儂の干し肉と固焼きパン分けてやろうか?」

「コカトリス肉調理して食べていいですか?」

「別に構わんぞ。お前さんも何匹か狩っとったしな」

 キュープラム級冒険者パーティの諸君は微妙な表情。

「魔物肉って常食すると魔力が上がるらしいけど……」

「臭いし固いし、おまけに不味いんだよなぁ」

 魔物肉の市場への主要な供給者は冒険者であるわけだが、処理の技量が玉石混淆であるため、品質が一定でない。この事実が、魔物肉の評価を著しく下げる遠因となっていた。

(あたしの場合、転移魔法で血抜き完璧にできてるから、いくぶんマシなんじゃないかなぁ)

 空中に結界で俎板を形成し、コカトリスを転移魔法を駆使して部位ごとに解体。

(魔物肉固いとか言ってたな……肉の繊維壊せば柔らかくなるよね)

 秋川楓時代、家族とよく行ったとんかつ屋。マスターが食材肉をミートハンマーで幾度となく叩いていた所作を思い出し、真似てみる。

(お試しにひときれ焼いて、味見してみるか)

 『空間収納』からメイド長メアリに持たされた岩塩を取り出し、まぶす。結界で形成した串に刺して、焚火で炙る。焼きたてを早速賞味。

(ほぼ焼き鳥だよねコレ。んー不味くはないけど……香辛料なんかほしいよね)

 旅の目的に香辛料探索も追加。心の備忘録に記しておく。

(生肉に強化魔法かけたら美味しくなったりして? やってみよっと)

 それは、半ば冗談の幼稚な思いつきだった。この瞬間、魔物料理の歴史に革命が起きたことを、この時のクッコロが知る由もなかった。


「なんだこりゃ、嬢ちゃん、何の肉を焼いた?」

「うめぇ……」

 一行の者が涎を垂らしてクッコロの一人バーベキューを凝視するものだから、お裾分けしたところ、この反応。

「何って、コカトリスの肉ですよ」

「マジか……こんな美味いのか、コカトリスって」

「こりゃあ、高級食材として高値で売れるぞ……」

「どういう処理したの? って、ただで教えてってのは虫が良すぎるか」

 夜更けまで、質問攻めが続いた。


 魔物の襲来に備え、輪番で見張りをする。

(結界張っときゃ、不寝番なんて必要ないんだけどなぁ。うーん、お花摘み行きたい……野外でするの、今後は慣れないといけないのかなぁ)

 現代日本の衛生観が染みついたクッコロには、どうも抵抗があった。なにより人間は、排泄時に無防備となるので危険だ。もよおす度に転移魔法を発動して、青の月アグネートの清潔で安全なトイレに駆け込むのもありかもしれない。

 見張り交代の際、ラディーグが語りかけてきた。

「おぬし、魔力操作はかなりの手練れだが、如何せん格闘術が素人じゃ。勿体なさすぎる。どうじゃ? おぬしにその気があれば、儂の格闘術の奥義を伝授して進ぜるが」

「うーん、考えておきます」

「気乗りせんようじゃな。まあ気が向いたら、いつなりと儂を訪ねてくるがいい」


 翌朝早々から移動を開始。昼頃になって、森の植物相に変化が訪れた。

「アレク大森林は抜けたな。この辺りはもう湖畔の森じゃ」

「湖畔の森と言えば、森の主とか呼ばれてたドラゴンが捕獲されたそうですね」

 自力歩行が可能なほどに回復したガレンが言った。まだ顔色は悪かったが、一端の冒険者だけあって体力と根性はある様子。

「【水聖】と【幻影双剣】がとっ捕まえたらしいな。あの若造ども、生意気だが腕は確かなようじゃ」


「ちょいと知己んとこに寄り道させてもらうぞ。この近くなんでな」

 そう言って先頭を歩くラディーグが向かったのは、湖畔の断崖に建つ古砦。クッコロが一昨日訪れたばかりの、ベルズ十五世が眠る墓所だ。

(あら……またここに戻ってきちゃったか)


「おーい、モーガンおるかー?」

「よぉ。誰かと思やラディーグのとっつぁんじゃねえか。久しぶりだな。ここんとこ顔見せねえから、どこぞで野垂れ死んだかと思っとったぜ」

「儂ゃ長命種じゃからの、お迎えが来るのはお前さんがくたばったずっと後年だろうよ。下手するとお前さんの百世代くらい後の子孫の頃かもしれん」

「俺が先に逝ったら、憧れの救国騎士様に御注進しといてやるよ。あなた様のファンが、いずれこちらへ参りますってな」

 気安い毒舌の応酬は、親しみの裏返しゆえだろう。ラディーグと墓守モーガン・カルロが暑苦しい抱擁を交わす。

「ほれ、差し入れじゃ。上等なコカトリス肉が手に入ってな。墓所にお供えしてくれ」

「肉なんぞお供えした日にゃ、森の猛禽どもにすかさず攫われちまうぞ」

「一瞬お供えしたら、後はお前さんとエリーズの腹に仕舞っとけ」

「いつもすまんな。魔物肉はあまり好きじゃないが、有難くいただこう」

「まぁ騙されたと思って焼いて食ってみぃ。魔物肉への先入観が覆るぞ」

「ほう。おや? そっちは先日のお嬢ちゃんじゃねえか。とっつぁんの連れだったのか」

「その節はどもです」

 会釈するクッコロ。

「大森林ですこし前に知り合っての。なかなか見所がありそうな娘じゃから、弟子に勧誘しておるところじゃ」

「ほう、【千手拳】の御眼鏡に適ったか。そりゃ逸材だな」

「儂はちと参拝してくる。どっこらしょ」

 一同何気なく付き従う。


 ふたつの石碑の前に立ち、しばし黙祷を捧げるラディーグ。

「ラディーグさん。この墓は?」

 ボーディルが訊いた。

「お前たちも名前くらい知っとるじゃろ。ゼラールの大帝ベルズ十五世と、救国騎士クッコロ・ネイテールの墓所じゃ」

「へぇ、かの有名な……こんな人里離れたところに、ひっそり墓があったんすね」

(あたしは面識ないし、陛下の所縁の人なのかしら?)

 ラディーグが語る。

「儂は幼子の頃、救国騎士殿に命を救われての」

 ユミィが首を傾げた。

「救国騎士さんって何百年も昔の人だよね……ラディーグさん齢いくつなんですか? ドワーフって長生きなんですねー」

「一般的なドワーフの寿命は六十年前後がいいとこじゃろ。人間とたいして変わらん。儂ゃエルダードワーフじゃ。山に籠って修行に明け暮れておったら、知らぬ間に上位種に進化しとった」

 そう言って呵々大笑するラディーグ。上位種族への進化は非常に稀な出来事だという。エルダードワーフは、かのハイエルフ並みに伝説的な存在らしい。道理でドワーフにしては体格が規格外な訳だ。

 それにしても幼い頃、前世のクッコロに命を救われた? ――だめだ。記憶にない。

「お前たち知っとるか。救国騎士殿は隻眼でな」

「ええ。肖像画見たことあります。えらい別嬪さんなのに、眼帯してて勿体ないなぁと」

(いやぁ、別嬪だなんてそんな……てへへ)

「彼女の左眼はの、儂を庇って矢を受けたんじゃ」

 その言葉でピンときた。

(あ。思い出した。第三次カルムリッテ会戦の時か)

 それはクッコロ・ネイテール十八歳の時。当時未だ元帥昇進前だったアルネ大将軍指揮下の帝国第五軍に配属され、東方国境において宿敵フォルド連邦軍と激戦を繰り広げていたさなかの出来事だ。

(確か辺境の寒村で、フォルド連邦軍の徴発部隊から逃げ遅れた子供がいて、あたしが助けたんだった。……この厳ついお爺ちゃん、あの時のちびっ子ドワーフかぁ)

「戦場で敵兵を屠るあの勇姿は、今でも目に焼き付いとる。凛とした佇まいで気品があって、鬼神のように強い。子供心に憧れたもんじゃ」

「なんか、すごいですね。そんな歴史上の英雄と接点があったなんて」

 ラディーグが瞑目した。

「今にして思えば、あれが儂の初恋じゃったのう。ドワーフが人間に惚れるなんざ言語道断とかぬかす奴もおったが、一人残らずぶちのめしてやったわ。ぐはははは」

 鋼鉄のような拳骨を誇示してみせるラディーグ。

「ソ、ソウデスカ……」

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