第7話 傾国の真祖
畏怖と尊敬を込めて高位冒険者に勇壮な二つ名を贈るのは、冒険者業界伝統の風習だ。意に染まない異名を奉られて、刃傷沙汰に発展する悲劇もごくまれに起こるらしいが。
その日、二つ名持ちの冒険者二人が、ギルド長執務室に呼び出されていた。【水聖】バルナスと【幻影双剣】メルダリア――いずれも
「湖畔の森のドラゴン捕獲の際はご苦労だったな。お前たちにしては珍しく苦戦したと聞いたぞ」
「討伐なら造作もなかったんだが。生きたまま捕獲となるとなぁ、難易度も跳ね上がる」
「まぁ運がよかったわ。ドラゴンに進化してまだ年月の浅い幼体みたいだったからね。千歳以上の成体なら、捕獲はおろか討伐も難しかったわね」
「報酬がよくても、とうぶん指名依頼は受けたくねぇや。今回は貸し一つだぞ、ギルマス」
ソファーに凭れかかるギルド長。
「そうゴネるな。魔皇国政府直々の依頼だったんだ。とにかくギルドの面目は保たれた。昨日、リグラトの総本部から報せがあってな、お前たちの
「お偉方は七面倒臭いしがらみが多くてたいへんだな。にしても、やっと
「あと一つの階梯は、更に途方もなく遠いんだけどね」
「ちげえねえ」
冒険者の実質的な最高位は、
「これでリスナルギルド所属の
メルダリアが考え込む。
「前にこの街から
「ああ。飲み屋で吟遊詩人連中がよく歌ってるやつだろ。大帝に仕えた武将で、最後は竜骨山脈遠征中に行方不明になったとかなんとか」
大帝ベルズ十五世の覇業を支えた柱石たちのうち、救国騎士クッコロや不世出の名将アルネ元帥と並んで令名を挙げられるのが、剣聖メーベルト大将軍だった。彼等の波瀾に満ちた生涯が、英雄譚の題材に事欠かなかったという事情もあるが、吟遊詩人たちは競って三傑の
「む、何だ? 地震か?」
部屋の窓硝子が一斉に振動音を奏で、天井のシャンデリアが揺らめく。
「訓練場のあたりだな。誰かが暴れてやがる。こいつは……とんでもねぇ魔力の波動だな。ラディーグの爺さんが新入りどもをしごいてんのかな?」
ギルド長が答えた。
「いや、【千手拳】はコカトリス討伐依頼でアレク大森林に出張中だ。訓練場は、今日は新規登録の実技試験に使われてるはずだが」
メルダリアが興味を惹かれた様子。
「面白い新人でもいるのかしらね。後でちょっと覗いてみよっと」
「また始まった。模擬戦挑んで潰すなよ。この脳筋が」
同じ頃。アルヴァント魔皇国皇城。居室のバルコニーから身を乗り出して、城下の一隅を睨みつける少女があった。金髪に印象的な紅眼。きわめて端麗な顔立ちを顰めている。
(なんじゃ、このでたらめな魔力の波動は……よもや、よもやとは思うが、彼奴らの追手ということはあるまいな。いや、あり得ぬ。彼奴らはこの星の先住民の動向などに関心を払わぬ筈。妾の復活も察知してはおるまい)
彼女の敵対者は途轍もない超越者揃いではあったが、超越者ゆえの驕慢がある。出し抜くことは可能なはずだ。
彼女はかつて強大な魔力と智謀で、とある異世界に君臨する絶対的王者だった。今を遡ること五百年ほど前、摩訶不思議な転移魔法によってこの世界に拉致される。この事件を企図したのは、『観星ギルド』を称する謎の組織。邂逅に際し、観星ギルドの構成員を名乗るハイエルフと妖霧は、「我々の同志にならないか」と勧誘してきた。「断れば殺す」という恫喝とセットではあったが。元の世界への帰還一択の少女とは、折り合う余地などない。かくして戦端は開かれた。
傲岸不遜な彼奴らに鉄槌を下すつもりで戦いに臨んだが、結果は惨敗。無双の強者であるはずの自分が手もなくひねられ、無様に遁走した。あの日の恐怖と屈辱は今も忘れない。
(観星ギルド……神々を気取る貴様らを一敗地に塗れさせ、滅ぼさずにはおくものか。今はまだ力が足りぬ。妾はまだ、見つかるわけにはゆかぬ)
捲土重来を期して雌伏し、力を蓄えるのだ。かいなを掻き抱く。上膊に爪が食い込み、血が滲んだ。
「我が君――アルヴァント魔皇陛下。どうか鎮まり給え。御身の妖気が城より溢れます」
側近の剣士の容喙によって我に返る。
「……許せ。気が昂ってしもうた。喉が渇いた。そちの血を所望じゃ」
「御心のままに」
跪く剣士の首筋にかぶりつく少女。垣間見えた犬歯は長く鋭い。
「豪傑の血は美味じゃの」
「恐れ入ります」
アルヴァントは揶揄する口調で剣士を見た。
「妾の妖気が城外へ洩れること憂慮しておったの。城下の人間どもが心配かや? そういえばこの地はそのかみ、そちの故国の都であったのだな」
「遠い昔のことにございます」
「妾の眷属となったことに後悔はないのかや? メーベルト」
「拙者は貴女様に闘いを挑み、敗れたのです。貴女様が事前に提示した勝者の権利は、敗者に隷属を求めるものであった。拙者は承諾して決闘におよびました。武人に二言はありませぬ。それに――貴女様との決闘は、実に甘美な体験であった。叶う事ならば、いつまでも殺し合っていたかった」
アルヴァントは肩を竦めた。
「天下に名高き【剣聖】にそう言ってもらえるとは光栄じゃの。それにつけても武人の宿痾じゃな。強者と闘わずにはおれぬのじゃ。厄介な性よ」
「魔皇陛下の眷属となったことで、大いなるメリットもまた享受しております。不老不死の肉体を得たことで、拙者は新たなる剣の境地――凡人には到達しえぬ高みへと至ったのです」
(妾には、そちが充足しておるようには到底見えぬが。新たなる境地とやらに到るほどに、飢餓は深まってその身を焦がしてゆく。さても求道者とは、度し難いものよ)
アルヴァントは記憶を手繰った。メーベルトと出会ったのは三百五十年ほども昔のことだ。あの頃のアルヴァントは、かの忌々しいハイエルフ女との戦いで負った傷を癒すべく、竜骨山脈の鉱山跡とおぼしき洞窟に身を潜めていた。
観星ギルドへの反攻の狼煙をあげるためには、この地に確固たる地盤を築く必要がある。そう考えたアルヴァントは、手始めに竜骨山脈の山麓に住まう魔族たちを糾合して、新しい国を建てることにした。
ここで目障りになるのが、当時一帯を支配下に置いていたゼラール帝国だ。盤石の大帝国に隙はないものか――アルヴァントは一介の侍女に身を窶してゼラール宮廷に潜り込み、内偵をすすめる。そして目を付けたのが、帝国第七軍総司令ザイル大将軍という男だった。当時ゼラール帝国では皇帝の代替わりがあり、幼い新帝ベルズ十五世が践祚したばかり。宮廷においては各派閥の権力闘争が激化しており、軍の重鎮たるザイルも処遇をめぐって不平不満を溜め込んでいる一人だった。
アルヴァントは言葉巧みにザイルへ接近して信頼を得ると、『魅了』の術などを駆使して誑かし、徐々に籠絡していった。洗脳が最終段階に至ったザイルを指嗾して、ついに反乱を起こさせることに成功するが、あと一歩というところで、なんとやらいう近衛騎士の小娘に皇帝弑逆を阻止された。あれには驚かされたものだ。
その後もアルヴァント自身は決して表舞台に立つことなく、常に黒幕として謀略を巡らせ、ゼラール帝国の弱体化を目論んでいく。後に大帝と呼ばれるようになるベルズ十五世が生涯にわたって暗闘を繰り広げた、異世界から渡来した吸血鬼の少女。アルヴァントは、大帝の最大にして最強の好敵手であったかもしれない。
(ゼラールの大帝は、ある時ついに妾の存在を察知し、刺客を送り込んできた。それがこやつ、メーベルトであったな。ベルズ十五世……げに恐ろしき敵手であった。彼が今少し長命であったならば、敗れていたのは妾であったやもしれぬ)
満身創痍となりながらもメーベルトを撃退したアルヴァントは、不老不死化した
アルヴァントは一案を思いついた。
「先ほど城下でなかなかの闘気を発する者がいた。そちほどの手練れであれば、気付いたであろう? その者を探し出し、妾の前に連れてまいれ」
「御意」
(使える奴であれば、メーベルト同様妾の手駒にしてくれる。来たるべき観星ギルドとの決戦に備え、陣営の戦力強化を図らねばの)
念願の冒険者証を入手してご満悦のクッコロは、大通りを闊歩していた。これでこの国の官憲に絡まれても、穏便に回避する方策がたつ。うきうきと路傍の露店や食い物屋台を物色していたが、はたと冷徹な現実に思い当たった。
(所持金がないんだった……)
テンションだだ下がりのクッコロ。
(お腹すいたな……仕方ない。冒険者ギルドに戻って適当な依頼こなすか。働かざる者食うべからずって言うしね)
掲示板に張り出された依頼票にざっと目を通してみたが、駆け出し冒険者たる
(あった。これ受けてみよう)
クッコロが目をとめたのは、駆け出し定番の薬草採取の常設依頼だった。
(初心者はとりあえずこれこなさないとね。危険度も少ないし、あたしみたいなか弱い女の子にはうってつけ)
ゲーム知識によってもたらされたクッコロの偏見は、なかなかに堅牢なもよう。
(空腹だし、さくっとやっつけよう。薬草がいっぱい生えてそうな場所と言えば……)
やはり植生の豊かなアレク大森林あたりが適地ではないだろうか。幸いなことに先刻、気の毒なオーク部隊の死体遺棄のためアレク大森林へ出向いて、転移門は設置済みだ。クッコロは人気のない路地裏に回ると、転移魔法でアレク大森林へと跳んだ。
軒昂としてやってきたはいいが、採取の進捗状況は芳しくない。ギルドの受付カウンターで渡された薬草一覧表を片手にそのあたりの草を毟ってみるものの、やはり付け焼刃の薬草知識では判別が難しい。
(次回は見本一株づつ買わないとダメだな。見本さえありゃ、転移魔法で同じ葉っぱ集めるだけの簡単なお仕事なんだけど)
かくなる上はそれっぽい植物を片っ端から『空間収納』に突っ込んでおいて、ギルド納品の際専門家に鑑定してもらうか。
「ん?」
ここは大型魔獣の跋扈する原初の森。哨戒のため周囲にばら撒いておいた結界玉のひとつが、人間の姿を捉えた。四人の若い男女。冒険者パーティのようだ。安易な接触はトラブルの元なので、クッコロはひっそりと場所を移動しようとした。が、パーティに重い怪我人がいるのを見てしまい、お節介を焼くことにする。
「だめ、血が止まんない」
「ちくちょう……ガレンしっかりしろ! 一緒に帰るぞ!」
血の気のない顔で横たわる男。息は荒く小刻みで、額には玉の汗。血糊だらけの革鎧は引き裂かれて原形をとどめず、内臓が男の横に零れ落ちている。
「俺を置いていけ……血の臭いを嗅ぎつけて、魔物どもが集まってくる」
重傷の男は掠れる小声で言った。
「行くぞ、ボーディル」
「ガレンを見捨てるっつーのか!」
「冷静に判断しろ、リーダー。このパーティは今、全滅の危機に瀕している。ガレンを置いていく決断を下すべきだ。どの道この傷では街までもたん。彼の意志を無下にする気か?」
ヒーラーらしき女が顔を覆った。
「やっぱ
「ユミィ。反省会は無事に帰ってからだ。とにかく、せめて森を抜けよう」
「アリス……俺たちゃ木や石じゃねえんだ。お前みたいに割り切るこたぁできん」
アリスと呼ばれた女弓士が舌打ち。
「覚悟がないなら冒険者なんてやめちまえ」
「なんだと糞アマ! もういっぺん言ってみろ!」
(うわぁ、ギスギスしてるなー……なんか出て行きづらいわね。まぁゲームと違って、仲間の実際の生死がかかった場面だもの。気も立つよねそりゃ)
この一幕を目撃したことで、自分は当面気楽なソロ活動でいこうと決意を新たにする。
不用意に近付くと攻撃されかねないので、まずは遠くから様子を覗う。観星ギルドから貰った隠形の外套と封魔の頭巾があるので、そうそう察知されることもないだろう。
(さてと、見てても埒が明かないし、声かけますか)
『最果て遺跡オンライン』プレイ中、よく辻ヒールをばら撒いていた日々が懐かしい。果たして無事に日本国へ帰還し、再びあのゲームをプレイする安寧の時間は訪れるのだろうか。
「あのう、お取込み中すみません! 救助は必要でしょうか?」
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