第5話 大帝陵墓にて
目標とする湖畔の古砦の前に転移扉を開き、乱舞する燐光とともに着地したクッコロ。さっそく転移魔法の道標たる転移門を設置する作業にいそしむ。これで何時でも何処からでもこの地に跳んでこれる。
(この砦は……やっぱ、そうだよね)
古砦というよりは、もはや遺跡と呼ぶ方が相応しいかもしれない。遠くない将来、完全に森にのまれるだろう。クッコロは倒壊した石橋を跳躍し、ツタの絡まる城門の残骸を踏み越えて廓の奥へと進んだ。物見櫓の類だろうか、湖水を見霽かす断崖の上に一段高い石垣が築かれている。特別意図があったわけではない。また、予感に衝き動かされたわけでもない。苔むした石段を無意識にのぼるクッコロ。ひらけた視界にとびこんできたのは、ちいさな広場に建立された人の背丈ほどのふたつの石碑だった。控えめな花束が手向けられているので、誰やらの墓標らしいと見当がついた。ふたつの墓碑銘に目を通す。膝が震えた。
『リムリア大陸統一者にして十二柱神殿守護者 大帝ベルズ・リセアル・ゼラール・サークライ ここに眠る』
『救国騎士 ベルズ十五世正皇后クッコロ・ネイテール・ゼラール・サークライ ここに眠る』
「……大陸を統一した英雄ともあろう御方が、こんな辺鄙なところで眠りにつかないでくださいよ。普通でっかい陵墓を造営して、後世の観光地化に貢献するものですよ。でも、そっか、生き延びて大陸統一成し遂げたんだ。頑張りましたね――あたしの陛下」
忘れかけていたいろいろな想いが、我知らずこみあげてくる。
「それにしても、なんですか正皇后って。畏れながら、笑っちゃいますよ。あーもう、大人になった陛下の姿、見たかったなぁ……もう一度、会いたいなぁ」
しばしの間去来する追憶に身を委ね、声を殺してむせび泣く。
「いかんなー齢のせいかどうも涙腺がゆるいわ。てか、あたし今十六歳か」
転生以来、老成恐怖症に罹患しつつあるクッコロ。年齢に関するトピックは、精神衛生のためすかさず棚上げする。
「動くな!」
突如、後方の茂みから発せられる警告。
「弓で狙いをつけている。ゆっくり手を頭の後ろで組み、うつ伏せになれ。ゆっくりだ」
盛大に溜息。黙って言われた通りにする。
「エリー、所持品を検めろ」
弓に矢をつがえていた男は、連れの少女に指示した。クッコロはされるがまま身体検査を甘受。
「貴様何者だ? ここで何をしている?」
さっそく例の
「あたしは異国から来た冒険者。拠点を変えようと旅の途中。ここには偶々立ち寄って、お墓があったから参詣がてら、旅の安全を祈願してたところ」
「冒険者だと? にしては丸腰じゃねえか。ギルド発行の冒険者証は持ってるか?」
「……持ってない。紛失した」
急造の設定なので穴はあると思ったが、いきなり綻びたか。
「まぁ貴様が脛に疵持つお尋ね者だろうが知ったこっちゃねぇ。俺らは官憲の手先じゃねえからな。しかし墓荒らしだけは許さん。白状しろ。貴様、墓荒らしだろう?」
「違う。十二柱の神々に誓いますよ」
クッコロは前世知識をひきだしから引っ張り出す。リムリア大陸は十二柱神殿の敬虔な信徒が多かったはず。
「墓荒らしでないならあれか、ドラゴンの財宝目当ての輩か?」
「ドラゴン? この辺りにいるの?」
「さだめしドラゴンの財宝で一旗揚げようというクチだろうが、残念だったな。ドラゴンは二月ほど前に捕獲されたし、塒の財宝も粗方回収されたあとだぞ」
「本当に初耳なんですが……」
「なんだ、駆け出しか? 冒険者稼業は耳の早さが命だぞ。お嬢ちゃん」
「父さん。この子、悪い人と違うんじゃないかな。さっき、大帝陛下と救国騎士様のお墓の前でずっと泣いてたし」
連れの少女は擁護にまわってくれるらしい。親父氏も対話が進むにつれ険が取れてきたので、どうやら丸く収まりそうな気配。
「そのようだな。疑って悪かった。もう立っていいぞ。参詣で涙するとは――まさかとは思うが、ゼラール帝室所縁の者か?」
(あちゃー嗚咽シーン見られてたか。不覚。陛下の墓所見つけて動揺してたとはいえ、あたしも焼きが回ったもんだ。平和な日本人十六年もやってると、騎士の勘も錆び付くのかしらね)
「あたしの御先祖様がベルズ十五世陛下の臣下だったらしい。ここに立ち寄ったのは本当に偶然。期せずして今日旧主への墓参がかなって、これも御先祖様のお導きかなーとか思ってたら、感無量というか」
「奇遇だな。うちの先祖も大帝と救国騎士に仕える近衛騎士だったそうだ。俺の名はモーガン・カルロ。こっちは娘のエリーズ・カルロ。代々この地の墓守をしている」
(おや。カルロ男爵の子孫か親戚かな。彼のフルネームなんてったっけ……)
そういえばどことなく面影を感じる。あの謹厳実直を絵に描いたような老騎士には、見習い時代にしごかれもしたが、随分世話になったものだ。
「もしかして、タルガット・カルロ男爵の?」
「ほう。うちの御先祖を知ってるのか」
「剣術と騎竜術の達人だったと聞いたわ。あたしの御先祖様も師事したらしい。あたしはクッコロ・メイプル。まぁ、冒険者志望の旅の者です」
名乗りを受ければ名乗り返すのがゼラール帝国の作法だったはずだ。歴史上の著名人に命名を因むのはわりとよくある風習なので、あまり気にしない。
「救国騎士と同じ名か。名前負けせんよう励むことだ。どれ、無礼の埋め合わせというわけでもないが、茶など振る舞おう。互いの先祖が知己だった誼だ。来るか?」
何か情報が得られるかもしれない。クッコロは頷いた。
廓の一角が菜園になっており、その傍らに砦の施設を転用したらしき石積みの家屋があった。童話的な風情がある。
「茅屋ですまんが寛ぐといい。口に合うかわからんが、香草を煎じた茶だ。この片田舎では、発酵茶はなかなか手に入らんのでな」
「ありがとう。いただきます」
エリーズが訊いてきた。
「クッコロちゃんの装束、この辺りでは見ないね。どこの国から来たの?」
「んーと、大陸の辺境にあるちいさな国。中原の人々は、おそらく名前を知らないと思う」
「ふむ。深く詮索はするまい。しかしそんな軽装でよく旅してきたな。もしや、身ぐるみはがされたのか? 近頃街道筋は盗賊が跋扈してるっていうしな」
クッコロは曖昧に微笑んだ。
カルロ親子から得た情報によると、ベルズ十五世がこの世を去ってすでに三百年経っているという。彼の死後異民族の反乱や天災が相次ぎ、リムリア大陸全域におよぶ巨大な版図を維持しきれず、五十年を経ずしてゼラール帝国は瓦解。現在はゼラール帝室庶流の統治するいくつかの都市国家が、細々と命脈を保っているらしい。
「帝都は今どうなってるの?」
「ゼラール帝国とは別の王朝――アルヴァント魔皇国の首都になっているな。現在の名称は皇都リスナル。別名魔都。碌なもんじゃねぇから近寄らんほうがいい」
「アルヴァント魔皇国?」
クッコロの前世知識にはない固有名詞だ。
「ここなん十年かで勃興してきた新興国家だ。竜骨山脈の蛮族どもが結託して国を建ててな、ゼラールの衰退に乗じてとうとう旧帝都を奪取しやがった」
竜骨山脈は各種鉱物資源の埋蔵量が豊富で、稀少なミスリル鉱やアダマンタイト鉱も産するという。このためゼラール歴代皇帝が経略に力を入れ、しわ寄せとして先住の様々な種族が、ゼラール帝国の強大な軍事力の前に逼塞を余儀なくされてきた歴史がある。クッコロ・ネイテール存命時は、精強で鳴らした帝国第二軍が竜骨山脈の平定作戦にあたっていたはずだ。
「竜骨山脈の蛮族っていうと、オーク族とかゴブリン族とかコボルト族だよね、確か」
モーガンが頷いた。
「無知と博識が混然としとるな、お前。どんな辺境で育ったんだ」
オーク、ゴブリン、コボルト――いずれも体内に魔石核をもつ生物たちだ。蛮族というのは多分に旧ゼラール帝国人主観の呼称で、魔法使い界隈では魔族と一括されている。
「あいつらゼラール帝国には恨み骨髄で、人間を憎悪しとるからな。あちこちで奴隷狩りをやるもんだから、農民の逃散を招いてる。早晩国が傾くだろうよ」
「確かにあまり近寄りたくない国ですね」
「ところがだ、冒険者ギルドと魔皇国にはなんらかの協定があるらしくてな。ギルド発行の冒険者証を持ってりゃ一応保護されるらしい」
政治、経済、風俗の情報をひとしきり仕入れたクッコロは、ベルズ十五世の逸話を教えてくれとせがんだ。クッコロが熱心に傾聴するので、モーガンも気前よく応じた。
「晩年の大帝は、多忙な政務の合間を縫ってはよくこの古砦を訪れてな、物見台からの眺望を肴に一献傾けていたそうだ」
「ああ、湖の見晴らしいいですもんね。なんていう湖なんですか?」
「クッコロ・ネイテール湖っていうんだ――おい、どうした?」
不意打ちにお茶を吹いてしまった。
「ちょっと噎せまして。大丈夫。続きをどうぞ」
「三百五十年前は平原が広がっていたらしいんだが、大帝の恋人だった救国騎士が、謀反人ザイルの軍勢を撃退するために大魔法を使ってな。大地がおおきく抉れたそうだ。その跡地に湖が出来たわけだ。この時戦死した恋人を偲んで、大帝がクッコロ・ネイテール湖と名付けたそうだ――おい、どうした?」
「陛下の、恋人……」
クッコロは真っ赤な顔で上の空。
「あ、大丈夫です。続きお願いします……」
「荒城に足繁く行幸するのを見かねた廷臣たちが、ある時建議したそうだ――そんなにこの地の景観がお気に召したのならば、この古砦を破却して絢爛な離宮を造営しましょうと。大帝はこう返事したそうだ――このままでよい。このまま保存せよ。とな」
とこうモーガンは、ベルズ十五世にまつわる様々なエピソードをクッコロに語って聞かせた。大帝に伺候した侍従たちが書き記した『ベルズ十五世語録』なる書物があり、彼の生涯の詳細な言動が後世に伝わっているらしい。
老いさらばえいよいよ命旦夕に迫ったベルズ十五世は、次のように語ったという。
「朕に空疎な奥津城など必要ない。あの湖を一望できる場所に埋葬せよ。朕はクッコロの傍で永遠の眠りにつきたいのだ。あやつが一人で寂しがっておろう故」
いつしかクッコロは人目も憚らず滂沱たる涙を流していた。
「……いいお話をうかがうことができました。ありがとう」
「なに、こちらこそご清聴感謝だ。墓守ってのは語り部でもあるからな。大帝の事績を後世に伝承していく責務がある。そうして聞き入ってくれると墓守冥利に尽きるってもんよ」
カルロ親子の家を辞し、湖畔の街道を歩きながら思案する。
(やっぱ冒険者証の入手は喫緊か。あんまり気が進まないけど、帝都行ってみるか。えっと、今はアルヴァント魔皇国の皇都リスナルていうんだっけ――ん? なんだあれ)
街道の彼方、クッコロの進行方向に砂塵が舞っている。クッコロは微小な結界玉を放って情報収集を試みた。
(軍隊かな? オークか……)
特徴的な豚頭に、平均的な成人男性よりふたまわりほど大きな体躯。当然だが、オークの実物を目のあたりにするのは前世以来実に久々だった。前世におけるオークの印象は、腰布一丁に石斧を振りかざして襲いかかってくるまさに未開の蛮族といったものだったが、今クッコロの前方に現れたオーク兵たちは、揃いの甲冑をまとって統制が取れ、かなり練度の高い軍隊に見える。どうやら完全武装のオーク兵二百体ほどが、十輛ほどの馬車を護送中のようだ。
(あいつらって確か、嗅覚鋭敏だったよね)
クッコロは全身を包む結界を展開すると、風下の茂みに身を潜めた。そのまま待つことしばし。行列をやり過ごす。
(モーガンさんの言ってた奴隷狩りってやつか)
馬車に積載された大きな檻に鋭い視線を向ける。鉄格子の向こうには、恐怖と絶望に色濃く染め上げられた表情の人間が大勢いた。老若男女さまざまな者が、いちように手枷足枷首枷で拘束され身を寄せ合っている。オークたちに人権や人間の尊厳を尊重するなどといった概念は皆無なので、奴隷たちの糞尿も排泄されるがままであり、檻の中の惨状は目と鼻を覆うものがあった。
(当たり前だけど、日本とはなにもかも違うよね。やっぱ異世界に来たんだなぁ)
現在いるこの世界を異世界として無意識に認識するあたり、クッコロの日本人度合いが窺い知れるというものだ。しかし今の光景を見て、正規ルートで皇都リスナルに入る選択肢は除外された。入城審査が当然なされるだろうが、不幸なことになる未来しか予想できない。
(まぁ転移魔法もあるし、どうとでもなるか)
クッコロは幾百もの結界玉を生成し、懐かしの旧帝都――現皇都リスナルの方角に飛翔させた。
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