第4話 執事長の魔法講座
「しからば失礼して魔力走査させていただきますぞ」
「どうぞ」
どうやら自分には魔法が行使できないようだとありのまま申告したところ、執事長ローエルが秋川楓改めクッコロ・メイプルの状態を調べることになった。水面に拡がる波紋のような魔力の波が、クッコロの体を駆け抜けたのが分かる。
「……さすがは観星ギルドの一員たる御方。空恐ろしいほどの魔力の器をお持ちですな」
クッコロは首を傾げた。
「そうですか? 実を言うと魔法は
迂闊な放言で身上を詮索される懸念なきにしもあらずであったが、この相手には無駄な心配だろうと考え直す。先ほどのエルフ女と白ローブほどではないにせよ、ギルド従者を称する彼等もまた尋常ならざる気配を韜晦しようともしない。
「私の見立てですと、二つの問題点がございます。まず一つ目。クッコロ様の魔力涵養がきわめて緩やかであるため、あなた様の器を満たすにはかなりの歳月を閲する必要があるということ。二つ目。クッコロ様の魔力回路があまりにも繊細なため、膨大な魔力が梗塞を起こし、魔力循環が上手く機能しておらぬということ」
「『転移』の習得は無理そうですか?」
「習得に支障はありませぬ。ただ、魔力回路の拡張は必須かと」
「ふむ。どうすればいいんでしょう?」
執事長ローエルが先ほど披露した転移魔法や探査魔法の手際の鮮やかさを見るに、この人物はかなり魔法に通暁した専門家なのだろう。そう当たりを付けたクッコロは、知識収集の貴重な機会とばかりに身を乗り出した。
「魔力回路に関しましては、瞑想してひたすら全身への魔力循環を繰り返すほかありますまい。迂遠なようですが、やはり基本にしくはなし。基本こそ斯道の奥義にござれば」
そういえば……かつてクッコロ・ネイテールだった頃、帝国軍幼年学校でそんな教育を受けた記憶が朧げにある。楓に転生して以来、魔法の修練とも無縁の生活を送ってきたのだから仕方ないが。
「なるほど。では魔力涵養とかいうものに関しては?」
ゲーム的に解釈すると、最大МPが大きく更にMP自動回復が少ないといったところか。
「自然回復以外ですと、外部から魔素を摂取するという手もございますな。精密な魔力同調が求められますが。例えばリュストガルトに跳梁跋扈する魔物に、魔石と呼ばれる核があることはご存知でしょうか? ――いや失礼。クッコロ様は異世界のお生まれでございましたな」
(前世はたぶん、そのリュストガルトとやらの出身だけどね……)
「その魔石から魔素を吸収することで、魔力回復を図るのです。あなた様の前任者ハイエルフのランベル様などは、余暇の娯楽として頻繁にリュストガルトへ降臨なされ、魔物狩りに興じておられました」
前世でならば魔物討伐も幾度か経験したものの、今のクッコロに切った張ったの荒事は無理だろう。
「まぁあたしはあたしのペースでぼちぼちリュストガルトを探検しますよ。べつに魔法を究めたいわけでもないし、勇名を馳せて英雄豪傑になったろうとかいう野心もありませんから。ワールゼンさんを探し出して帰省するのが最大の目的ですので」
我ながら達観したものだと感心する。すでにしてこの状況に順応しつつある。それも当然と言えば当然か。異世界転生だの異世界転移だのというファンタジー体験を遺憾なく経験してきたこの身だ。腹もくくろうというものである。感覚が麻痺しているという見方もできるが。
快適な屋敷をあてがわれ、魔力操作の修練に明け暮れること三ヶ月。当初は帰還時の時間経過――所謂ウラシマ効果的なものがそこはかとなく不安であったが、よくわからない事にくよくよ思い悩んでも精神衛生上よくないので、日本の家族の事はもはや考えることをやめた。
「さすがに上達されましたな」
「そりゃあね。この贅沢な環境ですから」
教師陣は揃いも揃って
「転移魔法もつつがなく習得なされ、祝着にございます」
「いや、習得もなにも」
クッコロは微妙な顔をした。ギルド従者たちが『アカシックレコード』と呼ぶ謎の石柱に触れただけである。かくべつ刻苦勉励したということもない。秋川楓の受験勉強のほうが難儀だったくらいだ。
「そろそろリュストガルトに赴かれますか? 護衛の者をお付けしたいのはやまやまなのですが、我等ギルド従者はここアグネートを離れられぬのです。といいますか、魔法的な誓約によってリュストガルトへの干渉を制限されておりまして」
「まぁ転移魔法覚えたので大丈夫だと思います。何か危険な場面に遭遇したら速攻逃げますので」
想像通り闇雲な転移魔法の行使は、悲惨な事故をもたらすようだ。果敢な先人たちの実験によって引き起こされたあまたの魔法災害の記憶が、『アカシックレコード』に触れた際、クッコロの脳裏に刻まれていた。安定して転移魔法を運用するためには、転移先に転移門なる座標系を設定する必要があるらしい。マップのマーカー的なものなのだろう。
「とりあえず最初の転移門はこの御屋敷に設置するとして、リュストガルトにはどうやって行くのコレ?」
地続きならば足で移動もできようが、なにせ天空の彼方に浮かぶ他の惑星。クッコロは考え込む。
(魔力走査の届く範囲に転移扉を開く術があったな……)
恒久的な転移門に比べて転移扉は簡易で暫時的なものだ。クッコロは便宜上、転移門を長距離転移向き、転移扉を短距離転移向きと解釈して区別していた。
(八艘飛びよろしく、転移扉を継ぎ足していったらリュストガルトに辿り着くんでない?)
クッコロは蒼穹に霞む、地球によく似た色彩の天体を見つめた。生身の人間が宇宙空間を渡っても差し障りないのだろうか? 放射線とか真空とか、頗る健康に悪そうなのだが。
「まぁ、結界を分厚く展開してやってみますか」
魔法の真髄は創意工夫だ。かくして試行錯誤しつつ、転移扉の実験と慣熟に時を費やすこと更に三ヶ月。
「手こずっておられますな」
ある日、ローエルが陣中見舞いにやってきた。
「魔力の匙加減が難しくて。出力小出しに漸進中ですわ」
「転移扉の術は観測が肝なのだとワールゼン様にうかがったことがございます」
ローエルに転移扉と転移門の相違についての考察を述べてみたところ、そんな返事がかえってきた。
「単純に短距離転移向き、長距離転移向きとかの話じゃないのね」
「転移門は設置さえ出来れば、観測の及ばぬ遠方だろうと問題なく転移できます。それこそ異世界だろうが異次元だろうが。時間軸さえ問題にはなりませぬ。術者の思いのままの時空に転移することが可能だそうでございます」
「そりゃまたすごい魔法ですね」
「逆説的に申しますと、転移門の設置が術の運用上の桎梏となりえます。現にクッコロ様はリュストガルトに転移門をお持ちでないため、往来の手段に苦心されておられます」
「なるほど」
「参考までにお尋ねしますが。先日クッコロ様が『アカシックレコード』に接触され、新たに開眼なされた魔法領域は奈辺でありましょうか?」
「新たに開眼とか言われてもねぇ。今現在扱えそうなものは『時空』と『結界』と、あとは『強化』の三種類かな……」
「結界魔法の適性がおありならば、おそらくリュストガルトの観測も可能かと。下界の者どもが鑑定魔法だの索敵魔法だのと呼び做しているものは、実は結界魔法の副次効果なのです」
結界の内側の空間は、術者の意のままに情報を把握できるという解釈でいいのだろうか。
「リュストガルトは幸いにしてここアグネートから目視できます。あなた様の魔力であれば、リュストガルトまるごと結界で包み込むことも造作もないはず。転移扉の座標設定など容易いことでしょう」
「いやいやいや、無理ですから」
地球規模の天体を結界でまるごと覆うなど、どこの超越者の真似事だ。どうも観星ギルドの従者たちは、クッコロを過大評価するきらいがある。過日邂逅したランベルやらヴァレルやらといった怪物たちと同類に見られているのだろうか。
「ふむ。しからばクッコロ様、虚空に結界を張ってみてくだされ。豆粒ほどの大きさのもので結構」
「こうですか?」
「球状を保持なされませ。やや成形が甘いですが、まぁ及第点でございます。その結界の玉を遠隔操作できますか?」
「むむむ……難しいなこれ」
「慣れてきたらアグネートをひたすら周回させてみましょう。軌道は適当でよろしいので」
かくして結界玉の遠隔操作に時を費やすこと更に六ヶ月。アステロイドベルトさながらに無数の結界玉をアグネートの衛星軌道に投入し、自在に操って遊ぶクッコロの姿があった。
(もしかして、結界魔法ってものすごく汎用性高いんでない?)
前世知識では、耐久性のさほど高くない防御魔法という印象でしかなかったが、奥深い運用ができそうだ。
(結界玉と情報共有できるっぽいから、まんまこれ偵察衛星だな)
五感はいうに及ばず、魔力やよく分からない謎波長も検知可能らしい。クッコロは掌にちいさな結界玉を生成し、玩んだ。
「いい感じでございます」
いつの間にやら傍らにローエルが控えていた。
「結界魔法おもしろいですね。この結界玉は魔力消費効率もよさそう」
「そろそろリュストガルトに投入できるのではありますまいか」
指摘されてリュストガルトに意識を向けてみる。アグネート周回中の結界玉いくつかを、リュストガルトに向けて放った。おそらく引力やら摂動やらを踏まえた複雑怪奇な演算がなされているのであろうが、アカシックレコードへの接触以来クッコロの内に憑依した何かが、常にクッコロのイメージを魔法への投射において最適化しているようだ。早い話が人間業ではありえない。クッコロは頻りに首をかしげた。
(どうなってんの、あたしってば)
気を取り直して探査を開始。リュストガルトの成層圏に到達した結界玉と感覚を同期。広大な雲海の隙間から、いくつかの陸地が確認できる。
(大陸ってこんなにあったんだ。ええと、リムリア大陸はどれだ?)
前世の記憶をあさる。リムリア――懐かしの故国、ゼラール帝国が盤踞した大陸の名だ。帝国軍幼年学校で学んだリムリア大陸地図はおぼろげに思い出せるが、宮廷画家見習いが片手間に描いた略地図だった。三角測量で作成されたそれなりに高精度の地図は国家機密扱いで、無位無官だった当時のクッコロ・ネイテールが閲覧できるようなものではなかった。
(赤茶色でいかにも荒涼としてそうなあそこが、たぶん魔大陸。とすると、あのあたりの海がザガスフィア大洋になるから、リムリア大陸はあれか)
それっぽい大陸にあたりをつけ、記憶に残る地図と地勢を照らし合わせる。
(あれはたぶんカルネラ半島。そんでもってあのあたりが竜骨山脈で、ドーラ砂漠にゼディーク高地、となるとあそこがアレク大森林……帝都はあのあたりね)
不意に高鳴る鼓動。
(皇帝陛下は、まだ御健在なのかな)
あの時、相当数の賊軍を死出の道連れにできたと思う。少年皇帝は無事に落ち延びることができただろうか。
秋川楓として意識が目覚めてから、地球時間で十六年が経っている。こちらの世界では、あれからどれくらいの時を経過したのだろう。
(あれ、あんな湖あったっけ?)
陽光を反射して煌めく湖水。かなり大きい。どうにも気になって望遠の倍率を調整していく。湖畔の断崖絶壁の上に、樹木にのまれかかった古砦があった。崩れかかった城壁や塔を覆うツタや苔の緑の濃さが、廃城となってからの歳月の長さを思わせる。
(……)
「首尾は如何ですかな? クッコロ様」
クッコロの様子に何かを察したか、ローエルが声をかけてきた。
「観測に成功しました。転移できそうです」
「それは重畳。すぐに出立なされますか?」
クッコロが頷く。
「しからばこちらをお持ちください」
ローエルが手を叩くと、メイド長メアリが転移してきて控えた。袱紗が掛けられたトレーを捧げ持っている。
「それぞれ観星ギルドの秘宝、隠形の外套と封魔の頭巾でございます。クッコロ様の強大な魔力を隠蔽しませんと、下界での活動に支障をきたしますゆえ」
「はぁ」
促されて身に着けてみる。ゲームに出てくる忍者かアサシンのコスプレをしているような微妙な気分にとらわれた。
「かえって目立ちませんかねコレ」
「昨今のリュストガルトには冒険者なる生業の者どもがおりまして、クッコロ様のいでたちのような者も多いと聞き及んでおります」
(冒険者か、懐かしいな)
前世の頃、帝国の西方に位置する大国リグラト王国を中心に、冒険者ギルドがおおきな勢力を誇っていた。孤児院にいた時分は、よく風の噂に有名冒険者たちの活躍譚を耳にし、将来の選択肢のひとつと子供心に夢想したものだ。
「あとこちらに、予備のおめしものをご用意させていただきました。クッコロ様のお好みが不明でしたので、現在おめしの衣服と素材、縫製寸分たがわぬものをメアリの魔法にて解析、複製いたしております」
「そりゃまぁ、ありがとうございます」
化学繊維はどうやって拵えたのだろうと一瞬思ったが、高度な魔法を操る彼らのことだ。きっと謎の魔法でお茶の子さいさいなのだろう。なんにせよ予備の衣服はありがたい。着の身着の儘でアグネートに召喚されたため、水丘高校制服が現在の一張羅である。夏服セーラーにミニのプリーツスカート、白ハイソックス、上履きの白ズックといういでたちは、このファンタジー世界においてはさぞかし異国情緒満点なことだろう。
「リュストガルト探索は、遠い異国出身の冒険者か行商人って
そう呟きつつ、下着類を含む大量の衣服を『空間収納』に仕舞う。『空間収納』は時空術系統の八次元『魔道』に分類されるらしく、使用には注意を払うよう従者たちに促された。
「嘆かわしいことです。
「ほほう。ってことはですよ、あたしは今や
知らないうちに随分とまた出世したものだ。前世では駆け出し
「何をおっしゃいますやら。あなた様は既に十次元『魔導』のきざはしに足をかけておられます。歴史上八人目の
「ははは……
もはや乾いた笑いしかでない。
「そもそも観星ギルドの加盟資格は、
ローエルは衛士長フェルドに命じて、十二振の剣を用意させた。
「これらの神剣はギルドの至宝にて、いずれ劣らぬ業物にございます。銘は、左端のものから順にカラドボルグ、グラム、エッケザックス、フラガラッハ、クラウ・ソラス、フロッティ、アロンダイト、ミュルグレス、ダインスレイフ、リディル、デュランダル、レーヴァテインと申します。お好きなものをお持ちくだされませ。無論お気に召さば、全てお納めいただいてもかまいませぬ」
クッコロは感心した。
「よく間違えず憶えられますね」
「私は栄えある観星ギルドの執事長を拝命しておりますゆえ」
(出ましたよ。ファンタジー御用達の神話剣シリーズ)
ローエルが訝しげな様子。
「如何なされましたか」
「いや、あたしのいた世界でもこれらの剣有名でしたから。神話とか伝説とか(ゲームとかラノベとか)で。実在するんだなーと感銘を受けていたわけです」
「ほほう。異世界でも名を轟かせておりましたか。さすがは神剣といったところですな」
(んなわけある……のかしら?)
「神剣と冠するからには、神様的な存在が作ったとか使ったとか由来があるんでしょうねぇ」
「はい。御明察でございます。これらの剣は、
クッコロにとっては聞き捨てならない名前であった。この謎深き人物は、もしかして地球出身者なのではあるまいかとの疑惑がつのる。名前にあるフォン称号は、地球のドイツ語圏の王侯貴族に用いられるものとして知られている。よくよく考えてみると、リムリア大陸文明圏の名前としては、歴史的にあまり馴染みがない。
クッコロは気を取り直して剣を吟味しようと、カラドボルグに手を伸ばした。
「あ痛っ!」
指先が触れたところで衝撃が走り、クッコロは慌てて手をひっこめた。
「え? 何これ。もしかして有資格者以外が触ると、バチが当たるとか呪われるとかって設定?」
他の剣でも試そうと触れてみたが、同様に手が弾かれる。
「これは面妖でございますな」
「どうなってるの? ローエルさん」
「ご無礼を。魔力走査させていただきます」
ローエルの黒覆面が揺れた。
「これは……どうやら、魔法的な誓約が発生しておりますな。過日ヴァレル様とランベル様立会いのもと、クッコロ様が観星ギルドに加盟なされた折、向後一切の真剣使用を禁忌とする旨、あなた様の魂に刻まれておるようです。何かそのような趣旨の発言をなされましたか?」
「いや、特に言ってませんが……」
「されば、クッコロ様の深層意識が作用した可能性がございます。真剣にきわめて強い忌避感がおありの御様子。お心当たりは?」
「あー……」
クッコロの脳裏に竹刀を構えて笑う好々爺の姿が浮かんだ。クッコロ――秋川楓の祖父にして剣道の師、秋川吉右衛門。
(じいちゃんの影響だろうなぁ、やっぱ)
クッコロは頭をかいて苦笑い。前世で散々人を斬り殺してきた意識が、初めて触れた祖父の剣道の深淵な世界。それはあまりにも心地よく爽快で、クッコロにとって不可侵の聖域となっていたのだろう。
(あたしはたぶんもう、剣で人を斬れないな。魔物だって斬れるかどうか。剣士クッコロさんはもう廃業かしらね)
「まぁ『空間収納』があれば、嵩張ることもありますまい。神剣はすべてお持ちくだされ。いずれ役立つこともありましょう。なんでしたら、路銀の足しに売り払っても結構ですぞ」
ローエルの爆弾発言に鼻白む。
「ええ? ギルドの至宝とか仰ってましたよね、さっき」
「なに、百年後でも千年後でも回収は容易きこと。どの道これらは、下界の者どもの手には余りましょう」
そんなこんなで出立の準備が調い、クッコロは転移魔法を自身に向けて展開した。目標は、結界玉で見つけた湖畔の古砦。
「じゃ、いってきます」
居並ぶ従者たちが一斉に頭を垂れた。
「いってらっしゃいませ」
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