第2話 異世界転生


 彼女には誰にも言えない秘密があった。前世の記憶があるのだ。他人の記憶を知覚できるというレベルではなく、前世の意識をそのまま継承しているような感じだった。前世における散華で途絶えた意識が、再び毀損することなく覚醒したのは、彼女がまだ一歳にもならない嬰児の頃だった。この時点ですでにあり得ない。

(どういうこと? なんで赤ちゃんに)

 当初彼女は転生の可能性に思い至らず、魔導級禁呪の触媒となった副作用を疑った。魔法で時間遡行が可能という話は聞いたことがなかったが、なにせ十次元の魔導である。斯道はあまりにも深遠かつ望洋で、如何なる理不尽さをもって彼女の常識を粉砕するのか、正直想像もつかなかった。前世の彼女、クッコロ・ネイテールは魔術士ウィザード――六次元の魔術のとば口にようやく立ったばかりの青二才に過ぎなかったのだから。

(あの戦で一命をとりとめたってことはないよね、さすがに)

 体中を槍で貫かれ、さらに禁呪の爆心となったのだ。どれひとつとっても致命傷だったように思う。

(となると……)

 輪廻転生は実在するという説もあるのだぞ――想い人が寝物語に語った言葉が思い出された。仮にこの現象が転生だとして、前世の意識を保ったままというのは如何なる運命の悪戯なのか。それとも、自然界の摂理とはこうしたものなのだろうか。

(左眼もちゃんとある)

 元クッコロであるところの赤ん坊は、もみじのような小さい手で己の顔を叩いた。身体の欠損が回復したというのは望外の恵沢で、素直に嬉しかった。

 まずは状況把握のためにも情報の収集か。そしてそのためには、周囲の大人たちが話す謎言語を習得する必要がある。このような状況にもかかわらず、取り乱すことなく冷静に対応できるのは、前世における軍事調練の賜物かもしれない。


 嬰児の学習能力は驚くべきもので、彼女はしばしば目を見張った。

(あたしって、こんなに物覚えよかったかしら?)

 数年後、謎言語をある程度習得したことによって、色々なことが判明した。まず今生における自分の名前は秋川楓。両親は、父が秋川恭太郎、母が秋川梢という。あと父方の祖父がいて、秋川吉右衛門。この三人が楓の家族のようだ。前世を通じても初めての、血のつながった家族の存在。楓の精神は名状しがたい高揚感に包まれた。

 謎言語すなわち日本語は、ゼラール語と文法の共通点が多く、習得は楓にとって容易だった。辞書や百科事典を次々と読み漁り、インターネットを駆使する幼児に両親は欣喜雀躍。「この子は早熟の天才だ。神童にちがいない」と、親馬鹿ぶりを遺憾なく発揮していた。

 情報収集の進捗によって、ここが異世界であるとの思いは日に日に強くなる。まず、月がひとつしかない。青と赤のふたつの月が夜空を照らしていた前世とは違う。そして、この世界の文明はきわめて高度だったが、そこに魔法や精霊の恩恵は存在していなかった。

 魔力がまったく存在しないわけではないようだが、局所的に偏在しているようだ。多くの場所は希薄で、ごくまれに濃密な場所があるように感じる。おそらく魔力の源たる魔素の励起が、なんらかの理由で阻害されているのだろう。楓個人もまた、内在魔力は微々たるもので、前世の魔術士ウィザードの力は喪失していた。ただ、魔法探知の力だけは、転生以来意識を向けていたゆえか、以前よりも研ぎ澄まされた気がする。


「楓はお利口さんだなや。本こ好ぎなんだが? じっちゃの本も読んでみるが?」

 ある時縁側で図鑑を読んでいると、相好を崩した秋川吉右衛門が話しかけてきた。彼の言葉は御国訛りが強く、聞き取るには若干の慣れが必要であった。

「おじいちゃんの本?」

「んだ。歴史小説どが剣豪小説いっぺえあるがら読んでみれ」

「歴史小説? 剣豪小説?」

「昔の偉い英雄豪傑がだの物語だべ。おもしぇど」

 吟遊詩人の叙事詩サーガのようなものだろうか。この異世界の国の歴史や固有の剣術にはかねてから関心があったので、祖父秘蔵の書庫をあれこれ読んでみる。たしかに興味深い。史実と脚色を織り交ぜた娯楽色の強い書物らしいが、こうした文物に親しむことによって、この国の民族性などを知る手懸りともなろう。個人的には、伊達政宗や柳生十兵衛がお気に入りであった。史実か後世の創作かは知らないが、隻眼だったと記述されていて親近感を抱いたためである。

 吉右衛門の蔵書を濫読するうち、興味の対象は剣道へと向かっていった。この国風に言えば、昔取った杵柄というやつだ。前世の経験を持ち出せる人は楓くらいであろうが。

「ほう。剣道やりたのけ? めんけえ子だで」

 吉右衛門は孫の入門希望を聞いていたく喜んだ。彼は高名な剣道家らしく、秋川家の敷地にはちいさな道場まである。

「親父。女の子に剣道仕込むとかやめてやれよ」

 父の恭太郎は渋い顔であったが。

「いいねが。礼儀作法身に付ぐべ。集中力も付ぐど。将来勉強出来るえんとなるでよ。体も丈夫なって風邪ひがねぐならぁ。いい事づぐめだで」

「楓が怪我したらどうすんだよ」

 楓は父と祖父のやり取りを微笑ましく眺めた。なんと平和な国なのだろう。これまでに得た知識によると、この日本国はなかなかに古い国であり、相応に血腥い歴史を経てきたようだが、今現在きわめて安定した平和を享受しているように見える。流血のゼラール帝国史の渦中にいた身としては、尚更そう感じるのだ。


 離れの道場でいざ稽古となったのだが、前世の近衛騎士団正統剣術を持ち出してはさすがに不審がられるだろう。今の楓は剣道初心者の六歳児なのだから。しかし達人の目は節穴ではなかったらしい。

「はて、妙な癖ついでらな。テレビの真似だべが?」

「うんそう。アニメのまねっこ」

 引き攣った笑顔で誤魔化す。アニメ鑑賞は最近はまりつつある趣味だった。初めて見たときは、絵が動くなど如何なる魔法かと驚嘆したものだ。

 吉右衛門は目を細めた。

「ふむ、楓。中段に構えでじっちゃど向い合ってみれ」

「うん」

 互いに中段で対峙。凪いだ水面にも似た静謐。柔和な好々爺が一瞬にして消え失せ、得体のしれない魔物が目前に降臨したような錯覚を覚える。底知れない威圧感に、楓は冷たい汗をかいていた。

「もういいど。おつかれさん。やっぱすおめえ、筋がいいべ。さすがおらの孫だで」

 太平を謳歌する国の在野に、こんな怪物がいるのか。前世の剣の師カルロ男爵や、剣聖と名高かった帝国第二軍総司令メーベルト大将軍に比肩しうるかもしれない。



 この国は太陽暦の一種を採用していた。一年は十二ヶ月からなり、毎年一月と八月には親類縁者が集まる風習があるらしい。前者の新年を寿ぐ行事をお正月と呼び、後者の先祖の霊を祀る行事をお盆と称するらしい。楓が小学校一年になったその年のお盆、横浜の親戚が墓参のためやってきた。父方の叔母の一家で、楓より二歳年下の従弟妹がいた。彼等は一卵性双生児らしく、両親から話には聞いていたが会うのは初めてであった。

「おまえがカエデか。じいちゃんからケンドーならってるんだって? どっちがつよいかショーブしようぜ」

 風呂敷マントと新聞紙の剣を装備した、腕白を絵に描いたような幼児が楓に突っかかってきた。見た目よりも人生経験が豊富な楓にしてみれば、ひたすらに微笑ましい。前世で帝国軍幼年学校に通っていた頃、よく貴族の子弟に絡まれたことが懐かしく思い出された。好戦的な子供の矛先をいなすことなど、楓にとっては朝飯前だ。

「君が桜井大和君ね。君と妹の瑞穂ちゃんも、おじいちゃんに勧められて剣道始めたんだってね。一緒に稽古する?」

 大和は鼻で嗤った。

「おいおまえ。ちょっとトシウエだからってチョーシこいてんじゃねえぞ。オレはキンジョのしょうがくせいをなかせたことがあるんだぞ!」

 武勇伝の披露がはじまる。大和の背後に音もなく立つ吉右衛門。大和の毬栗頭を鷲掴みして曰く、

「この餓鬼、礼儀作法なってねえな。楓、ちっとこ稽古つけでやれ」

「わかった。おじいちゃん」


 もちろん相手は幼稚園児であるから手加減したのだが、前世の近衛騎士団入団式のノリで先達からの洗礼を施してやったところ、大和は楓に対してきわめて従順な姿勢を取るようになった。

「さあ、もう一本」

「カエデおねえちゃん……も、もうかんべんして……」

 涙目で道場の床に這いつくばる大和。めでたく長幼の序を学習したらしい。

 この洗礼の儀の過程で気づいたのだが、桜井兄妹はこの世界の人間には珍しく、かなりの内在魔力を有しているようだ。兄大和で魔操手マジシャン級。妹瑞穂に至っては見当もつかない膨大な魔力を感知した。最低でも魔律使ソーサラー級、おそらくはそれ以上。双子たちが楓の前世の世界に生を受けていれば、冠絶した魔法使いとして名を馳せていたかもしれない。

(『身体強化』でも仕込んでみようかしら)

 魔法など無縁のこの世界では、無双の超人が誕生することになるだろう。しかし、魔素の励起が阻害されているこの世界において、魔法は禁忌の可能性もある。楓は軽率な行動は控えることにした。

(特に妹のほう。いったいなんなの、この子……)

 大和と比べて物静かな印象の瑞穂。その名前もまた甚だ気になる。桜井瑞穂――さくらいみずほ――ミズホ・サクライ――ミューズ・フォン・サークライ。前世の祖国を興したとされる英雄によく似た名前。

(建国帝に因んだ命名……なわけないよね)

 あの世界と所縁のある人間が、この世界にそうそういるとも思えない。まぁ自分という実例がここに存在するので、皆無とも言い切れないところが厄介なのだが。さしあたり双子の両親たる桜井夫妻は、クッコロが生きた世界を前世とするような突飛な裏設定とは無縁そうな人々なので、瑞穂と建国帝の名前の類似は単なる偶然であろう。



 桜井兄妹との出会いから九年余の歳月が流れ、楓は高校一年生となった。入学したのは地元の名門、水丘高校。祖父と父の母校ということで熱心に受験を勧められたこともあるが、主な志望動機は、濃紺セーラー服に白ハイソックスという女子制服が気に入ったからだった。中学の友人たちには古臭いだの田舎臭いだのと頗る不評であったが、前世の帝国軍幼年学校の制服に似ていて郷愁を感じたのだ。前世では更にベレー帽が付き、白ハイソではなく白革の軍靴であったわけだが。

(高校でも剣道続けるよ、おじいちゃん)

 仏間の長押に掲げられた祖父の遺影に語りかける。楓にこの国の剣道を伝授してくれた祖父吉右衛門は、三年前にこの世を去っていた。


 世上の名門の評価は伊達ではなく、水丘高校の生徒たちは確かに英才揃いであった。しかしこの異世界の高度な知識を得るまたとない機会でもあり、楓は自重をかなぐり捨てて高校生活に臨んだ。楓の勤勉さは折り紙付きだ。クッコロ時代には運にも恵まれたが、平民出の戦災孤児から近衛騎士団長まで駆け上がったのだ。結果、波瀾万丈の人生経験の差ゆえか、楓は徐々に水高コミュニティの中核人物となっていった。クラスにおいても学級委員長に選出された。立候補者がいなくて新人の教諭に懇願されたという裏事情もあったが、基本お人好しなので承諾した次第だ。

(あたしも通算三十九歳か。いや、前世は一年四百八日あったから、この世界の暦に換算すると……)

 十二柱の主神に因んだ一年十二ヶ月というのは偶然にもこの世界と共通であったが、前世はひと月あたりの日数が多い。

(いやだな。あたしもけっこうなオバちゃんということに……いいや、前世は断固ノーカンだわ)


「委員長ゴメン! あたし今日歯医者の予約あって委員会出られないんだけど、代わりに出席してもらえないかな?」

 ある日の昼休み、図書委員のクラスメイト女子に拝み倒される。

「えー、あたしも部活あるんだけど」

「欠席の場合委員長に代役頼めって担任に言われてさ。この通りお願い! こんど埋め合わせするから」

「しゃあないわね。放課後図書室に行けばいいの?」

「図書室のカウンター当番なんだけど、B組の子とペアだから。その子に聞いて。高橋翔子さんて子。眼鏡かけた小柄な人」

「了解」

 同級生とそんなやりとりをしつつ、ふと世界の差異を痛感する。切った張ったの殺伐とした乱世に生きた女騎士クッコロ・ネイテールと、ゆるふわな日常を謳歌する女子高生秋川楓。前世は遠くなりにけり、だ。


「図書委員の代理で来ました秋川です。よろしくお願いします」

 幼い頃は、ついクッコロ時代の癖で初対面の人間に敬礼をしそうになったものだ。そうした前世の習慣もしばらくなりを潜めていたのだが、帝国軍幼年学校の制服によく似た水高の制服に袖を通したところ、ふとした瞬間につい出てしまうことがある。楓は誤魔化して頭をかいた。

 カウンターの中で読書中であった高橋翔子は、楓の急な登場に驚いて狼狽している。取り落した文庫本を拾おうとしたところ、書店のブックカバーが外れて更に慌てた様子。どうも人目を憚っているようで悪いとは思ったが、本を拾って注視する。何故ならタイトルにこうあったからだ。


 『クッコロさん戦記Ⅳ ~オーク帝国の黄昏~』


「クッコロさん……」

 何故前世の自分の名がこの世界の小説のタイトル・ロールに――楓は困惑した。萌えイラストの描かれた頁を繰る。

「あ、あの、これは、その」

「ファンタジー好きなの? あたしも好きですよ」

 翔子が傍目にも気の毒なほど消沈して涙目になっていたので、楓は努めて友好的に語りかけた。

「と言ってもラノベは敷居が高いので、専らマンガやアニメばかりですけど」

 それこそ幼児の頃から祖父の蔵書で活字に親しんできたので、読書が苦手ということはない。部活やら勉強やらで何くれとなく多忙な今時の中高生にとって、視覚情報から取っつきやすいマンガやアニメに余暇の友の比重が傾くのは、ありうべきことではなかろうか。

「秋川さんが? 意外ですね」

 社会の縮図でもある学校には、隠然たる序列が形成されることがしばしばあるという。巷間ではこれをスクールカーストと称するそうな。与り知らぬところで水高の女帝なんぞに祭り上げられた楓は、スクールカーストの頂点の一角と一部生徒たちに見做されていた。ちなみに前世のクッコロもまた後年、皇后として正史に名を刻むのであるが、これまた楓の与り知らぬことである。

「なかなかどうして筋金入りのオタですよ、あたし」

 元異世界人の楓にしてみれば、この手の文化的な娯楽は好奇心を擽られて興味が尽きない。記憶にある前世での娯楽といえば、魔物狩りや闘技場賭博といった刹那的かつ脳筋寄りなものがやたらと多かった。その反動か、なおさら傾倒の度合いが高まるという按配だ。

 打ち解けてオタ話に花を咲かせる二人。身近に同好の士が潜伏していたのは僥倖だと、翔子はいたく喜んでいた。中学時代、迂闊にカミングアウトして級友に引かれたトラウマがあるらしい。

(あたしはべつに潜伏していたわけじゃないんだけど)

 マンガ、アニメ、ライトノベル、ゲーム等の愛好者はかつて迫害された歴史でもあるのだろうか。ありうることだと楓は考えた。これらに通底する前衛的な要素を容認できない保守層も一定数いるに違いない。ふと、前世における魔術士ウィザードの修行時代に思いを馳せた。ゼラール帝国の成立以前、焚書坑魔と呼ばれる魔法使い弾圧の時代があったと学んだことがある。世界は違えどよく似た知的生命体同士、精神構造も近似しているのかもしれない。

 そんなこんなでクッコロさんの由来について教授してもらったり、流行りのゲーム談義をしたりと、有意義な時間を過ごした。

「最果て遺跡オンライン?」

「時々遊んでるMMORPGなんだけど、リアルの知り合い誰もやってなくて。秋川さんよかったらどうかなって。無料のトライアル版、ネットでダウンロードできますよ」

「今夜調べてみるね」

 最果て遺跡とはまた懐かしい言葉を聞くものだ。世のファンタジー愛好者たちが感涙にむせぶ、かどうかは定かではないが、少なくとも血湧き肉躍るであろう現実が前世にはあった。最果て遺跡と呼ばれる場所もまた実在する。ゼラール帝国、リグラト王国、フォルド連邦といった列強が割拠する大陸の東には、ザガスフィア大洋を隔てて魔大陸と呼ばれるもうひとつの大陸があった。その深奥にあるという謎の古代遺跡。魔法使いの界隈では有名な伝説だ。


 下校を告げる校内放送が流れる。定番のドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』第2楽章。今生の世界の多彩な音楽もまた、楓を魅了してやまないもののひとつだ。前世において音楽は王侯貴族の趣味であり、庶民はせいぜい吟遊詩人たちの素朴な弾き語りに触れる程度であった。

(かの楽聖がこの世界に生まれていたら、この世界の音楽にインスパイアされて、さぞ多くの名曲が生まれただろうにね)

 前世の古代には、吟遊詩人にして十次元の魔導を極めたという偉人がいた。楽聖リカルド・セルウォード――呪歌という魔法の一分野を切り開いた大魔法使いは、魔法を志す者ならば誰もが憧れる存在であった。かつてのクッコロもまた例外ではない。魔法の歴史上七人しか確認されていない魔導司ワイズマンの一人であり、かの禁呪『時空対消滅』を編み出した時空術師ワールゼンと共に、五人目の魔創神ヘカテーに最も近かったとされている。

「そろそろ下校時間ですね。返却された本、書架に戻さないと。秋川さんは部活あるんですよね? 先上がっていいですよ。今日はありがとです」

 そういえば図書委員任務の助っ人中だった。

「けっこう数量あるし手伝うよ」

「それは助かります。じゃあ本のラベルと照合して書架に戻してもらえますか」

「了解。図書室って試験勉強の時くらいしか使ったことないけど、うちの図書室ってけっこう本充実してるのね」

「まぁ伝統校ですからね。OBからの寄贈とかあるみたいですよ」

 作業に勤しむこと数分。奥まった通路で奇妙な違和感にとらわれる。書架に並ぶ本の一冊から漂う魔力の残滓。とても幽かな気配だったので、注意していなければ見過したことだろう。

(何、この本。まさか魔操書ピカトリクス魔術書グリモア? なんだってこんなものがこの世界に)

 問題の本の背表紙にはこうある。


 『パワースポット《神社》~この世と異世界をつなぐ特異点~』


 楓は本に手を伸ばしかけて思いとどまった。安易に触れるのは危険な気がする。こうした予感が時として生死を分ける――そんな前世が懐かしく思い出された。異世界転生からはや十六年。安穏な日常に身を置いて、危機察知の能力もだいぶん錆び付いてはいたが、元は百戦錬磨の騎士である。

(いや、違う。魔操書ピカトリクスでも魔術書グリモアでもない。何かの魔法アイテムを隠蔽してるみたいだけど)

 魔力を喪失していなければ、今少し詳細な解析ができるのだが。

「秋川さん終わりました? 戸締りしますよ」

「はーい。ちょうど終わったとこ。今行きます」

 宮仕えだったクッコロと違い、今の楓は市井の一庶民。英雄譚お誂え向きの厄介事に首を突っ込む義理はない。とは言うものの、事は前世とも縁ある魔法に関わっていそうなだけに、楓の胸中は穏やかでなかった。

(やはりこの案件、慎重に調べる必要がありそうね)

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