クッコロ・ファンタジィ~時空魔法で無双するJK~
けさゆめ
第1話 女騎士と皇帝
列柱回廊で隻眼の女騎士が呼び止められる。
「閣下」
その呼びかけが自分へのものであることを理解するのに数秒を要した。慣例で、近衛騎士団長は将軍と同格であるらしい。よって閣下となるわけだ。宮廷のしきたりや作法など碌に弁えない自分が、聖上に伺候する廷臣たちから閣下呼ばわりされるなど、とんだ茶番だと思った。
「皇帝陛下が御召しであります」
「すぐに参内いたします」
クッコロが騎士団長に補任されたのは、ほんの八時間ほど前のことだ。前任者が戦死したためである。ここ一ヶ月で騎士団長の交代は七回におよぶ。百余名を数えた近衛騎士団も、四十名ほどが戦死、五十名ほどが行方不明で、今や十二名を数えるのみだった。
「どこの馬の骨とも知れぬ小娘が栄えある近衛騎士とは。世も末よの」
「あの小生意気な宰相の養女か。なんでも下賤な出自の戦災孤児であるとか噂じゃが」
「先帝がお隠れあそばされて未だ日も浅い。我ら譜代の藩屏に諮ることなく、社稷を壟断いたすとは。頑是なき皇帝陛下を誑かす君側の奸どもめ」
クッコロが騎士になりたての頃は、口さがない雲上人たちによくそのような陰口をたたかれたものだ。今はあの頃すら懐かしい。
(なりたくてなったわけじゃないのに……なんであたしばかりこんな貧乏籤ひくのかな)
クッコロは盛大に溜息をつく。情実人事や猟官運動が横行する宮廷とは違い、近衛騎士の叙任には厳格な選考基準が存在した。これは近衛騎士団の創設者、武帝カンナートの意向によるものらしい。つまり、クッコロは紛れもなく傑出した戦士だった。その証左に白銀の甲冑や純白のマントは、今現在敵兵の返り血で凄惨なありさまだ。
「クッコロ・ネイテール、御前にまかり越しました」
玉座に向かって跪くクッコロ。宮中参内とはいっても、ここはかつての壮麗な宮殿ではない。帝都郊外の山頂に聳えるうらぶれた古砦の一室だ。平時であればこのようななりで皇帝に謁見するなどもってのほかなのだろうが、今は戦時。クッコロの不調法を咎める者は誰もいない。もっとも玉座の左右に居流れる貴族然とした男たちは、露骨に眉を顰めていたが。
「疲れておるところすまんの。これより軍議をひらくので、貴官にも出席してもらいたい」
皇帝の横に侍る老臣、参謀総長の何某がクッコロに声をかけた。この時クッコロは二十三歳。一月前であれば、参謀総長にとって取るに足らぬ無名の若輩者であったのだろうが、今やクッコロは皇帝麾下の最大戦力。言葉の端々にも配慮がにじむ。クッコロは一礼して円卓の末席に着いた。
皇帝ベルズ十五世の横に、大恩ある養父ネイテール宰相の姿はない。帝都で反乱が勃発した一月前、養父は拘束されて殺害されたと聞いた。外征をひかえて観閲式のため帝都郊外に集結していた第七軍が突如反旗を翻し、帝都防衛の第一軍に襲いかかったのだ。不意を突かれた第一軍はほどなく壊滅。宮殿に雪崩れ込んだ反乱軍は貴族や官吏たちを殺戮してまわり、宮殿は阿鼻叫喚の地獄絵図だったそうな。
ベルズ十五世は近衛騎士団の勇戦によって地下水路から宮殿を脱出。歴代皇帝の幾人かも、この地下水路網を経由した抜け道で謀反から逃れたものらしく、近衛騎士団の訓練課程には、地下水路の全貌把握が秘匿申し送り事項としてあったのだ。
「忌憚なく報告させていただく。兵糧がつきかけておる。もって三日というところか。水脈も断たれたので、もはや
参謀総長の司会で軍議が始まる。第一声から景気の悪い報告だった。
「さしあたり援軍として期待できそうなのは、東方国境の第五軍と、竜骨山脈の蛮族戡定にあたっている第二軍。それに帝都圏近隣諸侯の領軍か……」
「厳しいと言わざるを得ませんな。諸侯の軍勢を糾合したとて、多く見積もっても三万がせいぜいの寡兵。総兵力二十万の第七軍には敵すべくもない。第五軍は東方国境でフォルド連邦軍と対峙中。第二軍は峻険な竜骨山脈を越えねばなりません。いかなアルネ元帥やメーベルト大将軍が歴戦の名将とは申せ、帝都の変事を聞いてすぐさま兵を返すのは難儀でありましょう」
反乱の首魁と目される第七軍総司令ザイル大将軍は、周到な将領として定評があった。これまでの手際を見るに、帝都の包囲網や情報統制、諸侯の調略、列強諸外国への工作など、手抜かりは望み薄であろう。
「援軍の見込めぬ籠城など下の下策です。ここはなんとか包囲を突破し、帝都圏から落ち延びては如何かと」
「包囲を突破など不可能だ。ザイルがそのような甘い相手であろうはずがない。ここはしっかりと守りを固めることこそが肝要だ」
「しかし食糧がないのだぞ。連日の夜襲で兵どもも不眠不休だ。このままでは座して死を待つこととなろう」
「いよいよになればそこらの雑草、木の皮、軍馬――食えるものは何でも食うしかあるまい」
騎士であるクッコロを憚ってか、騎竜を食べるなどとは誰も口にしない。ワイバーンは機動力と打撃力に優れた貴重な戦力であったが、調教の困難さと糧秣を大量に消費するという欠点があった。かつて籠城で兵糧が逼迫した際、戦死した味方兵士の遺体をワイバーンに食わせたなんぞというおぞましい昔話も知られている。
「皇帝陛下にそのようなものを召し上がれと申すのか貴殿は」
「命をつなぐ食材に貴賤云々するでないわ。ならば起死回生の代案を出してみよ」
総参謀長がクッコロに訊ねた。
「ワイバーンは何体健在であるか? 近衛騎士団長殿」
「五体であります。参謀総長閣下」
「ふむ。陛下に空路脱出していただくことは可能か?」
「きわめて難しいかと。まずワイバーンとの交感適性がなければ騎乗できませぬ。敢えて御同乗いただいたとして、魔力中毒を患うおそれがございます。また、敵魔法使いによる索敵網が構築されており、捕捉される危険が高いかと愚考いたします」
「空もダメか」
そんな感じで、喧々囂々の軍議は空しく時を浪費した。散会となって兵舎に引き取ろうとした際、侍従に呼び止められる。
「陛下の居室にお越しください。閣下に内々の御相談があるそうで」
クッコロは躊躇した。
「戦塵にまみれたこの軍装で御座所へ伺うのは、さすがに畏れおおく……」
「では衣服をあらためたのちお越しください」
どうあっても謦咳に接する必要があるらしい。平民の生まれであるゆえか、どうにも雲の上の方々は苦手だった。戦場で難敵と斬り結ぶほうがまだ気楽だ。
平時の軍服に着替えて皇帝の居室へと向かう。扉の前、直立不動で立番をする近衛騎士の同僚へ敬礼。
「クッコロ・ネイテール、参上仕りました」
「おお、待っておったぞ。侍従たちは下がれ。近衛騎士団長と大切な話があるゆえ、朕が呼ぶまで誰も部屋に入ってはならぬ」
ベルズ十五世はクッコロの顔を見るなり破顔した。紅顔の美少年とはまさにこういう人を言うのだろう。
「まず掛けて茶など飲むがよい。宮殿のものと遜色ないとは申さぬが、ジャコル茶の逸品だ。そなたのような武人には酒のほうがよいのかもしれぬが、朕は子供ゆえまだ飲めぬのでな。典医が、酒はまだダメだとうるさいのだ」
「恐れ入りたてまつります」
「ここは朕とそなたの二人のみ。そう畏まらずともよい」
クッコロとしては慎重にならざるをえない。なにせ相手は十三歳の少年とはいえ、大帝国の今上皇帝。迂闊な言動で亡き養父の令名に瑕疵が生じたり、ネイテール侯爵家に累が及んでは堪らない。ただ、クッコロが一所懸命に斟酌するネイテール侯爵家の義兄弟姉妹たちは、クッコロを蛇蝎のごとく嫌い疎んじていたわけだが。
(ああ、胃が痛い。早く兵舎に帰って寝たい)
互いに無言で茶を喫し、飲み終えた頃おもむろに語るベルズ十五世。
「軍議の席ではあまり発言しなかったな、ネイテール卿」
「臣は無知蒙昧な若輩者でありますゆえ」
「今この場には朕とそなたの二人のみと先ほども申したであろう。腹蔵なく見解を述べよ。遠慮は無用だ」
クッコロは軽く頭を下げた。
「それでは下問いたすぞ。現在の苦境を打開する方法はあると思うか?」
「……おそれながら……」
「雄弁な沈黙だな。まぁ朕も情勢は厳しいと思う」
「己の不甲斐なさ、慚愧に堪えませぬ。宸襟を安んじ奉るのが我等臣下の務めなのですが」
「どうやらこの古砦が、朕の終焉の地ということになりそうだな。敵に討たれるか、自決かは知らぬが。出来れば虜囚の辱めは受けとうないの」
「陛下、そのようなことは……」
「よい。登極した時、帝国にこの身を捧げる覚悟は定まっておる。反徒どもも思い知るがいいのだ。万世一系のこのゼラール帝国において、皇帝弑逆が如何なる結末を招くのかを。朕亡き後、血はたっぷり流れることになろうが、いずれ帝室の誰ぞが至尊の座を継ぐであろう」
クッコロは瞠目した。「あの齢にしてあの慧眼。不世出の名君になられるやもしれぬな」生前の養父の言葉が脳裏をよぎる。それだけに残念だ。あたら帝王の雛をこのような反乱如きで。養父に言われたあれを使うべきか。左眼を覆う眼帯をそっと押さえる。
「多くの臣下を道連れにすることになろう。許せよ」
クッコロは逡巡を振り払った。いずれにせよ自分の命数もここに定まった。戦場において主君が先に斃れるなど、近衛騎士にとって恥辱以外の何物でもない。
「我等近衛は陛下の盾。どこまでも御供仕ります。どうか玉体を護らせ給え」
どうもよくないな――クッコロは心の奥で眉をひそめた。今自分は、いつになく自己陶酔しているような気がする。忠義に篤い騎士的なものに酔っているのだ。少年皇帝の覇気に中てられたのかもしれない。なかなかに恐るべき御方だ。
「さて、前置きはこれくらいにして、本題に入ろう」
(え? ここまで前置きだったの)
「実は朕にはひとつだけ心残りがあるのだ」
「はい」
帝王の覇気が影を潜め、そこには赤面する少年がいた。
「笑うでないぞ。また、この件に関して口外することを禁ずる。これは勅命である」
勅命という単語を聞いて、クッコロは威儀を正した。
「朕はその、童貞なのだ。先帝の崩御で九歳の時慌ただしく即位したため、帝王学の履修が中途半端でな。そこで、死ぬ前に一度だけでも女性と交わってみたいのだ。ネイテール卿、そなた、朕の相手を務めてはもらえぬだろうか」
「はい――はいィ?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまう。この御方は何を言っているのだろうか――クッコロは思考停止に陥り、茫然自失で少年を見つめた。
「笑ってくれるな。皇帝の寵愛というのは政治的にも微妙な問題らしいのだ。おぬしも知っての通り、宮廷という所はあまたの派閥が跳梁跋扈しておっての、互いに牽制し合って身動きがとれなくなっておる。皇帝といえども恣意的に女を口説くことは叶わぬのだ」
「不自由なものですね……」
「童貞の朕には切実な問題なのだ。頼む。そなたを抱かせてくれ。このままでは死んでも死に切れぬ」
「そればかりはどうか御容赦を。臣は……嫋やかな貴族家の御令嬢方とは異なり、武辺一辺倒の武骨者。この手は幾千の殺人を重ね、血に塗れております。到底陛下のお情けを頂戴するに値しません」
「帝国にあだなす敵を、その手で屠ってきたのであろう。なんら道義に悖ることはない」
必死の形相で食い下がるベルズ十五世。
「そしてこの砦に貴族令嬢などおらぬ。というか、そなたもネイテール侯爵家の姫ではないか」
「臣は市井の生まれでございます」
「妾腹でも青い血筋には違いなかろう。そう卑下することもあるまい」
クッコロの言葉を、宰相が市井の女に産ませた落胤という意味に取ったらしい。
「養父ネイテール侯爵と臣の間に血縁はございません。臣は戦災孤児でありました。実の両親の顔も名前も存じませぬ」
魔法の素質と飛竜交感適性、これらがクッコロの運命を変えた。みなしごの女児が健やかに育ってゆけるほど優しい世界ではない。帝国宰相ネイテール侯爵の目に留まらずあのまま孤児院に燻っていれば、早晩野垂れ死んだか、苦界に身を沈めることとなったに違いない。なればこそクッコロは養父に感謝した。たとえこの養子縁組が、愛情より打算に比重を置いたものであったとしても。おかげで貴族の高等教育を受けることがかない、厳しい浮世に確固不抜として立てる力と地位を得たのだから。
「朕は道理を弁えぬ子供ではあるが、皇帝という商売柄、人を見る目だけは陶冶してまいったつもりだ。そなたの魂は気高い。朕の初めての女性に相応しいと思うのだが」
「平に御容赦を」
ベルズ十五世はこの世の終わりのような相貌で呻吟した。
「さようか。これほど頼んでも承諾は得られぬか。埒もないことを申した。忘れてくれ。これで朕は、童貞のままこの世を去ることになるのか……」
絶対君主の強権を発動されればクッコロに拒否権はないのだが、そうしないあたりにこの少年皇帝の気概を垣間見ることができた。最後の悲痛な独白は、さすがにクッコロの胸に刺さったが。クッコロは溜息をついた。
(綸言汗の如し。是非もないか)
意を決して言う。
「臣もまた齢二十三にして処女でございます。これまで武人として育ってまいりましたので、陛下にご満足いただく房中術の心得が全くございません。……それでもよろしければ、一夜のお相手仕ります」
ゼラール帝国皇族貴族の婚姻はほぼ政略結婚で占められ、恋愛の介在する余地が皆無とは言わないが、そのような幸運は希少であった。これは彼らの無上の価値観が、家門と血統の存続にあるためと思われる。数千年にわたって殺戮の応酬を繰り広げてきたわけであるから、血が絶えることへの彼らの本能的な恐怖は宜なるかなであった。畢竟、子孫繁栄のため閨房の技術を研き、その奥義を子々孫々に伝承してきたのである。結婚適齢期の貴公子や貴婦人たちにとって、これらは必須の素養といえた。
「そうか! それは重畳。気が変わらぬうちにベッドへゆこう。なに、心配は無用だ。童貞と処女で誂え向きではないか。夜は長い。色々と試行錯誤してみようぞ。我等の祖先もそのようにして歴史を紡いできたのだから」
宮殿の巨大な天蓋付きベッドではなく古ぼけた小さな寝台であるところが、現在の二人を取り巻く境遇を端的に表している。第三者がこの場にいれば、諸行無常に思いを致したことだろう。当事者たちはそれどころではなかったが。
いかんせん主導権を巡る駆け引きを楽しむなどという高度な芸当は、処女と童貞に望むべくもない。クッコロとベルズ十五世は途方に暮れて立ち尽くした。
「まず、どうすればよいのだ? そなた、妙案はあるか」
「御召し物をお脱ぎあそばせ。互いに生まれたままの姿となり抱擁を交わせば、物事が進捗するかと愚考いたします」
「なるほど。さすがは勇敢なる近衛騎士。なかなか大胆な発想よ」
「お戯れを……」
クッコロは軍服を脱ぎつつ思わずにはいられなかった。数奇な運命もここに極まれり、だ。恋愛や結婚はおろか、男女の情交など自分には生涯無縁のものと思っていた。そこに寂寥や憧憬の念などない。剣の求道のためには有害ですらあると考えていた。それが今、あろうことか十歳も年下の少年――しかも主君である皇帝に純潔を捧げようとしているとは。
全裸となったクッコロを刮目して眺め、感嘆の吐息をもらすベルズ十五世。全体的に細身ではあったがきわめて引き締まった体躯であり、戦闘に特化したかのような筋肉質の体。贅肉などどこにも見出しようがない。そして、歴戦の武人であることを物語る、体中縦横に走る刃創。
「素晴らしい体だな。戦女神の裸身像を彷彿とさせる」
「この身はがさつな女騎士。宮廷で妍を競う美姫の皆様方とは比ぶるべくもございません。体もこの通り満身創痍にて、玉の肌にはほど遠く」
「そのようなことがあるものか。日々の鍛錬と戦場往来で培われた傷ひとつひとつが、謂わば名誉の勲章であろう。その隻眼も戦傷なのか?」
「はい」
「下の毛は生えておらぬのだな。成人女性はみな生えておると耳に致したが。やはり、身嗜みとして処理するものなのか?」
「いえ、臣のは生来のものでございます。飛竜交感体質の影響とも言われております。お目汚し汗顔の至り」
ベルズ十五世は首を振って力説した。
「むしろ理想的である。朕は常々、下の毛は女体の美観を損ねると考えておったのだ。文献でいろいろと調べてみたのだが、無毛は衛生面でもたいへん利点が多いのだそうだ」
性の方面へ向かう童貞の迸るような知的好奇心と情熱は、なかなかに端倪すべからざるものがある。いささか不敬であるとは思ったが、荘厳な国立図書館において、件の文献とやらに向かい巻を措く能わず状態の少年皇帝の姿を想像し、そのあまりの微笑ましさにクッコロは笑みをこぼした。
ベルズ十五世がクッコロに抱きつき、背伸びをして唇を重ねてきた。身長はクッコロのほうがやや高い。肌を通して互いの鼓動を知覚する。
「キスにもな、いろいろと段階があると聞いた。唇が微かに触れ合うものから、舌を濃密に絡め合うものまでな。順番に試してみようではないか」
「お詳しいのですね」
「朕は童貞なのでな。来るべき時に備えて、研鑽は怠らなかったのだ。女子には耳年増という該当する言葉があるようだが、男の場合適切な形容があるのだろうか? 朕は寡聞にして知らぬが」
ほんの少し前、いざベッドの前に立って怯んでいたことは棚に上げ、ベルズ十五世は威風堂々と胸をそらした。クッコロは騎士の情けで論評を差し控える。
「……その、クッコロと呼んでもよいか」
「はい、陛下。御心のままに」
その後しばし、互いの唇を夢中でむさぼり合い、もつれるようにベッドへ倒れこんだ。唾液の粘性が増し、唇を離すと糸を引いて吊り橋を架ける。
「驚いた。キスとはかくも奥深いものであったのか。正直侮っておったわ。頭の奥が痺れるようだ。異性の唾には、麻薬のような効能でもあるのかの」
「臣も驚いております」
血反吐を吐く苛烈な鍛錬を繰り返し、肉体を戦士のそれへと作り変えてきたこの十数年。女の機能などとうに喪失しているものと思っていた。しかし今、潤滑油が錆びついた機械に浸潤するかのように女の体が覚醒しつつある。体の芯が熱く、隔靴掻痒のもどかしさがつのってゆく。
「さて、これで我等はまたひとつ、大人の階梯を昇ったわけだ。そろそろ次のステージに進もうではないか」
皇帝は上気した頬で囁いた。クッコロは心中でささやかに抗弁した。
(あたし一応大人なんだけどな。処女だけど……)
大人の定義は存外曖昧なのかもしれない、等と埒もないことを頭の片隅で思索する。
「ここは年長者に華を持たせるべきか。クッコロよ。朕を導いてくれ」
クッコロは返事に窮した。
「ここより先は房中術の蘊奥に関わるかと。臣は無知な処女でございますが、本能が全てを弁えておりましょう。というわけで、本能に身を委ねるのがよろしいかと」
「抽象的で難解だの。具体的に頼む」
これは所謂言葉攻めと呼ばれる手練手管の一種なのだろうか。世の中には、被虐心や羞恥心を刺激されて性的興奮を高める奇抜な人々も一定数いるという話を聞き及んだことがある。しかしながら、相手は童貞という天下御免の免罪符をお持ちのベルズ十五世。童貞がそんな高度な技を駆使するはずもない。クッコロの困惑は深まる。
「と、とりあえず燭台の灯りを消しましょう」
「何故だ? 朕は明るいところでそなたの婀娜な姿を堪能したいのだが」
「今宵は青の満月。冴え冴えとしたとした月明りの下での営みも、詩情を催して一興ではありませんか」
「ううむ。よかろう。童貞と処女のデビュー戦には過ぎたる舞台だの」
かくして部屋の灯りが落とされた。
窓から差し込む暁光が夜戦の跡地を照らす。寝具の惨憺たるありさまが、昨夜の激闘の凄まじさを如実に物語っていた。バルコニーでは名も知らぬ野鳥たちが長閑に囀っている。皇帝と女騎士は心地よい倦怠感に包まれて横臥していた。
「お互い明日をも知れぬ身。こたびの契りが、おそらくは朕とそなたの最初で最後のものとなろう。これでもはや、思い残すことはない」
クッコロの胸の頂をまさぐりながら、ベルズ十五世が述懐した。
「と言うのは実は嘘だ。クッコロとの交わりがこうも素晴らしいものと分かってしまったのでな。俄然生への執着が出てきた。朕は死にとうない。出来ることならそなたと添い遂げたいものよ」
「臣もでございます、陛下」
昨夜の一部始終を反芻するたび、顔が火照ってくる。クッコロは下腹部を撫でた。ベルズ十五世の端正な顔立ちに似合わず猛々しく脈打って屹立する剣に幾度となく貫かれ、彼の分身たる尖兵たちに深奥の宮殿を蹂躙された。最初のうちこそ破瓜の疼痛に苛まれたが、加速度的に増幅する快楽にいつしか身も心も耽溺し、前後不覚になっていた。自分にあんな一面があったとは新鮮な驚きだ。
「しかしそれも見果てぬ夢か。せめて来世とやらがあるならば、そこでもまた邂逅したいものよな」
「十二柱神殿最大の擁護者であらせられる陛下が、輪廻転生を語られますか。それは確か、エルフたちの世界樹信仰の教義であったやに記憶しておりますが」
「クッコロは知らぬのか。輪廻転生は実在するという説もあるのだぞ。我等の皇祖、建国帝ミューズ・フォン・サークライは異世界からの転生者だったという伝承が帝室に伝わっておる」
やにわにクッコロが身を起こし、ベッドの上に端座した。
「陛下は生きたいとお考えですか?」
「だしぬけに如何した。無論、可能であれば、この窮地を脱して生き延びたいものよ」
「ひとつ臣と約束していただけませんか。どのように進退きわまり、荊棘の道を歩むこととなろうとも、自決だけは思いとどまりいただけませんか。臣よりたっての願いでございます」
「クッコロの頼みとあれば無下にできまい。分かった。約束しよう」
「ありがたき幸せ。臣はそろそろ下がります。そろそろ侍従の方々が参りましょう」
ベルズ十五世は名残惜し気にクッコロの手を引き、惜別のキスを所望した。
皇帝の居室から退出する際、扉の前で不寝番をしていた二人の近衛騎士が敬礼を寄越した。純朴そうな彼等は、クッコロから目をそらして頬を染めている。扉はそれなりに分厚いものだったが、何を言うにもここは急拵えの仮皇宮。帝都の宮殿と違って防諜の結界などは施されていなかった。水甕に張った水を指先で小刻みに攪拌するかのような湿った音、泥濘を掌で叩くような音、ベッドの軋む音、こらえきれぬ嬌声や荒い息遣い――夜通し洩れてくる様々な音の波状攻撃が、彼等の想像力に大きな翼を与えたに違いない。敬礼の姿勢がいつになくへっぴり腰だったようだが、騎士の情けで不問に付した。
その日の夕刻、クッコロは皇帝身辺警護の当直を除く、生き残りの近衛騎士九名を招集して訓示した。
「諸卿におかれては、くれぐれも陛下の守護を御頼み申します」
「藪から棒に如何なされた、団長殿。なにか妙なことを考えておるのではあるまいな?」
察しのいい老騎士がクッコロに詰め寄った。彼は近衛騎士団の最古参で副団長。カルロ男爵家当主でもあり、ついでにクッコロの剣術と騎竜術の師匠でもあった。慧眼をもって鳴るカルロ男爵を前に、思うところを糊塗するのは困難だと感じたクッコロは、決意を訥々と語った。
「今日、あたしは単騎、敵本陣に突貫しようと思います。敵将ザイルを刺し違えてでも討つ覚悟です」
「馬鹿な! 自殺行為だ。いかに貴殿が稀有な戦士であろうとも、敵本陣に一騎駆けなど正気の沙汰ではない」
クッコロはおもむろに眼帯をはずし、左眼を衆目にさらした。そこには魔晶石と思しきものが鈍い光沢を放っている。
「諸卿も御記憶のことと思いますが、この左眼はかつて戦場で矢を受け失明いたしました。現在は眼球を摘出し、魔晶石を嵌め込んであります」
同僚の騎士たちは一様に首を傾げた。魔法アイテムの義眼であれば、眼帯をする必要もない。
「暴露してしまいますと、これはあたしの切り札でして。魔導級の破壊呪文が封じてあるそうです。養父から聞いたところでは、なんでも『時空対消滅』なる剣呑な名前の禁呪の一種だそうで」
「団長殿。今、魔導級の禁呪と申されたな?」
「いかにも」
魔法にも造詣の深いカルロ男爵が唸った。
魔法ギルドの研究によると、この世界は十一次元で成り立っているそうな。と言っても魔法関係者を除く人々にとっては、せいぜい四次元時空を概念的に把握するのみで、それも高等教育を受けた者に限られるだろう。市井の大多数の民草にとって、難解な魔法の理論など無益で無縁なものでしかない。そんなものを諳んじたところで、飯のタネにはならないのだから。しかし、魔法に関わる者たちにとっては、閉じて隠れた七つの高次元はそれこそ宝の山であった。それぞれの高次元は奇妙奇天烈な物理法則に溢れており、それらを世界に漂うエーテル、即ち魔力を用いて四次元時空に無理矢理顕現させることで、様々な摩訶不思議な術を編み出していった。これらが魔法と総称されている。高次元になるほど術の発現に大きな魔力を必要とし、自然に魔法使いには階層が形成されていった。
五次元『魔操』の遣い手、『
六次元『魔術』の遣い手、『
七次元『魔律』の遣い手、『
八次元『魔道』の遣い手、『
九次元『魔行』の遣い手、『
十次元『魔導』の遣い手、『
十一次元『魔創』の遣い手、『
最高峰の
近世は魔法の衰退が著しく、多くの高次元魔法が失伝し、ここ千年ほどは
「宰相閣下はこのような危険なしろもの、いったいどうやって入手されたのか……」
「この魔晶石は、ネイテール侯爵家の初代当主が建国帝より下賜されたものだそうです。使える者がいなかったので三千年間死蔵されてきたわけですが、たまたまあたしに適性があることが判明し、亡き養父から託されました。建国帝の叡慮は、あたしごときには想像もつきませんが、帝国が危機に瀕した際、これを行使せよとの思し召しではないかと」
「しかしですな、やはり団長殿お一人を死地に赴かせるわけには。せめて護衛を何名かお連れください」
「ダメです。陛下の経国の大業のためには、人材はいくらでも御側にいたほうがいい」
カルロ男爵はなおも食い下がろうとしたが、クッコロは口調を変えて一喝した。
「諸卿はみなこの身より先任ではあったが、畏くも陛下の綸旨をたまわり、昨日よりは我こそが貴君らの上官である。命に服すよう」
騎士たちはその場に跪いて頭を垂れた。
眼下には、見霽かすかぎりの地表を埋め尽くす雲霞の如き敵軍。夜の帳がおりた地表に、無数の篝火が明滅している。
(ザイル大将軍の本陣はあのあたりかな? 布陣が重厚な感じがするし)
クッコロは近衛騎士叙勲以来の相棒であるワイバーンの首筋を、愛おしげに撫でた。
「お前とも随分と戦場往来を重ねたわね。至らない騎手でごめんね。長年ありがとう。あたしがいなくなっても、あたしの陛下を護ってやって」
気持ちが昂ったのか、よせばいいのに「あたしの陛下」呼ばわりを敢行し、直後恥ずかしさで悶絶するクッコロ。周囲に誰もいないことが救いであった。ほんの数時間前に処女喪失したとはいえ、長年硬骨な武人として生きてきたのだ。性向が急に変わるものでもない。
徐々に高度を下げつつ、クッコロは騎竜を御するための装具――轡、面繋、手綱、鞍、鐙といったものを次々と外し、地表へと放り投げた。
「砦へお帰り」
飛竜交感によってワイバーンへ帰還を命じると、地表の敵陣へと身を躍らせる。ワイバーンは悲哀をおびた咆哮をあげ、名残惜しげに上空を旋回していたが、やがて皇帝麾下の軍勢が籠る古砦の方角へと飛び去った。
クッコロは着地点近くの丘陵を睥睨した。帝国第七軍の大将軍旗が夜風に靡いている。
(見つけた。ちょっと遠いかな)
指呼の間ではあるが、禁呪『時空対消滅』の効果範囲がいまいち不明であるため、慎重を期して接近することにした。
「敵襲! 敵の夜襲だ!」
「者ども落ち着け! 敵は寡兵ぞ」
「近衛騎士だ! 討ち取れ!」
クッコロはたちどころに五人の兵卒を斬り伏せ、なおも機械のような正確さで殺到する敵兵を鏖殺してゆく。クッコロは近衛騎士団唯一の
(もう少し近付きたかったけど、この辺りが限界か……)
胸や脇腹や太腿に次々と突き刺さる槍。クッコロは喉も枯れよと絶叫した。
「さらばです、陛下!」
(愛しています!)
最期の思いの丈は、槍で咽喉を貫かれたため、残念ながら言葉にならなかった。純潔を捧げただけで愛している云々は、我ながらお調子者だと思わないではなかったが、好きなものは好きなのだから致し方ない。あの少年が愛おしい――これは、今この瞬間のクッコロの偽らざる心境であった。
左眼の魔晶石にありったけの念と魔力を込め、封じられた太古の禁呪を解放する。クッコロを中心として幾層もの不気味な魔法陣が空中に浮かびあがり、禍々しい呪紋の描かれた半透明の球体が出現。閃光と熱風を周囲に撒き散らしつつ急膨張。直後、天地を揺るがす巨大な爆発が起こり、反乱軍の大半に相当するおよそ十五万人の将兵をのみ込む。彼らは文字通り骨一つ残らず、一瞬で消滅した。後には広大なクレーターと、融解した岩が流れ込む溶岩の湖が残された。
半世紀後、軍閥が割拠するゼラール帝国の内乱を平定し、リグラト王国やフォルド連邦といった列強を滅ぼして大陸を統一したベルズ十五世は、いつしか大帝と呼び做されるようになる。後宮には三百人余の寵姫がいたとされるが、彼は終生頑なに皇后を立てることを拒んだ。ベルズ十五世崩御後、遺言により、当時すでに忘れ去られていた英霊クッコロ・ネイテールは救国騎士と爵諡され、皇統譜にはクッコロの名とともに、ベルズ十五世正皇后の付記がなされたという。
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