六十六の節 夕餉は照柿色に染められて。 その二




 内陸部の草原地帯を生活の場としていた、テフリタ氏族クラン発祥とされる、トウモロコシの粉を使って焼いた薄い生地で包み、香辛料と香草で惜しみなく味付けされた鶏肉と羊肉料理。


 カヤナ大陸の山岳地帯。その裾野すそのにしか自生していない、特産の葉物野菜が混ぜられ、空気をたっぷり含んだ卵とじ料理。


 多くの水源を管理し、清らかな水によって育まれる米や野菜を使った穀物料理。


 湯通し小麦から作られた生地を、湯通ししてから焼き上げた歯応えがある丸い物、焦げ目が絶妙な美味しさを引き立てる薄い物、バターが惜しげもなく練り込まれた巻き貝型、木の実入りの各種パン。


 味付けも、甘いのから香辛料と香草で香りも風味も豊かに味付けされた豚、子牛、鶏の肉を使った料理。白身魚、オリーブやナツメと言った実の植物油に漬けられた鰯や野菜。米の酒粕汁で煮立つ、根野菜と赤身の川魚の鍋。


「これは、サン・バステアンのヴァルに並んでいた、一口ひとくち料理に似ているな」


 璜準コウジュンが指摘した通り、素材も調理方法も見映えも多様な一口ひとくちで小さな世界で閉じられた料理がある。


 地元の料理ばかりかと思えば、スーヤ大陸の西端にある、サン・バステアンの名物にも挙げられる、立ち飲み屋方式のヴァル。そこには、タパースと呼ばれる一口ひとくち一皿ひとさら料理がある。それらを彷彿ほうふつとされる品々が並んでいた。


「あら、知らないの? 食の終着駅は、スーヤ大陸のサン・バステアンではなくて、カヤナ大陸よ。しかも、このカヤナ大陸に、スーヤ大陸で得た料理や食文化を全て記憶して届けてくれたのは、我らがクリラ氏族クランの英雄ヒルト様なんだから」


 大量の品々を運び入れるハイナ・アレハに続き入室したリルカナが答える。我が事のように誇らしく語るその両手には、危なげなく均衡を取りながら大皿を持っていた。


 かつて、スーヤ大陸の東の港街・ダンターシュから、生命を運ぶ大街道ブルド・フィーツを渡り、西の港街のサン・バステアンで終着した食の旅路。

 物語は四名の旅人によって道程の食文化は交雑を促進させ、旅を終えた彼らは解散し戻るべき居場所へと向かった先で、世界レーフ席巻せっけんする炎州エンシュウの言語で編纂へんさんされ、各地へと拡散された。


「熊さん達の名前は、クリーガーだろう? 我らが英雄ヒルト様と食の旅をした、クリーガー様の縁者か?」


「いいえ、クリーガーは弟子入りした時に与えられました。疑いようもないくらいの太師タイシの趣味です」


 キサラメの質問に答えたのは、熊さんと呼ばれて特に気を悪くした様子もない弟のウンケイだった。


「それよりもリルカナ様、もうお休みください。こちらは麹粥こうじかゆで御座います」


 止まる事なく動き回り通しだったリルカナに、麹粥こうじかゆで引き寄せて座らせたのは兄のメイケイだ。


 趣味満載の名を弟子に与えた当の璜準コウジュンは、ターヤが秘蔵していた逸品をくちにした途端、セイシャンナ式の中でも最上級の礼節を捧げていた。


 黄昏タソガレと紹介された、干し柿入りの羊羹ようかん月代ツキシロと名付けられている、白葡萄酒由来の蒸留、熟成、混合を経た酒と共に甘く煮詰められた栗が入っている羊羹ようかん


 ラフイからは、カヤナ大陸での柿の色、タチバナの実と呼ばれる色は太陽を表し、重要な意味を持つと説明を重ねられる。その璜準コウジュンは浅くうなずくだけで、放心と恍惚の中間のような抜けた表情になっていた。

 その姿は、提供者のターヤと説明者のラフイに全面降伏をしているような姿だ。


「快く提供されて何よりだったな。危うく、吊されて最期を迎えた挙げ句、買いに行かされる所だものな」


 明日に控えた、カネル君主都市との交渉権を委任、交渉の場に同席させる面々、収束条件の締結など。それらを含めた、ヴァリーとの打ち合わせが煮詰まったアラームが言葉を放った。

 璜準コウジュンの一角を見ていたアラームに向け、ヴァリーを筆頭に腹心の隊士達が全員その視線を注いだ。


「ラヴィン・トット族にも遅れを取らない、私の諜報インテリジェンス手腕も、大したものだろう」


 アラームの整い過ぎる口元くちもとゆるやかな弧を描く。


 先日、席を外し身内で今後の方針を語り合っていた会話の内容が、アラームのくちから出ては、ヴァリー達は驚くより他はないと言った様子だ。


「正直な話し、情報収集したのはハニィとシシィだよ。特にシシィの諜報活動は私が把握する中で最も優秀だ。服を一枚も解かずに、相手から情報を引き出す処世術。美しい容姿、磨き上げられた気品、教養と深い知識、正確な歴史認識。過不足なく表せる実行力。それを支える強靱な精神力」

 

「もう、アラーム様。突然、何を仰るのです。私よりもハニィダーリンを褒めてください」


 言いながら、シシィの手元にある取り皿には、貴重な香草が使用された上に稀少な部位が煮崩れせず整う白身魚。良質で脂身が少ない子牛の赤身肉が、盛りに盛られている。当然、皿の行き先はアラームの元だ。


「アラーム様、フセフシの清酒がありますよ。これを飲まないなんて、どうかしています」


 続いて、ハニィが丸盆に乗せて運んで来た物に、アラームが反応した。それは八塩酒やしおのさけと呼ばれる、文字通り八度折る、あるいはしぼった米を主原料にした清酒の一種に当たる。


 澄明で硬度が低い水と、同じような水がなければ生産できない米とこうじ杜氏トジと呼ばれる職人達に手掛けられ生み出された、奇跡のような逸品の一つに数えられる。

 中でも、純米大吟醸じゅんまいだいぎんじょうの銘を堂々とうたう。米を半分以上ぎ、人工アルコールを添加しない物だけが名乗れる逸品。


「昔は、こんなに長い銘柄じゃなかったんですけれどね。利益優先、お客を見下した業者が増えた結果です。本物を知る方は離れて行きますし、どれだけ叫んでも本物は偽物の生産量に敵わない。企業の怠慢と本物を見放した客層が、伝統とふるくて良いものを消し去ってしまうのです」


 度数が低い別の清酒を満たした白磁の杯を片手にするベリザリオが、口惜くやしそうに説明した。


「求められなくなった本物は、溢れてしまった偽物に埋もれて終わるだけだよ」


 辛辣しんらつとも自嘲じちょうとも印象付ける一言を残したアラームは、ハニィが届けてくれた酒杯を手にして立ち上がろうとしていた。


 恐らくは、手を止められていた書き物の続きを行うため、別室に向かおうとしているものと思われる。


「不粋な真似をするな。今は明日に備え、捧げられた生命のかてを得るが善い」


 場所を移動しようと、アラームが立ち上がろうとした寸前。以前よりは寂しくなったが、腰の装飾品に雪河セツカは長い指を掛け、アラームの移動を阻止したのだ。


 白磁に満ちた清酒を一滴いってきも零さず、アラームは席に戻されてしまった。


「ほら、アラームが好きなだ。茹でたウズラの卵が乗っている物もあるし、甘辛く味付けされた豚や鶏が炊き込まれた、山菜が揃っているぞ」


 地域によって異なるが、茅萱チガヤ、竹の皮、蓮の葉などで包み、具材、味付けをし、粘りが強い糯米モチヨネを蒸し上げるとチマキ。何も包まず、それらを調理器具で蒸し上げるとと呼ばれる。


 丁度、円卓に上がっている皿に山菜があり、白く長いたもとを汚さないよういている手で押さえながら目的の皿を取る。

 滑らかに磨かれた木のさじ一掬ひとすくいすると、端整なアラームの口元へと差し出した。


 抵抗なり憎まれくちを叩くものと思われたが、すでにに釣られていたアラームは雪河セツカと向き合う形となり、少々距離を詰めていた。流れるような自然な運びで、親鳥から餌をもらう雛鳥のようにくちを開くために動かす直前。


 アラームの口元は真一文字に閉じ、周囲を素早く見渡した。すると、アラームに注視する全員と頭巾フーザ越しの視線が衝突する。


 トルム種デユセス族のインゴも、アラーム達と並ぶ長身の持ち主だが、更に厚みもある分その声も野太い。雪河セツカの声も低音には違いない。

 しかし、波長が異なるのか、物音や老若男女の声が多く重なろうと突き抜けて際立つために、発言内容に全員が注視する事となった事も注視の要因となったようだ。


「な、何を見ているんだ。違う、いつも食べさせてもらっている訳ではない。本当に違うんだ」


 黒装束の一部でもある頭巾フーザからのぞいた濃い生練色きねりいろの肌が、夕陽と言わず照柿色てりがきいろに染まりつつある。その変化は、八塩酒やしおのさけのせいばかりではないようだった。





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