六十七の節 馬車は、愛の伝道師を乗せて走り行く。 その一




 カマイさんとアービィさんの大盤振る舞いがあった夕餉ゆうげを経た翌日。本日は陽射しを鈍色の雲に遮られ肌寒さを覚える天候。


 先陣を飾る騎士は、従者を三人掛かりで装着する純白の全身板金鎧フルプレートアーマーで曇天の明度をはじく。そんな騎兵の列と、車輪の細工も鮮やかな派手な馬車、対照的な質素な護送馬車が連なる人馬の波が、ラスイテ街道の一部を埋めていた。


「お前さん、あんな強い酒をよくも平然とけたな」


八塩酒やしおのさけの事? まさか、ベリザリオが呑んでいた袋吊りの酒や、通常の清酒に飽き足らず、くちにしたのか。さすがに八度も搾っていないが、かなり特殊な風味だったろうに」


 外装も内装も白と金で統一されている豪奢な馬車の内側で、璜準コウジュンは無言でうなずき、アラームに肯定を示しているらしい。


 この会話の訳は、昨夕の〝はい、あ~ん未遂事件〟がきっかけでだった。居たたまれなくなったアラームは、ハニィとシシィが持って来てくれた杯と皿を手に、適当な別室に鍵を掛け引き篭もってしまい、それからの広間での賑やかな晩餐の様子を知らなかったのだ。


「あの酒の容器の大きさを見て判らなかったのか。スーヤ大陸のシザーレ名物、キルシュヴァッサーのように香気を楽しむもので、からにする程に呑むものではないぞ。しかもあの酒は、スーヤ大陸の新節祭にあたる〝アラアカの宴〟での御造酒ごぞうしゅとして、カヤナ大陸の〝かしくも近い存在〟へそなえられる貴重な逸品でもある」


 アラームの白い手袋で包まれた親指と差し指が開き、架空の酒瓶の大きさで止まる。大衆食堂や酒場で並ぶ酒瓶ではなく、女性の化粧水か香水が入っている瓶の大きさだ。


「要するに、人が呑むモンじゃないって事だな。って、それより、この馬車の匂いは何とかならないのかよ。二重、三重で酔いそう」


 貴族仕様とあって、座席の低反発装置と懸架装置サスペンションにより、騎馬や荷馬車に比べ快適な道中となっていた。

 しかし、二日酔い、馬車の振動、貴族仕様の過度な香気。璜準コウジュンの上擦った声と蒼白な顔色は、この三重苦が襲われている事を物語っているようだった。


「送り出したチェーザリー夫人が気前良く、お気に入りの香気を振りまいたんでしょう。夫人と同じ、濃い薔薇の香りがします」


 便宜上、見張りとして同乗しているヴァリーが片目に不快感を込めたようにすがめて見せた。


「薔薇って、こんなにエグい匂いだっけ? 土地柄によって違うのかねぇ」


 貴族の中には馬特有の獣臭を嫌うてらいがあり、貴重な薔薇の精油を惜しげもなく臭い消しに使用する。貴族の自慢や見栄の手段は璜準コウジュンに通じず、悪い印象だけを与えただけに終わりそうだった。


「眼の前で吐かれては困る。つかってやるよ」


 アラームが無造作に、馬車の出入口でもある扉を開いた。扉側で馬で併走していたラフイが丸い目を更に丸くして凝視する。

 ちなみに、同じように護衛役のオルセット族のターヤ、ラヴィン・トット族のラフイは、その体格に合わせた小さな馬ではなく、ヒト族が騎乗する標準的な馬体に乗っていた。


 香辛料と酒気が混じる人いきれでぬるくなっていた馬車内の空気が、午前の冷涼な空気と入れ替わった。と、同時に璜準コウジュンを苦しめていた香気が一掃されている。


「メイケイ、ウンケイ。いつもの乳香で善いかな」


「何で俺に聞かねぇんだよっ」


 璜準コウジュンと同じく、進行方向側の席に並ぶメイケイとウンケイに向けて、アラームの端整過ぎる口元くちもとに柔和な隙間が作られた。上座に等しく、しかもあるじでもある璜準コウジュンと同じ側の席に座る事を断ったが、アラームと雪河セツカ、ヴァリーが上回るかたくなさで下座を守り抜いたのだ。


 空気の入れ換えで少々元気を取り戻した様子の璜準コウジュンに、憎まれ口が戻っていた。

 璜準コウジュンの日常感覚の態度とは逆に、ヴァリーは目の当たりにした現実に対して表す言葉を失ってしまったらしい。


「便利だろう? 一家に一名いるだけで劇的な毎日を送れるぞ」


 アラームの言葉に灰色の瞳を見張りつつも、ヴァリーは言葉を思い起こしたようだ。


「一家だけなど勿体もったいないっ。軍に、いいえ、都市国家と言わず、世界規模の御業みわざですよ! 先日のメイケイ殿とウンケイ殿にあらわれた眞導マドウの奇跡と言い、カマイさんとアービィさんが掌返てのひらがえしの全面的な支援の申し出と言い、アラーム殿には驚かされてばかりです」


「うむ、ヴァリーよ。もっと褒めても善いのだぞ」


 アラームの行いを我が事のように添わせ、小麦色の肌を持つ雪河セツカかんばせ幽遠ゆうえんみやびな大輪のようにほころばせた。


 長いたもとから、乳香の中では最も高価な系統の銘柄を持つ竜蛍樹リュウケイジュの乳香粒を手に取りてのひらを上にした時には、清涼感がある柑橘系の香りと、軽い中にも清楚な主張がある沈丁花ジンチョウゲと鈴蘭に近い芳香が満ちる。


「最初は、度肝を抜かれたが慣れると癖になるんだよな。勿論もちろん、風呂には入るが旅の途中なんかは有難ありがたかったぜ。アラーム達の眞導マドウは、旅のあかほこりまでぬぐい去ってくれるしな」


 ここは素直に璜準コウジュンは謝意を述べた。メイケイとウンケイもならい、セイシャンナ正教国セイキョウコク座式の感謝の仕草をアラームと雪河セツカに捧げる。


「ま、まさか人体や着衣にも影響を及ぼすのですか!?」


「アラームの遣い手ツカイテとしての影響は、空間に対して最も作用する。布地、装飾に限らず、生命の身体も存在だけでも空間。名が付くならば、それもまた空間に等しい」


 ヴァリーの反応が面白かったのか、雪河セツカは気前よく説明を語った。


 



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