三十三の節 働くと言う事。 その一




 青い月アオイツキが、徐々に昇る夜空。横切る円環が、白刃のように見て取れる。


 霧状に立ち篭めつつある眞素マソの風景。瘴気に似た空気がないのは、璜準コウジュンほどこした鎮めのうたいが構築され、効果を発揮している事を証明していた。


「あのオッサン、置いて来て大丈夫だったのか?」


 物音一つ立たないセイエトランヌ救済院を後にした、アラームと雪河セツカ

 その背後から付き歩く璜準コウジュンが、昇る眞素マソの筋を眺めながら小さく問うた。


「大丈夫ではないが、後で狩り取るだけだよ」


 アラームは、璜準コウジュンを顧みる事なく妙な言い回しを返して来た。言葉を受けた側は、その意味を探る余裕を失っている様子だった。


 代わって、普段の調子を取り戻すためだろう。悪態を発揮した。


「どちらにせよ、これで仕舞しまいだろ。さっきの便利な技で、白鈴楼ハクレイロウに戻してくれよ。俺は、食後のお菓子ドルチェを観察しただけに終わったんだぞ」


 硬質な靴音と、金属片が重なる音が立つ。同時に、アラームが振り向いた。


璜準コウジュン、満月の定義を述べよ」


「はぁ~。例えば、九日が満月だと算出されたとする。九日の夕暮れから、翌日の十日の夜明けまでの月だと勘違いする奴もいる。正確には、前日の八日の夕暮れから、翌日九日の夜明けまでの月の事だ」


 埋蔵する知識を暗唱した璜準コウジュンの声は、心の底から面倒臭そうに響いた。当然、アラームが求める解答には相違いない。


「詰まり、満月の夜は始まったばかりだ。フローリオの城壁の外は、ケダモノが跋扈ばっこしている。片付けに掛かるぞ」


「冗談じゃねぇ。だったら俺は歩いて帰る。俺は、廃業したから無職だ。さっきのうたいは、知己のよしみだ」


 先程の働きに対し先手を打ち、璜準コウジュンは言い放つ。立ち止まるアラームと雪河セツカを追い越し、璜準コウジュンは足早に荒れた土の道を進んだ。


「職は失っても、積み重ねた修練や功徳くどくは失われない。が、今の璜準コウジュンの言葉を聞いたら悲しむと想うけれど」


 アラームの挑発じみた言葉に、璜準コウジュンの足が止まった。


「知った風な口を叩くんじゃねぇよ」


 手持ち無沙汰だった眞素マソが反応した。意図的に、怒気を抑える低い声で絞り出された一言に、璜準コウジュンの輪郭に沿って赤く染まる。


「自身を、無職だとおとしめるなと言っているんだ。それに、無職だと自称するなら尚更なおさらだ。働かざる者、食うべからず」


 アラームは、璜準コウジュン威嚇いかくを拾いもせず言葉を上塗りした。その無神経な言い草に璜準コウジュンは、つい向き直った。


「言い換えれば、働けば対価が得られる。そうだな、手伝ってもらう形になるから私からも進呈しようじゃないか」


「お前さん、いい加減にしろよ。んな子供の御駄賃おだちん感覚で言われて、俺が従うとでも思ってんのかよ!」


 地上の青い月アオイツキが、剣呑とひらめく。虜とした眞素マソを殺意へと転換し、アラームに切っ先を向ける気配を構築する。


「グレゴアールパイ」


 深く頭巾フーザを被るアラームの端整にも程がある口元が、短い単語をかたどる。

 途端、璜準コウジュンが構築しつつあった害意に変化をもたらした。


「マリサに頼めば、特別に作ってもらえるんだ」


「ウ、ウッソだろ、お前。皇帝ですら、一切れ食べたら三カ月待たされる白鈴楼ハクレイロウのグレゴアールパイを!?」


 眞素マソは警戒色を失い、璜準コウジュンの意思から脱し瓦解がかいした。璜準コウジュンくちにしたのは、美食皇帝の二つ名を持つ先代皇帝のグレゴアール。


 その皇帝の名を冠するお菓子ドルチェは、とにかく手間と高価な素材を必要とした。

 貴重なバターを惜しみなく使用した三層のパイ生地。隙間を埋めるのは、果実酒の香気をまとうカスタードクリーム。包まれる苺は縦に切り交互に並べられ瑞々しい層を生み出す。


 長方形に成形された逸品いっぴんの側壁は、薄切りされたローストアーモンドが皇帝の城壁を堅固に守っている。

 逸品いっぴんの宝冠となる上面は、ナパージュにくぐらせ輝きを増した苺が誇らしげに二列に並び、その両脇を絞られた生クリームの波が添う。


「羨ましい?」


「当然」


「食べたい?」


「召し上がりたいです!」


 舞い上がった璜準コウジュンは、その断面を具体的に想像したのだろう。自身に尊敬語を使用する程に、感情さえ支離滅裂になっているようだった。グレゴアールパイには、それ程の価値と破壊力があると証明された。


「何をすべきか、判るかな? 璜準コウジュン


「ケダモノの殲滅に尽力します! 働かざる者、食うべからず!」


 アラームは、璜準コウジュンの操作法を会得した。そんな風景を黙って見守っていた雪河セツカは、忘れられていないかを試すかのように、アラームの左隣から前方に向かって歩き出した。


 この時、周辺の眞素マソに変化が起きた。眞導の遣い手マドウノツカイテは語る。ただ目的もなく漂う眞素マソを〝怠惰の眞素タイダノマソ〟と称すると。


 その怠惰の眞素タイダノマソが、構築されるための役割を与えられ流動する。


 フローリオ全域を覆い、外敵から内側の空間を隔絶する、広大な結界が負荷なく発現した。




 ◇◆◇




 一方、フレデリケ中央通り。


 街を夜のとばりから、少しだけ生活圏を明け渡してもらうための眞導灯マドウトウ

 霧状に眞素マソは役割を与えられずに、


 大きな街中では、眞素マソが霧状に漂う事は少ない。社会・産業・生活のを形成する下部構造インフラストラクチャーよろしく、眞素マソが停滞しないよう円滑に利用されるための制御溝せいぎょこうが地下に張り巡らされている。

 また、外へと排出し眞素溜マソダメを人工的に生成し、青い月アオイツキの晩に酔いしれるケダモノをおびき寄せ、一気に叩く戦術にも利用される。


 そんな、青い月アオイツキの夜。白鈴楼ハクレイロウの二階席では、薔薇窓ばらまど色硝子いろがらすが表情を変え彩りを添える。


 その一角には留守番を指示されたが、きちんと働く絽候ロコウ、メイケイ、ウンケイが席に着いている。

 実は、現在フローリオを守護する結界を発動しているのは、この三名だった。


 メイケイとウンケイは食事を一通り終え、青茶で満たされた腹と精神に〆の合図を送っている。

 絽候ロコウは、白鈴楼ハクレイロウ支配人の厚意で最上級の大地の真珠を単品で味わっていた。


「黙ってたら、蝸牛かたつむりの卵の塩漬けだなんて判らないよね」


 脚付きの硝子がらすの器に少量盛り付けられた純白の粒。およそさんトレネ(約さんミリメートル)大の粒が、円錐台えんすいだい状に成形されている。


「フィーツ・ワイテ帝国やフローリオは、蝸牛かたつむりを調理しますが、長らく卵は範疇外でした。元々は、クグタール地方から伝えられた食文化です。当然、クグタール地方にならい徹底した衛生管理のもとで生産され珍味でもあります。その上、貴族の贅沢病や、船乗りの栄養不足の改善を促す栄養素が多分に含まれていると、錬金術視点からも実証されたのです。いち早く、商品化し提供したのが当時の白鈴楼ハクレイロウ、ドラーセナ・マリサ様です」


 兄のメイケイが、深みがあり渋く説得力のある声で説明する。


「詳しいね、メイケイ先輩」


璜準太師コウジュンタイシの受け売りです」


 相手の顔と名前を覚えない璜準コウジュンの、職種を間違えていると思える特性が明らかになる。

 鈴蘭が彫られている銀製の匙で、円錐台えんすいだい状に成形されていた大地の真珠を崩しつつ絽候ロコウは考えを口に出す。


「風土文化を仲介者が、錬金術師と白鈴楼ハクレイロウを繋いだと言う事だよね。それが誰なのか、世間的には認識されてるの?」


「そこまでは分かりません。ただ、璜準太師コウジュンタイシは、御存知ない様子でした」


 絽候ロコウの問いに、今度はウンケイが答えた。


「う~ん。その仲介者って、アラーム様じゃないかな」


 匙に盛った真珠のような粒達を、絽候ロコウは口内に含む。独特の食感と粘り、風味を記憶に刷り込みながら考察を語り出す。


白鈴楼ハクレイロウの支配人親子。アラーム様を下にも置かない態度だった。夕方、ボク達の席に来た時、あのオバサン〝恩人だろうと、極上の美青年だとしても〟って言いながら、アラーム様の背を叩いてた」


は例えだとしても、の点ですね。アラーム様は今の所、人前で頭巾フーザを脱いでいらっしゃらない」


 メイケイが、燻色いぶしいろの体毛が立つ思いを込め絽候ロコウとの会話を成立させる。


「そう、それだよ。そうなんだけど、でも」


 絽候ロコウは、大地の真珠を嚥下えんかした。その後も、白葡萄酒で流し切れない何かを含んでいるような晴れない表情を、メイケイとウンケイに向けた。


「答えてくれないよね。特にさ、ちゃんとした商人って結託した詐欺師よりも口が堅い。跡取りが、自身の位置に来ないと機密を墓まで持って行くらしいし」


 受けたメイケイとウンケイは、無言で首を縦に上下した。それは、肯定を表していた。


 机上の空論が、どれ程に不毛なのか思い知った三名は、同時に天井のシャンデリアをあおぎ見る。噂のあるじは、いまだ戻る気配がなかった。





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