第三章 糧を得る世界

二十六の節 サン・バステアンの攻防。 その一




 夜の闇を控えた街道の一里塚マイナム・タイナが、眞素マソを引き寄せ淡い緑色に発光する時間帯。旅人達の距離感を思い出させてくれる。


 一行いっこうがいる、北半球の季節は冬へと傾きつつある。エーメ・アシャント山脈の裾野を水源とする、豊かな水域面積を誇るパルラ河を横目に、生命の道ブルド・フィーツの終点を過ぎ、地方街道であるソル・グラオンは、緩やかに南西へ向かう。


さみぃな。ったくよぉ」


 一行は途中、羊肉の塩漬けを納品するために街へ向かう荷馬車を盗賊から救助していた。目的地も同じと言う事もあり、ついでに護衛を買って出たのだ。


 徒歩だった一行。目的地は同じ。荷馬車のあるじは、恩人達の脚代わりを申し出た。


 ほろは付いていたが、不満を漏らした璜準コウジュンが欲する暖房効果は、なかったらしい。


 絽候ロコウは、物珍しさから御者台に陣取っていた。絽候ロコウの頭は、紅色に染められた麻製の布を円錐形に立て、絹の布で付けしながら巻いている。人類とは異なる部分を、隠す役割も果たしていた。

 この帽子状の被り物は、カヤナ大陸の騎馬民族・スクマ族にならっている。


 ちなみに。今、乗っている荷馬車を助ける際。離れた隙に、璜準コウジュン達の馬は盗賊の残党に奪われていた。だからこそ、徒歩になっていたのだ。


 さらに説明を加えると、アラームの長身に合う馬がない。その上、何度も試みたが馬がアラームに怯えてしまい、騎乗も出来ない有様。

 大型の犬であるはずの雪河セツカの方が、眞素マソで馬をぎょしている始末に、心なしかアラームの背が寂しそうだった。


 この様な事情もあり、今は御者の壮年男性の隣に陣取る絽候ロコウいている荷台には璜準コウジュンとアラームとの構図になっていた。


 鉄で補強された車輪の音が、少々耳障りな荷馬車。それと併走するのは、白く大きな雪河セツカ。その両脇に袋が固定されている。

 アラームの手により施された袋に収まるのは、昏睡したままのメイケイとウンケイだった。


「この辺りは、シザーレ眞導都市マドウトシの冬の寒さから逃れるために、時の権力者がひらいた街や施設が多い。つまり、璜準コウジュン程に寒がるような気候風土ではない」


うるせぇな。俺は繊細に仕上がってるんだよ」


 後方の荷車に乗るアラームの説明に、同じ場所にいる璜準コウジュンが悪態で返して来た。


「ほら。これでもかぶれ」


 アラームは親切心か面倒だからなのか、決して安物に見えない深紅の片側掛け外套を璜準コウジュンに貸した。


「ないよりはマシかもな」


 アラームが、左肩に掛けている外套を貸した事により、璜準コウジュンはある部分に気付く事が出来た。アラームの左上腕に巻かれた、赤い布の存在だ。


「あれ、お前さん怪我ぁ、してないか」


 問い掛けるうちに、璜準コウジュンは気付いたのだろう。色が色だけに、出血を含んだ物にしては、血臭がない事を。


「うん、大丈夫。この布は願掛がんかけとか、みたいな物だよ。実は、額にも巻いている」


 相変わらず、凄まじく端整な口元に不敵な弧を描く。意味ありげな含みを込めた微笑ほほえみを浮かべながら、白い手袋に包まれた差し指を、黒い頭巾フーザの上から額部分に当てる。


「へ~ぇ」


 大して興味も引かれない、璜準コウジュンの生返事が起きた荷台。御者台では、荷馬車のあるじを質問攻めにしている絽候ロコウの声がする。

 

 微かな潮の匂いと、街へと続く石畳。雪河セツカの濃い金色の双眸は、オリーブの並木道を辿たどる。

 夕暮れの向こう側の空に浮かぶ満月に気付き、一瞥いちべつした。




 ◇◆◇




 霧のように、眞素マソが漂い出し始める。一行は、そんな陽が沈んだ頃合いに街へ到着した。心付けにと荷馬車のあるじに謝礼金を握らせ、双方は後腐れなく別れた。


 大きな宿場街もあり、街のは惜しみなく焚かれ、街を行き交う人は多く景気を証明している。


 スーヤ大陸の最西端ラナ地方にある、西側最大の港湾都市サン・バステアン。正面の大通りを進んだ先には、広大な広場に突き当たる。

 その中央に、黒い花崗岩かこうがんで出来た方尖柱ほうせんちゅうがある。一面それぞれに、炎州エンシュウとシザーレの文字で名前と功績が彫られていた。


 セイニケリウス。クリーガー・ブルッケン。ウェリィ・リブア・グラオン。クリラ・ヒルト。

 彼らは、東から西へ生命の道ブルド・フィーツを四年を掛けて横断。道中の食文化を堪能たんのうした上に、文献を編纂へんさんした。

 スーヤ大陸の食文化向上に、多大なる貢献を今に伝える、と。


 さらには旅路の果て、サン・バステアンで食文化の集大成が一つ生まれた。


 それが、ラメン。


 小麦粉と梘水かんすい等で生み出された奇跡の麺。職人によって選択される調味料、植物、菌類、魚介類、家畜類の部位で出汁だしを取り出した汁物。具となる物品も、ラメンの特性をきらめかせる。


 紺碧の三ノ海サンノウミを眺望し、青々とした丘陵を背にする風光明媚ふうこうめいびで温暖な土地柄。港湾都市として集積される人材と物量。

 毎月のように、催されるの各種祭典。食の最終地点とあって様々な料理が花開き、年中を通して人波が絶える事はない。


「女は必要ない。の寝床を頼む」


 この辺りの大型店舗は酒場と宿泊所が一緒になっているのが特徴だ。酒場の給仕役は男女種族を問わず、宿泊所で夜の相手をするのが通例となっている。


 酒場では軽い食事なら出るが、と呼ばれる小さな店舗が軒を連ねる飲食街へ向かうものだ。

 それは、複数品目の一口料理を立ち飲みする場所。一口なので量が少なく値段も安いので、食べ比べも可能。会計は、食べた皿の数と大きさ。重ねたグラスと酒種。


 それぞれの売り出し料理を摘まみながら、酒を一杯空けたら次の店に行く。それが、サン・バステアンの街を楽しむ流儀だった。 

 会話の中で、おすすめの他店を案内する。店同士や職人が調理法・調合法を明かし、切磋琢磨と街全体の活性化に繋げていた。客にも、気軽に教える事がある。


「え~? 残念。お兄さん、布地で顔が見えないけどイイ男っぽいから、隅々まで悦ばせたかったのに~。はい、二十一にじゅういち番の部屋ね」


 惜しみながら、コルセットから溢れそうな胸を強調する宿帳係を前に、アラームは前金を支払い、冷静に記帳する。


「悪いな。連れが長旅で疲れてしまっているんだ」


「あらま、大変じゃないか! 医者か薬師でも呼んでやろうかねぇ?」


有難ありがとう、大丈夫。外のヴァルで、サン・バステアン名物・ラメン、ラナ風の海鮮パステーテ、牡蠣かきのトルテ。〆のお菓子ドルチェをチーズケーキで決めたら元気になる」


「お兄さん、街の名物を分かってるじゃない~。部屋に、薬草湯と肉詰め蒸しパン、オマケしとくよ。お連れさん、お大事にね」


 店内も景気良く灯される固形や液体照明。人と座席がひしめき、誰かが通り過ぎるたび接触する距離感。

 弾む会話に、食器や杯が重なる音。笑い声や嬌声が織り混ざり、生き物が発する空間に圧倒された絽候ロコウは、金色の視線の動きが止まらない。


 人波に触れる事なく、器用にアラームは彼らが待つ席へと辿り着く。そこには、見た目そのままの璜準コウジュンが不機嫌と言わんばかりの表情を張り付かせて席に着いていた。


「どいつもこいつも、モイモイモイうるせぇな。酔っ払いは声も物音もデカいし、臭ぇし汚ぇしうんざりだ。早く離れたい」


璜準コウジュン、西側は初めてなのか? だとしても、西側の万能挨拶くらいは知識として得ているだろうに。それに、物音一つしない沈黙の盛り場に何の意味があるんだ」


 道中での璜準コウジュンから性格を把握したらしいアラームが、適切な態度でその不満に答える。


「そんな事より、雪河セツカはどこに行ったんだ? あんなに綺麗なを放って置くなんて、アラームは愚者以下の凡愚だ」


 周囲の煩雑な音を意識から切り離した様子で、璜準コウジュンは本題に触れた。すっかり雪河セツカとりこになっており、逐一、所在を気にしている。


「あの姿で正面からの入店は無理だから、部屋に入ったら適当に招き入れる。それまでは散歩だよ」


「そりゃそうかもしれないが、あんな可愛い子ちゃんだ。さらわれたり、悪戯いたずらされたりしないか?」


「断っておくが、雪河セツカは女の子ではないぞ」


「知ってるよ、そんな事くらい」


 不満と深憂しんゆうが混じるような息をいた。璜準コウジュンは、年頃の愛娘の動向に一喜一憂する父親の風情を持ち始めていた。


炎州エンシュウとシザーレが壊滅したってのに、コイツらは〝明日は我が身〟とは思わないのかね」


 気を取り直した様子で、蜂蜜入りの白湯で一息ついた。璜準コウジュンは、辺りの喧噪に辟易した様子を変わらず隠しもしない。


「不安だからこそ、騒いで紛らわせているんだろう」


 アラームは、勘定台カウンターで受け取った二十一番の木札を見せると、宿泊領域の二階へ昇る階段を差した。ひとまず、メイケイとウンケイを部屋で休ませるために、移動を促す意図を含ませるようだった。


「しかも、今夜は満月だ」


 アラームは、通り側の壁を取り払われた店舗の客席から見える屋外を言葉で差した。


 なだらかに、護岸に向かう街並み。霧に煙るような眞素マソに、店舗が照らす人工の灯りがにじむ。先には、水平線と青い月アオイツキに染まる夜空には円環が飾られていた。 





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