70,バブみ

「さて、じゃあ真幸、人間の絵を描いてみようか。男でも女でもいいから」


 友恵が言って僕にシャープペンシルと自由帳を差し出した。


 創作の取材を兼ねたピクニック。てっきり友恵の漫画や三郎のイラストの取材に同行させてもらえるのかと思ったら、メインは僕だったという騙し討ち。


 標高100メートルにも満たない茅ヶ崎の山でも、斜面から潮気ないふわりとした風が吹きおろし、さらさらと芝生を撫でる。


 風で白紙のページがめくれ描きにくいけれど、どうにか描き上げて友恵に自由帳を返した。


「あのー、真幸くん? これは何かな?」


「何って、ヒトの絵だよ」


 何をわかりきったことを。友恵が人間の絵を描くように言ったんじゃないか。


「あぁ、いや、真面目に描いてほしかったなって。これ、なんか全体的にぐちゃぐちゃして目がぐりんぐりんで男か女かもわかんないキモい怪物だよね。なんか情緒不安定感というか、クリエイター以前にもうちょっと人間としてしっかりしなさいというか、人格を疑うレベルの」


 !!


 友恵の辛口コメントにびっくりしていると、三郎、長沼さん、美空が描きたてホヤホヤの絵を覗き見た。なんだよ、冷やかしはやめてくれ。


「これは、人様に見せて良いものではありませんね」


 美空が淡々と言った。


「まぁその真幸、頑張りなさい」


 三郎にポンと肩を叩かれた。うん、頑張る。


「誰でも最初はできないもんだよ。大丈夫、練習すれば描けるようになるよ」


 ああああああああああああ!! 長沼さんはなんてやさしいんだ!! なんかもう僕、赤ちゃん返りしておなかずりずりして頭なでなでされて抱っこされたいいいいいい!!


 それに引き換え友恵と美空!!


 君たちは、君たちは!!


 頭にきたので友恵から自由帳をひったくり、できたてホヤホヤの絵を見直す。


 うん、これはひどい。第三者が見たら悪意を感じるね。


「ほら、真幸だって自覚あるんじゃん。顔がフリーズしてる」


「うん、まぁ、しょうがないよね」


 人には得手不得手がある。僕はお絵描きが不得手なんだ。


「しょうがないよねじゃねえよお前こんなんでコンテ描けるのかよ」


 ひいいいいいいっ! 友恵が怒った!!


 しかし僕の絵はもはや絵として成立していない。コンテはアニメの設計図で完成品ほどきっちり仕上がってはいない、サッと書き。それでも表情や雰囲気が伝えられなければ作品が思わぬカタチに仕上がって、僕の力量によりアニメーターさん、つまり友恵、美空、三郎に迷惑をかけてしまう。


「開き直りは、良くないわね」


 三郎がさらっと言った。


「すみません……」


「とりあえず、今日からコツコツお絵描きの練習始めてみよう?」


「はい」


 さすが長沼さん、人気声優だけある。正直クソな発言をしたクソな僕に怒らず前向きな言葉をかけてくれた。しかも説教じみておらず、僕の良識を信頼して自主的に改心してほしいという願いを込めていると、なんとなく程度に感じられる絶妙な具合で。


 ここで彼女は怒らない人だと調子に乗って甘えた態度を取ったら、僕はいまここにいる四人だけじゃなくて、これから出会う色んな人たちからやがて見放される、そんな気がした。


 こんな素敵な人に巡り会えた僕はとても幸運で、引き合わせてくれた友恵に強い謝意が芽生えた。


 友恵や三郎はかねてより、いまの僕から見て長沼さんもとても手の届かないところにいる、しかし最も身近な大スター。けれど僕もいつか三人のように憧れられるほどの輝きを放ちたいと、強く思う。


 美空もプロデビューこそしていないものの、絵が上手で物語も創れる。


 僕にしか創れない凄いものを創る旅はいま、新たなステージへと踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る