2006年9月

28,それぞれの新学期1

 真幸のおかげで自由研究課題を無事仕上げ、新学期の朝を迎えた。母への怨念は渦巻いたままだけれど、平静を装いなんとか日々を過ごせている。


 7時過ぎ、自宅前の停留所から満員のバスに乗り、よくテレビで見る湘南の穏やかなイメージとは掛け離れた人混みと日本一の速歩きに弾かれぬよう時間に余裕のある私も急ぎ、しかし駆け込みはせず茅ヶ崎駅から電車に乗った。


 朝の東海道線上り電車はほぼ数珠つなぎに走っている。朝陽を浴びながら先行列車に追い付かぬよう住宅地、商店街、ショッピングモールなどを横目に東へゆっくり進んでいる。ゆっくりとは言っても、貨物列車線を挟み並行する道路の自動車を追い抜くほどの速度は出ている。


 満席だけれどドアと座席との仕切り板は空いていたため、そこに背を寄せて車窓を眺める。ただし座席に掛けている人を圧迫せぬよう、仕切り板にはもたれかからない。ドアのガラスはUVカット仕様ではなく、光がそのまま入射して眩しい。


 座席の前には、このひと次の駅で降りないかな? と期待を込めて車内の中ほどまで乗客が詰め寄っている。


 東海道線の普通車は茅ヶ崎駅か、一つ静岡しずおか寄りの平塚駅で満席になるけれど、そこから終点の東京駅まで乗客の入れ替わりが多くあるため、五分五分くらいで途中から着席できるチャンスあるのだ。


 なお、茅ヶ崎駅からならグリーン車やライナーに乗ればほぼ確実に着席できるので、料金はかかるけれど遠方へ向かう際は便利だったりする。


 ラッシュアワーは列車1本あたり約2千人を乗せる東海道線。それぞれの人生、それぞれの物語が15両編成、全長3百メートルの空間に集う。電車は創作家にとってネタの宝庫だけれど、彼らに声を掛けて話を聞くにはなかなか勇気が要るものだといつも思う移動時間。


 真幸と知り合い本格的な創作活動に乗り出したは良いものの、私の世界は狭すぎて表現力の天井が近い。色んなひとと知り合い交流するほど視野は広がるけれど、学問に特化した人生を歩んできた私に、いまのところこれといった当てがない。


 大事なことに気付いても、そこへ漕ぎ付くまでには時間が必要なのかも___。


『ご乗車ありがとうございます。大船~おおふな~。1番線に到着の電車は東京行き、まもなく2番線には次の東京行きが4つドアでまいります。この時間帯はすべての列車が15両です』


 大船駅に到着。電車のリニア式ドアがチャイムを鳴らしながらガチャリと開いて駅員さんのアナウンスが入った。


 鎌倉駅に程近い女子校に通う私は、茅ヶ崎駅から約15分、大船駅で横須賀よこすか線に乗り換える。


 ドタドタと足音をたてる人混みに紛れホームの階段を上がると、駅コンビニや今後10本の列車を表示できる壁掛け電光掲示板の下で同級生の平沼ひらぬま穂純ほずみちゃんと待ち合わせ。彼女は横浜の高級住宅地、山手やまてから根岸ねぎし線で大船駅に到着するお嬢さま。


「おはよう! 久しぶりだね!」


「おはよう。うん、いっしょに遊びたかったけど宿題の山をギリギリまで片付けられなかった」


 密編み身長150センチ、大正和服が似合いそうな眼鏡美人。眼鏡を外すとそれはもうお約束の大和撫子。


 口調や身振りもハキハキしていて、授業中は隙あらば居眠りし、口調や身振りは概ね省エネモードの私とは雲泥の差だ。学生服もまたよく似合っている。仲良くなったきっかけは、入学初日、出席番号順により席が前後し穂純ちゃんから話し掛けてくれたから。


「ふふ、美空ちゃんは相変わらずだね! こんど茅ヶ崎で遊ぼうよ!」


「ち、ち、ち、茅ヶ崎!? 天下の横浜さまが茅ヶ崎に遊びに来る……? いやいやいやいつも通り山下公園でハーバービューを愉しんだりフランス山周辺で洋館巡りでもしていたほうが……」


 横浜といえば東京に次ぎ全国2位の人口を誇る大都会。ビルがひしめき合う横浜駅前、桜木町やみなとみらい地区にはランドマークタワーや港の見える丘公園、そこから少し歩けば元町もとまちや中華街。そんな栄えた街から茅ヶ崎へ遊びに来てどうすると……?


「それも楽しいけど、たまには地元と鎌倉以外の場所も行ってみたくて」


「そうなんだ。海と街並みくらいしか取柄のない街ですがよろしければ……」


 神奈川県の絶対王者、横浜に謙遜する私をクスクス笑う穂純ちゃんとホームに降りて、いつも通り比較的空いている横須賀線の増3号車に乗る。


 横須賀線は東海道線のように1から15号車まで通し番号ではなく、増1から増4号車と、1から11号車を連結した計15両編成。訳あってちょっと変わった車両の配置だけれど説明すると複雑なため詳しくは何かの資料で。


 電車は緑のカーテンをくぐり抜け、朝の古都をゆく。乗客の半分ほどは同じ学校の生徒だ。海辺とは思えないくらい緑に囲まれたこの車窓は、私にとってちょっとした癒しの時間。


 この場所を駆け抜けるとき、穂純ちゃんもドア脇でたそがれながら木漏れ日のシャワーを浴びている。ふたりこうして向かい合い、同じ時間、同じ景色、同じ空間を共有し、視線は合わさず心を通わせる鎌倉駅までの約5分。授業は億劫だけれど、こうして友と過ごす時間の尊さに、私は日々、幸せを感じている。

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