消滅少女と世界消滅

 今は昔、生みの親たる実の両親が僕の生誕に合わせて移り住んだ賃貸マンション。


 自身の記憶としては実に曖昧なそんな経緯を経て、その息子たる僕としては生まれた時から住んでいるその部屋の階下に見える景色は生まれてこの方、多分百万回は見たものであるし、百万回見ても冴えないものであったはずなのに――、


「マジでか…おい。もう流石に嘘でネタだろ…ほんと、勘弁してくれよ」


 視界に収まる街の風景、その至る所から上がる黒煙がまるでフィクションの中の出来事のようで、その下には人間がいることを忘れさせるようだ。恐らくあの黒煙の下は絶叫の炎で溢れていることだろう。


 落とした肩を震わせながらリビングへ足を向けた。

 茶色いソファの上では両親が殆ど抱き合うような形で身を寄せ合い、食い入るようにテレビを見ていた。


 国営放送の緊急ニュースと銘打たれたその特別番組に映し出されたのは極めて人為的な流行感染パンデミック。銀座や渋谷、原宿などの都市が荒れ果てて暴れる人間が残酷なほど克明に画面に映る。


 ある者はバットで武装し、またある者は木刀のようなものを携えて商店や人家に押し入る野蛮で下劣な姿。


 そんな彼達に共通するのはマスクやバンダナで口元を隠し、姑息にも顔を悟られない様にしていた。


 この期に及んで人間とは何と愚かな存在であろうか。


 そして僕も同じくホモサピエンスだと自覚し、絶望と恐怖に涙が溢れた。


 鼻をすすり目元を拭ってテレビに再度目を向ければ海を飛び越え海外の情勢にスポットが当たる。

 マイアミ、アカプルコ、イスタンブール、ヨハネスブルグ、カラカス、サン・ペドロ・スーラ、サンサルバドル、パルミラ、シチリア、ケープタウン、サラエヴォ、リール……あーもうウンザリだっ!


 我が国よりも余程崩壊した、フィクションの筆頭格であるゲームみたいな世相を目の当たりにした僕の目尻が再び濡れる。今度は先程よりも大きく大量に。

 涙腺の堰が切れたのは僕だけでは無かったらしく、家族三人で泣きながら抱きしめあってみっともなく互いの生を確かめ合う。


 しばらくの間そうしていた。そして僕は立ち上がった。


「例え地球があと数日でオシマイだとしても、その瞬間までは生きていなくちゃ!」


 全ての部屋の電気を消し、鍵を落としてカーテンを閉める。ガムテープで目張りをしてからドアの前に重たい家具を移動させた。あんな人生を投げた連中に巻き込まれるのは御免だよ!


 そうして世界終了までの数日を家族で慎ましく生きた。少ない食料を分け合い生きた。そんな中で世間では絶望が蔓延したのか、それとも抑止力がきちんと機能しているのかは分からないが、暴動は沈静化しつつあった。


 そして僕がもう一つ驚いたのが電気が未だに使えるという点だ。

 発電所を含めたインフラ施設なんか真っ先に標的になりそうなものだが、何にせよ有り難いことだ。


 そして世界消滅の期限をいよいよ明日に控える段になって、僕は一つの決断をした。最後の最期になっていよいよ腹が決まったという訳だ。ヤケクソとも言うが…。


「寺山さんに電話してみるかっ!」


 真っ暗な画面を十分少々見つめて決心が付いた! LINEを開いて『寺山 幸』をタップ。広がるプロフィール画像は紅茶の写真。ええい、ままよ!


 無機質なコール音が鳴る。

 ということは少なくとも彼女のスマホは電源が入って生きているのだろうか?


 祈るような気持ちで応答を待つ――繋がる。


『もしもし? 飯島くん?』


 非常事態にあって、なんと呑気で他愛のない声。

 ここ数日ですっかり涙腺の脆くなった僕はスマホを顔から離して鼻をすする。そして確信、間違いなく彼女だ!

 

『え? もしかして違う? あっ、あの…』

「いやゴメン。合ってる合ってる! 飯島です」


 感極まり過ぎて無言になってしまい、慌てて応答。少し拍子抜けと言えばそうなのかもしれない。


「まさか、今の状況で、寺山さんに繋がるとは思わなくて…その、びっくりした」


 それは偽り様のない本音。情報規制とか漏洩とかの防止のために個人のスマホなんてすぐさま取り上げられそうなものなのに…。


 押し黙った僕の行間を読んだのか、彼女はころころと軽快に笑う。


『冴えない私が"人類の鍵"だもんねぇ~。実を言うと、今いる軍事基地?に入る時に没収されたんだけど、さっき取り返したの。若者のスマホ依存症は笑えないほどに深刻だねっ!』

「ハナから笑い事じゃない気がするけど…ってか『取り返す』って、どうやって?」


 異常事態の非常事態だというのに、驚くほど会話が弾む。まるでひと月前の教室のように――まるで変わらない、いつも通りの会話に心があたたまる。


『どうやってって言われても、普通にゴネちゃった。スマホを返さないなら世界とか知らないみたいなことを言って…』

「マジで?」

『うんマジで』


 たかがスマホで世界がヤバかったのか。案外現実世界もスマートフォンとともにあるのかも知れない。当たり前か。


『最低だよね。世界とスマホを天秤にかけるなんて』


 悩みのスケールのデカさに慄く僕に届いたのはそんな寂しい言葉。そんなこと言うなよ。


「全然違う! 最低なわけないだろ! そんなの…世界だか人類だか、そんな馬鹿でかくて、実感の湧くわけない――それくらい意味分かんないもんを女の子一人に押し付けるほうが最低に決まってる! そんな社会は滅んだって良いよ!!」

『飯島くん…』

 

 そうだ。大体そんなの、絶対ソッチのほうがおかしい。ガキより優れた大人達は一体何をやっているんだと憤慨して然るべきだよ。

つーか、に比べて世界を救う代わりにキッズがスマホを要求することなんかあんまりにも、些細過ぎて――笑えるくらいにじゃないか。


「だから気にしなくていいと思う。当然の権利だ」

『ありがとう。優しいね、飯島くんは』

「そんなこと…あるといいかも?」


 照れ隠しを挟んでから僕達は何時間も電話で話した。彼女のこと、僕のこと。

 今迄話したことのないような深い話を気が済むまで。


 そして、沈んだ恒星が薄っすらと登り始める頃、彼女は別れの言葉を遠慮がちに口紡いだ。


『その、長話に付き合ってくれて、ありがとう。でも、えっと…そろそろ私は世界を救済しなくちゃ……』


 それはまるで今生の別れの様な響きを伴って僕の脳天を揺さぶる。待って!


「あっ…その、あーっと世界をよろしく! また学校で」

『うん! また、学校でね!』


 そのありきたりな挨拶を最後に通話終了。

 臆病者の手から零れ落ちたものはスマートフォンだけか、それとも――。


 昨日と同じ陽が当然の様に東の空を昇って、人類最後の日が幕を開ける。

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