第27話:安全地帯
安全地帯は、周囲に比べれば、その名の通り安全だった。
人は散見されるのだが、異能が使えないため派手な戦闘が勃発していることはないし(ちょっとした口喧嘩をしている人はいた)、ゴーストとかいう未知の怪物も出てこない。
そんな安息の地で、久遠寺さんのことや異空間のことを尋ねながら歩いているうち、新たな発見もあった。どうやら異空間には随所に透明な壁が存在していて、基本的に建物内には入ることができないらしい。どうりで地べたに座り込んでいる人が多いわけだ。
ただし、例外として公共の建物には入ることができるらしく、安全地帯にあるそれら(図書館など)には多くの人が詰めていた。直射日光を避ける意味もあると思うが、それ以上に『閉鎖空間にいるほうが落ち着く』という人間の本能が働いているのだと思う。
依然として足を動かしながら、辺りを見渡す。
視界に映るのは、田んぼや畑、点在する一軒家、遠方の山、小さな神社。
安全地帯を歩き回って我が家の周辺まで行き着いたのだが、相変わらずここらの地域はザ・田舎だ。空気の美味しさだけが自慢の限界集落、いや、限界突破集落である。
「…………」
こうして異空間を闊歩するのは、まるで廃墟を歩いているような感覚で、不思議と恐怖はなく、むしろ退廃的な心地よさを感じる。廃墟には行ったことがないのであくまでイメージだが。
もしも、自殺が目当てで山に入り、ここに迷い込んだという人がいるのなら、その人は案外安らかに消えることができるのかもしれない。
……いや、いくら死を望んでいるとはいえ、七日間自らの消失を待つだけというのはやはり相当な苦痛になりうるのだろうか。難しいところだ。
まあ、その問題に頭を悩ませるのは当分保留させてほしい。
なにせ、俺たちはたった今、もっと重大な問題に直面してしまったのだ。
「久遠寺さん、いなかったね」
志乃が近くの電柱に寄りかかって、はぁー、と大きなため息をついた。
「参ったな……」
俺もバッグを下ろして砂利道の上に座り込み、同じようにため息をついた。尻が痛い。
そう、安全地帯に久遠寺さんはいなかったのである。
SO研制作の地図に載っている三か所を全て回っても邂逅は果たせず、すれ違いになった可能性を考慮してもう一度同じように回ってみたが、結果は変わらなかった。
となると、安全地帯の範囲内を探すという方針を転換せざるを得ないだろう。
「仕方ない、外を探すしかないな」
「えー、異能力怖いよぅ……お外出たくないよぅ……」
志乃が子供のようにぐずついている。珍しく弱気だ。
俺とて、できれば安全地帯の外になど出たくない。
安全地帯の間を移動するたびに、もう随分と肝を冷やされた。
地図を入念に確認してから一直線に走ったおかげか、荒事には巻き込まれずに済んだものの、それは三つの安全地帯同士がそこそこ近くにあったからに過ぎない。もしも分散していたら、今度こそ俺たちが槍に貫かれる番だったかもしれないのだ。
でも、だからと言って他に手の打ちようがないわけで。
「しょうがないだろ」
「それはわかってるけど……でも、安全地帯を出て、どこに行くの? まさか、あてもなくさまよったりしないよね?」
「それはさすがにないって」
初めから危険だとわかっている場所をうろつくなんて、自ら命を危機に晒すも同然だ。それならば安全地帯で情報収集を続けた方がマシだろう。
実は、ひとつだけ当てがある。
伸びをしつつ立ち上がり、志乃にその場所を伝えると、「へ?」と間抜けな返事が返ってきた。まあ、そういう反応をされても仕方がない。
もちろん、一応の根拠はある。
「前に、そこが好きだって言ってたんだよ、久遠寺さんが」
「それだけ?」
「それだけ」
「えー、怪しいなあ」
訝しげな表情で、顎に手が添えられる。
まあ、怪しまれて当然だろう。ただ他に当てがないというだけだ。
「でも、行ってみる価値はあるかも」
神妙な顔つきで、志乃が電柱から背中を離した。
「その通り。さ、早くいくぞ」
久遠寺さんが安全地帯にいないことが分かった以上、俺たちはなおさら急がなくてはならなくなった。もしも彼女が戦闘に巻き込まれるか、戦闘を仕掛けるかして、敗北を喫し消滅してしまえば、現実世界に帰ることができない以前の問題だ。
「久遠寺さんに限って、勝負に負けるなんてことあり得ないとは思うが……」
万が一の可能性もある。とにかく、急ぐに越したことはない。
「うん、行こう」
志乃も踏ん切りがついたらしい。俺に背中を向けたまま「よし!」と、両腕でガッツポーズを作ったかと思えば、今度はスカートのプリーツを揺らしながらこちらを振り向く。
「螢、私のことちゃんと守ってね」
満開の笑顔だった。
「おう」と一言だけ、俺も笑顔で受け応える。
しかし、繕った表情とは裏腹に、心の内では途端に負の感情が大きくなっていった。
頼られることに対する不安と、責任に対するプレッシャーと、未知への恐怖と――
得も言われぬ、悪い予感で。
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