第26話:死ぬ瞬間を待つ
山を下りて早々、まずいことになった。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
「はあああああああああああっ!」
目の前で、二人の男が死闘を繰り広げている。
片や、自分の身長を上回るほどの大きな槍と盾を抱え、鉄製の鎧に身を包んだ男。
片や、軽そうなレザーアーマーを着崩して、手から鎖を生み出し攻撃する金髪の男。
場所は、相架山から少し離れた位置にある住宅街。現実世界ではおしゃべり好きなお母様方のよもやま話や、幼い子供たちの元気な声が聞こえてくるであろうこの場所で、今聞こえるのは野蛮な雄たけびのみ。
安全地帯は恐らくここを超えた先にあるのだが、二人の間に割って入ることができるような雰囲気ではない。時間がないというのに、足止めをくらってしまった。
スマホを取り出して、黒岩に送ってもらったメモの写真を表示する。その中の一文に目をとめた。
・異能を使うことができない、安全地帯なる区域が存在する。
つまり、目前で起きているような異能を使った戦闘が、安全地帯では発生しないということである。ゴーストなどという怪物が現れる可能性も低いらしく、周りに比べれば安全に違いない。やはり久遠寺さんの捜索はここから始めていくべきだろう。
スマホをフリックして、次の写真を表示する。それは、SO研で製作しているという、『異空間の安全地帯を示す地図(未完)』だった。これも黒岩に送ってもらったものだ。
模造紙の中心に相架山が描かれており、蜘蛛の糸のように周囲に道が広がっている。安全地帯は目立つよう赤い斜線が入れられていて、それは三か所あった。そのうちの一つにかなり接近していたのだが……
地図に目を向けたまま、隣の志乃に声をかける。
「なあ志乃、ここは仕方ないから遠回りして――」
顔を上げて隣を見ると、志乃がいない。
「ちょっと通りまーす」
「ぅおい!」
なんと彼女は、軽く詫びを入れながら、互いに睨み合う男の間を通ろうとしていた。
細身で金髪の鎖男が、闖入者をじろりと一瞥する。
「なんだてめぇ……って、新参か」
にわかに、殺気のこもった視線が和らいだ。
「新参者を狩るほど、俺は弱くない」
続いて、ランサーの男がそうつぶやく。
新参者というのは、ここに来たばかりの人ということだろう。何故俺たちがそれに該当するとわかったのかは不明だが、とにかくこの二人は俺たちを狙ってこないようだ。
おかげで、志乃は安全地帯まで一気に近付いた。俺も行かないと。
前進しようとするが、それを阻むかのように二人が口角泡を飛ばし始める。
「あぁん!? てめぇ、自分だけ強いやつみたいに語ってんじゃねえよ! それはこっちだって同じだっつーの!」
「ならば強者であることを戦闘で証明してみたらどうだ? 先ほどから鎖が俺の鎧に弾かれているようだが」
「バカか、手加減してやってるだけだ! てめぇこそさっきから防戦一方だろうが」
「そちらの力量を計っていたまで。次はこちらから行くぞ」
まずい、今行かないとまたしばらく通れなくなりそうだ。思い切って一歩を踏み出す。
「と、通ります!」
横断歩道を渡る小学生のごとく、右手を挙げて歩いた。怖いもの知らずだったあの頃を思い出せ。しょっているのは高校のバッグではなく、ランドセルだ。俺の使っていたランドセルは天使の羽だ。そう、天使の羽。背筋ピーン!
「また新参者か」
「てめぇ、さっさと視界から失せやがれ!」
「は、はいぃ!」
背筋を伸ばして右手を挙げたまま、全力で走った。場違い感が半端じゃない。
甲高い金属音と狂ったような叫び声が背後から聞こえ出した頃には、なんとか志乃のもとにたどり着けた。
よかった。これで安全地帯にかなり近づいたはずだ。
そう意識したのと同時に、自分の中で能力が使えるという感覚が消えた。試しに身体を軽くしようとしても、何も起こらない。
ということは、すでに安全地帯に入ったのだろう。ひとまず安心だ。
「螢、ビビりすぎ」
顔を上げると、志乃がニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「お前がおかしいんだよ」
こいつに振り回されるたびに痛感することではあるのだが、いくらなんでも無鉄砲すぎる。これで平常運転なんだから、ある意味立派だ。俺にも勇気を分けてほしい。
「でも、お手柄だな。安全地帯に入れたぞ」
周りを見渡しても住宅街が続いているだけで、戦闘を続けている男二人との間に明確な境界があるわけではない。ここからでも二人がぶつかり合う様子が見える。
ただし、ここでは異能が使えない。それだけは確かだった。
志乃が「えっへん」と無い胸をそらすのと同時に、近くで男の掠れた声が聞こえた。
「恐ろしい場所だろう、ここは」
視線をさまよわせて声の主を探すと、交差点の角にどっかりと座り込んでいるおじさんを見つけた。彼はこちらを向いている。恐らく俺たちに話しかけたのだろう。
近くに寄ると、彼は警察官の格好をしていることがわかった。
この渋くて貫禄のある感じ、どこかで……
「あっ、あの時のおじさん!」
俺が思い出すより早く、志乃が叫んだ。
「ああ」そうだ、思い出した。小学生の俺たちがお遊びで山に入ろうとしたとき、本気で怒鳴りつけてくれたあの警察官だ。超怖かった、監視の。
「なんだお前ら、俺を知ってんのか?」
「以前、あなたに門前払いをくらったことがありまして」
恐る恐る本当のことを言うと、警察官はゆっくりと瞼を閉じた。
「……すまねえ、憶えてねえや」
いかつい顔がへにゃりと崩れる。
無理もない。彼は相当ベテランのように見受けられる。きっと何十、何百の侵入を防いできたのだろう。それらを一つ一つ憶えている方が不自然だ。
「で、なんでお前らはここにいるんだ」
一転して、怒気を孕んだ静かな声で尋ねられた。すぐに答えられずにいると、言葉が続けられる。
「まだ若いじゃねえか、お前ら。ここがどういう場所かわぁってんのか? 一日中いたら元の世界に帰れなくなっちまうんだぞ」
背丈は俺と大差ないはずなのに、相変わらず言動に迫力がある。今だからわかることだが、それは俺たちを思ってこそ生まれるものだ。
「実は、人探しをしていて……」
志乃が答えると、彼は虚を突かれたようだった。
「人探し?」
「そうなんです。俺たち、ここに来た女の子を探してるんです。まだ二十四時間経ってないから、今なら連れ戻せるかもしれないと思って」
「……ほぉん、そりゃ急がなくちゃいけねえな」
彼は何回か頷くと、顎に手を当てて何やら考え始めた。ゆっくりと口が開く。
「お前ら、ここにいると、人を殺さなくちゃいけねえってのは知ってるか?」
志乃と顔を見合わせた。黒岩の言葉やメモを頭に浮かべてみるが、思い当たらない。
「どうやら知らねえみたいだな。七日間だれも殺さずにいると、自分が死んじまうんだよ。死ぬというか、消えるんだけどな」
「そんな……」
「何もせずに死んでいく奴を、この目で見たんだ。間違いねぇ」
知らなかった。
ひどいルールだ。誰かを殺すか、自分が死ぬか、選ばないといけないなんて。
「この空間にいる奴は、必死に戦って生き残ろうとしている奴か、俺のようにただ静かに死を待っている奴か、そのどっちかだ。前者はとにかく危なっかしい。右も左もわからないようなのを殺しちまうこすい連中もいるからな」
「……おじさんは、死を待ってるの?」
志乃が小さな声で尋ねた。話の筋は変わるが、俺も気になったことだ。
年配の警察官は、帽子を目深にかぶりなおす。
「ああそうだ。俺は誰も殺めたくねえ。そもそも、こんな場所にだって来たかぁなかった」
「じゃあ、迷い込んだってことですか?」
「そうに決まってんだろう。山の見回りしてたら、いつの間にやらこんなところに来ちまったんだよ。帰る方法がわかった頃にゃ、もう手遅れだったってわけだ」
そこで、俺は例の事件を思い出した。
勤務中の警察官が行方不明になったという、あの事件だ。
「まあ、俺のこたぁどうだっていい。それより、お前らの方が心配だ。いいか、ここで人を殺すと自分の能力がちっとばかり強くなる。それと一緒に、服装も戦闘向きになってくんだ。そんな中、俺やお前らはこんなフツーの格好をしてる。その意味が分かるか?」
「……弱いのが丸分かりってことですね」
だから、さっきの二人は俺たちを新参者呼ばわりしたというわけか。
「そういうこった。だから、お前らは意地汚ぇ奴らに狙われやすい。人探しとはいえ、この能力が使えない空間から外には出ねえ方がいいぞ」
「忠告ありがとうございます」
有益な情報をいくつももらうことができた。聞きたいことは掘ればいくらでも出てきそうだが、このまま長々と話し込むような時間の余裕もない。
最後に一つだけ、と前置きしてから、一番重要な質問をした。
「俺たちが探してるのは、黒髪のロングヘアで、この制服と同じものを着ている女の子なんですけど、見かけませんでしたか?」
警察官は腕を組んで俯いた。きっと、思い出そうとしてくれているのだろう。
しばし待っていると、その体勢のまま彼は言った。
「……そういや、見たかもしれねぇな」
「本当ですか!?」
「あんまり自信はねえが、たぶんな。同じような制服を着た姉ちゃんが……確かあっちの方に歩いていったような」
顎で示されるのは、安全地帯のさらに奥の方だ。
まさか、早くも手掛かりがつかめるとは。最後の質問と言っておきながら、俺は続けざまに質問を繰り出した。
「彼女を見たのはいつ頃だったかわかりますか?」
思わず早口で尋ねると、苦い顔をされてしまった。
「悪いが、よくわからん。ここにしばらくいるうちに時間の感覚が狂ってきちまってな。腹が減らねえから腹時計はあてにならんし、町中の時計が止まっていやがる」
「え、そうなの……?」
志乃が「調べて」という目を向けてきたので、俺はスマホを取り出した。ロック画面のデジタル時計には九時五十一分と表示されている。
「これ、こっちに来たばっかりの時に見た時間と一緒だよ!」
「持ち込んだスマホの時計ですら止まってるってわけか」
現実世界と同じように、時は確かに進んでいるはずなのに。
画面と睨み合っていると、鼻息を吐き出す音がして、顔を上げた。警察官が空を仰ぎ見ている。俺も同じように空を見上げた。
雲が一つもない、鳥も一羽もいない、飛行機だって飛んでいない、青い空だ。
その青にはぽっかりと穴が開いていて、そこから大量の透明な光が差し込んでいる。
「携帯だろうが何だろうが関係ねぇ。時間を計るうえで唯一頼りになるのはお天道様だけだ。かなりアバウトになっちまうがな」
この異様な空間でも、あの太陽はじりじりと動いているらしい。そういえば、黒岩のメモにも昼や夜は存在すると書いてあった。
時の流れが寸断されるようなことはないが、時計だけは止まってしまうということだろう。世にも奇妙な現象だが、この空間に合理的な説明を求めたところで無意味であることは明らかだった。
「まあ、その姉ちゃんを見たのが今日の内だったことは間違いねぇ。さ、お前ら。こんなところで油売ってねえで、さっさと追っかけな」
「はい、ありがとうございました」
「おじさんありがとう!」
頭を下げ、それぞれ感謝の言葉を述べる。
ここで別れれば、恐らく、彼にはもう二度と会えないだろう。
感傷に浸りつつも、ゆったりと踵を返し、俺たちは安全地帯の奥に向けて出発した。
――しかし、すぐに足は止まることになった。
背後で悲鳴が上がったのだ。男の声だった。
身体を反転させる。
見れば、先ほどの金髪の鎖男に、太い槍が突き刺さっていた。腹部から大量の鮮血があふれている。その細い体はぐったりと前に倒れ掛かっていて、動く気配がない。
先ほどから続いていた戦いに決着がついたのだろう。ランサーの男が手に持つ槍で、彼の身体を貫いたのだ。悲鳴は、断末魔だった。
俺は振り向いたことを後悔した。遠目にもむごたらしい光景だ。耐えきれず、目を背ける。心拍数が上がって、内臓がせりあがるような不快感に見舞われた。
「…………」
下を向いたまま、深呼吸。
少し落ち着いてから上目で再び状況を確認すると、金髪の男は消えていた。
彼の身体も、血も、声も、全て無くなっていた。まるで初めからいなかったかのように、残滓すら残さずに。そこにはただ、ランサーの男が一人、佇んでいる。
大きな槍を抱えなおし、勝利した男はやがて歩き出した。一仕事終えたとでもいうような、落ち着き払った、清々しい表情で。コンクリートの塀に、その姿が消えていく。
異常だ。
人間が摩訶不思議な能力を使えるようになったり、腹が減らなかったり、喉が渇かなかったり、人間以外の動物がいなかったり、時計が止まってしまったり、人を殺さないと自分が死んでしまったり。この空間は、異常なルールに満ちている。
しかし、最も異常なのは、人を殺しても後悔や罪悪感に苛まれなず、あまつさえしたり顔をするような人間が、あのランサーの男のような人間がここに存在することだ。
怒りとも失望とも取れない黒い感情が、胸の内で渦巻く。
「よくあることだ」
感情を飲み下したような、暗く渋い声で警察官が言った。
「ひどいですね」
「ああ、恐ろしい場所さ。こんな場所、あっちゃいけねえんだ」
そう言いながら、彼は胸ポケットから何かを取り出した。
「危うく忘れちまうところだったが、今ので思い出した。これを託させてくれねえか」
差し出されたそれを、両手で受け取る。
小さなメモ帳だった。古いものなのか、黄色い表紙がだいぶ褪せている。
「俺も金髪のあいつみてぇに、じきに消えてなくなっちまう。だから、何か残せるもんはねえかと思って、ここでの出来事をそれに書き込んでみたんだ」
「なるほど……」
パラパラとページを繰ろうとすると、手で制された。
「それは、お前さんが読むべきじゃねえ。こんなことできるのかわかんねぇけど……現実の世界に持って行って、町長あたりに渡してほしいんだ」
それが俺の人生最後の望みだ、と彼は言った。
なるほど。おおよその意図は汲み取れた。
彼はきっと、お偉い方々にこの空間の異常さを触れ込むことで、山が切り崩されることを期待しているのだろう。内容を信じてもらえるかはわからないが、筆跡を鑑定すれば、少なくともこの警察官の字であることぐらいはわかるはずだ。
「わかりました。必ず届けます」
メモ帳に宿る彼の意志を、人生最後の望みを、俺が引き継ぐ。
異空間に迷い込んでしまった彼の人生が、少しでも良い結末を迎えられるように。
「……頼んだぞ」
小さなかすれ声に対して、力強く頷いた。
バッグにメモ帳をしまってから、今度こそ安全地帯の奥に向けて歩き出す。
名残惜しいが、振り向いてはダメだ。時計は止まっているとしても、間違いなく時は刻一刻と進んでいる。俺たちは常に行動を強いられているのだ。ならば、前進あるのみ。
「……あれ?」
少ししてから、背後で足音が聞こえないことに気がついた。
「志乃、行くぞ」
「あっ、う、うん」
俯いていた彼女は呼びかけると駆け寄ってきてくれたものの、応答する際の声はわずかに震えていた。心なしか、顔色も悪いように見える。
違和感はあったが、特に取り立てるようなことはせず、俺は先へ進むことにした。
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