第24話:いざ、異空間
大して意気込まなくとも、目的の場所には二十分ほどで行き着いた。
相架山は決して峻険な規模の大きい山ではない。山のふもとから山頂まで登るのにせいぜい三十分程度の、田舎ではそんなに珍しくもないような小さな山だ。
「……はぁ、はぁ」
だからと言って疲れないわけではない。というか、滅茶苦茶疲れた。
「もう、相変わらず螢は体力ないなぁ」
「お前は、なんでそんなに、余裕なんだよ」
爽やかな汗かきやがって。こちとら滝のような汗をかいてるっていうのに。
途中で学ランを脱いでバッグにしまい、長袖のワイシャツ一枚となったのだが、それでもまだ体が火照っている。セーラー服は脱げないので志乃の方が見た目は暑そうなのだが、なんだろうこの差は。俺だけ変温動物なんじゃないの?
「そっちが疲れすぎなだけだよ。ほら、これ飲んで」
志乃がバッグから水筒を取り出し、フタ兼コップに中身を注いだ。いつ見てもビッグな水筒だ。二リットルは入るんじゃないかというぐらいの。
こんなのが入ったバッグを背負って走れるんだから、陸上部ってすごいよな。帰宅部の俺は超ミニサイズの水筒しか持ってきていないので、すでに飲み干してしまった。
「ありがとう、助かる」
間接的な接吻的なアレにはなるが、幼馴染の間柄でそんなことを気にしている余裕もない。コップを受け取り、ぐびぐびと一気飲み。ぷはー、生き返る。
中身はスポーツ飲料だった。ただし、味は薄め。濃いと吸収が悪くなるんだったかな。
「ほんとにあそこであってるのかな……でもお地蔵さんはそこにあるし……」
落ち葉の上で胡坐をかいて休憩する俺の横で、志乃はせわしなく辺りを歩き回っている。少しは落ち着けよ、と言いたいところだが、内心俺もそわそわしていた。そもそも、この薄暗い森の中で落ち着けという方が無茶だろう。
「……よし、近づいてみるか」
呼吸がある程度落ち着いたところで腰を上げた。コップ返却。
視界には、すでに表情の無い地蔵が三尊映り込んでいる。山道沿いに並んでいたので簡単に見つけることができた。半壊状態の鳥居というのも、それと疑わしき建造物を捉えている。こちらは木々の奥に潜んでいたのですぐには見つからなかったが。
黒岩によれば、地蔵ではなく鳥居の付近で儀礼じみた行為をする必要があるとのこと。だから、最終目的地は鳥居だ。山道から逸れて、木々の隙間に入り込んでいく。
「なんか、ちょっと怖いな……」
先ほどまで前を歩いていた志乃が、現在は後ろにいる。鳥居が近づいたことで恐怖心が増大でもしたのだろうか。いつの間にか袖口掴まれてるし。
「これじゃ本当にバカップルみたいじゃないか」
「螢はただの虫よけ役」
「……了解」
こいつ、俺も虫が苦手なこと知ったうえで言ってるな。まあいいけど。
気を取り直して、密集する新緑の中を蛇行していく。土の匂いや、落ち葉を踏みしめる感触が心地良い。なんというか、生きている感じがする。
得体の知れない虫に対しては見ていないふりを貫く方針で。俺は何も見ていない。俺は何も見ていない。俺は何も見ていない。
念じているうちに、鳥居だったものが徐々に大きくなっていき――
視界が開けた。
「ここは……」
崩れかけた鳥居を中心に、ぽっかりと木の生えていない小さな空間が広がっていた。
壮大な自然を肌で感じることができる山の中で、まるでここだけ人の手が加わっているような落ち着きがあって、こじんまりとしている。切り抜かれたかのような周辺との隔絶が、妙に気持ち悪く感じた。
悪寒に耐えつつ、中心の物体に目を向ける。
一目見ただけでは、元々これが鳥居だったとは判別しにくい。地上から二メートルほどの高さで砕けている灰色で石造りの柱が二本。その近くに横たわった元来鳥居の上部だったかもしれない石のオブジェ。これは崩れかけているというより、崩れていると表現した方が良さそうだ。
「SO研の人たち、これがよく鳥居だってわかったね」
「本当だな。でもよく考えてみろ、これが鳥居だったなんて証拠はどこにもないぞ」
「それはそうだけどさ……あっ!」
しげしげと建造物を眺めていた志乃が何かを見つけたようで、目を丸くした。
「どうした?」
近寄って目線をシンクロさせると、そこにはバッグが落ちていた。
それも、徳明高校の生徒が使用を義務付けられているバッグだ。
「これ、久遠寺さんのじゃない……?」
何か恐ろしいものを見つけてしまったみたいに、声を潜める志乃。
「間違いないな」
俺は自信を持って受け応える。
徳明高校では、入学時に生徒が購入するバッグを学校側で指定している。なので、ほぼ百パーセントの徳明生が学校で授業を受けている今、このバッグが久遠寺さんの物である確率は極めて高い。卒業生のものにしては状態が良すぎるしな。
それに加えて、このバッグには証拠の一つになりうるちょっとしたアクセサリーがついていた。それを手のひらに乗せて、じっくり観賞。うん、間違いない。
この間久遠寺さんがゲーセンで入手した、黒いくまのストラップである。
「それ、くまモン?」
「イエス、くまモン」
そうだそうだ、こいつの名前はくまモンだ。志乃に言われて思い出した。
「久遠寺さんのバッグにそんなのついてたっけ?」
「ついてたさ。ただ、お披露目したことがないだけだ」
本当だったら、今日がお披露目の日だったんだけどな。
「えっ……なんで螢がそんなこと知ってるの?」
「まあ、色々あって」
「またそれー?」
ふくれっ面で睨まれてしまった。が、いちいち説明する気力は沸いてこない。
「気にするな。それより、これで久遠寺さんがここに来たことが確定したぞ」
強制的に話を本筋に戻すと、志乃はそれ以上追及してくる気がないようで、「そうだね」と明るくうなずいた。
「さっき刀哉君に聞いた儀式、やるしかないっ!」
「だな」
儀式といっても、煩わしい手順などは一切無いごくごく簡単なものだ。それを行うことで神隠しに遭える、すなわち異空間へ行けるらしい。
「と、その前に……」
つぶやきながら、志乃が久遠寺さんに倣ってバッグを鳥居の近くに下ろした。まだ新しいネイビーブルーのスクールバッグが二つ横に並ぶ。
うむ、賢明な判断だ。異空間にバッグなど持って行ってもお荷物になるだけだろう。向こうでは喉が渇かないらしいから水筒は不要だし、教科書類や筆入れなんかはなおさら。強いて言うなら、携帯電話は使えるかもしれない。
同じことを考えたのか、志乃は携帯電話だけ胸ポケットに突っ込むと、顔を上げた。
「螢もバッグ置いてきなよ」
「そうしたいのは山々なんだが……」
このバッグの中には、むき出しでは持ち歩きにくい、異空間へ持っていきたいものが入っている。だから、運搬のためにバッグは必要不可欠だ。
ただ、このままではバッグが重くて移動の邪魔になること請け合いである。中身をできる限り減らすべし。
というわけで、バッグの中から教科書やら途中で脱いだ学ランやら何やらを取り出し、二つのバッグの横に積み重ねていく。山の中に荷物を放置していって大丈夫だろうかと少し不安にはなるが、こんなところ誰も近付かないだろう。きっと。
「なんか持っていきたいものでもあるの?」
軽くなったバッグを背負いなおした俺を見て、志乃の首がわずかに傾いた。
「ああ、ちょっとな」
「……そっか」
今度は訝しむでも怒るでもなく、彼女は寂しそうに笑った。無理やり笑顔を作ったのが、付き合いの長い俺には手に取るようにわかる。
色々と用が済んだら、全部が全部をきちんと説明しようと思った。
「さて、準備はいいか?」
「バッチリ。さ、行こう!」
異空間に行く方法は、手順さえ知っていればとても簡単だった。
崩れた鳥居の石柱の間を通り抜け、逆方向からもう一度それを繰り返す。
たったそれだけだ。それだけで、この世界から消える。
すーはーと深呼吸をしてから、行進でもするみたいに大げさに手足を振って、石柱の間を通過。手順通りにすぐさま折り返す。もう一度、柱の間を踏み越えた。
その瞬間、全身が浮遊感に包まれて――。
目の前が暗くなった。
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