第23話:登山

 山の中は、日中にもかかわらず薄暗かった。頭上を木々の枝葉が覆っていて、陽光が遮られてしまっている。木漏れ日がぽつぽつと差し込む程度だ。

 加えて、道が悪い。一応この相架山にも山道らしきものはあったのだが、落ち葉に乗っかられた土色の湿った地面が続く中で、随所に木の幹が盛り上がっていたり、大きな石が飛び出ている部分がある。傾斜が緩やかなのは救いだが、気を抜くと簡単にこけてしまいそうだ。

 吹き出る汗を持参のタオルで拭いながら、慎重に足場を選んで進んでいく。一歩を踏み出すたびに、落ち葉がカサカサと音を立てた。

「追ってこないみたいだね」

 前を歩く志乃が、ちらりと背後を一瞥して言った。

「だな。捨て台詞みたいなのを吐いてたし」

「バカップルってやつ?」

「そうそう。やっぱり男女でいると勘違いされやすいもんだな」

 恋愛脳どもめ、と毒づくと、志乃が歩くペースを落として俺の横に並んだ。

 上気した頬に浮いた汗をハンカチで拭きとり、短い前髪をいじりながら話しかけてくる。

「ねえ、螢はさ……好きな人とかいないの?」

 こけかけた。手をついて体勢を立て直す。

「唐突すぎるだろ」

「いいじゃんいいじゃん、ちょっとは恋バナしても。緊張しっぱなしじゃ疲れちゃうよ。そ、れ、に、せっかく幼馴染なんだしさぁ」

 ぐいと肩を寄せてにかっと笑顔で志乃はそう言うが、俺はゆるゆると首を振ることしかできない。幼馴染だからこそ惚れた腫れたの話はしたくないんだよ。なんというか、近しい人とそういう人間関係の話はしたくない。理由はうまく言えないけど。

 しかも、何といっても状況が状況だ。

「そんな話してる場合じゃないだろ。電波が届かなくなる前に黒岩に電話しないと」

 言いながら立ち止まり、ポケットから携帯を取り出した。正直、忘れかけてた。

「ちぇー、でも正論だなー」

「だろ?」

 口を尖らせる志乃を横目に、黒岩に電話を掛ける。山の入り口からは少し離れているが、つながることを願う。そして、黒岩がまだトイレにこもっていることを願う。

『もしもし、我だ』

 二つの願いは無事叶った。心内で安堵の息をつく。

『山への侵入は成功したのか?』

「ああ、志乃の案がうまくいった。で、聞きたいことがあるんだが」

『む、先ほど言いかけていた話であるな? さあさ言ってみろ』

 事態を理解しているだけに話が早い。俺はずっと気になっていたことを尋ねた。

「神隠しってどうやって遭うんだ? 山をたださまよってるだけでいいのか?」

 少し間が空いてから、黒岩の音声が流れだす。

『そういえば、それは伝えていなかったな。簡略に説明すると、神隠しに遭うためには、特定の場所へ行く必要がある』

「ほう、どこだ?」

『うむ……山道をたどっていくと、いずれ三尊の地蔵を見つけるはずだ。その付近に崩れかけた鳥居もあることだろう。まさに、そこが神隠しに遭うポイントになっている。我らがSO研の調査結果ではな』

「うわー、普通に登ってたら気づかなそうだね」と志乃。重要だと思ったので、先ほどと同じように通話の音量を大きくして三人で会話できる状態にしている。

 志乃の言う通り、草木の生い茂る山中でそんな場所を発見するのは至難の業だ。薄気味悪いし、黒岩の話がなければわざわざ近寄ることはなかっただろう。

 そこで、新たな疑問が浮上してきた。

「そのことは、久遠寺さんも知ってるのか?」

 もし知らないのなら、いまだに山の中を放浪している可能性もある。

 もちろん山にも危険は多いが、二十四時間経つと元の世界に戻れなくなる異空間にいるよりは断然マシだろう。久遠寺さん、いざとなればサバイバルとかできそうだもの。

 希望と期待がこもる中、

『あぁーんとぉ……それはだなぁ……』

 黒岩の歯切れが明らかに悪くなった。

「どうした? 言いにくいことでもあるのか?」

 思わず食い気味に尋ねると、きまりが悪そうな声で黒岩は答えた。

『実は、教えてしまったのだ』

「教えたって、神隠しの場所を!? 久遠寺さんに!?」

 志乃が声を荒げる。

 応答するのは低く落ち込んだ声。

『そうなのだ。二人とも、すまぬ。実は……二つに裂かれた我がSSを、いつの間にやら久遠寺嬢に奪われていてな』

 二つに裂かれたSS……ああ、アレか。黒岩が主人公で久遠寺さんがヒロインで俺が変質者ストーカーとかいうふざけたアレのことだろう。でも、どうしてここで出てくるんだ?

「……まさか、それを使って脅されたのか?」

『うむ』

「…………」

『「神隠しに遭う方法を具体的に教えなければ、これをコピーしてばらまく」という趣旨のことを暗に仄めかされてしまい……』

「…………」 

 呆れて物も言えない。

 SSって何のこと? という状態の志乃に事の顛末を教えてやると、俺と同じように黙り込んでしまった。うすら寒い空気が流れる。

 それを切り裂くように、黒岩が慌てて付け加えた。

『久遠寺嬢に読まれたと知って死にたくなったのだから、みなに読まれては本当に死ぬかもしれなかったのだ! それに、理由はそれだけではない』

 一呼吸おいて、声のトーンが一段と下がる。

『まさか、久遠寺嬢が異空間に向かう腹積もりをしていたとは、考えてもみなかったのだ』

 だろうな。それは俺も同じだ。

 調査という目的も無しに異空間に踏み込むのは、自殺を図るのとほとんど同じ意味合いを持っている。だから、久遠寺さんは自殺志願者と言っても差し支えない。

 あの才女が自殺を志願するなんて、誰が予想しただろうか。

 そう考えると怒る気も失せて、頭の隅がしんと冷えた。ので、話を進める。

「言いたいことは色々あるが、時間もないし、今更責めはしない。ただ、いつそんなこと聞かれたんだ?」

 久遠寺さんと黒岩が会話しているところなど、ほとんど見た覚えがないのだが。

『それが、昨日の夕刻に、突如として電話が掛かってきてな。その相手が久遠寺嬢だったのだ』

「ん? 電話?」

 いつの間に番号交換してたんだ? 人のこと言えないけど。

『電話と言えども、携帯電話ではないぞ。固定電話だ』

「ああ、そっちか」

 何故だか妙に安心してしまった。

「でも、なんで凪子さんが刀哉君の家の電話番号を知ってるの?」

「クラス名簿を利用したんじゃないか? あれって確か電話番号も載ってただろ」

 入学してから幾日か経った頃に、PTAの役員を決めるとかなんとかでクラス名簿が配られた。プライバシーにかかわるから大切に保管するように、と森木が口を酸っぱくして言っていた気がする。

『我も直接聞いたわけではないが、恐らくそうであろうな』

 他に方法もないだろう、と黒岩が同意し、志乃も納得してくれたようだった。

 それにしても、さすがは久遠寺さん。用意周到だ。

 昨日の夕べに黒岩に電話を掛けたということは、その時にはすでに異空間へ赴く決意が固まっていたのだろう。あるいは、それよりも前か。

 ――今まで、ごめんなさい。

 頭の中で反響する、あの虚しい声。その言葉の意味が、今の俺にはわかる。

 だから、伝えたいことがあるんだ。

 

 その後、俺たちは黒岩から具体的に神隠しに遭う方法を教えてもらい、情報量が増えたメモの写真を送ってもらってから、異空間を歩くうえでのアドバイスを授かった。

 さて、まずは山登りだ。

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