第22話:バーニング・スロー

 終盤は俺の足が上がらなくなり、志乃に引っ張ってもらうことになってしまったが、俺たちはなんとか相架山の入り口付近までたどり着くことができた。

 徳明高校は地元では進学校としてそこそこ名が通っているので、徳明の制服を着た二人組が昼間から街を駆けまわっている、なんて気づかれれば足止めをくらってもおかしくなかったのだが……運がよかった。後日叱られる分には大して問題ないしな。

「さて、ここからどうするかだ」

 登山口には扉が付いた金網のフェンスが設置されており、その前には二人の若い警察官が前方を見つめたまま身体の後ろで手を組んで佇んでいる。彼らは山に目的もなく入ろうとする人間がいないか監視する役目を果たしているのだ。同時に、登山口の扉を開く鍵を管理している、はず。

「やっぱり監視の人っているんだねー」

「変わってないな」

 俺たちは、曲がり角のブロック塀から身を乗り出して登山口の様子を窺っていた。

 実は、ここに来るのは初めてではない。小学校高学年くらいの頃に、俺と志乃はちょっとした冒険感覚でここまで足を運んだことがあった。入り口を監視する警察官にあっけなく見つかってしまい、散々叱られたのを、今でもはっきりと覚えている。それ以来ここには来ていない。

「怖かったよねー、あのおじさん」

「全くだ」

 山の方を覗く姿勢を維持したまま、首肯する。

 当時の警察官は貫禄のある渋いおじさんというイメージが強かったが、それに比べて今視界にとらえている二人の警察官は随分と若く見えた。

「でも、なんで二人もいるんだろ? 前は一人だったよね?」

「ああ、確かに。もしかしたら――」

 お前が中庭で言っていたニュースの影響じゃないか?

 志乃が見たニュースは、登山口を監視する警察官が行方不明になったというような旨だったと記憶している。また、それが神隠しなのではないかと特集されていたとも聞いた。

 なら、監視が増員していても不思議ではない。一人と二人では心強さが違う。前回の訪問時からかなりの時間が経っているので、ただの想像だが。

 そんなことを言おうとしたら――

 ヴォーーーン

「あ、電話だ」

 バッグの中でくぐもった振動音が鳴り響いた。

「誰から誰から?」

「えっと……黒岩、か」

 そういえば、黒岩と通話するという手段をすっかり失念していた。

「いいから早く出て!」

「わ、わかった」

 通話ボタンを押して携帯を耳に当てると、焦ったような声が飛び込んできた。

『もしもし、ケイか? 貴様、まさか異空間にいるのではあるまいな? いや、それならばつながらないはず。ということは、もしや山の中にいるのか? いや、かの地にも電波は届かないはず。むむむ、おかしい。じゃあどこにいるのだ! ケイえもーん!』

「とりあえず落ち着け」

 いきなり早口で喋りまくられても頭が追いつかない。ってか、ケイえもんって何。

 深呼吸を促すと、電話の向こうで『キュ~』と息を吸い込む音がして、『ゴォ~』と息を吐き出す音が聞こえてきた。どうしてそんな音が出る? 肺活量がおかしいのか、はたまた呼吸法がおかしいのか。どちらにしろ頭はおかしい。

 ようやく落ち着きを取り戻したらしい黒岩が、今度は落ち着いた声で尋ねた。

『すまぬ、少々取り乱した。改めて問おう。今、ケイと志乃氏はどこにいるのだ?』

「相架山の登山口前だ」

『なぬっ!? やはり山に向かっていたのか……』

 どうやら事情を知っている風だ。

「なんでわかったんだ?」

『うむ、実は、一時間目の数学の授業中、急用ができたと言って森木が忽然と教室から出て行ってな。これは走り去っていったケイと志乃氏が関係しているやもしれぬと思い、WCに行くふりをしてこっそり後を追ったのだ。すると、どんぴしゃり。学年主任と森木が“押田さんと八坂君を見かけた人がいるそうで、二人は相架山の方に向かって……”というような会話をしていたのだ』

「あー、もうばれたか」

 思わずため息が漏れた。足止めをくらわなかっただけでもラッキーなのだが、やっぱり怒られるのは怖い。

 隣の志乃も俺の言葉から状況を察したようで、肩を落とした。

『とにかく、駆け落ち的なノリで平日の朝っぱらから志乃氏をデートに連れ出しやがってあの野郎! と思っていたことは謝る』

「ああ、全力で謝れ」

 全く、とんだ勘違いだな。

 ……と思ったが、考えてみれば事情を知らないクラスメイトの目にはそういう風に映っても何らおかしくない。今日が無事に終わったら、明日からしばらくは志乃と一緒に登校するのは控えよう。目立ちたくないし。

『それで、ケイと志乃氏は何故山に向かっている? 久遠寺嬢が関係しているのか?』

「それはだな」

 かくかくしかじか。

「というわけだ」

『なるほど、把握した。我も同行したかったが、時間が限られている以上、今から向かうのは良案とは言えぬだろうな。……では、何か聞きたいことはあるか? 我は授業を抜けてトイレにて籠城戦を繰り広げている故、質問するなら今のうちだぞ』

 おお。まさか、体育の時間以外で黒岩が頼りになると感じる瞬間が来るとは。

「質問タイムってわけか。じゃあ、そうだな……」

 志乃が「私、気になります」という目でこちらを見ていたので、通話の音量を大きくして携帯を二人の中間あたりに掲げた。

「はいはーい、私から質問。刀哉君たちはどうやって相架山に入ったの?」

『ふむ、確かあの時は、登山口に立つ警官と長々話し合った末に入れさせてもらったな。結果として、下山後に説教じみた話を聞くはめになったが』

「なるほど、素直に交渉したのか」

 学校からは近寄らないようにと言われているが、山に入ることが条例で禁止されているというようなことはない。だから、調査などのきちんとした目的があれば入山を許されるケースもある。と、いつしか黒岩本人が言っていた気がする。

 ということは、SO研はきちんとした目的があると認められたのだろう。いや、下山後に叱られたということは、強引に認めさせたという感じだろうか。

 黒岩の回答を受けて、志乃が目を輝かせた。

「じゃあ、私たちも本当のことを伝えれば――」

「いや、それはやめておこう」

 言い切らないうちに否定されたのが気に食わなかったのか、志乃の頬が膨らむ。

「なんで?」

「最初から交渉をする気でいると、それがダメだったらそこで終わりだ。だから、それは最後の手段でいい。どうにもならずに捕まった時に『実は俺たち……』って感じで使うのが一番有効じゃないか?」

「……それは、確かに」

 口を尖らせてはいるが、引き下がってくれた。今のところ他の手段が浮かんでいないので、説得力は薄かったかもしれないな。

 よし、じゃあ次は俺から質問だ。

「なあ黒岩、相架山で神隠しに――」

「あっ、ちょっと待って」

 志乃が俺の発言を手で制した。その目は山の方を向いている。

 俺も再び身を乗り出して覗いてみると、見張りの警察官に動きがあった。

「一人、交番の方に向かってるみたいだよ」

 ここからだと中の様子まではうかがえないが、登山口から少し離れた位置には小さな交番がある。恐らく、三~四人の体制で交番勤務と登山口の監視を順繰りに交代しているのだろう。そして、今がその交代のタイミングらしい。

「チャンスじゃない?」

「かもな」

 監視をしていたうちの一人の警察官が交番に戻っていったので、バトンタッチした警察官が出てくるまでの間、監視として残っているのは一人だけだ。

 チャンスだということには同意する。だが、二人が一人になったところで打開策がポンと浮かんでくるわけでもない。あれこれ思索していると、

「……あっ、いいこと思いついた!」

 志乃が手のひらを拳で打ち、続いてバッグからがさごそと財布を取り出した。

『むむ、どういう状況だ?』

「すまん黒岩、志乃がなんか思いついたみたいだからいったん切るぞ」

『お、おう。では引き続き待機しておこう』

「助かる」

 通話を終了して携帯を制服のポケットにしまう。そのうちに、志乃は財布から十円硬貨を取り出して、投球する体勢に入っていた。大きく振りかぶって……

「バーニング・スローッ!」

 謎の技名と共に、手のひらから銅色のコインが放たれた。空の蒼を背面に、緩やかな放射線を描いて飛んでいく。

 そして、それは音を立てて監視役の警察官の近くに落ちた。

「いいとこ行った!」

「……なるほど」

 あれを拾わせて交番に誘導するってわけか。子供だましのような手だが、果たしてうまくいくだろうか。

 固唾を呑んで監視の動向を見守る。

 忽然と鳴り響いた金属音に肩を震わせた若い警察官は、すぐに落ちている十円玉の存在に気が付いたようだった。周りをきょろきょろと窺いながらもそれを拾い上げる。彼はそれを一瞬ポケットにしまいかけて――しかしやめた。

 再び周囲に目配せをしてから、早歩きで交番の方へ向かい始めたのだ。

 しめた、成功だ。

「行くよ、螢!」

「わかってる」

 俺たちは曲がり角から一気にスタートを切った。黒岩と電話しているうちに体力はだいぶ回復していたので、全力疾走が可能だ。志乃については言わずもがな。スカートがばさばさしていて走りづらそうなのに、俺より速い。

 勢いはそのままに、金網のフェンスまでたどり着く。

 目の前には、同じく金網の扉。押したり引っ張ったりしてみるが、開きそうにない。鍵穴らしきものも確認できたので、やはり鍵が必要なようだ。

「登ろう!」

「それしかないな」

 うなずき合うと、金網の隙間に五本指を突っ込んでフェンスをよじ登り始める。

「おいっ! コラーッ!」

 交番から出てきたのであろう警察官が怒号を飛ばしている。が、そっちを振り向いている余裕はない。靴の先端をフェンスに引っ掛け、白くなる指先の痛みに耐えながら、上へ上へと進んでいく。バッグが邪魔だが、少しの辛抱だ。

 やがて頂点に達すると、足でフェンスをまたぎ、手を離して地面に着地。

「そこで待ってろ!」

 顔を上げると、警察官が必死の形相で扉を開けようとしていた。しかし、焦りすぎて鍵がうまく刺さらないご様子。

「螢! はやくこっちに!」

 体を翻し、志乃の背中を追いかける。木々に囲まれた山道を駆けていく。

「お前らぁ! 暗くなる前には出てくるんだぞっ! このバカップルめがぁっ!」

 何を勘違いしたのか、背後で怨恨のこもった叫び声が轟いた。

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