第21話:覚悟

 校舎を出て、街を抜けて、僻地を駆けて。

 だいぶ長いこと走ってきた。目的地も見えてきている。だが、まだ遠い。

 変わり映えしない田舎っぽい風景の中を、逆風を切ってさらに進んでいく。

「ストーーーーーップ!」

 無我夢中で足を動かしていると、志乃の手を掴んでいた左手が急速に重力を増した。

「んぐぅ」

 勢いが死んで動きが止まる。あまりにも急だったからなんか変な声出たし、肩も外れそうになった。

 振り向けば、困惑顔の志乃が軽く息を切らしている。

「ちょっと待ってよ」

「疲れ、た、のか?」

「そっちの方が疲れてるじゃん」

「……よく、わかったな」

 全力で走るのなんて本当に久々で、超絶疲れた。水をがぶ飲みしたわけでもないのに胃がたぷたぷして気持ち悪いし、汗で全身にシャツが張り付きベタベタして気持ち悪い。

 厚手の学ランは走るには重すぎる。こんなことになるなら俺も黒岩のように早々に衣替えをしておくべきだった。

 背負っているバッグもいつも通りかなりの重量だ。そこら辺の道端に放置していきたい……というのが本心だが、そういうわけにもいかない事情があった。

 というのも、この中には重要なアレ・・が入っているのだ。

 一陣の風にスカートをひらひらとはためかせながら、志乃がこちらに詰め寄ってくる。

「ねえ、怒ったりしないから、せめてどこに行くかだけでも教えて」

「それは……」

 目的地は自ら近寄りたいような場所ではない。もちろん説明はきちんとするつもりだったが、一瞬言葉に詰まってしまった。

 その隙をついて、志乃が切り出す。

「私、一緒に行くよ。きっと久遠寺さんが関係してるんだろうし、それに……」

 力強く言い放ったかと思えば、徐々に声が小さくなっていき、

「今の螢は、格好いいから」

 目の下辺りを紅潮させて、彼女は俯き加減にそんなセリフを言ってのけた。

 疲労で乱れ気味だった呼吸が、一層乱れる。顔が熱い。

 急に何を言いだすんだ、この幼馴染は。

「い、いやっ! その、別に好きって意味じゃないよ。ただ、本気っぽい螢を久しぶりに見た気がするから、ほんとにちょっとイケてるかもって思っただけで……ねえ、ニヤニヤしないで!」

 人間、自分よりも慌てている人を見ると不思議と落ち着けるものだ。志乃が耳まで赤くしてあたふたしだしたのを見て、顔の熱は引き、ひたすらに頬が緩んだ。

「悪い、うまく聞き取れなかった。もう一回言ってくれないか?」

「馬鹿! 言うわけないじゃん! もうっ、結構本気で言ったのに!」

「へえ、結構本気だったんだな」

「だ、だーーーーっ! この話おしまい! そんなこと今は重要じゃないでしょ!」

 幼い子供のように涙目で地団太を踏み、正論を突き付けてくる志乃。

 そうだ、今は時間がないんだ。

 現状を思い出して表情が引き締まる。

 一方で志乃は頬の赤みが抜けきらず、そっぽを向いて若干拗ねている風だ。だが、その状態でも俺の話を聞くことぐらいはできるだろう。

 一呼吸置いてから、話し始める。

「俺は――相架山に向かってるんだ」

「えっ」

 見開かれた大きな目が、驚愕を伴ってこちらを向いた。

 時間がないとはいえ、勝手に連れ出した手前、こいつには一から説明しなければ。

「まず、SO研のやつらが相架山に入ったってのは知ってるか?」


 SO研の面々が神隠しに遭ったこと。

 そいつらが得た『異空間』の情報を、久遠寺さんにも知られていること。

 その情報の中には、二十四時間経つと『異空間』から出られなくなるという旨のものがあること。

 さらに、久遠寺母との通話の内容と、久遠寺さんが昨日の去り際に放った意味深な一言。

 それらを端的に説明すると、志乃の目にじわじわと涙がたまっていった。

「私のせいだ……私が、あんなこと言ったから、凪子さんは自暴自棄になって……」

「お、おい、今泣かれても困るぞ」

「……ごめん」

 セーラー服の裾でごしごしと涙が拭われる。本当に、感情の振れ幅が大きなやつだ。

 ただし、切り替えは早い。「何か気になったところはあるか?」と質問すると、正鵠を射た答えが返ってきた。

「凪子さんがどこかに行っちゃったってことはわかったけど、それが相架山とは限らないんじゃない?」

「ああ、確かにその通りだ。ただ、久遠寺さんはちゅ――」

 ハッ! しまった。

「……ちゅ?」

「チュッチュッチュルルー」

「なんかごまかされた! しかも音痴!」

「お、音痴は余分だろ」

 俺が音痴なのは今に始まったことじゃないのでさておくとして。

 危うく久遠寺さんが中二病であることを暴露してしまうところだった。俺の口よ、よくぞ「ちゅ」でとどまってくれた。えらいえらい。

 前に教室でなんとなく聞いたことがある。

 ――久遠寺さんは、やっぱり異空間に興味があるのか?

 回答は、こんな感じだった。

 ――興味がないと言えば、嘘になる。中二病だもの。

 これが真の言葉なら、久遠寺さんは異空間に興味があるということだ。なら、相架山に向かった可能性は決して低くないと思う。当然、推測の域は出ないが。

「とにかく、久遠寺さんは山に向かったはずだ。俺を信じろ」

 強引に胸を張って言うと、渋々といった感じで志乃はうなずいてくれた。

 しかし、まだ承知しかねる点があるようで。

「っていうか、そもそも神隠しの話って本当なの? 刀哉君に聞いただけなんだよね」

「ああ、それについては俺だって懐疑的さ。でも、可能性は否定しきれないだろ? それに、時間制限付きだ。とにかく行ってみるしか方法はない」

 俺が畳みかけると、志乃は「それもそっか」と漏らしつつ、スッと目を細めた。

「でも、そういうことなら刀哉君も連れてきた方が良かったような気がする」

「それには同意だ。すまん、焦ってた」

 黒岩がいればあれこれ問いただすこともできるし、心強いのは間違いない。落ち着いて考えてみれば当たり前のことだが、久遠寺母と通話をした直後は、とても落ち着いていられるような状態じゃなかった。

 今から学校まで戻って連れ出す選択肢もあるが、教師に捕まればゲームオーバーであることを考慮すると、良い選択とは言えないだろう。

 このまま、突っ走るしかない。

「で、改めて聞くが、ついてきてくれるか? 話が本当なら異空間は危険だし、さっき言った通り戻れなくなる可能性もあるから、無理やりにとは言わん」

 ここから先は、最悪俺一人でも構わない。言外にそんなメッセージを込めた。

「……異空間、かぁ」

 異空間が危険というのは、俺の判断だ。黒岩がそう言っていたわけではない。

 判断材料は彼のメモである。俺自身、メモの内容を全て覚えているわけではないが、個人的に最もインパクトを感じた『二十四時間経つと異空間から戻れなくなる』ことや、『ゴーストという敵がいる』こと、『異能バトル的なものが展開される』ことぐらいは覚えている。これらだけでも、十分危険な香りはしてくるだろう。

 そんな場所に乗り込みに行くには、強い覚悟がいる。他人にそれを無理強いするような真似など、できるはずがない。

 そう思っていたのだが――

「行くよ! だって、もしかしたら私のせいで凪子さんはそんなところに行っちゃったかもしれないんだし。言い過ぎちゃったって、面と向かってちゃんと謝りたいから」

「……それに、俺が格好いいからな」

「せ、せっかく忘れてたのに!」

 軽くからかうつもりで言ったのだが、志乃はまたしても赤面してしまった。「ボッ」と音が聞こえそうな勢い。相当恥ずかしかったらしい。

 確かに、長い付き合いのわりに、格好いいなんて言われた覚えはほとんどないもんな。

「さ、そうと決まれば行くぞ。焦った意味がなくなる」

 なんだかこっちまで恥ずかしくなりそうだったので、視線を切って走り出した。

 急がなければ。たとえ間違っていたとしても、進まなければ。

 絶対に、久遠寺さんと会えなくなるわけにはいかない。

 俺は、覚悟を決めている。

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