第20話:悪い予感

 早歩きで学校に向かい、昇降口に到着した頃には、朝の遅れを大きく取り戻していた。というより、巻き返していた。

「急いで来たら、いつもより早い時間に着いちゃったね」

「ああ、普段どれだけ歩くのが遅いんだって話だ」

 上履きに履き替えた志乃が、近くの時計を見てくすくすと笑った。

 つられて俺もにやけながら、教室に向けて歩きはじめる。

「ねえ、螢。ちょっとだけ時間あるし、朝のうちに久遠寺さんに会ってもいい?」

 おしゃべりに興じる生徒の群れを避けて廊下を歩きながら、後ろから聞こえてきた声にツッコミを入れる。

「そんなこと俺に聞くなよ」

「だって、クラスによって朝の雰囲気違うじゃん。担任が厳しいところだと、早くから教室でどっしり構えてるらしいし」

 初耳だった。そんな中に他クラスの生徒が入っていくのは確かに気が引ける。

「我らが担任の森木は優しいから安心しろ。今のところ、怒ってるのは見たことない」

「よかったー」

 邪魔なおしゃべり集団を避けながら歩き続けているうちに、俺と久遠寺さんが所属する、一年五組の教室に到着した。

 それにしても、彼ら彼女らは何故教室ではなく、わざわざ通り道の廊下でおしゃべりをしているのだろうか。クラス間を超えたグローバルな交流でも繰り広げているのか? そいつは素晴らしいな。

 ふん、と鼻から皮肉を吐き出して教室に足を踏み入れた。中にいるクラスメイトはいつも通り、大半が向かい合って、あるいは車座になって談笑している。

「あれ?」

 教室前方の久遠寺さんの席が空いている。

「いないね」

「おかしいな、この時間なら来てるはずなんだが」

 ソースは黒岩。

 彼は朝早くに目が覚めてしまう体質らしく、学校にも早めに来ていることが多いそうで、ほぼ同時刻帯に登校してくる久遠寺さんを眺めては「朝から眼福パラダイスであるな、むふふ」と幸せな気分に浸っているらしい。お幸せなところ申し訳ないが気持ち悪い。

 今度はきょろきょろと教室中をまんべんなくうかがってみる。

「来て……ないよな」

 途中、黒岩と目が合ってしまったので、軽く手を上げて挨拶だけしておいた。

「あ、ねえ、刀哉君に聞いてみたらどう?」

「うーん。あいつに聞くとなんとなく――とか話してる間に来ちゃったよ」

 ずかずかとこちらに大男オタクが歩み寄って来る。

 わが校では本日から一週間が制服移行期間なのだが、彼は早くも詰襟から半袖開襟ワイシャツに衣替えしていた。袖からのぞく図太い腕は、どう考えても彼の内面オタクとマッチしていない。

「ケイに志乃氏、おはようございまする」

「おはよー」

「……おはよう」

 さすがに志乃は順応が早い。この絶妙な気持ち悪さを伴う挨拶に顔色一つ変えないとは。

「なあ黒岩、久遠寺さんを見てないか?」

 単刀直入に訊くと、黒岩は頭を抱えて大げさに嘆いてみせた。

「それが、見ていないのだ。我の貴重な目の保養タイムが割愛されている!」

「そっか。じゃあ、トイレに行ってるって線もなさそうだね」

「あ、ああ」

 なんだか、志乃がいつの間にか黒岩の扱いをマスターしているような。

 まあ、それはさておいて。

 久遠寺さんは学校を休むつもりなのだろうか。

 彼女は人生だとか世界だとかをたびたび非難している割に、俺の知る限り学校には休まず登校していたのだが……風邪でも引いたのだろうか。

 だとしたら随分都合が悪い。志乃の謝罪が延期することになるし、俺もできるだけ早いうちに久遠持さんに伝えておきたいことがあるのだ。

 しばらく停滞したムードが流れていたが、

「あっ、ケイよ、森木が来たぞ」

 黒岩の視線を追うと、その言葉通り、茶髪の優しきベテラン教師こと森木が前の扉から教室に入ってくるところだった。

「奴に探りを入れれば、久遠寺嬢に関する機密事項が入手できるやもしれぬ」

「だな」「だね」機密事項というのは謎だが。

 というわけで、三人で森木を包囲した。

「うわっ、なんだ君たち」

「すいません、凪子さんから何か連絡をもらってませんか?」

 志乃が淡々と質問を口にすると、森木は眉根にしわを寄せて首を傾げた。

「うーん、特に連絡は来てないけど」

「そうですか……」

 ため息とともに黒岩が肩を落とした。こいつも教師の前ではまともに敬語を使う。

 一人称がきっちり定まっていないうえに時にはネット用語を使ったり敬語で話したりと、黒岩はつくづくぶれた物言いをする変わったオタクだ。なんだ、ただのオタクか。

 しかし、担任にも連絡がないとは。

 落胆したムードが流れる中、森木は俺と黒岩を交互に見て、

「それより、もうすぐホームルーム始めるから席についてくれよ」

 次いで志乃を一瞥して、

「あと、君も早くクラスに戻った方がいいぞ」

 ベテランっぽさを感じさせる、渋いしゃがれ声でそう言った。

 そうか、もうそんな時間か。

 返事をしてからクラス全体の様子を見ると、依然としてがやがやしてはいるが、半数以上の生徒はすでに自席に着席していた。その中に久遠寺さんの姿はない。

 ――今まで、ごめんなさい。

 運動公園で聞いた、あの儚く消え入りそうな声。

 あの声が、前触れもなく耳の奥でリピートする。

「ねえ、螢……」

 見れば、志乃が不安げに俯いていた。

「いいのか? クラス戻らなくて」

「まだ大丈夫。って、そうじゃなくて」

「悪い予感がするんだろ」

「えっ、なんでわかったの?」

 顔を見ればそれぐらいわかる。幼馴染を舐めるな。

 あと――俺もそう思ってた。

 あえてその言葉は口に出さず、俺はくるりと体の向きを変え、教室からいったん廊下に出た。あとから志乃がついてくる。が、黒岩はついてこなかった。根は真面目な奴だから、森木の言葉に素直に従ったのだろう。

 ちょうどいい、わざわざ黒岩の嫉妬心を買いたくはないからな。

 俺は背中のバッグを下ろしてその中に手を突っ込み、携帯電話を取り出した。

「もしかして、凪子さんに電話かけるの?」

「そういうことだ」 

「なんで番号知ってるの?」

「色々あってな」

「ふーん、色々……」

 何故かジト目で睨まれているように感じたが、気にせず久遠寺さんの連絡先を開いた。発信ボタンをタップする。少し古い型ではあるが、俺の携帯はスマホである。スマートなフォンである。

 その文明の利器を、耳に当てる。

 数回の呼び出し音が鳴り、それが途切れると、声が聞こえてきた。

『もしもし』

 それは、久遠寺さんの声ではなかった。声質は似ているが、もっと厳粛な雰囲気で、落ち着きのある声だった。大人びている、と言うべきかもしれない。

 どういうことだ? 俺は久遠寺さんの携帯電話に掛けたはずだが……。

「あ、あの、すいません、ええと、あの……」

 まずい! 頭が真っ白! 

 混乱に陥っていると、相手が助け舟を出してくれた。

『もしかして、凪子のお友達の方?』

「あっ、はい」

 お友達と呼べる関係なのかはわからなかったが、便宜的に肯定しておく。

『それはごめんなさいね。あの子、携帯を家に忘れていったみたいで』

 その物言いで、察しがついた。

「えっと、くお……凪子さんのお母さん、ですか?」

『はい、そうです。娘がお世話になっております』

「いえいえ」

 むしろ、俺がお世話になっているぐらいだ。

『それで、ご用件は? 私で良ければ聞きますが』

「えっと、今日、凪子さんが学校に来ていなくて……」

 語尾が小さくなって、言いよどんだ。話しながら、妙な点に気付いたからだ。

 先ほど、久遠寺母は我が子が家に携帯を忘れていったと言っていた。だからこそこうして久遠寺母と通話をしているわけで、つまり、久遠寺さんは自宅にはいないわけで。

 なら、どこにいる?

『あら、おかしいわね。いつも通り学校に行ったように見えたけれど』

 その言葉は、俺の不安を助長させるのに十分だった。

「……何か、いつもと変わった様子はありませんでしたか?」

 声が震えそうになるのをなんとか抑え込んで尋ねると、『そうね……』としばらく間が空いた。その隙に、スマホを耳元から離して深呼吸する。そうでもしないと手まで震えだしそうだった。

 再び、スピーカーを耳に近づける。

『――あ、そういえばあの子、出がけに突然「ありがとう」なんて言ってきたわね』

 息を呑んだ。

『照れくさそうな仕草も見せなかったから、ちょっと怖かったわ』

「……ありがとうございます。突然お電話して、すいませんでした」

 返事を待たずに、通話終了。携帯をバッグにしまう。

「どうだった?」

 間髪入れずに、志乃が顔を覗き込むようにして聞いてきた。

「おーい八坂ー、教室入れよー」

 同じタイミングで、教室から、森木が二度目の忠告をしてくる。

 俺は、そのどちらも黙殺した。

 そして。

「ねえ、螢。聞いてる? ――ッ、いきなりなにっ?」

 幼馴染の手を、荒々しく掴んで。

「行くぞ」

 教室から窓越しに向けられるクラスメイトの視線をかいくぐって、走り出した。

「ちょっ、行くってどこ!? わけわかんないよ!」

 説明責任は、後で果たす。

 とにかく、今は急がなくてはならない。

 志乃を連れて全力疾走する俺の頭に浮かんでいたのは、黒岩に見せられたメモの一説。

 

 ・異空間に二十四時間以上いると、元の世界に戻れなくなる。


 たった一文が、俺の身体を走らせていた。

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