五章

第16話:真剣勝負①

 日曜日の昼下がり。場所は運動公園。その隅の隅に俺は突っ立っていた。

 雲一つない、とは言えないが、快晴である。風が弱く、穏やかな暖気に全身が包まれている感じだ。ともすれば眠くなりそうで、空に向かって伸びを一つ。

 パノラマの蒼と、ちりばめられた白が視界を占領する。ぽつぽつと浮かぶ黒い動点は、たぶん鳥。背後からはそよそよと草木が風になびく音も聞こえてきて、自然と一体になっているような感覚を得た。

 あー、心地良い。ピクニックでもしたい気分だ。おやつにバナナ持ってくればよかった。

「けいー! 一緒にアップしようよー!」

「やだー!」

「えー!」

 運動公園の中心の方で、志乃が手をメガホン代わりにして声を張り上げている。

 だって、俺は走らないんだから準備運動する意味ないよね。ね?

 志乃の横には軽いストレッチに勤しむ久遠寺さんの姿もあった。腰に両手を当てて上半身を大きく後ろにそらし、ってそんなことしたら上半身の前半身部分が強調されちゃって俺の目に毒なんですが。こうして見ると、体操服って残酷なほどに身体の線がはっきり見えるもんだな。おかげで久遠寺さんのスタイルの良さを再認識できたし、志乃の貧乳加減もまた再認識できた。残酷すぎる。

 てっきり志乃は陸上部のユニフォームなんかを着てくるのかと思ったが、そんなことはなかった。体操服を着用した理由をいちいち聞いてはいないが、きっと服装だけでも公正を保ちたかったのだろう。

 今回の勝負で、俺はスターターの役目とゴールの判定を一任されている。

 運動公園の入り口にある看板によれば、ここのトラック(芝が生えている中、その部分だけは地面がむき出しになっている)は一周四百メートルになっているそうだ。それに合わせて徒競走の距離は四百メートルに決まった。つまり、トラックを先に一周した方が勝者となるわけだ。非常にわかりやすい。

 志乃が陸上部の部室から借りてきたというストップウォッチが、今は俺の首元から垂れ下がっている。暇になったので、ぴったり十秒で止めるチャレンジを始めてみた。全然うまくいかないわりに、意外と楽しい。けど、それよりも女子の準備運動を見ていた方が楽しいと思い直してまた顔を上げた。そうそう、十秒で止めるゲームなんてスマホのストップウォッチ機能を使えばいつでもできるし。今しかできないことをやろうよ!

 リア充の啓蒙みたいなものを心の中で唱えていたら、アップが一段落ついたのか、二人がゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

「もー、螢もジャージ着てるんなら運動すればいいのに。どーせ普段しないんだし」

「サーセン」

 志乃にじとーっとした目で睨まれてしまった。

 確かに俺も雰囲気に合わせて上下ジャージでここまで来たが、普段の休日の服装と変わっていないというのが心を痛めつけるポイントだったりする。休日は基本的に家から出ないし、出たとしてもコンビニに行くか、志乃の買い物につき合ったりするぐらいだからな。

 そんな俺とは対照的に、志乃や久遠寺さんは休日も精力的に部活動に取り組んでいらっしゃる。本日も例に漏れず、剣道部、陸上部ともに午前中は練習があったらしい。その割には二人ともピンピンしている気がするけど。

「八坂君は運動が苦手そうね」

 真顔でズバズバ言う久遠寺さん。微妙に傷ついたけど当たっているからさすが慧眼をお持ちでいらっしゃいますねぇと返したら鼻で笑われた。まさに鼻にかかったような態度だ。お、ちょっとうま……くないね。

 勝負前のせいか態度がとげとげしいことはさておき、髪を後ろで束ねている久遠寺さんというのは、なかなかレア度が高く、魅力的だ。俗に言うポニーテールというやつだろう。体育の時間の彼女はいつもこの髪型だと記憶しているが、間近で見たのは初めてだ。

「その髪型、似合ってるな」と言いたかったけれど、面と向かって言うのはさすがに恥ずかしすぎるのでやめた。

「私はトラックを軽く一周してアップを終わるけど、押田さんは?」

 木陰にまとめてある荷物群のそばで給水をしていた志乃が、ぷはーっと息を吹き出す。汗ばんだ健康そうな身体が陽光を反射して、ところどころ淡くきらめいて見えた。

「そうだなー、ちょっとだけストレッチして上がりにするよ。そしたら走ろう!」

「わかったわ」

 短い返事をして、久遠寺さんはトラックへ駆けて行った。ぴょこぴょこと跳ねるポニーテールとともに、軽快な足音が遠ざかっていく。手足を前後にきちんと動かしていて、綺麗なフォームだ。かなり速そう。

 ってか、脚長いな。モデル顔負け、文句なしの美脚。神様は彼女に贔屓しすぎている。

「……ねぇ、螢」

 見とれているうちに、俺の隣まで志乃が移動していた。

「なんだ?」

「凪子さんのこと、エッチな目で見てるでしょ」

「……まあ、多少は。痛っ」

 脇腹に肘がクリーンヒット。普通に痛い。

「小突かなくてもいいじゃないか。本当のことを言っただけマシだろ」

「うるさい。こっち来てストレッチ手伝って」

 え、辛辣。

 志乃が一瞥もくれずにトラックの中まで歩いていこうとするので、俺も小走りで追いかける。しかし、身体のパーツが一つとして思った通りに動かなくて、ぎこちない走り方になっているのが自分でもわかった。志乃の言う通り運動不足かもしれない。

 トラックの中心まで行くと、おもむろに両手を差し出された。

「まずは手を握ってくれる?」

「お、おう」

 少し気恥しいのは否めないが、ストレッチだから仕方ない。というかたぶん俺に断る権利は与えられていない。

 両手を握る。細くて白い指が、俺の手に触れる。

 状況はどうあれ、志乃と手をつないだのは久しぶりだ。こういう時だけは、こいつも女子なのだと変に意識してしまう。普段は性別を意識する機会より、幼馴染であることを意識する機会の方が圧倒的に多いのだが。

「で、二人とも横を向いて……」

 志乃が体の向きを変えると同時に、片方の手を上げる。もちろん俺の手もそれにつられて頭上に上がる。体の向きも自然と変わった。

「フュー、ジョン! ハッ!」

「ハッ!?」

 聞き馴染みのある掛け声とともに思いっきり体を引っ張られた。

 体勢が崩れてナチュラルにケンケンパする俺。ふう、危なかった。パで何とか踏みとどまった。足に力を入れてなけりゃこけるところだったぜ。

「フュージョンしっぱーい」

「……なんだこれ」

「フュージョンごっこ」

 でたー、IQが低そうなごっこ遊び。志乃に限らず、女子高生って割とこういうの好きだよな、と高校生初心者は少ないデータをもとに考察してみる。

「次は成功させるよ、螢。ちゃんと踏ん張ってね」

「え、またやんの?」

「当たり前じゃん。成功しないと、太ったゴテンクスになっちゃうよ」

 あ、そっちね。ベジットかと思ってた。どうでもいいけど。

 その後、なんとか普通のゴテンクスになれた俺たちは、いくつかのストレッチを立て続けに行った。もうこの時点で筋肉痛になりそうな勢い……。

 そして公園の隅の隅の方に戻ると、準備万端っぽい久遠寺さんが腕を組んで無言でたたずんでいた。静かだが、圧がある。近付いたら圧迫されてどっかの内臓が破裂しそうなので、少し遠回りして自分のバッグのところまで移動した。

 道中で買っておいたスポーツ飲料を一気に煽る。しかし、身体に染みわたっていくような快感はなく、少し気持ち悪くなるだけだった。ああ、いくら相手が志乃であるとはいえ、なんで俺は準備運動に付き合っただけでこんなに疲れているのでしょう。昔から持久走は苦手だったし、生まれつき体力とかエネルギーを少なめに設定されたんじゃないですかね。

「おーい、スターターも早くー!」

 何時の間にかスタート位置に移動していた志乃が俺を呼んでいる。瞬間移動でもしたのか? さすがフュージョンごっこでゴテンクスになっただけはある。

 俺はきっと、あのデブい失敗作の方だろうな。

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