第15話:夕焼けの帰り道
帰り道、俺は大変な労力の駆使を強いられた。いや、それは言いすぎた。俺は面倒な役を押し付けられた。
ユーフォーキャッチャーでゲットした全景品を俺が持たされているのだ。
「やっぱり全部は要らないな……」
右手に紙袋が二つ、左手には紙袋が一つ。背負っている学校のバッグほどではないが、どちらもそれなりの重量だ。一方で隣の天才少女は手ぶらである。良い御身分だ。まあ、この景品は全部彼女が取ったのだから実際に良い御身分なのだが。
それにしたってこの天才少女、まるで一本釣りでもするように数百円でほいほいと景品を取ってしまうものだから、店からしたらはた迷惑だったろう。終盤は鈴なりになった野次馬まで現れる始末だったし、店員さん本当にごめんなさい。
心の内で謝罪を済ませて意識を外に向けると、何もかもが夕日に照らされた道が映った。一面の朱色は、暖色に分類されるだけあって、いかにも暖かそうな雰囲気を漂わせている。が、実際は風があるせいでお世辞にも暖かいとは言えない。
そんな肌寒い道を並んで歩きながら、久遠寺さんは慎ましく笑った。
「遠慮しなくてもいいわ。是非、全部もらってちょうだい」
「いやいやいや、遠慮とかじゃないって」
久遠寺さんのことだから、きっと理解したうえで俺をからかっているんだろうけど、一応言うだけ言ってみる。
「俺の部屋は、前も見せた通りあんな感じだから……ものを置くのがなんとなく憚られるというか、なんというか……」
語尾が濁る。心情を言い表すのが難しい。
あの部屋は、下手な言い方をすれば、俺が過去に大きな挫折を味わった証だ。それと同時に、俺がもう二度と挫折しないように、人生に軌道修正を入れてくれる絶対的な指針でもある。
挫折しない、というのは俺のような無能にとって無理難題のようで、案外そうでもない。
解法は明快だ。何事にも、本腰を入れて取り組まなければいい。それだけのこと。
「……」
そこで、俺は気が付いた。自然と足が止まるほどの、重大な発見をした。
もしも、俺が少しずつでも自分の人生を変えようというのなら、真っ先に壊すべき環境。
俺の人生が、過去の俺が願ったように、安逸で被るダメージの少ない、退屈なものにならないために、必ず滅ぼさなければいけない場所。
それが、あの狭い自室ではなかろうか。
「……八坂君?」
久遠寺さんが振り返って、立ち止まった俺を不思議そうに見つめた。
「いや、なんでもない。あと、これはありがたく頂戴します」
手に提げた紙袋ーズを掲げる。
この景品たちを、生活感ゼロのあの部屋に供えてやろう。
頷いた久遠寺さんに並んで、俺も再び歩きはじめる。紙袋を前後運動させると、改めてその重量を意識せざるを得なくなった。
……供えるにしても、量が少し多すぎるかもしれない。
「あー、やっぱ、ちょっとだけ持って帰ってほしいんだけど」
「優柔不断な人ね……」
「すいません」
あきれた顔をしつつも、久遠寺さんは紙袋の中をごそごそと漁り始めた。
そして、物色が二つ目の紙袋に差し掛かると、まもなく久遠寺さんが何かを取り上げた。
「じゃあ、これは私がもらうわ」
おや、これは意外。
その手中に収められたものは、デフォルメされた黒いくまのストラップだった。こいつは確か熊本のご当地キャラだったような。名前は、くま、くま……忘れた。
「へえ、案外こういうかわいいのが好きなのか?」
「……何かおかしいかしら?」
「い、いや」
あれ、なんでちょっと怒ってるんだろう。
理由は分かりそうになかったが、理由を考えた一瞬に、視界の端に何かが落ちていることに気が付いた。腰をかがめてそれを凝視する。
「スマホのストラップか」
プラスチックのケースに包まれたそれは、恐らく紙袋のどれかから落ちてしまったものだろう。ユーフォーキャッチャーの景品にこんな感じのがあったはずだ。
それを拾い上げて顔を上げると、久遠寺さんが背負うバッグに小さな変化が起きていた。なんと、くまのストラップが早くもファスナーに結ばれていたのだ。
かわいいの、好きなんだな。
バッグから視線を上に動かすと、久遠寺さんと目が合う。目が合ったまま、固まった。
……え、これ「似合ってるよ」とか言った方がいいパターン? いやいや、ただバッグにストラップつけただけだぞ? 変な空気になりそうだし、やめとこう。
代わりに、俺は手に持っているかわいげのない実用的なストラップをひらひらさせた。
「これも一緒にどう? スマホのストラップっぽいんだけど」
「……はぁ」
これ見よがしにため息をつかれてしまった。やっぱりくまさんストラップについて何かしら言及するのが正解だったのか? 後悔先に立たず。
「スマートフォンは持っていないわ」
「じゃあガラケー?」
「そういうことになるわね」
その言葉を受けて、俺はケースの背面にある注意書きに目を凝らす。
「特に書いてないけど、ガラケーにつけても使えるんじゃないか、これ」
「いらない」
即答。だよね。ただの黒い紐って感じのストラップだし。正直、俺もいらん。
仕方なく紙袋に景品を戻すと、そこで久遠寺さんが何か思い出したようで、「あっ」と小さく声を漏らした。
「そういえば、八坂君のメールアドレスと電話番号をまだ教えてもらってないわ」
「え、何その教えてもらって当然な感じ」
「当然よ。私は八坂君を監視しているのだから」
監視というよりストーキングに近い気もするが……。まあ、女子とメアドや電話番号(スマホどうしだったらLINEとかになるんだろう)を交換する機会なんて滅多にないだろうから、ありがたく交換させていただくけれども。
そして、つつがなくメアド及び電話番号の交換を済ませると、また二人並んで歩きだす。
カラスの鳴き声なんかを聞きながら、日が沈む方へしばらく無言で歩き続ける。左手に小さな公園が見えてきた。先ほど聞いた話によれば、久遠寺さんの家まではもう少しだ。
細かく道を尋ねようと思って首をひねると、久遠寺さんは浮かない顔をしていた。
なんだろう。原因を考えてみて、あることに思い当たった。
「明日は志乃と徒競走の日だな」
久遠寺さんの表情が一層曇る。ヒットだ。そのまま続ける。
「やっぱり嫌なのか?」
「ええ、少し怖くて」
今度は俯きがちになった。勝負事は嫌いと言っていたが、緊張を通り越して恐怖さえ覚えているとは。万能の彼女がそこまで思いつめる理由などあるだろうか。
「まさか、負けるのが怖い、なんて事はないよな」
「もちろんよ。そうではなくて、押田さんを傷つけてしまったら……」
悪い想像をして寒心に堪えかねたのか、久遠寺さんは苦虫を噛み潰したような顔になる。その表情は、以前俺の部屋から去る際に彼女が見せた表情と同様に、身につまされる感覚を有していた。
しかし、無責任に励ますことはできない。
彼女が今までどのような経験をしてきて、どんな苦しみを味わってきたのか、俺にはまだまだ知らないことがたくさんある。だから、彼女の心に湧き出た感情の形がぼんやりと視認できたとしても、その内部までは決して見え透かない。見えたような気がするだけで、その実自分の過去を投影しているだけなのだ。
「そうか」と一言だけ相槌を打って、視線を前に戻した。情けないなぁ、俺。
少しだけ、夕日が目にまぶしい。
「……八坂君にとって、押田さんは大切な人なのでしょう?」
やぶからぼうな質問に、心臓がドキリと跳ねた。
細めていた目が勝手に開き、なおさら夕日がまぶしい。
しかしながら、久遠寺さんの声音は至って真面目だ。真摯な回答を試みる。
「ま、まあ、一応幼馴染だからなー」
動揺を隠しきれず、明後日の方向を向いて間延びした声で答えると、「そう」と、なんとも淡白な返事が返ってきた。これ以上追及する気はないみたいだ。
経験上、幼馴染の話が出ると「付き合っちゃえよー」とか何とかやっかまれることが多いのだが、久遠寺さんはさすがに一味違う。こそばゆくなるのも嫌だったし、助かった。
やがて、信号も何もない交差点に差し掛かると、「私は、ここ右よ」と言って久遠寺さんが立ち止まり、俺も足を止めた。
俺の場合は直進するのが家への最短ルートになるので、ここでお別れということになる。別れの挨拶を告げようとしたが、それは喉元で止まった。
もじもじしている。久遠寺さんが、もじもじしている。平素から表情が薄いと言われるあの久遠寺さんが、夕日に溶け込むかのように頬を染め、もじもじ、もじ(略
「……今日は、ちょっとだけ、楽しかったわ」
「おっ、俺もだ」
雑念が入ったせいで声が裏返ったが、久遠寺さんには見とがめられなかった。
「付き合ってくれて、ありがとう」
ぺこりと頭を下げられたので、「こちらこそ」と頭を下げ返す。
視野を平行に戻すと、久遠寺さんは微笑んでいた。ただし、今まで見てきた彼女の笑い方とは少し質が違う。便宜的な要素を全く含まない、心から滲み出たような笑顔。
ほんの一瞬、優等生オーラの層の奥にある、彼女の芯が垣間見えた気がした。
別れを告げてひなびた道を歩きながら、俺は一人、薄く闇がかかり始めた上空を仰ぐ。
守りたい、その笑顔。なんて最高にキザなことを思いながら。
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