第11話:異空間について

「まとめてみたぞ」

 英語の授業が終わって休み時間に入ると、机上に再び紙が突き付けられた。

 その紙は二辺が破られたような形状をしていて、罫線が薄く色づいていることから、ノートの片鱗だと思われる。差出人は当然黒岩だ。

「まとめたって、何をだよ」

 黒岩はニカッとスポーツマンっぽい(実際はインドア派のオタク)快活な笑み(本来はオタクの極上スマイル)を浮かべて答えた。

「神隠しによって行ける、SO研が『異空間』と呼んでいる空間の特徴だ」

「……異空間?」

 俺が気になった単語を反芻すると、近くの席で読書をしていた久遠寺さんがピクッと反応した。さすがは隠れ中二病患者。この手の単語には弱いらしい。

 ってか、席が近いから仕方がないとはいえ、聞き耳を立てられてるのにもすっかり慣れてきちゃったな、俺。これは悪い傾向な気がする。

「異空間というのは、まあ、この紙を見てみればわかる。イングリッシュの時間にひねり出したからな」

「ああそうかい」

 俺はそのイングリッシュの時間立ちっぱなしで疲れましたよ。ったく、なんで俺が立たされて、妙なことを紙にまとめてるこいつがなんともないんだか。

 内心で愚痴りつつ、紙に目を通す。

 そこには汚い字で次のように記されていた。


異空間の特徴まとめ(一部推測を含む)

 ・一見すると普通の世界と変わらないが、迷い込んだ人間以外の動物は存在しない。

 ・そこでは、一人一つ異能が与えられる。

 ・異能を使って他人やゴースト(後述)を殺めると、異能が成長して強化される。

 ・そこで死ぬと、存在が消える。

 ・異能を使うことができない、安全地帯なる区域が存在する。

 ・『ゴースト』と呼ばれる怪物が徘徊している。安全地帯には出没しない。

 ・異空間に二十四時間以上いると、元の世界に戻れなくなる。


「あっ、そうだ。これも追加だな」

 太く血色のいい腕が、紙の端に追記次項を殴り書き。


 ・昼や夜など時間の概念はあるが、腹は減らず喉も乾かない。尿意、便意も催さない。


 しばらく、紙に目を凝らし続けた。

「すべて読んだか?」

「……まあ」

 読んだには読んだが、いっぺんに理解しようとすると脳が拒絶反応を起こしそうだ。それくらいにはぶっとんだ現実味のない内容である。

「うーん……」

「括弧書きしている通り、確証のない情報もあるが――信じられぬか?」

「ううーん……」

 さすがに、これらすべてが真実であるとは思えない。

 相架山の言い伝えは古くから伝わるものなので、もしかすると一部に嘘偽りのない記述が混じっているのかもしれないが、大部分は脚色家黒岩の妄想が入り混じった装飾だろう。異能バトルなんて、まさに黒岩が好みそうなジャンルじゃないか。

 とはいえ、ここで執拗に探りを入れても話が進まなくなってしまうだろう。返事を濁して、気になったことでも聞いておくことにした。

「こんな情報、どうやって調べたんだ?」

「無論、現地調査だ」

「ああ、昨日SO研で行ったとか言ってたな。で、叱られたんだって?」

「諸々の注意は受けたな。だがしかし、我らは放課後の活動の一環として登山の英断を下したのだ。山に入る際に怖気づいて帰宅した者もいた故、五名で向かうことにはなったが」

「ふーん、五人ね……」

 確かSO研は十名ほど在籍しているはずだから、そのおよそ半数が相架山に潜入したわけか。つい最近見回りの警察官が行方不明になったばかりだというのに、なかなか勇気のある連中だ。もとい酔狂な連中だ。いや、違うな。アホの集まりだ。

「なんでそんなことしようと思ったんだよ」

 興味本位で問うと、黒岩は白い歯をのぞかせて答えた。

「創作に役立つかもしれぬと思ってな」

 アホだ。やっぱりアホだ。

「他のやつらは?」

「うーむ、ニュースの影響を受けてか、純粋に興味があるからという者が多かったぞ」

 なるほど。とりあえずSO研には今後一切近づかないようにしよう。

「そんな呆れたような顔をするな、ヤサカのケイよ。そもそも異空間の件は箝口令を敷かれていたのだが、今回だけ我が特別に教示してやってるのだぞ」

 黒岩の高慢な態度に対し、俺はこれ見よがしに眉をひそめた。

「お前、ルール破ったことを自慢するなよ……。だいたい、なんで口止めなんかされてたんだ?」

 咳ばらいをひとつしてから黒岩が答える。

「それは、会長が『まだ一日しか調査を行っていない故に情報の信ぴょう性が定かではない今、流言飛語を垂れ流しては混乱を招きかねない』とおっしゃるのでな」

「ほう、正論だな」

 要するに確実性のない情報を流すな、ということだろう。意外にもSO研のリーダー格は正常な思考ができるようだ。少し安心した。

「それに、『異空間を内密に調査して資料をまとめ、それを国に献上し、我らはいずれ莫大な富と名誉を手にするのだ! フハハハハハ!』とも言っていた」

「……それが本音か」

 うんうん、SO研はやっぱりそうでなきゃ。手始めに目の前のこいつと絶縁しようかな。

 俺がさっそく縁を切る方法を模索していると、ささっと机上の用紙が回収された。

「これは我が管理しておく。久遠寺嬢に見られてはまずいのでな」

「いや、すでに盗み見られてたっぽいぞ」

「なぬっ!?」

「気づいてなかったのか」

 俺たちがくだらないやりとりをしている間に「私、覗き込んでます」と言わんばかりに身を乗り出して紙を見つめていたので、黒岩もてっきり黙認しているものだと思っていたのだが、そういうわけではなかったらしい。

 ちらりと視線を横に滑らせると、久遠寺さんは平然と読書をしていた。まるでずっとそうしていたかのような雰囲気を醸し出している。さすがに演技もうまい。

 黒岩も同じことを思ったのか、「演技派女優……」などとぼやいている。女優ではない。

 そのまましばらくボーっと見とれていた黒岩だったが、我に返って俺に肩を寄せてきた。

「なあ、久遠寺嬢に『このことは誰にも言うな』とだけ伝えてくれないか」

 聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声だ。空気を読んで俺もボリュームを落とす。

「それくらい直接言えよ」

「うむ……我もそうしたい気持ちはやまやまなのだが、いかんせん話しかけづらくてな」

 ばつが悪そうに頬を掻く黒岩。

 話しかけづらい、か。

 普段久遠寺さんのことをべた褒めしている黒岩でさえそう思っているということは、多くのクラスメイトがそう思っているということだろう。

 そしてそれは、久遠寺さん自身が望んでいることでもある。人に嫉まれたり、媚びを売られたりするのが嫌で、他人との関わりを減らしていると本人が言っていた。休み時間になると無言で教室を出て行ったり、粛々と読書をしていることが多いのは、きっとそのためなんだろう。

 俺からすると、もったいないと思う。久遠寺さんは、才色兼備を地で行っていることや隠れ中二病であること以外は、内気な普通の女子だ。何もないところで転んで赤面したり、時にはさらっとダジャレを言うこともある花盛りの女子高生だ。

 それを、クラスメイトのやつらは知らない。彼女のことを、クールで朴訥な優等生としか見られていない。そう思うと、やっぱりもったいないと思う気持ちと、胸がざわつくような優越感が込み上げた。

 それらを呑み込んで、口を開く。

「……まあ、わかった。今から伝えておけばいいんだな?」

「ああ、よろしく頼む。では、我は一足先に美術室に向かっているぞ」

「おう」

 黒岩を見送った頃には、教室に残っている生徒はまばらになっていた。次の美術の授業に備えてめいめいが移動を開始しているようだ。

 一年五組の教室は西校舎の一階にあり、美術室は東校舎の三階に位置しているため、移動にはそれなりの時間がかかる。俺も用を済ませてさっさと動き出さなければ。

「あー、久遠寺さん」

 声をかけたのとほぼ同じタイミングで、久遠寺さんが読みさしの本を閉じた。体の向きを変えると、胸元にかかる濡れ羽色の髪が、かすかに揺れる。スカートからは透き通るような白い腿がのぞいており、膝小僧にはちょこんと絆創膏が貼られていた。

「なにかしら」

「ええと、さっき黒岩のメモを見てたと思うんだけど、あのことは周りには秘密にしておいてもらえるか?」

 よかった、普通に言葉が出てきた。昨日の今日だから緊張してうまくしゃべれないかもしれないと思っていたが、杞憂だったようだ。

 しかし、安心したのもつかの間、久遠寺さんはとぼけるように小首をかしげた。

「はて、なんのことかしら」

「え、え……あー……」

 困ったときはあ行しか出てこないのが俺だ。全然うまくしゃべれてないじゃねえか。

 たじろぐ俺がおかしかったのか、久遠寺さんは小さく吹きだした。

「冗談よ」

「だ、だよな」

 よかった。本気でとぼけられていたら手の打ちようがなくなるところだった。

 いつかの男子トイレとは逆転した立場で、久遠寺さんが宣言する。

「もちろん口外はしないわ。だって、八坂君に口封じをしている身分だもの」

「そうか、そりゃ助かる」

 これで黒岩からの頼みは果たした。後は特に用もない。

 自分の席に戻ろうと上半身をひねりかけて、しかし、思い直してまた正面を向いた。

 沈黙を埋めるように口を開く。

「久遠寺さんは、やっぱり異空間に興味があるのか?」

「……そうね」

 考え考えしながら、言葉が紡がれる。

「興味がないと言えば、嘘になるわ。中二病だもの」

 小声で付け足された言葉に、俺はにへらっと笑うことしかできなかった。そんな「人間だもの」みたいに言われても反応に困ります。

「でも、何故そんなことを聞くの?」

 ……何故?

 それは自分でもわからなかったので、適当に言い繕った。

「いや、なんとなくだ。気にしないでくれ」

「そう。じゃあ私は行くわ。八坂君も遅れないように」

 久遠寺さんが出て行ってしまうと、いつの間にか教室に残る生徒は俺一人になっていた。明らかにヤバい。早急に教科書、スケッチブック、筆記用具を揃えて教室を出る。

 すでに人影のない廊下には、窓から差し込む穏やかな光と、教室から届く楽しそうな話し声が溶け合っていて、煌びやかな青春の空気を生み出していた。

 小走りしながら、そこにそっと溶け込ませるように、俺はため息をこぼす。

 美術の時間は、嫌いなんだ。

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