四章

第10話:くだらないSS

 六月を迎えたある日の朝、徳明高校はがやがやといつにも増してけたたましかった。

 俺はいつも通り志乃とのんびり学校にやってきたため、朝のホームルームが始まる寸前に教室に到着したのだが、異変にはすぐに気が付いた。

 誰もかれもが、『相架山』に関する話に花を咲かせているのだ。

「はいはい、席ついてー」

 森木のしゃがれ声が教室中に響き渡ると、俺を含めたクラスメイトたちが落ち着かないまま流されるように席についた。ちなみに、俺の席は窓際の一番後ろから一つ前だ。

 席についたかと思えば、今度はひそひそとした話し声がそこかしこから上がりはじめる。

 やはりおかしい。腐っても進学校である徳明高校にはそれなりに真面目な生徒が多いため、我がクラスについては担任が教壇に立つと静まり返るのが常だ。それが今日はどうだ。右隣のやつも左隣のやつも横向いてぺちゃくちゃおしゃべりしやがって。俺としゃべれよ! 俺だけ真顔で前向いてるよ! 真面目か!

 しょうもないセルフツッコミを入れて喧騒から気を紛らわせていると、前方の森木が茶に染まった短髪をかき上げ、おもむろに口を開き始めた。

「あーっと、たぶんみんな知ってると思うけど、昨日オカルト研究会のやつらが相架山に入って、地域の方にこっぴどく叱られたらしい」

 教室内のざわめきがより一層大きくなる。

 なるほど、それが原因でこの喧騒か。

 ん、ちょっと待てよ。オカルト研究会……?

 俺は心当たりのある人物の方に視線を移した。

 その人物、黒岩刀哉は、俺と目が合うと満面の笑みにピースで応えてきた。

 マジで何やってんのあいつ……。

 再びうるさくなりだしたクラスを静めるように、パンパンと手を二回打ち鳴らしてから森木が話を続ける。

「はいはい。で、だ。残念なことに、今日の放課後にその関係の集会入っちゃったから、帰りのショートホームルームが終わったらすぐに体育館移動するんだぞー」

「えええええええええ」

 クラスメイトの不満の声がハーモニーを奏でた。俺もバスで参加した。

 ふと黒岩の様子を見やると、やつは周りの男子どもから非難がましい視線を浴びていた。当人は「お、俺提案者じゃねーしー」とかほざいている。冷や汗たらたらじゃねえか。

「はい、で、あとはー……」

 その後もいくつかの連絡事項が続き、浮足立った雰囲気のままホームルームは終了した。

 うーん、と伸びを一つ。一時限目の授業開始までにはまだ少し時間がある。今のうちに当事者に事情を訊いておこうと思って席を立ったら、向こうからこちらにやってきていた。

「ヤサカのケイよ、刮目せよ!」

 唐突にこれである。朝っぱらからテンションたけぇな……。

「なんですか」

 くっそやる気がなさそうな声で極めて適当に返事をしてやると、黒岩は意気揚々と一枚の紙を広げて見せた。そこにはぎっちりと文字が詰め込まれている。

「じゃじゃーーーん! 久遠寺さんがヒロインのSSを書いてきたぞっ」

「…………」

 ははん、声も出ないとはこのことか。

 ちなみにSSとはサイドストーリー、もしくはショートストーリーの略である。基本的に小説やアニメの二次創作であることが多いんだが、こいつは実在の人物で作ったらしい。そんなの普通は恥ずかしくて他人に見せる気にならないと思うんだがな……。

 目も当てられないような内容であることは容易に想像できたので、ここはきっぱりと断ってさっさと有意義な話題に切り替えよう。

「そんなのはいいから、相架山の話を聞かせてくれ」

「よかろう。でも、これ読んでからな!」

 うわ、めんど……。

 露骨に嫌そうな顔をして見せたのだが、黒岩は素知らぬ顔で紙を机上にたたきつけた。ついでに顎をくいと持ち上げて読むことを促してくる。

「はぁ……」

 こういうのは初めてではない。いつの間にやら、俺は黒岩作品の一介の読者に抜擢されてしまったのだ。よりにもよって、普段から大して読書をするわけでもないこの俺が。

 仕方ない、いつも通り冒頭だけ読んで適当に褒めてやるか……。

 席に座って紙をたぐり寄せ、頬杖をついて紙面を眺める。相変わらずミミズが這ったような読みにくい字だ。だからワープロソフトを使えと言っているのに。

 どれどれ、『我が名は黒岩刀哉』……?

「これ、お前が主人公なのか?」

「当たり前田のなんとやら」

 誇らしげに胸を張る黒岩刀哉、15歳。彼は恥という概念を知らないらしい。

 まあいい、続きだ。

『先日、あることがきっかけで我はクラスメイトの美少女プリンセス、久遠寺凪子嬢とお付き合いをする運びと相成った。何故突如として懇意の間柄と相成ったのか、それにはある一つの運命さだめ関係インヴォルヴしている。実は我、前前前世では久遠寺嬢と結ばれていたらしい!』

 ……早くも読むのが辛くなってきたが、ここは我慢だ。一気に駆け抜けるぞ!

『しかし、そんな我にも恋の好敵手ラヴ・ライバルが存在する。その者の真名は、八坂ほたる……あっ、ちげ、八坂けいという』

 こいつ、わざと間違えやがったな。

 目だけ動かして黒岩を睨んでやると、やつは真顔でこちらを見据えてきた。えっ、こんだけあからさまな嫌がらせしておいて真顔ですか。

 ……はぁ。気を取り直して、というかすでに幾度となく気を取り直しているが、友人のよしみでもうちょっとだけ続きを読んでやろう。

『その八坂某というものは、あの手この手を使って久遠寺嬢に歩み寄ることセクシャル・ハラスメントを試みている。この物語は、その変質者ストーカーこと八坂某に、我が正義の鉄槌ジャスティス・フィストを下す物語である』

 ――紙を破いた。

「あーーーーっ! 貴様、何をする!」

「それはこっちのセリフだ! 勝手に俺を変質者ストーカーにしやがって」

「実際そういう面もあるのでは?」

「ねえよ!」

 憤怒して声を荒げる俺に対し、ゲラゲラと笑う黒岩。

 全く、真面目に読んで損した。こいつは毎度のようにわけの分からん小話を書いてくるのだが、まさか久遠寺さんを利用して俺を小馬鹿にするような回が来るとは。しかも、いつにも増してルビ振りのセンスがひどい。歩み寄ることと書いてセクシャルハラスメントと読ませるあたり、救いようがない。

 もう執筆なんてやめて、一生筋トレでもしてろよ……。

「で、相架山の話だったか」

 黒岩は俺をからかうという目的を達成したためか、引き裂かれた用紙を回収しつつ、あっさりと別の話題に移った。俺にとってはありがたい。そっぽを向いたまま言葉を吐く。

「ああ、そうだ。本当にあの山に行ったのか?」

「行ったとも。登山もしたとも。それに……」

 そこでタメがあったのが気になって、俺は顔を上げた。

 そこには、今しがた馬鹿みたいに笑っていた人物と同一だとはとても思えないような、真面目腐った顔があった。

「我は、我らは――神隠しに遭った」

 言ってしまうのか。

 そんな真面目な顔で、そんな非現実的なことを言ってしまうのか、お前は。

 俺が二の句を告げないでいるうちに、一時限目の英語を担当する教師が教室に入ってきた。それを見た黒岩が慌てだす。

「あっ、英語の準備をせねば。子細なことはのちに告げるとしよう。ではっ」

 そのままスタスタと自席へと戻っていってしまった。

 神隠しに遭った、だと? 馬鹿かあいつは。

 そんな言い方をされたら気になって授業に集中できないじゃないか。

 その予想通り授業中にボーっとしていた俺は、教師に「スタンダップ」とやたら流暢な英語で告げられて、しばらく棒のように突っ立つはめになった。至極どうでもいいが、脳内ではタマシイレボリューションが流れていた。

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