第6話:俺の幼馴染と監視人が修羅場すぎる
目が覚めた頃には、中庭は剣呑な雰囲気に取り込まれていた。
「ねえ、なんで螢をぶったの? 理由を教えてよ」
「だから、それは教えられないと言っているでしょう?」
吹き抜ける風も、心なしか冷たく、激しくなっている気がする。先ほどよりも寒い。風薫る五月とは言うが、これはちょっとばかり風薫りすぎだ。
ベンチにだらしなく横たわっていた身体を起こし、若干痛みが残る頭部を手でおさえながら、俺は声のする方を向いた。
少し離れた位置で言い争いを繰り広げているのは、二人の女子生徒。
片や、俺の幼馴染、押田志乃。片や、俺の監視人、久遠寺凪子。
俺の幼馴染と監視人が修羅場すぎる。
「あ、螢!」
俺の覚醒をみとめた志乃が、小競り合いを中断してこちらに駆け寄ってきた。
「よかった、気が付いて。頭は大丈夫?」
ものすごいナチュラルに頭をなでなでされた。おぉ、痛みが癒えていく……わけがない。ただただ恥ずかしい。手を取り払って自分で倍くらいさすった。
「まだ痛いっちゃ痛いけど、大丈夫そうだ。それより、どういう状況なんだ?」
竹刀を片手にこちらへ非難めいたまなざしを向けている久遠寺さんを横目に、声のトーンを落として尋ねる。ってか、あの人は竹刀を常備してるのか……?
「えっと、さっき久遠寺さんが螢を竹刀でべしって叩いて、それで螢の意識が飛んじゃったっていうのはわかってる?」
「ああ……まあそうだろうなとは思った」
恐らく、久遠寺さんはそこらへんの木陰にでも隠れて俺たちのことをひっそりと監視していたんだろう。そして、俺が秘密をばらしそうになった瞬間を見極めて、全力で止めにかかった。竹刀で殴るという、いかにも剣道部らしいやり方で、だ。その結果俺は気絶した。……いや、どう考えてもそこまでやる必要ないよね?
その辺の意図は不明だが、とにかく彼女は自分の秘密を守ろうとしたわけだ。
「それで、なんで喧嘩っぽい雰囲気になってるんだ?」
俺と久遠寺さんが言い合いになるならまだわかるが、志乃が首を突っ込む理由は特にないような気がする。訊くと、志乃は思いっきりしかめっ面を作った。
「だってあの人、いきなり人を叩いておいて、謝罪の言葉もなければ、動機さえ黙秘しちゃってるんだよ。なんていうか、道徳の教科書を一生読んでいてほしい感じ」
しかめっ面がそのまま久遠寺さんの方に向く。と、久遠寺さんも負けじとこちら側をにらみ返してきた。その強気な視線と、艶やかな黒髪が強風に煽られてばさばさとはためく様子とが相まって、なんとなくアイドルのプロモーションビデオみたいになっている。
それぐらいどうでもいいことを考えないと、二人の間に火花を幻視しそうな勢いだった。いやもうね、怖いんですよお二人とも。
「なあ志乃、いったん落ち着こうぜ?」
「…………」
む、無視された……。
けどまあ、小競り合いの原因は把握した。
久遠寺さんとしては、秘密だけでなく、秘密が存在していることすら知られたくないのだろう。もし久遠寺さんが俺と秘密を共有していることがばれてしまえば、その秘密は秘匿性をごっそりとそぎ落とされることになる。それでは秘密がばれたのと大差ないのだ。
しかし、秘密の存在を説明しないとなると、うまくごまかさない限り久遠寺さんは理由もなく暴力を振るったことになってしまう。それは人道にもとる行為であり、糾弾されるべき行為だ。
常人でさえ嫌悪を覚えるはずのその行為に対し、人よりも勝気で正義感の強い志乃が憤りを覚えるのは当然だろう。だから彼女はその正当性を問いただし、詰問をした。
それをやられる側の久遠寺さんは、しつこく追及してくる志乃に嫌気がさし、次第に腹が立ってきて……って感じだろう。ほとんど推測だけど、大体合ってるような気がする。
ところで、この諍いを丸く収める方法はあるのだろうか。
二人の仲裁を受け持ちたいところだが、どうすればいいのかさっぱりわからなかった。まあまあ、と声をかけることぐらいしかできない。というか、すでに片手で数えきれないほどまあまあと口に出している。まあまあ棒をくれ。
いっそこのまま昼休みが終わるのを待つのもアリだな、なんて考えが浮かんだその時、膠着していた中庭がついに動きを見せた。
志乃が何か思いついたという風にぽんと手のひらを拳で打ったのだ。
「そーだ、いいこと思いついちゃった!」
「……何かしら?」
久遠寺さんに訝しげな視線を向けられ、志乃はおもむろに話し始める。
「凪子さんにはまだ言ってなかったんだけど、私さ、凪子さんのことをライバルにするって決めてたんだ」
突然の告白に、しかし久遠寺さんは動じない。ピクリともせず耳を傾けている。
「それでね、最初はテストで勝負しようって思ってたんだけど、それだと期末までしばらく間が空いちゃうから、やっぱりやめることにした!」
「……じゃあ、どうするんだ?」
迂遠な物言いに対して思わず急かすと、志乃は大きく息を吸い込んでから言い放った。
「テストは次回! その前哨戦として、徒競走で勝負を申し込むッ!」
中庭に高らかな宣言が響きわたった。
それは風に乗って久遠寺さんの耳にも届く。見ると、彼女は苦々しい表情をしていた。
そりゃそうだ。だって、徒競走なんて陸上部である志乃の方が有利に決まってるじゃないか。というかそもそも、言い争いが徒競走に発展する理由がわからない。
志乃は俺や久遠寺さんの表情を見るともなしに続ける。
「こうやって言い争っててもお互いに理解できないことはたくさんあると思う。でも、それが原因で傷つくのは嫌でしょ? なら、そういう時は別のことで勝負すればいいんだよ! それで白黒つければみんなスッキリ! さらに、勝負を共にした相手同士はすでに友達! 昨日の敵は今日の友!」
「…………はぁ」
思わずため息をついた。
何でも勝負事に昇華させようとするのは、志乃の悪い癖だ。
これは問題を別の問題にすり替えて解決しているようなもので、気分は良くなっても、根本的な解決には至らない。それに、たとえ勝負を終えて互いの仲が深まったとしても、大なり小なりわだかまりが残ってしまう可能性がある。言い方は悪いが、結局のところ相互理解を諦めて逃げているだけだ。
とはいえ、逃げるのも一つの手なので強く否定することはできない。逃げるは恥だが役に立つみたいだし。
「百歩譲ってその勝負する理由は受け入れるわ。でも、何故わざわざ徒競走なのかしら?」
久遠寺さんがこちらに歩み寄りながら、俺がまさに聞きたかったことを聞いてくれた。
すでに勝負大好きスイッチが入っている志乃は、大きな目を爛々とさせて答える。
「いい汗かいて、みんなスッキリ!」
「……つまり、お前が走りたいからってことか?」
「そういうこと!」
うん、しっかり日本語話そうね。いつまでも国語できるようにならないよ?
「そうね……」
今まさに走り出さんとす、みたいな燃えっぷりの志乃とは対照的に、久遠寺さんは非常に悩ましげだった。腕を組んで思案に暮れている。
そこで俺は、久遠寺さんが思っているであろうことの代弁を試みた。
「いくら久遠寺さんが運動部だからって、徒競走じゃ陸上やってる志乃の方が有利なんじゃないか?」
「それはもちろんわかってるって。でも、次の勝負はテストだよ? 私超不利じゃん。ってことで平等なの」
「え、えぇ?」
なんだそのあとのせサクサク感あふれる半分こじつけみたいな滅茶苦茶な理論は!
同じことを感じたのか、久遠寺さんの決意は固まりつつあるようだった。
「押田さん、せっかく勝負に誘ってもらって悪いのだけど、私は勝負事が好きではないし、今回は……」
「じゃあ、その勝負が好きじゃない気持ちを勝負にぶつけていこうよ!」
「相反するものを無理やりぶつけるな!」
滅茶苦茶理論、ここに極まれり。今まで志乃のこれに何度振り回されてきたことか。
まあ、磁石の同じ極をぶつけて「電磁浮遊成功w」とか言ってた俺はあんまり強気でツッコめないんだけどさ。プールでビート板の上に乗って「波なしサーフィン成功w」とか言ってたことは思い出したくなかったんだけどさ。あの頃はまだ人生楽しめてたな……。
結局、その後も志乃の必死の説得は続き、最終的に久遠寺さんがしぶしぶ折れる形と相成った。双方の部活事情を鑑みて、対決は今週末に行われることになったそうだ。
何故か俺までその場にいるよう命じられたけど、本当に行かなきゃダメなのか……?
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