第5話:幼馴染と噂話

 志乃と俺は、五組の教室を抜けて中庭へとやってきた。

 徳明高校の中庭はそれなりに広いため風通しが良く、中央にはこじゃれた小さな噴水があしらわれていて、どことなく避暑地っぽい。それでいて植え込みの雰囲気も良く、おあつらえ向きにベンチまで据え置かれているため、夏場には休み時間に生徒が寄り合う場所になるらしい。ソースは学校案内のパンフレット。

 しかし、今日の中庭に生徒の姿は一つもなく、閑散としていた。たぶん、天候が優れないからだろう。日が出ていないうえに風が強いため、体感温度はかなり低かった。

 じゃあなんでこんなところに来たのかって?

「なあ志乃。やっぱ教室戻らないか?」

「ダーメ。子供は風の子なんだから、たくさん風を受けないと」

「意味わかんねえ……」

 そう、意味わかんないのである。

 志乃がだしぬけに「中庭でお弁当を食べよう!」と言い出したから、何かしらの理由があると思ってついてきてみたのだが……結果がこれだ。茶化しているとしか思えない。

 まあ、クラスが違う志乃と二人で弁当を食う機会はあまりないから、寒さくらいなら少しは我慢してやるつもりでいるが。

 ザ・風の子って感じの志乃がベンチに座り、俺も少し距離を空けてその隣にお邪魔する。

「ふぅ……」

 こうして隣に座ると、立っている時は見下ろすことになる志乃の顔が、ほぼ真横に位置する。毎度のことながら、それがなんだか気恥しい。

 俺も志乃も身長はそれぞれ男女の平均程度なので、たかが十センチ程度の差なのだが、並んで歩きすぎたせいか、上から見下ろすのにすっかり慣れてしまったようだ。

「ねぇ螢、もうちょっとこっち寄りなよ」

 ぽんぽんと手で示されるは風の子のすぐ隣。しかし、俺に近づく気はない。

 あんまり近づくと無駄に緊張しそうだから嫌だ、というのが本心だが、幼馴染相手にそんなことを言えるはずもなく、適当にごまかす。

「や、自分たくさん風受けたいんで」

「えー、寒いだけだよ?」

「お前……言ってること適当過ぎるだろ……」

 子供は風の子じゃなかったのかよ。

「まあいっか。よーし、お弁当オープン!」

 あきれる俺をよそに、エセ風の子がお膝元で弁当開封の儀を執り行った。

 気になってのぞいてみると、四角い箱の中には色とりどりの具材が所狭しと詰め込まれていた。ほうほう、栄養のバランスがよさそうで、なおかつ美味しそうな、陸上をやっている志乃にとってぴったりに思えるひと箱だ。エクセレント!

「これね、自分で作ったんだよ」

「嘘つけ。母親のだろ?」

「あは、やっぱばれちゃうかー」

「ばれない理由がないな」

 志乃は料理が下手だ。絶望的に下手だ。彼女の料理は絶望と呼称するにふさわしい。俺も何度か絶望を食わされて悶え苦しんだ経験がある。

 対して母親は超希望的に料理がうまい。エセ風の子マザーマジでシェフ。卵焼きを作らせたら彼女の右に出る者はいない。俺の中で。

 血は争えないとは言うが、このことに関してはガッツリ争っちゃっているわけだ。

「あれ、螢はコンビニ弁当?」

「まあな。ちょっと親が忙しくて」

 俺の両親は共働きであるため、余裕がないときは「コンビニで弁当買ってって」という指令が飛んでくる。今日はちょうどそういう日だった。ただそれだけのことなのだが、隣の幼馴染は何か気に食わないことがあるらしく、微妙な顔をしている。

 それを軽くスルーして割り箸を割ると、パキッと小気味いい音が鳴った。音は良かったけどミスって片方が短くなってしまった。これうまくできたことないんだけど。

 まあ、ここで自分の手先の不器用さを気にしていても仕方ないので、両の手を合わせてから早速弁当にがっついた。

「うん、うまいうまい。最近のコンビニ弁当はうまいなあ」

 今朝チョイスした幕の内弁当を口に運び、未だ微妙な顔をしている志乃にわざと聞こえるように感想を述べる。

 すると、横から卵焼きを挟んだ状態の箸がスッと伸びてきた。

 おお、俺の大好きな志乃マザーの卵焼きが目の前に! これ、くれるってことだよな?

 ……いや、でもな。

「遠慮しとく。なんか悪いし」

 口ではそう言ってみるが、口内では唾液が超速で分泌されていて、危うく唾が飛ぶところだった。やはり体は正直である。

 志乃は卵焼きを受け取らない俺を見て、優しく目を細める。

「遠慮なんかしなくていいんだよ。いつも私のわがままにつき合わせちゃってるし」

「…………」

 俺が普段見ることのない幼馴染の柔らかい表情にポカンとしていると、志乃はいったん箸をおいてから訥々と言葉を続けた。

「螢が無理やり合わせてくれてる時、私ちゃんとわかってるんだよ。休みの日、一緒に出掛けようって時も、あんまり乗り気じゃないのかなって思ったりするし。でもさ、私はほら、昔と全然変わらないままだからさ、その……どうしても我慢できなくて」

 志乃の声は、尻すぼみに小さくなっていった。俯いて、困ったようにはにかんでいる。

 やめてくれ。そんな、申し訳なさそうな顔をしないでくれ。

 俺だって分かっている。

 志乃が昔とほとんど変わらないまま、真っ直ぐに育っていること。

 俺が昔とは違って、無気力なダメ人間になっていること。

 その結果として、お互いの間に漠然とした溝が生まれていることも。

 溝というのは、例えばそれぞれの周囲の環境や個人の価値観の隔絶であるため、他人が一歩踏み込んだところで容易く変えられるようなものではない。

 だから、踏み込む代わりに、志乃は俺に寄り添ってくれているのだ。いつの間にか二人の間に生じてしまった溝が、ついてしまった差が、簡単には埋まらないことを知りながら。

「むしろ、感謝してるのはこっちの方だ」

「え? なんで?」

 俺の言葉が意外だったのか、志乃はきょとんとしてこちらを見つめている。

 馬鹿か、言えるわけないだろ。こんなにダメな俺と縁を切らないでいてくれるからだ。今でも一緒に登校したり、出掛けてくれるからだ。なんて。

 俺が口を引き結んで黙っていると、志乃は足をバタバタさせて無邪気に笑った。

「そっか、私に振り回されて嬉しいってことは、螢はドMなんだ!」

「ち、ちげえよ」

 なんでそうなるんだよ。もうちょっと言葉の裏の意味を読み取れよ。

 やはりこいつとは国語力でも差がついてしまったみたいだ。もちろん俺の方が上。

「それより卵焼き、くれるんだろ?」

 早々に話題を転換すべく、俺はそっぽを向いてつっけんどんに弁当箱を差し出した。そのまましばらく待つ。

 ……が、一向に卵焼きが落ちてくる気配がない。

 くれるんじゃないのかと思って顔を志乃の方に向けた、その瞬間。

「はい、あーん」

 幸せの四角い黄色いおいしいものが口に突っ込んできた。

 うまい。

 かつて黒岩が言っていた。ガルパンを見た人間がガルパンの良さを伝えようとすると、良いところが多すぎるあまりに「ガルパンはいいぞ」としか言えなくなってしまう、と。

 それと恐らく同じ原理で、俺は繰り言のように「うまい、うまい……」とつぶやいていた。むしろ、それしかつぶやけなくなっていた。だって、うまいもんはうまいでしょう? もうどうやって食ったかなんて細かいことは気にするな!

 志乃は「よかったー」とにこにこ笑顔で満足そうだ。俺も満足。僕、満足!

 ゆっくりと時間をかけて噛みしめるように卵焼きを食したところで、ふと思い出したように志乃が話題を振ってきた。

「ねえ、螢は今朝の地域ニュース見た?」

「見てないな」

 今朝は遅刻寸前の時刻に起床して、志乃と待ち合わせる場所まで全力疾走していったぐらいだ。そんな余裕は全くなかった。

「そっか。じゃあ、神隠しのニュースも見てないってことだよね」

「神隠し……?」

 おいおい、唐突に不吉な単語が出てきたぞ。

 ベンチに座りなおした志乃がいくらか真剣な表情になって詳細を語り始める。

「そう、神隠し。ここらへんにさ、相架山ってあるじゃん? あの山の入り口を見張ってる警官の一人が、お仕事中に行方不明になっちゃったんだって。それで、神隠しなんじゃないかって特集されてたんだよ」

「ほう……」

 なるほど、相架山か。

 勤務中の警官が行方不明になる。ただそれだけのことなら、神隠しなんて馬鹿げた発想の前に、拉致されたとか、どっかで適当にサボっているだとか、もっと現実味のある原因が有力になるはずだ。

 しかし、その警官が相架山で活動していたというのならば話は違ってくる。

 相架山には、神隠しが起こるという古くから語り継がれる言い伝えがあるのだ。地元の住民である俺や志乃は、自治体のおじいさまおばあさま方に何度かそういう話を伺ったことがある。

 もちろん、その伝承自体は都市伝説的なもので、無理やりでっち上げたような根拠しか存在しないのだが、マスコミとしては話題を広げるための格好の材料だったのだろう。

「怖いよねー、神隠しなんて。そういうのはジブリ映画の中だけにしてほしいよ」

「ジブリ映画だけじゃなくてフィクション作品全般の中でいいだろ」

 確かに神隠しと言えば千と千尋のアレが真っ先に思いつくけどさ。

「螢はさ、神隠しとか、怖くないの?」

 お弁当のおかずで口をもぐもぐしつつ聞かれて、俺は少し考えてみる。

「そうだな……もちろん怖いには怖いけど、そもそも神隠しなんざ信じてないからなぁ」

 現実味がないから、恐怖もわいてこない。とるに足らない人生を歩んできた自分には全く無縁の話に感じてしまう。っていうか実際無縁だろ。

「逆にお前は信じるのか?」

「……うーん」

 志乃は天を仰いでしばらく考えたのち、間延びしたしゃべり方で言った。

「信じたくないー……けど、信じちゃうー……的な?」

「は?」

 全く意味が分からない。詳しく説明をしろ、と目で訴えた。

「えーっと、なんていうか、ちょっと悪い予感がするんだよね」

「……マジかよ」

 俺は知っている。こいつの直感はそこそこ当たるのだ。

 だから、動揺を隠さずにはいられなかった。声が少し震える。

「も、もしかして、俺が神隠しに遭うとか……?」

「あ、あはは、それはないよ。ないない。うん、ないはず。絶対ない。大丈夫っ!」

 ……後半の吹っ切れ方おかしくない? 余計に怖くなったんだが?

 しかし、こんなことで怖気だっていたら男が廃る。志乃の勘はよく当たるが、しょせんは勘だ。大してあてにならない。テスト前の「できる気がしてきた」的な勘並にあてにならない。いや、言い過ぎた。それじゃ確実に外れるな。

 まあ、とにかくあてにならんものはならん! 

「まさか、神隠しに遭うなんてあり得るわけないよな、ハハハハハ!」

「ないない絶対ないよ、ハハハハハ!」

 二人で高らかに笑い合った。やばい、なんか冷や汗でてきた。

 そうしてひとしきり笑い続けると、次に静寂がやって来る。

 静かになると、途端に寒さをはっきりと感じた。風が冷たい。身震いを一つ。

 だいぶ減ってきた弁当をぱくつきながら、

 なんで俺はこんな寒いところにいるんだろう→それは志乃に呼ばれたからだ→そういえば志乃はどうしてわざわざこんなところに呼んだんだろう→さっきはごまかされたけど改めて聞いてみるか。

 という風に思考が流れていった。

「なあ志乃。お前、俺に話が合ってわざわざここに呼び出したんじゃないのか?」

「え? あっ、そうだった!」

 志乃があざとい感じに自分の頭を小突いた。

 いいよな、女子は困ったら何気なくあざとい仕草見せとけば許されそうで。男子がやったら許されるどころか見放されそうだ。

 そして、風の子がどうのこうのはやはりでまかせだったらしい。でまかせにしても、もうちょっとマシなこと言ってほしかったな……。

「ちょっと螢に聞きたいことがあってさ」

「ほう、なんだ?」

 適当に相槌を打つと、志乃がぐいとこちらに詰め寄ってきた。至近距離から顔を覗き込まれる。おい、パーソナルスペースに侵入すんなよ。ちょっとドキッとするだろ。

「凪子さんのことを、教えたまえ」

 俺にしか届かないような小さな声で、三流探偵っぽい口調で、そう告げられた。

 どうやら志乃は久遠寺さんの情報を聞き出すために俺をここまで連れ出したようだ。

 確かに教室でそんな話をしようものなら、直に久遠寺さんの耳に入り、彼女の気分を害することになりかねない。でも、それならわざわざ校舎の外に出なくとも、そこら辺の特別教室とかでよかったんじゃないかと思う。いや、今日寒いし。

「わかった。わかったからちょっと離れろ」

 とりあえず志乃を両手で横にどける。

 それから、どう返事をしたものか少々頭を悩ませる。

 志乃は久遠寺さんのことをライバル視(一方的に)していると言っていた。そして、久遠寺さんと同じクラスである俺に情報を提供してほしいとも言っていた。だから、いずれこんな風に問われるのは分かっていたことだし、俺としても知っていることを素直に教えてやりたい。

 しかし、経験的に志乃は口が固い方ではない。ここで秘密を教えれば、噂となって校内に広まってしまう可能性も十分ある。もしそうなれば、久遠寺さんは彼女の言葉通り羞恥のあまり学校に来れなくなってしまうかもしれない。それは何としても避けたい事態だ。

 結論、ここは秘密を遵守してしかるべきだろう。

「それで、何か情報は手に入れられたのかね?」

 三流探偵が興味津々な目を向けてくる。

 俺はそれを直視できずに、適当にそこらへんの木に視線を移しながら答えた。

「あー、そうだな。そこそこ読書家だぞ」

「それぐらい知ってるよ。他にないの?」

「何で当然のように知ってんだよ……。あとは、特にないな」

「……怪しい」

 再び俺のパーソナルスペースが侵略される。だから近いって。

「最近螢の近くに凪子さんがいることが多いように見受けられますが、それでも得られた情報がそれしかないと? 何か隠しているのではありませんか?」

 げっ。気づかれてたのか。なかなかに鋭い観察眼をお持ちで。

 だが、ここでに折れるわけにはいかない。

「とりあえず離れてくれないか?」

「答えるまで離れないよ」

「ぅぐっ」

「変な声を出してもダメー」

 おでこが突っつきそうな距離まで志乃が迫ってきた。くそ、この圧力の中でそれっぽい虚構ストーリーをでっちあげるのはかなり厳しい。何かしらボロが出てしまいそうだ。

 仕方ない。久遠寺さんには申し訳ないが、事の次第を話してしまおうか……?

 心が揺れ動いた、その時――

「はああああぁぁぁ!」

 背後から女性の力強い叫び声が轟いた。かと思えば、俺は頭に鈍い痛みを覚えて。

 ばったりと意識を失った。

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