一章

第2話:ライバル宣言

「よぉーーい……ドンッ!」

 五月下旬の早朝、かすかに残った夜の冷気と穏やかな朝の温もりが混じり合う中で、隣を歩いていた幼馴染が唐突にスタートダッシュを決めた。陸上をやっているだけあって、割と本格的なクラウチングスタートだった。

「おいっ、なんで急にレースが始まってるんだ」

 声をかけると、慣性の法則を無視しているんじゃないかと疑うほどにピタッと彼女は動きを止め、セーラー服のスカートをひらひらとなびかせながら、こちらへ振り返った。ズビシ、と人差し指が向けられる。

けい、私はね……いつでも勝負に飢えているんだよっ!」

 田んぼに挟まれた田舎臭いあぜ道に、よく通る声が響いた。

「……はあ」

 俺と、俺の幼馴染である押田志乃おしだしのは、いつも通り高校へ向かっている最中だった。

 そして、彼女のこの態度もいつも通りである。なにしろ家が近いため幼稚園、小、中学校が同じであったうえに、学力もほとんど差がなかったため高校までこいつと同じになった俺は知っている。志乃は他人と勝負することが大好きな変態だ。さらに言えば、勝負に勝つために努力することが大好きな変態だ。

 ちなみに、螢というのは俺の名前だ。「ほたる? いい名前だね」みたいなことをよく言われるが、「あ、いえ、これ『けい』って読むんですよ」って訂正を入れるたびに微妙な顔をされるから辛い。ついでに言うと、名字は八坂やさか。こっちは間違われることこそないものの、出席番号が後ろになりすぎて色々と不便。……俺の名前、良いところないな。

「ねえ、そういえば中間テストの結果どうだった?」

 勝負ができないことを悟ったらしい志乃が再び俺の横に並び、タイムリーな話題を投げかけてきた。中間テストの結果といえば、つい先日個別に表が配られたばかりだ。

「科目別にみるとばらつきはあったけど、総合点は真ん中ぐらいだった。で、そう言うお前は?」

「私も真ん中ぐらーい。でもね、数学はあとちょっとで一位だったよ」

 ふふん、とありもしない胸をそらす志乃。本人は走りやすいからラッキーだと思っているらしいが、そういうものなのだろうか。女子はわからん。というか、志乃はわからん。

 しかし、走りやすいようにと短めのボブカットにしている髪型については、まあ、純粋に似合っていると思う。わざわざ口にはしないが。

「ほう、数学でお前に勝ったやつがいたのか。それは驚きだな」

 志乃は女子にしては珍しく、昔から数学が得意なタチだった。そのかわりに国語や英語などの語学が苦手であるため、俺と同じくそこそこな進学校の徳明とくめい高校に入学することになってしまったが、数学だけなら中学では常に学年一位をキープしていたほどだ。つくづく、頭の良し悪しは人柄と相関がないことを痛感する。

 それにしても、志乃を数学で下すとは。よほどの猛者がいると見た。

「あれ、螢はまだあの表見てないの?」

「表? なんのことだ?」

「科目ごとの成績上位者が載ってる表のこと。昨日廊下に張り出されてたよ?」

 言われて俺は思い出そうとしてみる。そういえば昨日の帰り、廊下で張り紙を囲っている集団を見たような、見ていないような。

「数学一位だったのはね、久遠寺凪子くおんじなぎこって子。確か螢と同じ五組じゃない?」

「ああ、あの人か。知ってる知ってる」

 深窓の佳人というような雰囲気を放っている人だから、頭が良いのもイメージ通りですんなり腑に落ちた。俺の記憶が正しければ、彼女は部活の中でも厳しそうなイメージのある剣道部に所属しているはずだが、勉強もできるようだ。文武両道とはこのことか。

「でねでね、噂になってたんだよ、その凪子さん」

「ふうん。数学で首位を取ったからか?」

「違う違う。もっとすごいんだよ。なんとぉ……!」

 ここで、もったいぶるようにたっぷりと間が置かれた。話題にさして関心があるわけでもない俺は、適当に煽る。

「なんと?」

「全教科満点で学年一位だったの!」

「え……それは、えっと、なんというか、すごいな」

 これは驚いた。そんな天才が同じクラスにいたとは。

 言葉の限りを尽くして驚きを表現しようと思ったが、うまい表現が見つからなかった。

「それで私は決めたよ。あの人は、私のライバル! いつか絶対に勉強で勝つ!」

「ああ……うん、まあ、がんば」

 今度はうまい表現が見つからなかったのではなく、志乃の短絡的な発想にあきれて言葉が出なかった。

「ちょっと、その『お前は国語と英語が苦手だから無理だろ、笑わせんな』みたいな目はやめて」

「目から読み取れる情報多すぎだろ」

 しかもなんで当たってるんだ。エスパーかよ。

「とにかく、私はあの人をライバル認定したの。だって、高校に入って初めてのテストで全教科満点だよ? 無敵っぽくて努力のし甲斐があるじゃん」

「結局そこに行きつくのか……」

 しかし、志乃が言いたいこともわかる。

 俺たちはまだ今年の春に徳明高校に入学したばかりだ。だから、周囲の学力レベルを計る初めての機会が今回の中間テストにあたる(厳密に言えば入試の得点開示があるが、あれは上位者が他人に公開されるわけではない)。当然だが、多くの生徒が普段のテストよりも点数に関して敏感になるだろう。そんな中で、久遠寺さんはこの点数をたたき出した。となると、噂にもなるだろうし、これからもテストの度に注目を浴びるはずだ。

 そんなの、本当に無敵でもないと重圧に耐えられなさそうだよな。

「というわけで螢くん、凪子さんの情報を色々と提供したまえ」

「は? 別に勉強で張り合うだけなら他の情報はいらんだろ」

「細かいことは気にしなくてもいいのだよ。外堀から埋めていくのさ」

「外堀から埋めてどうするつもりだ。あと、そのしゃべり方はなんだ」

 なんだか一々ツッコんでいてもきりがないような気がしてきたので、仕方なしに久遠寺さんについて伝えられる情報はないか探してみることにした。

「まあ、そうだな……英才教育を受けてきたお嬢様っぽい雰囲気はある。それが原因で周囲に馴染じめてないって節もあるかもしれんな。女子から見ても男子から見ても、高嶺の花すぎるというか……まあそんな感じだ」

「ほうほう」

 志乃は顎に手を当てて何かを考えるそぶりをしている。先ほどの三流探偵っぽいムードはまだ引きずっているようだ。

 数瞬ののち、彼女は活発な印象を与える大きな目をかっぴらき、思案の結果を口にした。

「つまり凪子さんは、ぼっちということだね?」

「……うーむ、まあ、捉え方によってはそうかもしれんな」

「なんだ、螢のお仲間じゃん」

「おっ、俺は一応話せる奴がいるからそれでいいんだよ! ってか急に素に戻んな!」

 全く、こいつは俺に何回ツッコませれば気が済むんだ。

 その後も学校に着くまでの間はくだらない応酬が続いた。並んでだべりながら、あぜ道を抜けて、少しずつ街に近づいていく。

 だんだんと見慣れ始めてきた高校への通学路には、相変わらず僻地と街のグラデーションが如実に表れていた。俺と志乃が住む地域は広いわりにコンビニが数件しかないが、徳明高校の周辺はコンビニはもちろんのこと、本屋やゲーセンなど学生にとってあると嬉しい設備が一通り揃っている。高い建物が林立しているというわけではないが、今まで田舎の学校に通ってきた俺たちにとってはちょっとした都会みたいなものだ。

 家を出てから三十分ほどが経った頃には高校に到着し、志乃とは校舎内で別れを告げた。

 毎回のことではあるが、二人で登校すると歩くペースが遅すぎて、教室に行き着くのとほぼ同時に始業のベルが鳴るのだった。

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