【番外地】「まったく…人間ってのは、本当に見ていて飽きない連中だよ」

「「「「ありがとうございました!」」」」


「おう、また来いよ!待ってるぜ!」


 山間にある宿「深山亭みやまてい

 無事に研修を終えた僕達…降神町おりがみ役場の新人一同が、そうお礼の言葉を述べると、深山亭の主である森住もりずみ 力也りきやさん(山男やまおとこ)が、そう応える。

 職員達が見送りに来てくれた従業員の皆さんと、思い思いに挨拶する中、力也さんが僕…十乃とおの めぐると、同期で悪友である七森ななもり 雄二ゆうじに近付いてきた。


「寂しくなるな。せっかく見所がある面子めんつだったのによ」


 それに、ニカッと笑う雄二。


「そう言ってもらえると光栄っす。俺も楽しかったっすよ、番頭」


「そうか。じゃあ、次は拳山けんざんのじいさんや紅緒べにおちゃんも連れて来いよ。久し振りに話もしてぇしな」


 力也さんがそう言うと、雄二は一瞬で青ざめた。


「ま、前向きに検討しときます」


 僕はそれにクスリと笑う。

 あの拳山じいちゃんのことだ。

 おそらく深山亭ここに来るとなれば、雄二や紅緒ちゃんをシゴキがてらになるだろう。

 そうなれば、雄二もタダでは済むまい。


「力也さん、本当に色々とありがとうございました」


 僕は深々と頭を下げた。

 研修自体もそうだが、僕のわがままで、力也さんには色々と世話になってしまった。

 特に「幽世かくりょ」にあるとされていた「夜光院やこういん」については、貴重な情報も提供してくれた。

 それに、力也さんは周囲をはばかり、小声で言った。


「よせやい。俺は知ってることを話しただけだ。それに、言い伝えにあった幽世の話も土産話に聞けたからな。こっちもいい勉強になったぜ」


 そう言いながら、片目をつぶって見せる力也さん。


 あれから。

 夜光院での攻防が終わり、北杜ほくとさん(野寺坊のでらぼう)達に見送られ、僕と雄二、沙槻さつきさん(戦斎女いくさのいつきめ)、織原おりはらさん、早瀬はやせさん(コサメ小女郎こじょろう)の五人は、無事に現世に戻ってきた。

 「K.a.Iカイ」との戦闘で(実際は東水はるなちゃん(ろかみず)による鉄砲水が主な原因だが)夜光院はかなりの損害を被ってしまった。

 巨大な山門も堅牢な土塀も、みな壊滅状態だ。

 だが、夜光院は北杜さんの妖力で顕現している寺院らしいので、半月もすれば修復されるということだった。

 一方で、今回はむしろ人的被害の方が大きいといえる。

 夜光院を守護する妖怪は何人かいるが、その中でも強い力を持つ北杜さんや南寿なんじゅさん達「四卿しきょう」の一人、西心さいしんさん(石塔飛行せきとうひぎょう)が、沙槻さんとの戦いで消滅してしまったのだ。

 不幸な誤解があったとはいえ、これには沙槻さんも土下座をせんばかりにひれ伏した。


「もうしわけございません…!いくら、しんそうをしらなかったとはいえ、むこのようかいをめっしてしまうとは…わたしは、いったいどのようにつぐなえばよいのでしょう…」


「あー、心配すんな。それなら問題ない」


 涙ぐみ、平身低頭で謝る沙槻さんに、北杜さんは怒るどころかこともなげに言った。


やっこさんの人間としての姿は、のものさ。本体はホレ、あの石塔なんだよ」


 そう言いながら、北杜さんは夜光院の中庭に転がる一体の石塔を顎で指した。

 それは、西心さんが常に騎乗していた石塔だった。

 南寿さんを庇い、沙槻さんの霊力を受けたため、少しひび割れたように見えるが、ほぼ健在である。


「まあ、ひと月もすれば、人間体の方も復活するだろうさ。だから、そんなに気にすんなよ」


 南寿さんもそう言いながら、沙槻さんに顔を上げさせる。

 彼女も、沙槻さんとの戦いで手酷い傷を受けたにも関わらず「喧嘩は終われば、それで手打ち」と、特に遺恨を感じてはいなさそうだ。

 本当に男らしい(?)女性である。


「色々あったが、無事に終わって何よりだ。ま、お前さんがたの方は、まだまだ騒がしくなりそうだがな」


 北杜さんが、僕を見ながら意味ありげにそう言う。

 おそらく「K.a.I」のことを言っているのだろう。

 黒田くろださんや六堂なっつんさん(錬金術師アルケミスト)、イヴさん(魔動人形ゴーレム)が無事だったことは、早瀬さんから聞いて既に知っている。

 東水ちゃんの起こした鉄砲水が押し寄せてきた際、北杜さんの妖力と沙槻さんが張った結界のお陰で、僕達は押し流されずに済んだが、黒田さんと烏帽子えぼしさんは水に飲まれ、流されていった。

 それを見た早瀬さんは「私、助けに行きます…!」と言い放ち、単身激流の中に飛び込んだのである。

 何故、あんな酷いことをされたにも関わらず、彼女が二人を助けに向かったのかは分からない。

 ただ、僕達が無事に早瀬さんと合流できた後、黒田さんとの間に起きた顛末てんまつを早瀬さん自身から聞き、彼女の判断は間違いでなかったことを知った。

 特別住民ようかいに対してかたくなだった黒田さんも、聴く限りでは、早瀬さんが示した真摯な心に、少し考えを改めてくれたようだ。

 それは小さな一歩だろう。

 しかし、確実に人間と妖怪の共存へと近付く一歩である。

 早瀬さんのとった行動が、また少し、人間と妖怪の未来を繋いでくれたのだ。


 その一方で、烏帽子さんの姿はどこにも見えなかった。

 仮に万が一のことがあったとしても、その痕跡がない以上、彼女もどうにか生き延びたということだろう。

 ということは、今後も烏帽子さんや「K.a.I」とは様々な形で関わりを持つことになりそうだ。


『人と妖怪が対等となるために、、妖怪達のもつ力の全てを知る必要が、ね。貴方も人間なのだから、よくわかるでしょう?十乃さん』


 烏帽子さんが、僕に告げたあの言葉。

 あれが「K.a.I」の本当の目的なのなら、彼らは特別住民ようかいが人間社会に適合するための支援を行う裏で、彼らのデータを収集している可能性がある。

 以前、沙牧さまきさん(砂かけ婆)が推測していたことが、本当になったわけだ。


「これから、どうする気だ?」


 北杜さんにそう聞かれ、僕はうつむいた。

 「K.a.I」に対抗するには、僕はあまりに無力だ。

 しかも、連中の実態を知っているのは釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)や飛叢ひむらさん(一反木綿いったんもめん)、鉤野こうのさん(針女はりおなご)達「絶界島トゥーレ」での一件を知る一部のセミナー受講生と、なぎ磯撫いそなで)達「逆神さかがみの妖怪」達くらいなのだ。

 依然として、黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)や間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)や摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)は、僕が「K.a.I」とどう関わっているのかは知らないままである。

 今回、なし崩し的に同行してきた雄二達も、結果「K.a.I」のことは知らないままでいる。

 だが、その方がいい。

 連中は、殺し屋や傭兵を雇うような相手だ。

 下手に踏み込めば、どんなことになるか分からない。


「ごしんぱいにはおよびません。とおのさまは、わたしがおまもりいたします」


 そう言いながら、僕の手を取ってくれたのは沙槻さんだ。

 一瞬、ドキリとなる僕。

 沙槻さんは、真剣な表情で北杜さんを見た。


「たとえ、どのようなあいてでも“いくさのいつきめ”のなにかけて、かならず…!」


 そうだった。

 今回、沙槻さんだけは「K.a.I」の正体や目的を知った。

 今まで、降神町役場の中で「K.a.I」の実態を知っていたのは僕一人だったけど、今回の一件を通じて、沙槻さんもそれらを知ったのだ。

 実際「K.a.I」と手を組む形になったのだから、もしかしたら、彼女は「K.a.I」についてより深い情報を知っているかかも知れない。

 そして、それを元に、彼らに対する対策を講じることができるかも。

 その目に何を見たのか、無言で沙槻さんを見詰めていた北杜さんは、ふと相好を崩した。


「やっぱ、いいねぇ、人間てのはよ。そうそう、そうこなっくちゃな!」


 背後では、僕に寄り添う沙槻さんを見て、雄二がギャーギャーとクレーム言ってるのが聞こえる。

 それに織原さんが関節を極めて、早瀬さんが慌てて宥めている。

 そんな僕らの狂騒を見て、北杜さんは何故か嬉しそうに頷いた。


「よし。なら、俺からも一つ、いいものやろう」


 そう言うと、北杜さんは胸元から腕輪念珠(手首に巻く小さな数珠)を取り出し、僕に手渡した。

 見れば、象牙のようなたくさんの白い数珠に、一つだけ黒真珠のような珠をあつらえた腕輪念珠だ。

 見たところ、相当古いもののようだが…


「これは?」


「『夜光珠輪やこうしゅりん』…ま、一種の通信機みたいなもんだ。そいつに念を込めれば、いつでもどこでも夜光院ここと連絡が取れるっていう便利なアイテムさ」


 僕の質問に、北杜さんがそう答えた。

 そして、


「知っての通り、俺達は夜光院ここから離れるわけにはいかねぇ。けど、何かあれば、それで呼び掛けろ。そうすれば、俺らのうち、誰かが駆けつけるだろう」


 その言葉に、僕は「夜光珠輪」から、北杜さんに視線を移した。

 北杜さんの表情は真剣なものだった。


「言ってみりゃあ、保険みたいなもんだ。いつも肌身離さずにいろ。いいな?」


「…分かりました。けど、いいんですか?」


「いいさ。ここまで夜光院うちに関わったなら、もうお前さん達も家族みたいなもんだ」


 そして、北杜さんは笑った。


「それによ。お前さんがそこの戦斎女いくさのいつきめを止めた時の台詞にしびれちゃったんだよな、俺」


 そう言われて、僕は少しだけ照れくさくなるった。

 あの時は、とにかく人間と妖怪の無用な争いを止めようと必死だった。

 だから、胸の内に浮かんだ言葉をそのままぶつけてしまったのだ。

 そんな剥き出しの言葉だったので、いま振り返ると気恥ずかしくもあり、一方で北杜さんに認められて誇らしくもあった。

 そんな僕に、今までずっと南寿さんの横にいた東水ちゃんが、トコトコと近付いてきた。

 そして、おずおずと何かを差し出す。

 見ると、彼女と初めて会った時に巻いてあげたハンカチだった。

 きれいに畳まれたそれを差し出しつつ、東水ちゃんは僕の手に指で字を書き始めた。


(ありがとう。それと、危険な目に遭わせてごめんなさい)


 見れば、東水ちゃんは申し訳なさそうな顔をしている。

 北杜さんによると、彼女の妖力【水嘯問答すいしょうもんどう】は、東水ちゃんの「あげましょうか?」という呼び掛けに「寄越せるものなら寄越してみろ」的な応答をすると、周囲一帯を無差別に押し流す鉄砲水を呼び寄せるものらしい。

 そのため、彼女は口をきけるのだが、暴発を防ぐために滅多に喋らないのだという。

 生まれ持った妖力だとはいえ、僕は東水ちゃんのそんな境遇に同情していた。

 妖怪としての実年齢は分からないが、見た目はまだ小さな彼女が、言葉を押し込め、沈黙したまま、この閉ざされた永遠の夜の世界で生き続けることは、とても寂しいことのように思えたからだ。

 もちろん、北杜さんや南寿さん達が傍にいるから、寂しくはないのかも知れない。

 だけど、僕と出会った時、彼女は普通の子供のように僕を物珍しそうに見ていたし、別れ際には名残惜しそうにしていた。

 きっと、東水ちゃんは見た目とそう変わらない子供の心を持っていて、まだ見たことのないものに目を輝かせる好奇心だって持っているのだ。

 東水ちゃんの妖力が、暴発しやすい性質を持っていることは分かった。

 しかし、それが彼女の自由を束縛する理由になるのは、何となく合点がいかなかった。

 彼女の【水嘯問答】が無差別に広域を薙ぎ払う、危険な威力を持っているのは分かる。

 でも、さっき妖力を発動させたのは、下手をしたら彼女自身の命が危なかったからだし、そうした意味では、妖力を発動させても仕方がない状況だったと思う。

 雄二達だって、その辺は分かってくれているようだ。

 僕は少し考えてから、首を横に振った。


「…悪いけど、いまそれは受け取れないよ」


 ハッとなった後、東水ちゃんはしょんぼり項垂うなだれた。

 それに、雄二をチョークスリーパーで絞め落としかけていた織原さんが気色ばむ。


「ちょ、ちょっと、十乃君!そんな意地悪しなくたって…」


「だからさ」


 織原さんの抗議を遮り、僕は笑顔で東水ちゃんの頭を撫でた。

 

「今度、降神町うちに遊びにおいで。そのハンカチは、その時に返してくれればいいよ」


 その言葉に、ポカンとなる東水ちゃん。

 北杜さんと南寿さんも顔を見合わせている。

 返答に困ったのか、東水ちゃんは、後ろにいた北杜さん達をおずおずと振り返った。

 それに北杜さんが、無精ひげを撫でながらウィンクした。


「借りたもんは、ちゃんと返さなきゃな、東水?」


「…!」


 それに東水ちゃんは満面の笑みを浮かべて頷いた。

 大事そうにハンカチを仕舞い、僕を手招きする東水ちゃん。

 何だろう?

 耳を貸せって言ってるみたいだ。

 僕が右耳を差し出すと、不意にほっぺたに柔らかいものが当たる。

 驚いて、身を引くと、東水ちゃんが悪戯っぽい笑みを浮かべて舌をペロッと出している。

 突然の「ほっぺにチュー」に戸惑いつつ、僕は苦笑した。

 見た目がおとなしそうな子だと思っていたが、実は意外におませさんのようだ。

 そんな東水ちゃんを見ながら、北杜さんは頬を掻きながら、南寿さんに問い質した。


「おいおい、どこであんなの覚えたんだ…?」


「知らねぇよ。取りあえず、石頭の西心がいなくて良かったな。見てたら、一時間は説教だ。お前と俺もな」


 そう言いながら、溜息を吐く南寿さん。

 一方、沙槻さんは、わなわな震えながら


「…あ…あれももしや、なのでは…!?」


「お、落ち着いて、五猟さん…!相手は子供です…そんな思い詰めた顔で、大幣おおぬさを握り締めなくても…!」


 暗い顔でブツブツと呟く沙槻さんを、必死に宥める早瀬さん。

 その横では、


「チキショー!何で、巡ばっかり…!あ、タンマ…入ってる…マジで頸動脈極まりつつある…!」


「うるさい。七森君は、もっと周囲をよく見なさいよね!?」


 何だか収拾がつかなくなってきそうだ。

 ここは迷惑にならないよう、早めに戻った方が良さそうである。

 しかし、そんな喧騒を見ながら、北杜さんは静かに呟いた。


「まったく…人間ってのは、本当に見ていて飽きない連中だよ」


 その顔には。

 遠く、懐かしい何かを見詰めるような、優しさで満ちていた。


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「やれやれ…無事に終わったな」


 帰りのバスの中で、座席の背もたれに体を預け、首を鳴らしながら隣に座った雄二が、大きく伸びをする。


「マジで疲れた。下手な鍛錬よりしんどかったわ」


「だから、ついてくるなって言ったろ」


 窓の外、遠ざかっていく「深山亭」から視線を外し、苦笑する僕。

 それに、雄二は欠伸をしながら答えた。


「くどいぜ。何でも一人で抱え込むんじゃねぇよ、この妖怪バカ」


「…ああ。そうだな」


 僕がふと見ると、当の雄二は既に居眠りしていた。

 無理もない。

 夜光院から戻り、研修に復帰した時、僕達はほぼ徹夜明けの状態だった。

 驚いたことに、幽世から現世に戻ると、そこはまだその日の夕刻だったのだ。

 どうやら“隠れ里”や“まよ”の伝承と同様に、幽世は現世とは時間の流れ方が違うようである。

 雄二と共に幽世に入ったのが現世の夕刻で、その後、夜光院まで辿り着いた後に「K.a.I」とひと悶着あってから、現世へ戻るまで、大体半日以上は経っていたと思う。

 しかし、どうやら現世では10分程度しか経っていなかったようだ。

 そのため、翌日の夕方と勘違いした僕達が、引率の職員に土下座でお詫びすると、訳が分からないといった表情をしていた。

 力也さんに確認しても、


「お前達が出て行ってから、一時間も経っていねぇぞ?」


 と、何とも不思議そうな顔をされてしまった。

 おかげで、僕達はその夜、泥のように寝入ってしまい、翌朝、そろって寝坊してしまい、再び皆に平謝りする羽目になった。

 しかし、力也さんは事情を察してくれたようだ。

 そこで、皆で幽世での出来事を説明すると、真剣な表情でちゃんと聞いてくれた。

 そして、


「大体分かった。そういうことなら、俺に考えがある」


 と、胸を叩くと、力也さんは巨大な斧を担ぎ、単身、深山亭を出て行った。

 後で本人から聞いたが、この時、力也さんは幽世の出入り口になる「明王滝みょうおうだき」に出向き、そこに通じる道をあらかた塞いできたという。

 以後、幽世への侵入者が出ないように…という配慮のようだ。

 確かにあのままにしておけば、再び「K.a.I」の連中が幽世に忍び込むかも知れない。

 それに、偶然迷い込む人間もいないとも限らない。

 そこで、力也さんは滝に通じる看板をあらかた処分し、かつ、滝周辺の森を守っている特別住民ようかい…“山霊さんれい”に頼み、滝に近付こうとする者を迷わし、追い返すように依頼してきたという。

 どうやら、力也さんにはそうまでする理由があるようだった。、


「夜光院の話な、実は遠い昔に親父から聞かされたのさ。その時、親父から頼まれたんだよ…『もし、お前がこの地に永く在るならば、夜光院の秘密はなるべく守ってやってくれ』ってな」


 その言葉を、力也さんは実践したということなのだろう。

 もしかしたら…力也さんのお父さんは、夜光院と何らかの関係があったのかも知れない。

 力也さんは、最後にこう言っていた。


「いずれにしろ、もう簡単には『明王滝』には近付けねぇ。これで夜光院は、文字通り『幻の寺院』になったってわけだ」


 バスは、帰路を静かに進む。

 最初、賑わっていた車内も、徐々に静かになっていった。

 遠ざかっていく山並みを見ながら、僕は布団代わりに掛けていた雄二の上着が落ちているのに気付く。

 爆睡中の雄二は、高いびきのまま、全く気付いていない。


「仕方がないな」


 僕はそれを拾い、雄二の肩から掛けてやった。

 どんな夢を見ているのか、雄二は間抜けた寝顔で「はーれむぅ♡」とか寝言を言っている。

 …本当にどんな夢を見てるのやら。

 僕は苦笑した。

 本当にこいつとは長い付き合いだ。

 今までに何度も喧嘩し、その都度、仲直りもした。

 降神町役場に就職が決まった時も、あまりの腐れ縁ぶりに笑いあったものだ。

 そう、小さいころから気付けばこいつと何かを一緒にやっていた気がする。

 今回も、雄二のそうした腐れ縁ぶりに助けられた感じだ。

 本心を言えば…あの時、一人で幽世に赴くのは、やはり心細かった。

 だから、雄二が強引について来てくれた時は、内心ホッとした。

 もしかしたら…こいつなりに僕の不安な心境を察してくれたのかも知れない。

 僕は再びずり落ちた上着を直してやりながら、静かに呟いた。


「サンキューな、雄二…お前が友達で、本当に良かったよ」


「あらら、お邪魔だったかしら?」


「うぇわ!?」


 不意に頭上から掛けられた声に、僕は思わず飛び退いた。

 見れば、織原さんと早瀬さんが後ろの席から背もたれ越しにこっちを覗いている。


「いやぁ、何かイイ雰囲気だったのにごめんねぇ?」


 ニヤニヤ笑う織原さん。

 あからさまに邪な勘違いをしているのは明白だ。

 その横では、顔を真っ赤にした早瀬さんが、何故かドキドキした様子で僕と雄二を見下ろしている。

 まあ、運の悪いことに、僕が雄二に上着を掛け直してやっていたタイミングだったから、に見えなくもない状態だ。

 僕は身を離すと、溜息を吐いた。


「織原さんに早瀬さんか…脅かさないでよ」


「あはは、ごめんね?」


 笑う織原さんに、僕は尋ねた。


「どうしたの?僕に何か用?」


「うん。あー、まー、ぶっちゃけお願いがあるんだけど」


「お願い?」


 織原さんは頷き、早瀬さんを指差した。


水愛みあが少しバスに酔ったみたいなの。窓際の席で休ませてあげたいんだけど、私もバスに弱くてね。窓際じゃなきゃ、酔っちゃうんだ」


「ちょっと、真琴…!」


 何故かあたふたする早瀬さんを「まあまあ」と押し留める織原さん。

 そして、織原さんは僕にウィンクして、


「そこで相談なんだけど…十乃君、この娘と席代わってくれない?」


 その時、僕の脳裏に雄二達に拉致され、女湯を覗きに行った時のことを思い出した。

 確か、早瀬さんは…


「分かった。いいよ」


「やった。さ、水愛、早く席替え、席替え♡」


 若者同士の仲を取り持ちたがる世話焼きおばちゃんみたいに、早瀬さんを追い立てる織原さん。

 背中を押されて、やって来た早瀬さんは、おずおずと尋ねてきた。


「い、いいの…?十乃君…」


 それに僕は頷いた。

 少し顔がにやけそうになるが、何も知らない体を装う。


「気分が悪いんじゃ仕方ないよ。気にしないで」


 すると、早瀬さんは、また顔を赤らめてモジモジしながら、


「で、でも…十乃君、七森君のこと…」


「それは誤解の極致だから!」


 きっぱり言い放つと、僕は彼女を雄二の隣りの席へ押し込めた。

 早瀬さんは、爆睡中の雄二を気にしつつ、ちょこんと席に座る。

 そんな彼女に、僕はふと笑って言った。


「早瀬さん」


「は、はい…?」


「スケベだし、大雑把だし、ノリだけで生きてるようなしょうのない奴だけどさ」


 僕は雄二を見た。


「いい奴なんだ、こいつ。だから…よろしくお願いします」


 早瀬さんは、一瞬きょとんとなった後、


「はい…!」


 晴れやかに笑いながら、そう答えてくれた。


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「…そうですか。残念ですわ」


『悪く思わんでくれ』


 電話向こうから聞こえてくる男の、その別人のような声に「K.a.I」総責任者である烏帽子えぼし 涼香すずかは、静かに答えた。


「いいえ。それが先生の出した答えであるならば、私共に何かを言う資格はありませんもの」


『すまんな…国からの補助は、これまで通りを維持させよう。それでけじめとさせてくれ』


「過分な配慮に感謝いたします」


 そこで、烏帽子は意を決したように尋ねた。


「一つだけ、お伺いしてもよいでしょうか…?」


『何だね?』


「何故、いまさら特別住民ようかいを認めようと?」


『誤解しないでもらおう』


 一転、男は固い声で続けた。


『連中と馴れ合おうという気持ちはない』


 それは本心なのだろう。

 声を通じて、烏帽子にも男の意志の固さは感じ取れた。


『ただ…これまでの自分を見直す時間が必要になった。それに、今までの儂は政治家でありながら、儂の個人的な心情で動き過ぎた。いま一度、党の連中とも膝を突き合わせて、特別住民れんちゅうに対し、人間の儂らがどう並び立つべきかを、共に考える必要がある思ったのだ』


「…のお言葉とは思えませんわ。先の一件で、何かありまして…?」


 烏帽子の言葉に、電話の向こうの男…黒田くろだ 権蔵ごんぞうは、少しの沈黙の後に言った。


『大したことではない。久方ぶりに、…それだけだ』


「…」


『ではな。すまんが、これから党の会合がある。今後、君達と接する機会は無くなるかも知れんが、達者でいたまえ』


「はい。先生も」


 「K.a.I」が運営する「特別住民ようかい向け人間社会適合セミナー」が教室を構えるビル。

 そのビルにある自らの執務室の中で、烏帽子は受話器を置きながら、珍しく嘆息した。


「浮かない顔ですね」


 室内に置かれた応接セットのソファに腰掛けた一人の女性が、そんな烏帽子に声を掛ける。

 凍てついた滝のような銀髪に、眼鏡をかけた美しい女性だ。

 だが、その瞳の光も、まるで氷のような冷たさに満ちている。


「まるで、長年連れ添った相手にフラれたような顔ですよ?」


「当たらずとも遠からじ、といったところよ」


 女性…三ノ塚さんのづか 凍若衣ともえ舞首まいくび)の正面に座りつつ、烏帽子は肩を竦めた。


「貴重な金づる(パトロンが一人減っちゃったわ…まあ、今後も資金繰りに悩む必要はなさそうだけどね」


「ああ。例の国会議員ですね。『使いでのある駒』とか言っていた」


「ええ。どういう心境の変化か、彼、特別住民ようかい肯定派に転んじゃったみたい」


 それに、凍若衣は眉根を寄せた。


「あの筋金入りの特別住民ようかい嫌いが?一体、どういう天変地異の前触れですか…?」


「さて、ね。何か、私が必死に激流を泳いでいた頃に、彼は天使に逢っていたらしいわ」


 烏帽子は、置かれていたティーカップに口を付けた。

 それに、凍若衣が声を抑えて笑う。

 烏帽子は、ムッとした顔で尋ねた。


「何かおかしいことでも?」


「いいえ。ただ、私達が異変に気付いて駆けつけたあの時の、濡れ鼠になった貴女を思い出してしまって」


「笑いごとではなくてよ。本当に死ぬかと思ったくらいなんだから」


 唇を尖らせる烏帽子に、凍若衣は意味ありげに冷たい笑みを浮かべて見せる。


「並みの妖怪なら、本当にくたばっていたでしょうね…さすがは、音に聞こえた伝説の鬼女きじょ鈴鹿御前すずかごぜん”です」


 その言葉に、烏帽子の瞳孔が金色に染まる。

 虹彩が猫のように絞られ、鋭く凍若衣を射た。

 それを受け、凍若衣がわざとらしく手で口元を押さえる。


「…失敬。迂闊に出していい名前ではなかったんでしたね?」


「…」


 鋭い視線を崩さない烏帽子。

 しかし、凍若衣は意に介した風も無く、悠然とカップの紅茶を飲み干す。

 そんな緊迫した空気を打ち破ったのは、烏帽子のデスク上のインターホンアラームだった。

 仕方なく、立ち上がって受話器をとる烏帽子。


「何かしら?」


 しばし無言になった後、烏帽子はいぶかしげな口調で言った。


「…いいえ。そんな約束アポをとった覚えはないわ。何かの間違い…」


 と、そこで、烏帽子の目が大きく見開かれる。

 しばし落ちる沈黙。

 異変を察した凍若衣が見守る中、烏帽子は大きく頷いた。


「…いいわ。通して頂戴。それと、しばらくは外部との連絡は応じません。外線は全て断って…あと、お茶出しも要らないわ」


 その言葉に、凍若衣は手にしていた空になったばかりの自分のカップを、恨めし気に見詰めた。


「望まれぬ来客ですか?隠れて始末する機会を伺っていた方ががいいですか、私?」


 受話器を置いた烏帽子に、凍若衣が冗談めかしてそう言う。

 それに、烏帽子は真剣な表情で答えた。


「そうね。それで、これからここに来る相手が妙な真似をしたら、構わないから処分して。お願いできるかしら…?」


 他愛のない冗談のつもりだったが、予想もしなかった回答に凍若衣は拍子抜けした。

 が、すぐに薄く目を細めて、チロリと唇を舐めると、


「いいですよ。そういう契約で雇われている身ですしね。それに、私はあのお天気錬金術師アルケミストとは違って、業務には忠実ですから」


 そう言いながら、一枚の札を懐から取り出す凍若衣。


符転消姿ふよてんじてわがみをけせ急々如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 凍若衣は「陰陽道おんみょうどう」の使い手である。

 手早く呪文を詠唱した後、凍若衣の姿は風景に溶けるように消え失せた。

 それと同時に、執務室のドアがノックされる。


「どうぞ」


 凍若衣のカップを片付けつつ、烏帽子がそう応じると、扉が開き、一人の小柄な若者が入室してきた。

 厳めしい表情のその男を見て、烏帽子の表情が強張る。


「…ご無沙汰、と言うべきかしらね?」


「挨拶にこだわりはない。好きな形式ですればいい」


 男はグレーのポークパイハットを被り、同じ色のコートに身を包んでいる。

 無愛想な顔で手にした分厚い本をめくりながら、男は烏帽子をチラリと見た。


「『絶界島トゥーレ』でのテストプロジェクト参加プレイヤー選抜以来か。達者そうだな」


「そちらもね。それに…よくも、おめおめと私の前に顔を出せたものだわ“紙舞かみまい”さん」


 皮肉を述べる烏帽子に、男…神無月かんなづき 翔舞しょうまは、無表情のまま告げた。


「何のことか分からないな」


 烏帽子の目がスゥッと細まる。


「…とぼける気かしら?」


 やや低い声になる烏帽子。

 「プロジェクト・MAHOROマホロ」…「mute《ミュート》」が所有する孤島「絶界島トゥーレ」を舞台に「K.a.I」が満を持して計画していた秘蔵のプロジェクト。

 その前段階となるテストプロジェクトにおいて、試験プレイヤーとして参加した特別住民ようかいの一人が神無月だった。

 そして、テストプロジェクトそのものを台無しにし、結果「プロジェクト・|MAHORO」を凍結へと追いやった連中の一人であることは、烏帽子も熟知している。

 そんな烏帽子の静かな敵意を受け流し、神無月は言った。


「そう睨むな。手が震えて、ページを撒き散らしてしまいそうになる」


 手元の本のページをめくりつつ、神無月はあらぬ方向をチラリと見てから、続けた。


「この室内を、俺の紙だらけにしたくは無いだろう?」


 その一言で、烏帽子は僅かに唇を噛んだ。


(この男…三ノ塚さんの気配に気付いている…?)


 実際、神無月が見た方向は、先程姿を消した凍若衣が潜んでいる場所だ。

 烏帽子は、同じ方向をチラリと見て、僅かに首を横に振った。

 それで、凍若衣は動かない筈だ。

 凍若衣にしてみれば、すぐさま片付けたくてウズウズしているだろうが、今はまだそうはいかない。

 理由は、先程、神無月からインターホン越しに聞いた「ある言葉」にあった。

 は、烏帽子が欲して止まないモノだった。


「…いいでしょう」


 烏帽子は、相好を緩めた。


「過去のことは、この際触れないようにしましょう…代わりに、ビジネスの話ならさせてもらえるわよね?」


「ああ」


 神無月は、帽子のつばを僅かに抑えると、静かに告げた。


「交渉成立の暁には、約束通り進呈しよう…“ぬえの卵”をな」 

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