【百九丁目】「ダメだ!!」

 その日の夕暮れ前。

 神無月かんなづきさん(紙舞かみまい)と別れた後、一日の接遇研修を終えた僕…十乃とおの めぐるは、七森ななもり 雄二ゆうじ、同じ降神町おりがみちょう役場の女性職員コンビ…織原おりはら 真琴まことさんと早瀬はやせ 水愛みあさん(コサメ小女郎こじょろう)と共に、雑談をしながらそれぞれの自室へ向かっていた。

 と、その途中の廊下で「深山亭みやまてい」の主人である森住もりずみ 力也りきやさん(山男やまおとこ)を見掛けた僕は、力也さんを呼び止めた。


「おう、どうした?」


「ちょっと聞きたいことがあるんです、力也さん」


「何だよ、神妙なツラしやがって」


 髭モジャの顔に怪訝そうな表情を浮かべる力也さん。

 長くこの地に住む力也さんなら、さっき神無月さんが話していた「夜光院やこういん」という古寺について、何か知っているに違いない。


「『夜光院』ってお寺、知りませんか?この周辺にあるらしいんですけど…」


 その瞬間。

 力也さんの表情が一瞬厳しいものに変わった。

 が、すぐにトボケた表情で腕を組み、記憶を探るように考え込む。


「や、『夜光院』…?さぁて…聞いたことがねぇなあ」


 …何ともあからさまな態度だ。

 髭顔に「知ってまーす」という文字が書いてあるようである。

 だが、同時に力也さんのその態度に疑問も湧いた。

 何故、彼は知らぬ振りをするのだろうか…?


「…ホントですか…?」


「んだよ!知らねぇモンは知らねぇ!大体、ここいらに寺なんてねぇよ!」


 ムッとなる力也さんに、僕はジト目を向ける。


「…昨日の夕暮れ、皆で休憩してた時に、鐘の音が聞こえましたけど?アレ、どう考えてもお寺の鐘の音ですよね…?」


「ぐっ…」


 額に汗を浮かべ、うろたえる力也さん。

 僕の後ろでは、事情を知らない雄二達が不思議そうに顔を見合わせている。

 力也さんの態度が気にはなるが、ここはこちらも引き下がる訳にはいかない。

 行方不明の太市たいち君(鎌鼬かまいたち)が、その古寺に身を隠しているかも知れないのだ。

 ならば、会って話がしたい。

 彼が抱えているものを知り、可能なら力になりたい。

 無力な僕に出来るのは、それしかないのだから。

 

「お願いします、教えてください…僕にとって、とても重要な事なんです」


 じっと見詰める僕に、口ごもっていた力也さんが、ふと苦笑した。


「…愛梨あいりを説得した時みたいなツラァしやがって」


 愛梨とは、力也さんの奥さんで“山女やまおんな”という特別住民ようかいの女性だ。

 たぶん、人間とその社会に接するのを拒んでいた彼女を、僕と力也さんの二人で説得した時のことを言っているのだろう。

 当時、追い返そうとする彼女と、僕は一対一で話し合いを行ったことがある。

 荒ぶる“山女”と対するのは肝が冷えたが、決死の覚悟で説得し続けた。

 そして、僕は知った。

 彼女は人間を嫌っていたが、同時に人間というものを知らなかった。

 だから、僕はこう告げた。


「“人間”の僕としては、同じ嫌われるなら、よく知ってもらってから嫌ってもらった方が、いっそ諦めがつきます」


 そんな思ったままに口にした言葉が、どんな風に愛梨さんに響いたのかは分からない。

 しかしその結果、彼女は渋々ながら人間を知ろうと、一歩を踏み出してくれた。

 そんな彼女も、今では降神町役場のセミナーの常連として、足しげく通ってくれるようになったので、ホッとしている。


「ちょっと、こっちに来い」


 そう言うと、力也さんは僕の襟首を掴むと、雄二達から離れた所に連れていく。


(…夜光院のこと、何処で知った?)


(ええと…まあ、その…知り合いにちょっと…)


 力也さんに合わせて、小声でそう答える。

 しどろもどろの僕を見て、力也さんはピンと来たのだろう。

 軽く舌打ちした。


(ははーん。さては、さっきのあのチビだな?胡散臭い奴だと思ったが、やっぱり妖怪だったのか…くそ。こんなことになるなら、とっとと追い返しておくんだったぜ)

 

 そうボヤくと、力也さんは真剣な表情で続けた。


(最初に言っておくが、夜光院のことは誰にも言うな。あそこは特別な寺でな。俺達特別住民ようかいの中でも、知っている奴はほんの一握りなんだ)


(何かがあるお寺なんですか…?)


 僕の問いに、力也さんは頷いた。


(俺も詳しいことは分からねぇんだが…何でも夜光院には、どえらいが眠っているらしい)


(宝…?)


(ああ。そいつを狙って、昔からたくさんの妖怪や人間が夜光院に押し寄せたんだが、まだ誰も寺に入り込めた奴はいないって話だ)


 僕は首を傾げた。

 そんな逸話がある寺院なら、地元に伝承の一つでも残りそうなものだが、とんと聞いたことがない。

 大学で専攻した神秘学や民俗学にも、そんな伝承はまったく見聞きしたことがなかった。

 故に神無月さんに聞くまで、夜光院の名前も耳にしたことがなかったのだ。


(それで、その夜光院というお寺はどこにあるんですか…?)


(ねぇよ)


 目を点にする僕に、力也さんは腕を組みながら続けた。


(ねぇんだよ。、な)


(…どういうことです…?)


(いま言った通り、夜光院には押し寄せる外敵共が絶えなかった。だから、夜光院を守る連中は、この世とは異なる場所に夜光院を移築したんだとよ。ええと、なんつったけな…ああ、そうそう『幽世かくりょ』だったか)


 「幽世」…その名前は、僕も知っている。

 僕が学んだ神秘学の世界では、そもそも「幽世」とは「常世とこよ」「隠世かくりよ」とも呼ばれ、この現実の世界とは異なる位相に存在する「異界」の一種とされている。

 特に「常世」という呼び名においては「永久」を意味し「永久に変わらない神域」または「死後の世界」とも解釈されることもある。

 一方で、資料によっては「海の彼方」か「海中」にある「理想郷」ともされ、マレビトの来訪によって富や知識、命や長寿や不老不死がもたらされる「異郷」であるともされる。

 こうした異界概念は世界各地に存在し、地方や国によって「ニライカナイ」「竜宮城」「桃源郷」「アヴァロン」「エリュシオン」「エル・ドラード」とも称されていた。


(じゃ、じゃあ…夜光院へは…)


 愕然となる僕に、力也さんは頷いた。


(そういうこった。夜光院はこの世には存在しない。そして、誰も辿り着けないんだよ)


「そんな…」


 僕は思わず声を漏らした。

 古来より「幽世」への入り口は「永遠の謎」とされてきた。

 伝承では、偶然迷い込んで、帰って来た人間はいるのだが、大抵の場合、二度と「幽世」に足を踏み入れることはなかったとされる。

 もしくは…行ったまま帰って来ないという逸話もある。


「そういう訳だ。お前さんにどういう理由があるのかは知らねぇが、諦めろ」


 声の音量を戻しながら、力也さんが僕の肩に手を置いた。


「第一、仮に夜光院に行けたとしても、その中には腕っぷしの強い猛者共が寺を守っているって話だ。それに…」


 力也さんは再び声を潜めた。


(…ここ最近、夜光院の寺の鐘の音が頻繁に聞こえてきやがる。昨日も聞こえただろ…?)


 僕は頷いた。

 確か、僕達が雄二の機転で黒田さんとのトラブルをやり過ごした後だ。

 さっきも力也さんに言ったが、彼に案内された空室で休んでいた時、寺の鐘の音が響いていた。

 力也さんは続けた。


(実はあの鐘はな、ここいらじゃ昔から「凶事の前触れ」だって言われてるんだ。そいつがここ数日の間、立て続けに響いてやがる…俺は、夜光院で何かが起こった兆候じゃねぇかと思ってる)


 鐘の音が「凶事の前触れ」か…それは、あながち間違いではないのかも知れない。

 神無月さんの話では「K.a.Iカイ」の実行部隊とやらが、密かに夜光院の調査を行っているという。

 「K.a.I」ひいては「muteミュート」の目的は未だ不明だが、先の「絶界トゥーレ島」での一件を見ても、特別住民ようかいに対して何らかのよからぬ企みを持っているのは確実だろう。

 そんな相手に対し、夜光院を守っている人達が警報を発しているとは考えられないだろうか?

 考え込む僕に、力也さんが諭すように言った。


(俺の予想が当たっていたら、いま夜光院に関わるのは危ないぜ?)


(…それでも、行かなきゃならないんです)


 沈黙の後、僕はそう言って、力也さんを見上げた。

 もし、太市君が夜光院にいるとして、それを嗅ぎつけた「K.a.I」に捕捉されかかっているなら、それを黙って見過ごす訳にはいかない。

 もし見過ごせば、僕はきっと後悔するだろう

 僕の決意を見た力也さんは、溜息を吐いた。


(けどな、それにしたって、夜光院に行く方法が…)


「あるっスよ」


 不意に。

 背後からそんな声が聞こえた。

 慌てて振り返ったその先に、雄二達がいた。


「雄二!」


 驚く僕に、雄二はニヤリと笑った。


「さっきから野郎二人で、延々と何をコソコソ話してるかと思えば…随分とキナ臭い話じゃねぇか」


 しまった。

 聞かれていたのか!?


「お前、いつの間に…」


 驚く力也さんに、雄二は片目をつぶって見せた。


「じいちゃんの猛稽古から逃げるのに、忍び足とか気配を消すのは日頃から鍛えられてますからね」


「それより、今の話は本当なのか!?」


 驚きのあまり、詰め寄りながらそういう僕に、雄二は頷いた。


「夜光院っつったか?そこへ行く手掛かりみたいなもんに心当たりがあるぜ?」


 そう言いながら、雄二は腕を組んだ。  


「去年、深山亭ここへ研修に来た先輩から聞いた話を思い出したんだけどよ…」


 雄二が語り出したのは、怪談じみた話だった。

 何でも、深山亭からそう遠くない場所に“明王滝みょうおうだき”という滝があるという。

 この滝は、景観がいいにも関わらず、地元の住民でもあまり近づく者はいないらしい。

 というのも、過去に何度かこの辺で行方不明者が出ているんだそうだ。

 それで、滝に近づく者は減り、今はそこに続く道も寂れてしまったいるという。

 そんないわくのある場所が手近にあれば、行ってみたくなる悪ノリ好きな輩は時たまいる。

 で、その類の人種だった数人の先輩達が、肝試しがてらにその滝を見に行ったらしい。


「さすがに深夜に抜け出すのは翌日の早朝作業に響くってんで、先輩方は夕暮れ時に滝を見に行ったんだと。そうしたら…


演技じみた口調で、声を低くする雄二。


「見たって…も、もしかして幽霊…!?」


 その手の話が苦手なのか、織原さんが早瀬さんの肩にしがみつきながら聞いた。

 すると、雄二はあっさり首を横に振った。


「んにゃ。見えたのはだったそうだ」


「見たこともない風景?」


 思わず聞き返す僕。

 それに雄二は、


「おう。何でも流れ落ちる滝の表面に『別世界の風景みたいなもの』が映っていたんだってよ。で、その先輩はこうも言ってた…『何か、日本の寺みたいな建物が見えた』ってな」


 全員が黙り込む中、僕はある可能性を想像していた。

 雄二が聞いた先輩の話が本当なら、その寺が夜光院という可能性はゼロではない。

 それに「幽世=常世=常夜」という意味から、夕刻などの夜と昼の境が曖昧になると、こちらの世界…「現世うつしょ」が、異界である“永遠の夜の国”…「常世とこよ」と繋がると昔から考えられていた。

 俗にいう「逢魔が時」といわれる時間帯がそれだ。

 この世ならざるものが、こちら側へ現われいづる、融境のとき

 力也さんの話にあった「夜光院は幽世にある」という点から判断しても、符合する情報ではある。


「よし…確かめてみよう」


 僕がそう言うと、雄二がニッと笑う。


「そう来ると思った。じゃあ、早速行くか!」


 その言葉に、僕は目を剥いた。


「待て、雄二!まさかお前、一緒に来る気か!?」


「んあ?当ったり前だろ。そんな面白そうな場所に行くなら、連れて行けよ」


「ダメだ!!」


 僕は思わず声を上げた。

 静まり返る一同に、僕はハッとなってから続けた。


「あ、いや…僕達、今は研修中だろ?あまり大胆に動けないし、もしかしたら徒労に終わるかもしれないし。ここは僕が偵察役で一人で…」


「『一人で行って、面倒を一人で背負い込みます』…ってか?」


 雄二が遮るようにそう言う。

 言い返そうとするも、雄二の鋭い視線を受けた僕は、思わず無言になる。


「テメエの身一つ守れないお前が、たった一人でどれだけのモンを背負えるんだよ…?」


 雄二の台詞に、僕は無言になる。

 …まったく。

 こういう時に腐れ縁の幼馴染というのは、本当に厄介だ。

 こちらの思惑がまる分かりになる。

 僕は観念して話し始めた。


「…分かった、正直言うよ。これから僕が首を突っ込もうとしているこの件は、間違いなく特別住民ようかい絡みの厄介事だ。しかも内容については、誰にもおおっぴらには出来ない…例え、お前でもだ」


 真剣な顔でそう告解する僕に、織原さん達が顔を見合わせて息を飲む。

 雄二は、微動だにせず聞いていた。


「だから、お前を連れていくことは…」


「『アホ』か、お前」


 僕の言葉を、雄二はその一言で遮った。

 そして、溜息を吐いて腕を組む。


「そんな事情を聞いちまったら、もう当事者も同然だろ」


 僕は目を剥いた。


「雄二、これは真面目な話なんだ!ふざけてる場合じゃ…」


「なら『マヌケ』も付け加えてやるよ、石頭」


 雄二はジロリと僕を睨んだ。


「一つ聞くがよ、お前が俺の立場だったら、俺を見捨てるのか?何も聞かなかったフリしてよ」


「…」


「ホレ、四の五の言ってねぇで、とっとと行くぞ。もうすぐ日が暮れちまう」


 そう言いながら、僕の横を通り過ぎながら、俯く僕の頭を小突く雄二。

 僕は歯噛みした後、悠然と歩く雄二の背中を追う。

 肩を並べると、前を見たまま歩きつつ、僕は憮然とした表情で言い放った。


「…どっちが『アホ』だよ、ええカッコしいめ」


「うるせぇよ、この妖怪バカ」


「そっちは空手バカじゃないか」


「へ、言ってろ、へなちょ公務員」


「黙れ、不良公務員。大体、お前は昔から…」


「るせー。それを言うなら、お前だって…」


 肩を並べて互いにけなし合っていた僕と雄二は、ふと思い出して、同時に織原さんと早瀬さんに振り返った。

 不本意だが。

 本当にだが。

 僕と雄二は、全く同じタイミングで、同じくニッと笑っていた。


「「じゃあ、そういう訳で、あとことはよろしく!」」

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