【百三丁目】「お願いですから、それだけは止めて!」

「おう、よく来たな!待っていたぞ!」


 そう言いながら、僕達降神町おりがみちょう役場新人職員一行を出迎えてくれたのは、豊かな髭をたたえた巨漢だった。


 ここは降神町北部にある山間部の温泉宿「深山亭みやまてい


 この髭モジャの巨漢は、ご主人の森住もりずみ 力也りきやさん。

 彼は、役場の人間社会適合セミナーの受講者の一人、森住 愛梨あいりさん(山女やまおんな)の旦那さんで、妖怪“山男やまおとこ”である。

 “山男”はその名の通り深山に棲む男性型の妖怪で、巨体と怪力を持っているとされる。

 山道を行く旅人やきこりの前に現れては、煙草や食料と交換に、その荷物を背負ってやったり、山仕事を手伝ったりと人間に友好的な逸話も多い。

 ちなみに“山女”は“山男”と同じく山に棲む妖怪で“山姫やまひめ”という名称でも伝わっている。

 長い髪を持つ美女で、出会った人間の生き血を吸うともされる妖怪だ。

 “山男”と“山女”の関連性は不明だが、書物によっては「夫婦である」という説もあるようだ。

 いずれにしろ、力也さんと愛梨さんは、れっきとした夫婦になっており、ご主人の力也さんは宿屋経営、奥さんの愛梨さんは、役場のセミナーに通いつつ、そのお手伝いをしている。

 二人共、山育ちなので、この深い山奥でも自分の庭の様に詳しく、新しく近くに沸いた温泉のおかげもあって、宿屋の経営も好調の様だ。

 それに愛梨さんは狩りや山菜採りの名人で、彼女が入手した山菜やイノシシ、シカなど山の幸は力也さんが調理し、宿泊客へと振舞われる。

 そうした野性味あふれる料理の数々は訪れた客にも好評を博し、過去には旅行雑誌でも紹介されたことがあるほどだった。


「今年もお世話になります、森住さん」


 引率を務める人事担当の職員が一礼すると、力也さんは豪快に笑い、


「なぁに、いいってことよ!こっちも働き手が増える分にゃあ大助かりだってばよ!」


 と、職員の肩をバンバン叩く。

 実はこの「深山亭」は毎年、降神町役場の新人研修で利用されている施設だ。

 そして同時に、新人職員達が従業員として短期職場体験を行う研修の場でもあった。

 何故なら、役場では、来庁した町民の皆さんへ礼節をわきまえた接遇を重視している。

 一方で、訪れた人達へのおもてなしを重視する宿屋は、接遇に関しては洗練された職場だ。

 そのため、つい最近まで学生に身だった新人職員達を、鍛え上げるにはうってつけの受入先という訳である。


「お久し振りです、力也さん」


 全員で力也さんや宿屋のスタッフに挨拶をし、自分達の割り当てられた客室に移動する前に、僕は力也さんにそう声を掛けた。

 実は、奥さんの愛梨さんをセミナーに勧誘したのは僕である。

 その際、力也さんとは面識があった。

 力也さんは、目をパチクリさせ、驚いたように言った。


「おう!?何だ、十乃じゃねぇか!久し振りだなぁ、おい!」


 2メートルを優に超え彼の巨躯を見上げ、僕は笑った。

 その身体に見合った大きな声も、以前のままだ。


「その節はどうもお世話になりました」


「がははは…そいつはこっちの台詞だぜ!愛梨あれも役場のセミナーに通うようになって、随分人間社会に詳しくなってな。今じゃあ、俺の方が色々教わるようになっちまったよ!」


 何を隠そう、力也さんは役場のセミナーの卒業生でもある。

 当時、頑なに人里に出るのを拒んでいた愛梨さんを、二人掛かりで説得したのは、僕にとって忘れられない思い出だ。


「何だ、巡。知り合いなのか?」


 興味深そうに腐れ縁の悪友…七森ななもり 雄二ゆうじがそう尋ねてくる。

 僕は頷いた。


「少し前に仕事でね…あ、こいつは七森 雄二です。僕のどうしようもない友人です」


「…お前、さっきのバスでの一件、根に持ってるだろ…?」


「七森?…七森…おお!お前、七森んとこのせがれかよ!?随分とデカくなったじゃねぇか…!」


「へ?」


 驚いたように雄二は力也さんを見上げた。


「あの…俺のこと、知ってんスか?」


 すると、力也さんは大笑いし、


「勿論だともよ!お前、拳山けんざんのじいさんの孫だろ?」


 七森 拳山…町内はおろか、全国でも名の知られた武闘家で「荒神あらがみ」の異名を持つ空手家でもある。

 雄二は勿論、妹さんも幼少時から彼に武道を叩き込まれ、空手の全国選手権では妹の紅緒べにおちゃんと共に兄妹でダブル全国制覇を果たす程の腕前を持つに至った。

 唖然としたまま頷く雄二に、力也さんは懐かしそうに笑い、


「お前さんがこーんなにちっこい頃、じいさんが何度かここへ山籠やまごもりに連れて来てたんだよ。覚えてねぇか?」


 その言葉に、雄二がガクガクと震えだす。


「雄二?」


 見れば、目が虚ろになり、完全にやばい雰囲気である。

 そして、不意に頭を抱えてうずくまり、


「たたたたた助けて…ボク、熊なんて倒せないよ…許して、おじいちゃん…!」


「雄二!?おい、雄二ってば!」


「何でボクのからだにロープを巻き付けるの!?何で崖を目指して歩いてるの!?ねぇ、おじいちゃん…!」


 震えながら、ブツブツ呟く雄二。

 …よく分からないが、昔、この山で余程悲惨な目にあったようだ。

 あの拳山じいちゃんのことだ。

 恐らく、トラウマになるような荒行を雄二に課したのだろう。

 それが再燃してしまったのかも。


「おい!戻ってこい、雄二!」


 頬を往復ビンタで叩くと、雄二の目に正気の光が戻って来た。


「あ、あれ…?俺、一体何を…?」


「やれやれ正気に戻ったか…」


「がはははは…!あのじいさんの孫にしちゃあ、面白い奴だな!」


 胸をなでおろす僕に、豪快に笑いながら力也さんがそう言う。

 いやあの、別段ギャグでも何でもないんですけど…

 と、そこへ、


「とおのさま」


 そうこうしていると、澄んだ声と共に、沙槻さつきさん(戦斎女いくさのいつきめ)がやって来た。


「あ、沙槻さん。どうしました?」


「いえ、まもなく『おりえんてーしょん』とやらがはじまるようですので…」


「ん?こちらの別嬪べっぴんさんは…?」


 力也さんが、目を丸くしてそう聞いてくる。


「ああ、彼女は五猟ごりょう 沙槻さんです。特別住民支援課うちに出向で来ていただいているんです」


 僕がそう紹介すると、沙槻さんは丁寧に頭を下げた。


「はじめまして。おせわになります、あるじさま」


「五猟!?じゃ、じゃあ、あんたが噂の“戦斎女”か…!」


 驚く力也さんに、僕は一瞬不安を抱いた。

 魔を払う“戦斎女”の名前は、妖怪達にとっては古来から畏怖や憎悪の対象にもなっている。

 役場の中ではすっかり打ち解けた彼女だが、外部ではその名を聞き、敵意を表す特別住民ようかいも多いはずだ。

 が、そんな心配をよそに、力也さんは笑いながら、


「そうかい、アンタがあの!愛梨から聞いてるぜ!いつも、うちの女房が世話になってるな!」


「いいえ、あいりさまには、おいしいしょくざいをいただくこともあります。おせわになっているのは、むしろ、わたしのほうです」


 ニッコリ笑う沙槻さん。

 …どうやら、心配は杞憂だったようだ。

 ホッとなる僕。

 と、力也さんはニンマリ笑いながら僕の肩をぐいっと引き寄せた。


「へへ、あんたと同じ部署ってことは…この別嬪さんは、お前さんのか?」


 小指を立てる力也さんに、僕は慌てて首を横に振った。


「ち、違いますよ!何でそうなるんです!?」


「何だぁ?初めての人間の同僚だろうが。まだ、モノにしてないのかよ?」


 意外そうな顔になる力也さん。


「最近の若ぇ連中は、本当に『草食系』だな。俺だったら放っておかないのによ」


 僕達の会話に、沙槻さんはキョトンとした顔になっている。

 そんな沙槻さんの顔をまともに見ることが出来ず、僕は視線を泳がせた。

 確かに特別住民支援課では、沙槻さんは唯一の人間の同僚である。

 そういう意味では、家族を除けば最も身近な人間の女性といえる。

 しかも、ある事情から純粋に好意を寄せられている僕の立場は、彼女を慕う男性陣にとっては、まさに「据え膳」といった状態なのだろうが…

 恋愛について、未だ入門者である僕にとっては「子づくり」前提の彼女の好意は、その、何というか…敷居が高すぎるのである。

 その上、沙槻さんは「子づくり」の何たるかをいまいち理解していない節もある。

 そんな純粋無垢な彼女に手を出す度胸は、いまのところ僕にはなかった。

 そうこうしているうちに、人事担当の職員が力也さんを呼ぶ声がした。


「おっと、部屋の案内が必要だったな…まあ、いずれにしろ宜しく頼むぜ。何かあったら言ってくれよな」


 力也さんは、笑顔でそう言うと宿の中へ向かった。

 それを見送っていた沙槻さんが、不意に僕に小指を立てながら尋ねてきた。


「とおのさま、さきほど、あるじさまがおっしゃっていた『』とはなんのことなのでしょうか?それに『モノにしていない』とは、どういう意味でしょう?」


「…………さ、さあ…何でしょうね…」


「…では、のちほど、ほかのみなさまにうかがってみます」


「お願いですから、それだけは止めて!」


 僕は思わず大声で叫んだ。


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 その後、僕達は大広間でオリエンテーションを行い、研修についての説明を受けた。

 一日のスケジュールは、午前中に法律・条例などの講義を受けつつ、午後は宿屋のスタッフに混ざり、接遇の実地訓練に加わるというのが大まかな流れだ。

 宿泊する部屋は班ごとに男女に分かれ、就寝以外は概ね班ごとの団体行動になる。

 つまり、僕や雄二、沙槻さんは同じ二班なので、一日のほとんどを一緒に過ごすことになる訳だ。


「うーし!どうよ、こんな感じで?」


 そう言いながら、宿屋の案内係スタッフが着る専用の半纏はんてんを羽織り、雄二が顎に手を当てながらポーズをとる。

 ポーズは意味不明だが、体格の良さも相まって「頼れる番頭さん」程度には見えた。


「まあまあじゃないかな。いなせな感じが出てるよ。本職みたいだ」


 僕がそう言うと、雄二はニヤリと笑った。


「そーかそーか。滲み出ちゃってるか、俺の男気が」


 割り当てられた部屋にあった姿見にポーズをとりつつ、鼻歌なんぞ歌い始める雄二。

 まあ、雄二は人懐っこくて社交性があるし、体育会系で鍛えられているせいか、周囲への気配りも出来る方だ。

 接客業には向いているだろう。

 僕は鏡を見た。

 僕に割り当てられたのは、接待係スタッフ用のベストとネクタイ、白手袋である。

 半纏姿である和風の雄二に対し、まんま執事姿である洋風の出で立ちが、深山亭とは少し違和感がある。

 とはいえ、深山亭には和室以外に洋室の部屋もあるようなので、もしかしたら、それに合わせた仕事着なのかも知れない。

 予定では、この後、各係のスタッフにレクチャーを受け、早速実地訓練に向かうことになる。

 雄二はお客さんの荷物を持って部屋まで案内する係。

 僕は、そのお客さんにお茶等を差し出す係を任されることになった。


「おまたせしました、とおのさま」


 そんな声と共に、沙槻さんと何人かの女性職員達が待ち合わせていたホールにやって来た。

 見れば、全員が薄紅色の着物に身を包んだ仲居さん姿だ。

 それを見た僕と雄二は、思わず立ち尽くした。

 沙槻さんは普段、巫女装束である。

 この前、初めてワンピース姿を見たが、その時は見惚れている状況にはなかった。

 先に開催債れた「六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ」で白無垢姿を見たものの、純粋な和装は初めて目にした。

 普段見慣れた巫女装束は、清廉ではあるものの近づき難い印象を受けるが、この着物姿は穏やかで落ち着いた「大和撫子やまとなでしこ」である彼女の魅力を十分に引き出すものだった。


「すげー!マジでカワイイよ、沙槻ちゃん!超似合ってる!うはー!こんな仲居さんに接待されてみてー!」


 和服の沙槻さんを前に、一人悶絶する雄二。

 沙槻さんは、少し恥ずかしそうに顔を赤らめて笑った。


「ありがとうございます、ななもりさま。ななもりさまのいしょうも、よくにあっておいでですよ」


「マジで!?へへー、何を着ても似合っちゃうんだよね、真のイケメンってのはさ!」


 胸を張る雄二を前に、沙槻さんはチラチラと僕の方を見ている。

 何だろう?

 何か用かな…?

 首を傾げていると、一人の女性職員が僕の背中を軽く肘打ちする。


「?」


 振り向く僕に、その女性職員は小声で言った。


(何やってるのよ、十乃君。早く感想!ホレ!)


 女子職員が顎で沙槻さんを指し示す。

 !

 ああ、そうか!


「あ、ええと、その…よく似合ってますよ、沙槻さん」


 すると、沙槻さんはぱぁっと顔を輝かせ、


「あ、ありがとうございます、とおのさま!とおのさまにほめていただけるなんて、わたしはしあわせものです…!」


 周りにいた女性陣にきゃあきゃあ騒がれながら、嬉しそうに笑う沙槻さん。

 …あんな一言で、こんなに喜んでくれるなんて。

 やっぱり…女性というのは、よく分からない。


「とおのさまも、そのいしょうがよくおにあいですよ」


「え?そ、そうかな…?」


「んー…まあ、結構イケてるんじゃない?」


「そうね。本物の執事みたいでカッコいいよ、十乃君」


「『六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ』の時の新郎姿も良かったけど、これもなかなかよね」


 女性陣一同による品評会が始まり、僕は少したじろいだ。

 普段あまりファッションには気を回さない方なので(仕事着とはいえ)こうしたカジュアルな衣装は、仮装っぽくてどうにも気恥ずかしい。

 すると、一人の女性職員が不意に、


「ねぇ、ちょっと執事っぽく何か言ってみてよ」


「ええっ!?執事っぽく…!?」


 突然のリクエストに、僕は困惑した。

 参ったな。

 「執事」の所作なんて、手前味噌もいいとこなんだけど…

 僕は居住まいを正すと、胸に軽く手を当てて一礼した。


「お、お帰りなさいませ、お嬢様…」


 ぎこちない笑顔を浮かべると、女性陣一同が歓声を上げた。


「ちょ、ちょっと良くない?今の、良くない?」


「うん!少し表情が固いけど、磨けば光る原石と見た!」


「よーし、特訓よ!こうなれば特訓あるのみ!」


 何故か鼻息を荒くする女性陣。

 沙槻さんは、熱に浮かされたようにぼうっとした表情で、僕を見てるし。

 不意に始まった「執事のイロハ」に目を白黒させる僕を遠巻きに見ながら、一人ぽつんと取り残された雄二が、


「解せぬ」


 と、恨みがましい目線を向けてきていた。


 いや、不可抗力だってば。

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