第十章 人と妖怪と

【百二丁目】「とりあえず、歯ァ食いしばれ…!」

 秋も半ば。

 「天高く駒肥ゆる秋」とはよく言ったもので、ここ最近は青空が広がり、心も晴れやかになる。

 秋は、吹き抜ける風が心地よいものになり、木々の葉も色づき始め、夕陽が美しい時期だ。

 そして、僕…十乃とおの めぐるの一番好きな季節でもある。

 そんな秋晴れの空に恵まれた、僕達、降神町おりがみちょう役場の一部の職員は、現在、3泊4日の研修に来ていた。

 対象は、男女合わせて30人程の役場に配属になって二年以内の新人職員(特別住民ようかい含む)だ。

 当然、二年目の僕や腐れ縁の悪友、七森ななもり 雄二ゆうじのほか、出向で特別住民支援課に配属になった五猟ごりょう 沙槻さつきさん(戦斎女いくさのいつきめ)も一緒である。

 今回の研修では、法律や接遇、集団行動などを重点的に学ぶことになっている。

 それ以上の詳細は不明だが、気心の知れた年若い職員同士、通常業務を離れての庁外研修という事もあり、行きのバスの中は早くも盛り上がっていた。


「…よーし。じゃあ準備は良いな?」


 移動中のバス座席後部。

 男の職員のみがひっそりと集まり、顔を突き合わせていた。

 座の中心に居るのは、同期の中でも取りまとめ役になっている雄二である。

 その雄二が手にした細長い紙のクジを、居並ぶ男性一同が神妙な顔で見詰めていた。

 そして、雄二が一人ずつクジを引かせる。

 僕も何だか無理矢理引かされた。


「全員行き渡ったな?じゃあ、いっせいーの…」


 「せっ!」の掛け声で、全員がクジの端を確認する。

 その瞬間、


「だあああああっ!くそっ!ハズレたーっ!」

「んだよ、もぉぉぉぉっ!」


 多数の男性職員から絶望の声が上がる中、


「ぃよおおおおおおおしッ!きたッきたぁぁぁぁぁッ!」」


 雄二が心底嬉しそうに快哉を上げる。

 居並ぶ男達から、羨望の視線が注がれる中、雄二は「2」と書かれたクジを握り締め、強敵を倒した後、リング上でコーナーポストに駆け上がったボクサーの様に両手を掲げた。


 説明せねばなるまい。

 先程から男性一同が白熱しているこのクジ、実は研修中の「班分け」を決めるのものである。

 たかが班分け…なのだが、大の男が血眼になっているのは理由がある。

 それは、沙槻さんの存在だった。

 「役場内で恋人にしたい女性職員ナンバーワン」であり「今世紀最強・最後の大和撫子」「リアル清純天使ピュア・エンジェル」「良妻賢母系最終兵器」と諸々の称号を付与された彼女は、目下、役場内の男性職員達のアイドルである。

 今回の研修に彼女が参加すると決まり、同期の男性陣はもとより、前年の参加者からも志願者が現れたというから、もはや滅茶苦茶な人気ぶりだ。

 一部の男性職員からは、毎年研修を企画している人事に対し、脅迫やクレームめいた意見も出たというのだから、本当に恐ろしい。

 と、ここまで言えばご理解いただけたと思うが、この悲喜こもごもの状況は、彼女と同じ班になれたか否かの結果なのである。

 一同の反応から、どうやら沙槻さんは「二班」に振り分けられたようだ。

 それに雄二は見事に同じ班に割り振られたようである。


「くっそー、七森に行ったのかよ!」

「お前、細工したんじゃないだろうな!?」


 ブーイングの中、雄二は親指を下に向け、


「カッカッカッ…バーカ、そんな訳ないだろ。クジは別の奴が作ったんだしよ。ま、これも『日頃の行い』ってヤツよ。悪いね、諸君!」


 「うるせー」「引っ込め、空手バカ」と、男性職員一同から丸めた紙クジを投げつけられる雄二。

 それを勝者の余裕で受け止めていた雄二は、ふと何かに気付いたように、僕に尋ねた。


「そういやぁ、巡、お前は何番だった?」


 こっそりその場を離れようとしていた僕は、ビクッと背中を震わせた。

 その様子に、居並ぶ男性陣(雄二ですら)の視線が剣呑なものに変わる。

 ズカスカと進んできた雄二が、(表面上は)にこやかに僕の肩を掴んだ。


「十乃君、どこに行く気だい?」


「………………少し、花積みおトイレに」


「…バスの走行中に…?」


「…」


「とりあえず、答えてごらん?何番だった?」


「……黙秘します」


 肩を掴む雄二の手に、力が込められる。

 あっ、痛い。

 地味に痛いんだけど。


「お前に黙秘権はない」


 遂に真顔になった雄二の口調が、うって変わって低くなる。


「言え。もしくは引いたクジを寄越せ」


 瞬間。

 クジを丸めて口に中に放り込み、飲み込もうとした僕に、男性陣一同が群がった。


「させるかコイツ!吐け!」

「喉を押えろ!嚥下えんかさすな!」

「ふざけやがって!往生際が悪いんだよ!」


 もみくちゃにされ、強引に口に中からクジを取り出される僕。

 男性陣が一斉にクジを奪取した雄二の手に注目する。


「…2だ…」

「ウソだろ」

「コノヤロウ…どこまでリア充を地で行けば…」


 「ゴゴゴゴゴゴ…!!」という文字を背景に、殺気に満ちた目で僕を見る男性一同。

 あわわわ…こうなるから、一人静かに立ち去ろうとしたのに…!

 と、そこへ雄二が分け入った。


「待て、皆。落ち着けよ。これは正真正銘、運による結果だ。気持ちは分かるが、コイツをいたぶっても仕方が無いだろ?」


 雄二の言葉に、顔を見合わせた後、男性職員達は渋々頷いた。


「そりゃあ…まあ…」

「元々『正々堂々、どんな結果になってもお互い恨みっこなし』って趣旨だったしな」


「だろ?まあ、確かにコイツの職場環境を考えれば、この結果は承服できかねるのは分かるけどよ。ここは一つ、俺の顔に免じて堪えてくれないか?」


 そう言うと、雄二は拳をグッと握り締めた。


「安心しろ。その代わりと言っちゃあ何だが、コイツが良い思いをしないよう、俺がしっかり見張ってやっからよ!」


 おお、と声を上げる男性陣。


「よし!いいだろう。ここは七森に任せるぜ!なあ、いいだろ、皆…!」

「おう!頼むぜ、七森!よーく見張っといてくれよ!」

「命拾いしたな、十乃!七森に感謝しろよ!?」


 何故か、散々な言われようの僕。

 一方で、雄二は何人かの男性職員達と固く握手を交わす。

 同時に、雄二がこっそりと僕に目配せをしてきた。

 ううむ。

 何となく釈然としないが、ここは雄二の機転に感謝するしかないか…

 何せ、普段でも美女・美少女に取り囲まれている僕に対し、同性職員達からのやっかみは激しい。

 加えて、この前に行われた「六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ」の後、間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)や摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)、黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)達と一緒に「一日デート権」を行使したとかで、僕の悪評は目下、ウナギ登りだった(実際は、女性一同に一方的におごらされて終わったのだが…)。

 そんなこんなワイワイやっていると…


「とおのさま」


 鈴の様な声と共に、沙槻さんが傍に寄って来た。

 今日も白衣びゃくえ緋袴ひばかまといった巫女装束に身を包んでいる。

 渦中のアイドルの突然の登場に、場が静まり返った。

 僕は、少し慌てながら、


「さ、沙槻さん、どうしたの?何か用かな…?」


 僕がそう問い返すと、沙槻さんは花の様に微笑みながら、言った。


「はい。ほかのかたから、こちらでだんせいのみなさまが『はん』をきめるそうだんをされているとうかがいまして」


 そこで、沙槻さんは少し心配そうに僕を見上げた。


「とおのさまは、もう『はん』はきまったのですか?」


「あ、ああ、うん…えっと、二班かな…一応」


 すると、沙槻さんは、ぱあっと明るい表情になり、僕の手を取った。


「ほんとうですか!?では、わたしといっしょの『はん』なのですね?」



「う、うん…」


 この背後から感じる殺気の渦は、決して気のせいではないだろう。

 はっきり言って、振り向くのが怖い。

 そんな僕の気も知らずに、沙槻さんは子どものようにはしゃいでいる。

 その時だった。

 カーブに差し掛かったのか、不意にバスが大きく揺れる。


「きゃっ」


「あ、危ない!」


 無邪気にはしゃいでいた沙槻さんがバランスを崩し、倒れそうになる。

 それを僕が慌てて抱き止めた。

 ふんわりと。

 香木の香りが焚きこまれた白衣が、鼻を刺激する。

 とても、いい香りだ。

 初めて触れる沙槻さんの身体は“戦斎女いくさのいつきめ”の伝承にはそぐわない、小柄で華奢なものだった。


「す、すみません、とおのさま」


 僕の腕の中で、抱き止められた形となった沙槻さんが、頬を染めながら、見上げてくる。


 くっ…!

 これは…何という破壊力だ…!


 心臓が早鐘のようになるのを意識しながら、僕は慌てて彼女を引き剥がした。


「だ、大丈夫?怪我はない?」


「はい…とおのさまが、しっかりとだきとめてくださいましたから…」


 恥じらいつつ、少し名残惜しそうに僕を見詰めてくる沙槻さん。

 何というか…役場の男性陣が騒ぎ立てるのもむべなるかな。

 荒事で霊力をふるう凛々しい彼女と、普段の少しうっかり屋さんな彼女のギャップがまた…


「こたびの『けんしゅう』でも、いっしょの『はん』になれて、うれしくおもいます…とおのさま、ふつつかものですが、どうかこんごもすえながくよろしくおねがいします」


「はあ…こちらこそ」


 丁寧にお辞儀をする沙槻さんに、思わず応じてしまう僕。

 静々と立ち去る沙槻さんを見送ってから、僕は自分の置かれた状況を思い出した。


「巡ゥ…」


 そんな低い声と共に肩に置かれた手が、やけに重く感じる。

 振り向きたくはないが、チラリと後ろを振り向くと、そこにはこめかみをひくつかせた雄二と男性陣の姿が見えた。

 雄二がボキボキと指を鳴らす。


「とりあえず、歯ァ食いしばれ…!」


 その後。

 嫉妬に狂った男達による熾烈な私刑リンチが待っていたのは、言うまでもない。

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