【番外地】「彼をどうする気です…?」

 梅雨も後半に差し掛かり、夏の足音が聞こえてきそうな今日この頃。

 たまに晴れたとある週末、僕…十乃とおの めぐるは、降神おりがみ駅前の広場で広場のベンチに腰掛け、ボンヤリと街並みを眺めていた。

 休日と言うこともあり、普段より人出は多い。

 あるいは、久し振りの快晴がさらに拍車を掛けているのかも知れない。

 道行く人々は老若男女、その装い様々だったし、組み合わせも様々だった。

 確かにこんな晴れ間は、絶好の行楽日和だし…絶好のデート日和でもある。


 デート。


 そう、デートである。

 いわゆる、好意を持つ男女が一緒に出掛け、映画を見たり、食事をしたり、手をつないで徘徊したりするアレである。

 ちなみに、今まで女性と付き合ったことのない僕にとっては、完全に未知のイベントだ。

 だが…

 その未知のイベントを、僕は今日、突然こなすことになったのだ。


「…何でこうなるかなぁ…」


 僕は小さく呟いた。

 あれから…「降神町ジューンブライド・パーティー」で、突発的に起きた波乱のゲリライベント「六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ」が終了してから、既に半月が経つ。

 二弐ふたにさん(二口女ふたくちおんな)の巧妙な偽造工作により突如勃発したこのイベントは、その過程で幾多ものアクシデントとトラブルが発生したものの、最終的には優勝者が確定し、終幕となった。

 とは言え、さらに多くの問題が浮上した。


 まず、二弐さん及び一部の特別住民ようかいの協力者の処遇だ。


 「六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ」に協力する形となった飛叢ひむらさん(一反木綿いったんもめん)や釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)、なぎ磯撫いそなで)達ボランティアスタッフのほか、沙牧さまきさん(砂かけ婆)達「守護花嫁ガーディアン・ブライド」の面々は、最終的におとがめなしとなった。

 そもそも彼らは善意のボランティアに過ぎず、その一連の行動(一部は除くが)は全て二弐さんからの指示や要請によるものだったからである。

 まあ、恐らく本人達も途中で薄々「おかしいな」とは感じていただろうが…

 結果、ブレーキにはならなかっただけだ。


 一方で最大の戦犯になったのが、言うまでも無く二弐さん本人である。


 イベント終了直後のドサクサに紛れ、ちゃっかり逃亡を図ろうとした彼女だったが、その動きを読んでいた黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)の要請を受け、秋羽あきはさん(三尺坊さんじゃくぼう)とその配下の「木葉天狗このはてんぐ衆」により即座にその身を確保された。

 そして案の定、黒塚主任にこってりとしぼられることになった。

 まあ、役場の上層部が承認済みのイベント企画を一職員が独自の判断で、しかも上司に内緒で改変したのだから、普通に考えれば懲罰ものである。

 しかも、盛り上げるためとはいえ、それが一般市民を扇動してのものであればなおさらだ。

 ここに至っては、いくら同僚の僕らでも、もはや庇う術がなかった。

 さすがの二弐さんも、得意の弁舌を振るう機会も無く、上層部から呼び出しを受け、査問会に掛けられる寸前までいった。


 だが…ここで、予想外の事態が起きることになる。


 イベント終了直後、何と「六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ」に参加した人妖それぞれの花嫁達から「ぜひ再度開催を…!」という要望が殺到したのだ。

 「守護花嫁ガーディアン・ブライド」の面々や黒塚主任達に叩き伏せられた彼女達だったが、どういうわけか、リベンジに並々ならぬ意欲を燃やしているという。

 飛叢さんや凪、楯壁たてかべさんといったイケメン勢と余程お近付きになりたいのか、単にお祭り騒ぎが楽しかったのかは分からない。


 ただ一つ言えるのは、彼女達の間に人妖を超えたまぎれもない「結びつき」が生まれたのは確かだということ。


 敗れた者同士、共にヤケ酒で盛り上がる。

 共通の強敵の打倒に、真剣に議論を交わす。

 あとは単に「何となくソリが合った」などなど。

 「結びつき」の形は様々だったが、寄せられた声を聴く限り、その真偽を検証するまでもなかった。

 僕個人としても非常に納得しがたい部分はあるが、二弐さんが企てたあのゲリライベントが、予想外の好評を博し、大成功を収めたのは事実なのだ。

 加えて、鉤野こうのさん(針女はりおなご)が経営する「L'konoルコノ」や盾壁さんの「楯壁土建」といった協賛企業からも「次回もぜひ協力を」という連絡が役場にあったらしい。

 つまり、少なくとも両社には、協賛するに値するの効果があのイベントにあったということだろう。

 こうした「神風」が吹き、結果、役場の上層部も「六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ」がもたらした予想以上の反響を認めざるを得なくなった。

 そして、二弐さんは「訓告注意」という極めて軽い処分で職場に復帰したのだった。


「「うふふ…やっぱりお姉さんに任せて正解だったでしょ?」」


 とは、悪びれもしない彼女本人の弁である。

 でも、一つ疑問があった。

 それは二弐さんが、処分覚悟でわざわざあんなゲリライベントを企画した理由だ。

 それについて本人に尋ねると、


「それは…ヒミツ♡」

「でも、?」


 と、これまた謎の返事が返ってきた。

 つくづく解せないことばかりである。


 そう。

 謎といえば僕を狙った殺し屋、三ノ塚さんのづか 凍若衣ともえ舞首まいくび)の一件もある。


 彼女がゴール後にステージで起こしたアクションについては、イベント後「演出だった」と観客に説明し、騒動にはならなかった。

 一方で、秋羽さんの話では、彼女は目下、消息不明とのことだった。

 三つの異なる顔を持つ彼女を捜索するのはなかなか難しいようで、国の精鋭部隊「特別住民対策室」でも捜査の推移を見守っているそうである。

 彼女が何故、特別住民対策室に潜入したのかも分からない。

 また、僕を狙った動機…彼女は「雇い主クライアント」に頼まれたと言っていたが、その正体も不明のままだった。

 しかし、彼女が残した言葉にあったように、僕を狙って再度姿を見せることは予想された。

 そのため、しばらくの間ははやてさん(木葉天狗このはてんぐ)達が、陰から僕の護衛についてくれることとなった。

 僕が思い当たった「狙われる動機」…「の邪魔をした」という凍若衣さんの言葉については、実は黒塚主任や秋羽さんにもまだ話してはいない。

 今の時点では憶測でしかないし、それを口外すれば、僕以外の色々な人達に影響が出るからだ。

 危険な状況ではあると思うが、今はちゃんとした確信を得たら、皆に相談しようと考えている。


「に、兄さん…お、お待たせしました」


 突然そう声を掛けられ、物思いに耽っていた僕は慌てて顔を上げる。

 そこには見慣れた顔があった。

 十乃 美恋みれん…僕の妹だ。

 美恋は、清楚な白のブラウスに淡いセピア色のスカートいった格好で、もじもじしながら立っていた。

 長い黒髪は、白い百合ユリを意匠化した髪留めできれいにまとめられている。


 …ああ。

 普段意識していなかったけど…こうして見ると、美恋こいつももうすっかり年頃の女の子なんだなぁ。

 ちゃんとおしゃれして、そのうち、恋人なんかもできたりして…

 小さな頃、僕の後ろを追い掛け回していた泣き虫の女の子の姿を思い浮かべながら、ふと、僕は一抹の寂しさを感じた。


「…兄さん?どうしたんです?」


 物言わぬ僕に、美恋が怪訝そうな顔でそう声を掛ける。

 僕は我に返ると、手を振った。


「あ、いや、何でもないよ。少し考えごとをしていただけさ」


「それならいいのですが…」


 そう言うと、美恋はチラリと僕に視線を送り、軽く咳払いした。


「…それで…?」


「え?」


「『え?』ではありません。何か言うことはないんですか?」


 美恋が髪をかき上げながら、そっぽを向く。

 僕はポンと手を打った。


「ああ!あのさ、どうしてわざわざ『待ち合わせ』にしたんだい?どうせ同じ家に住んでるんだから、一緒に出ればいいんじゃ…」


 僕の言葉は段々尻すぼみになった。

 仕方がない。

 美恋の表情が、どうしようもなく険しくなっていったのだ。


「…兄さんは、これが『デート』であるということを理解していないんですか!?」


「い、いや!そういうわけじゃないけど…」


「なら、そんなことは聞かないでください!『デート』する以上、待ち合わせは必須イベントです!」


 …そういうもんなのか?

 デート経験がない僕には、まったくもって不可解な世界だ。


「それに!こういう場合、男性が女性に掛ける言葉だってあるでしょう!?」


「え、ええと……………きょ、今日は晴れて良かった…ね…?」


「………兄さんに期待した私がバカでした」


 ガックリと項垂うなだれて、ため息を吐く美恋。

 う、うーむ…

 経験がない以上、仕方がないとはいえ、これはこれで兄の威厳に関わるようなリアクションだ。

 けど、他になんて言えばいいんだ?

 やはり「今日の株価」あたりに触れるなど、インテリジェンス溢れる話題から切り出すべきだったのだろうか…?

 何にせよ、僕がこうして実の妹とデートをすることになったのは理由がある。

 というのも、当の美恋が「六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ」のであるからなのだ。

 正確に言えば、凍若衣さんも優勝者なのだが、彼女は殺し屋であった上に、姿を消してしまった。

 なので、優勝者としての権利は美恋にのみ残ったのである。

 その一方で、美恋自身にも今回とんでもない事態が起きた。


 人間である筈の美恋が、僕とエルフリーデさん、秋羽さんの目の前で“鬼”に変身したのだ。


 鬼化した美恋は、窮地にあった僕を救い、圧倒的な力で凍若衣さんをも退けてくれた。

 が、その直後に意識を失い、姿も元の人間に戻っていた。

 おまけに目を覚ました後、鬼化してした時の記憶がきれいさっぱり消えていたのである。

 鬼化を間近で目撃した秋羽さんは「原因を調べる時間をください」と真剣な顔で僕に告げた。

 一方、エルフリーデさんは早期に気付いていたのか、さして驚いた風もなく「気にするな」というだけだった。

 彼女には、凍若衣さんとの関係についても聞いてみたが、


「済まないが…今は詳しく話せん。が、私のことは信頼して欲しい」


 そう告げて、ゲルトラウデさんと共に去っていった。

 よく分からないが、エルフリーデさんは以前、僕のためにあの強大な乙輪姫いつわひめ天毎逆あまのざこ)とも戦ってくれた。

 少し強引なあの性格には振り回されることも多いが、基本的には信頼のおける人だ。

 だから…僕もあまり深く追及はしないことにした。

 それに、エルフリーデさんは「今は話せない」と言っていた。

 なら、いずれ事の真相を僕達に語ってくれるだろう。

 そう信じることにした。


「…また、ボーっとしてる」


 そう言いながら、美恋が再度僕の顔を覗き込んでくる。

 その様子は、いつも顔を合わせている美恋と何に変わらなかった。

 鬼化について、本人には何も話していない。

 何分、多感な年頃だ。

 いきなり話しても、美恋は戸惑うだろう。

 あの秋羽さんも、調べてみると言ってくれたのだ。 

 美恋自身に何の変化もないなら、今は様子を見るべきだろう。 

 なので、エルフリーデさんと秋羽さんにも、他言しないようにお願いしておいた。

 そして、僕自身も誰にも打ち明けることはせず、胸の内にしまい込むことを決めた。



 思えば。

 僕は重大な過ちを犯していたのかも知れない。

 この時、もっと真剣に、美恋の鬼化のことを考えていれば、或いは…



「何でもないよ」


「…兄さんはそればっかりですね」


 ふくれっ面だった美恋は、ふと心配そうな表情になった。


「私は…そんなに頼りないですか…?」


「えっ?」


「その顔を見れば分かります。兄さん、思い悩むとすぐに顔に出るから」


「…」


 美恋はくるりと背を向けた。


「兄さんは特別住民ようかいの皆さんのために、日々駆けずり回っています。それは立派な仕事だと思いますが…私は心配です」


「美恋…」


特別住民ようかいの皆さんのことは、兄さんが支えています。でも…兄さんのことは一体誰が支えてくれているんですか?」


 そう言って、美恋は少し俯いた。


「私はただの高校生ですし、何の力にもならないでしょうけど…それでも、家族ですし、たった二人きりの兄妹なんです。それなりに兄さんを支えることくらいは出来るつもりです」


 僕は内心、自分の迂闊うかつさを悔やんだ。

 僕の仕事はその特殊性から、様々な危険もある。

 僕自身マヒしかけているが、家族…とりわけ、唯一の兄妹である美恋は、彼女なりに僕のことを案じて不安を抱えていたのだろう。

 思えば、こうして妹と向き合って話す時間なんて、ここ最近は作った記憶がない。


(兄失格だな、僕は…)


 僕は美恋に近付くと、その頭をそっと撫でた。

 それに美恋はハッとなる。


「に、兄さん…?」


「ありがとう、美恋」


 戸惑う美恋に、僕は微笑んだ。


「僕は、本当にいい妹を持ったよ」


「ちょ、ちょっと、子ども扱いは…」


 赤面しながら身を離そうとする美恋に、僕は続けた。


「美恋が心配することなんて、何もない。僕には仲間がいる。友達もね。そして家族…何よりもお前がいてくれる」


 美恋の目が大きく見開かれた。


「大丈夫!僕はどんなことがあっても無事に美恋のところに帰って来る。そして、何があっても絶対にお前を守ってみせるよ…!」


「兄さん…」


「約束だ。兄ちゃんを信じろ、美恋」


 赤面しながら、美恋は少し微笑んで、頭を撫でていた僕の手を取った。


「…いいでしょう。及第点です、兄さん」


「は?」


「何でもありません…さあ、今日はどこに連れて行ってくださるんですか?せっかく優勝したんです。ありきたりなデートでは満たされませんよ?私」


 抜けるような梅雨の合間の晴れた空に、美恋の笑顔はまるで太陽のように輝いていた。


































「…なーんて、盛り上がってるとこ悪いな、ご両人」


 ふと。

 僕達を取り囲むように、数人の女性が立っていることに気付く。


「…えっ!?」


 僕は驚きの声を上げた。

 見れば、間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)、摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)、沙槻さつきさん(戦斎女いくさのいつきめ)、二弐さん、黒塚主任までが勢ぞろいしている!?

 僕は唖然となりながら、尋ねた。


「み、皆さん…勢ぞろいで一体どうしたんですか!?」


「どうしたって…『権利』の行使に来たんだよ」


 ジージャンにホットパンツといったいつものラフな格好で、間車さんがニカッと笑う。


「え?権利?行使?」


 わけが分からないという僕に、何故か浴衣姿の摩矢さんが自らを指さして告げた。


「私達も『六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ』の優勝者だから」


「…へ?」


「おふたりは、すてーじにいらっしゃらなかったのでごぞんじないでしょうが…あのあと、わたしたちもせいげんじかんないに『ごーる』できたんです」


 本邦初公開。

 可愛い桜色のワンピース姿になった沙槻さんが、照れ臭そうに言った。


「このようなしょうぞくは、はじめてですが…いかがですか?にあっていますでしょうか、とおのさま?」


 混乱しつつも、僕は思わず頷いた。


「え、ええ…と思います。とっても…」


 それを聞き、傍らの美恋が物凄い表情で僕を睨んでくる。

 が、僕はそれには気付かない程慌てていた。


「…って、ちょっと待ってください!事情は何となく分かりましたが、何で今日ここに!?」


 確かにルールでは優勝者は男性陣と一日デート出来るようになっていたが、飛叢さんや楯壁さんの姿は無い。

 何となくだが…僕はすごーくがした。


「それが…飛叢さん達が『一日デート権』を放棄しちゃってねぇ」

「優勝者が権利を行使出来ないのはルール違反になっちゃうしねぇ…はい、これ」


 そう言いながら、白いシャツにフレアスカートの二弐さんが、数枚の書類を手渡してくる。

 僕はそれを受け取って読んだ。


「委任状?……って…何です、これ!?」


 そこには。

 「『六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ』の『一日デート権』を僕に委任する」といった趣旨の内容が書かれていた。

 しかも、飛叢さん、釘宮くん、凪、楯壁さんの署名サイン入りだ。

 ワナワナと震える僕に、二弐さんが笑顔で説明する。


「美恋ちゃんと沙槻ちゃんは、それぞれ花束ブーケを持っていたでしょ?」

「で、足りなかった花束ブーケは、主任とフランチェスカさんがりんちゃんと摩矢ちゃんにそれぞれ譲ってくれたのよ」


「そ、そんな…じゃあ、皆さんが今日ここに来たのは…」


「そういうこと♡」

「ルールはルールだもんねぇ」


 二弐さんが、前後の口でクスクスと笑う。

 

「そ、そんな…あ!それなら、主任と二弐さんは何でここに…!?」


 二弐さんの言葉通りなら、二人は優勝者ではないわけだし、ここに来る理由はない筈だ。

 そんな僕に、黒塚主任が答えた。


「ああ、私は二弐こいつの監視役だ」


 二弐さんを指差して、こともなげに答える黒塚主任。

 今日はシックな黒いシャツにモノトーンのスカートといった出で立ちである。


二弐こいつが『企画立案者として、優勝者の権利が最後までちゃんと行使されたか、自分で確認しに行く』と言って、きかないものでな。それに、あんな騒動を起こした直後に、また要らん企てをされても面倒だし」


「嫌ですねぇ、主任。ちゃんと反省してますってば♡」

「それに、わざわざここまで車を出してくれたの、主任じゃないですか~」


 …要するに野次馬だな。

 ジロリと睨む僕に、黒塚主任は涼しげな表情で告げた。


「そういうわけだから、私達のことは気にするな…ああ、そうだ」


 そう言うと、主任は不意に色っぽい流し目で、小指を口元に当てた。


のお返しをしてくれるなら…今日喜んで受けるぞ、十乃」


 「あの夜」とは、僕が主任に「降神町ジューンブライド・パーティー」に、花嫁役として出演を頼んだ時のことだろう。

 そう言えば、あの時は主任が夕飯をご馳走してくれたんだった。

 申し訳なかったから「今度お礼を」と言った記憶も確かにある。

 けど!

 それを今ここで言うなんて…!


 案の定、その妖しげな言い回しに、女性陣一同が途端に色めきだった。


だと!?おい!一体何のことだ、巡…!?」


 僕の襟首を掴んで激昂する間車さん。


「そ、そんな…とおのさまが…くろづかさまと…そんな…」


 瞳のハイライトが消え、ブツブツと呟きながら立ち尽くす沙槻さん。


「…これだけあれば足りるかな?」


 いつの間にか、ペンチや長い針、鎖や三角木馬といった、尋問用と思われる物騒な道具を道端に広げている摩矢さん。


「きゃー♡きゃー♡外道!外道ね、十乃君!」

「そこんとこ、もそっと詳しく!」


 マイク代わりにスマホのボイスレコーダーを起動し、突き付けてくる二弐さん。


 そして。

 傍らでワナワナと震えている美恋。


 次の瞬間、美恋は凍若衣さんもかくやという身も凍る視線で、僕をキッと睨み、叫んだ。


「どおいうことですか、兄さん!!!!!!!!!!」


 結局。

 度重なる尋問と弾劾の果てに、その場にて急遽「特別法廷」まで開かれ、道行く人々の冷ややかな視線を受ける中、弁明も空しく、僕には「有罪」の判決が下された。

 その後、女性陣に対し、高級レストランにて僕のおごりで満漢全席のパーティーが展開されたことを追記しておく。


 …なんでさ(涙)


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 賑やかに歩み去る巡達を、遠巻きに見詰める三人の男女がいた。

 一人は均整のとれた体つきの金髪の和服美女。

 一人は古風なメイド姿の小柄な少女。

 そして…黒いジャケットを羽織った、若い男。

 女性二人は、言うまでも無くリュカとフランチェスカだった。


「フフ、無事に片付いたようですネー♪これぞ『雨降って地価高まる』デース」


 ウインクするリュカに、フランチェスカが冷静に告げる。 


「正確には『地固まる』です、ミス・リュカオン。雨天の度に地価高騰が続くとなれば、この国の経済が破綻します」


「放っとけ、フラン。このワン公の日本かぶれは死んでも治らねぇよ」


 黒いジャケットの男が、面倒臭そうにそう呟きながら、煙草を取り出して咥える。

 次の瞬間、驚くべきことに、男はその指先に炎を灯らせ、煙草に火をつけていた。

 それを気にした風もなく、リュカが反応する。


「No!何度も言ってるでショー!私は犬じゃありまセーン!血統書つきの由緒正しい…」


「へいへい。わーった、わーったってばよ」


 ヒラヒラと手を振りながら、男は遠ざかっていく巡達に目をやった。


「…それより、行かなくていいのか?挨拶くらいできる時間はあるぜ?」


 男の言葉に、リュカとフランチェスカは顔を見合わせる。

 そして、どちらともなく頷き合った。

 遠ざかる巡達の背中を、まぶしいものを見るように見詰めつつリュカが呟く。


「うん。これでいいデース。あの娘達とは今回、訓練先でたまたま知り合っただけネー。でも…」


「はい。またどこかで会える気がします」


 珍しく、フランチェスカが微笑を浮かべ、引き継いだ。

 そんな二人の様子に、男が優しげな笑みを浮かべる。


「…いい出会いだったようだな?」


Ofcourseもちろん!」


「はい、隊長キャプテン。実に有意義な訓練でした」


 そう答える二人の前で、男は咥えた煙草を手から発した炎で消し炭にしてみせる。


「OK。それじゃあ、日常オフはここまでだ。ボチボチ狩りしごとに行くぞ、二人共」


 そう言うと、男は巡達とは反対の方角へと歩き出す。

 リュカとフランチェスカは、迷わずその背中を追った。


「OH、そういえば、私達の訓練の様子、どうでしター?見てたんでショー?」


「30点」


「What!?評価低過ぎマース!あんなに頑張ったの二ー!」


「バーカ。二人共、力を出し過ぎだ。下手したらがバレてただろーが」


「…反省、です」


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 その部屋は、白一色だった。

 外の空気を取り込む窓はなく、訪れた者の目を休ませる観葉植物一つない。

 あるのは、こげ茶色のカーボンデスクと黒いソファーが並ぶ応接セット。

 そして、それらを見下ろす数々の仮面。

 壁に掛けられたペルソナ達は、古い神楽面から南方の旧い土着神を表したものまで様々だ。

 そんな無数の仮面の視線を感じながら、秋羽は少し身じろぎする。

 名高い天狗神「秋葉三尺坊大権現あきはさんじゃくぼうだいごんげん」として知られる彼女ではあるが、この部屋の異様なインテリアにはいつも辟易へきえきする。

 まあ、この部屋の主が変わった性癖の持ち主であることは、この「内閣府特別住民対策室」では周知の事実である上、実質上のトップであることは否めない事実だ。

 で、そのくだんの部屋の主は、秋羽が提出した報告書まきものを横目に、腕を組んで考え込んでいた。


「うーん…『』か…神話伝承では、確かに前例がないわけじゃないけど…」


 そう言いながら、思案顔で唸っているのは、秋羽やつぶら目目連もくもくれん)の上司であり、特別住民対策室長でもある雄賀おが 稀一まれひとだ。

 万年「着たきり雀」である彼は、今日も季節を無視した黒いコートに身を包み、丸眼鏡を掛けている。

 秋羽が記憶する限り、この男がこの出で立ち以外になったところは見たことが無い。

 国家元首が来訪しても、同じ格好で出迎えそうな気がする。


「例えば『道成寺どうじょうじ』の“清姫きよひめ”ですね。彼女は美僧・安珍あんちんに恋焦がれるあまり、夫婦めおとになるという約束を破った彼を蛇体に変じて追い掛け、寺の鐘に隠れた🉃珍を炎で焼き殺した…とされます。もっとも、彼女…美恋さんは“大蛇”ではなく“鬼”だそうですが」


「人が“鬼”に変じた例はないのですか?」


 秋羽の問いに、雄賀は首を横に振った。


「身近な例として、がいるでしょう?」


「…“鬼女”黒塚、ですか」


 秋羽は口をつぐんだ。

 怜悧な美貌の鬼女の顔が、頭の中をよぎる。

 雄賀は頷いた。


「他にも“鬼女”紅葉もみじなんかの伝説もありますしね。恐らく『人が魔性の存在になる』というのは、神秘がありふれていた古い時代には、そう珍しい事例でもなかったのでしょう」


 それだけ、いにしえの闇は濃かったのだ。

 「神秘」が満ち、魔物や妖怪が跳梁跋扈ちょうりょうばっこし、生と死が隣合わせだった時代。

 それだけに人が「人ならざるモノ」に変容するのに十分な条件が揃っていたということだろう。

 しかし…

 

「まあ、まさか神秘が失せつつあるこの現代で『人間の妖怪化』が確認されようとはね」


 雄賀は眼鏡のブリッジを押し上げた。


「いずれにしろ、これが世に広まれば、日本中…いや、世界中が大混乱に陥るでしょうね」


 それは秋羽にも容易に想像できた。

 昨日まで普通の人間だった隣人が、突然鬼や大蛇になると知れ渡れば、まさに社会が根底から覆るだろう。

 いくら「人妖合一」の気風が高まっているとはいえ、まだまだ特別住民ようかい達に対する差別は存在する。

 そして、いつの時代も人間は「異物」をいとい、畏怖する生物だ。

 最悪、特別住民ようかい達に対する未曾有の迫害が引き起こされるかも知れない。


「原因の特定は?それか、対応策はないのですか?」


「手を打つには情報が少なすぎますよ。差し当たって、美恋さんの身体を調査出来れば或いは…といったところですけどね」


 雄賀の眼鏡が光る。


「どうです?一度彼女をうちの研究室に…」


「それは…無理です、室長」


 沈痛な表情になる秋羽。


「彼女は自身の変化を未だ知りません。それに、十乃殿にも『他言無用』と頼み込まれました。彼ら兄妹を引き裂くなど、私には…」


 室内に沈黙が下りる。

 やがて、雄賀は静かに告げた。


「…いいでしょう。何やら事情もあるようですしね。ですが、あまり猶予は無い案件だと思っていてください。事は一組の兄妹だけの問題ではなく、世界の全人類と妖怪達の命運に関わっています。聡明な君なら、それも分かる筈です」


「…」


 秋羽は俯きながら、拳を強く握り締めた。

 雄賀が溜息を吐く。


「まあ、それも一大事ですが…目下の課題は、三ノ塚君の一件ですね。彼女のようなスパイに潜り込まれていたとなると、うちの組織も一回隊員の素性を洗い直す必要が…」


 と、デスクの上の電話が鳴り始める。

 雄賀は受話器を取ると、


「はい、こちらいつも陽気な雄賀室長…ああ、あなたですか」


 そこまで言い、雄賀は苦笑しながら、秋羽に向かって拝むような仕草をする。

 「席を外せ」ということだろう。

 秋羽は一礼すると、静かに部屋を辞した。


『お取り込み中だったかしら?』


 受話器の向こうから、しっとりとした、しかし幾分挑発的な女の声が聞こえてくる。

 秋羽の退室を確認した後、雄賀は僅かに口元を笑みに歪めた。


「いいえ。それより、こちらへのコンタクトは圓君を通じて…という約束だった筈ですが?」


『ああ、そうだったわね。でも、無愛想で話し相手には少し物足りないのよ、あの娘』


「慣れれば、あの素っ気なさが絶妙なんですけどねぇ」


『相変わらず変わった趣味だこと。まあ、冗談はそこまでにして…本題に入らせてもらうわ』


 声の主は少し声のトーンを落として続けた。


『先の契約で交わした約定…考えて頂けたかしら?』


 雄賀は僅かに沈黙した。


「『』のデータの開示なら、先日行った筈ですが?」


『冗談はよして頂戴。あれっぽっちでこちらにリターンがあると思って?』


 声に含まれた険が増す。


『こっちは大事な計画プロジェクトの一つをおじゃんにされてるのよ?あの計画にどれだけ私が腐心したか、ご存知なのかしら?』


「すまみませんが、それはこちらの預かり知らぬことです」


 雄賀はしれっとそう返した。

 声の主が嘆息する。


『…前言撤回するわ、貴方と話すより、あの目隠し娘と会話した方が楽そうね。精神衛生上』


「彼女にそう伝えておきましょう」


 雄賀は二コリと笑った。


「まあ、もう少し時間をくださいな。『』については、もう少し調整が必要なのでね。そちらも、どうせならもっと純度の高いデータが欲しいでしょ?」


『相変わらず、口が達者だこと…でも、覚えていて頂戴。こちらも我慢強くはない、ってね』


 声に笑みが含まれた。


『ボヤボヤしてると『地獄の番犬』の次の標的ターゲットが貴方になるかも知れないわよ…?』


 その一言に、雄賀の表情が一転した。

 雄賀の視線が、秋羽が持ってきた、積み上げられたままの報告書まきものに止まる。


「…ですか。ようやく繋がりましたよ。貴女が十乃君を…」


 雄賀は、珍しく固い表情を浮かべた。

 声の主がクスリと笑う。


『あらら、つい口が滑っちゃったわ。でも、良いじゃない?貴方も彼のこと、放っておくつもりはないんでしょ?『SEPTENTORIONセプテントリオン』の一件もあるしね』


「彼をどうする気です…?」


『こっちもそれなりに調査はしててね…何でも、先の計画破綻の際には、彼が妖怪達の中心で動いていたようじゃない?だから、ささやかなってところかしら』


「そのついでに、こちらのスパイも…というわけですか?」


『さあ?何のことかしらね?』


 一瞬。

 二人は回線を通じて、互いの間に穏やかならぬ空気を察した。


「…待たせるだけの成果はお約束しましょう。丁度、のデータも仕入れられたのでね」


 しばしの沈黙を挟んで、そう雄賀が口を開く。

 それに声の主は静かに応じた。


『期待してるわ』


 そして、通話は切れた。

 受話器を置き、静かに含み笑いを漏らす雄賀。


「期待…か。はは、では、応えなくてはね」


 誰も居ない白い空間の中、黒衣の男が亀裂の様な笑みを浮かべる。

 その視線は、壁に掛けられた仮面の中の一つ…“般若はんにゃ”の面に向けられていた。

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