【六十六丁目】「…本当に、変わりませんね、十乃さん」

  妖怪が現代に姿を見せて二十年。

 その間、人間社会は様々な変化が生じている。

 当初、不意に蘇った妖怪達に対し、人間社会は困惑をもって迎えた。

 その原因の一つが、彼らの容姿である。

 言うまでもなく、伝承に語られる彼らの姿かたちは360度まんべんなく「妖怪」という化け物じみた外見がほとんどだ。

 が、現代に姿を見せた彼らは、いずれもほぼ人間の姿をしており、中には人間以上の美貌を持つ者も多数いた。

 それがプラスに働いたのだろう。

 人間達は思った程抵抗も無く、この異種族を受け入れた。

 そのため、人間社会に高いレベルで適合した妖怪の中には、芸能界デビューを果たすなど、多分野で社会進出をする者も出始めた。


 その一例に「妖怪による起業」がある。


 人間社会の習慣や知識を学んだ妖怪達の中には、商売に興味を持った者もいた。

 無論、妖怪が会社を経営するには、様々な法整備の必要があったが、政府は「妖怪保護」の世論に押され、彼らの市民権をはじめ、人間と変わらない権利付与などの獲得を推し進めた。

 そうしたここ数年、妖怪が起業し、トップを務める企業は少数ながらも業績を伸ばしつつある。

 現在は人々の口端にも上るようになって、取り引きを行う会社も増えているという。

 そして、こうした社会の妖怪迎合に目をつけたある民間企業が、妖怪企業家と連携し、近年、独自の「人間社会適合セミナー」をオープンし始めたのである。


「明るい人妖社会への第一歩!特別住民ようかい専用セミナー『K.a.Iカイ』受講生募集中!…か」


 僕…十乃とおの めぐるは、手にしたチラシに改めて目をやった。

 僕はいま、降神町おりがみちょうの中心市街地を歩いていた。

 ここには、少なからずビルが立ち並び、オフィス街になっている区画がある。

 元々、降神町は特別住民ようかいが集中して住む土地柄であることもあり、彼らが経営する企業のほとんどがこのオフィス街に自社ビルを構えていた。

 今日、ここにやって来たのは、先日発覚した降神町役場主催の特別住民向け人間社会適合セミナー参加者の減少の理由を探るためだ。

 何故ここなのかというと、ふとしたことから「民間企業による特別住民ようかい向け人間社会適合セミナー」の存在を知ったからである。

 このセミナーと役場うちのセミナーの受講者減少との関連性は不明だ。

 しかし、ある点が気になった僕は、休日を使ってここまでやって来たのである。

 ある点…それは、入手したセミナーのチラシに、協賛企業として掲載されていた一つの会社の名前を見付けたからだ。


「『L'konoルコノ』…ここか」


 高層という程ではないが、見上げていれば首が疲れるくらいの高さのビルに、目的の会社名を見付けた僕は、早速中に入った。

 完成して間もないのか、ビルの中はまだ真新しい感じがする。

 白を基調とした清潔でハイソなイメージの館内に、ハイネックのセーターにジーパン、ジャケットといった自分の姿が、えらく場違いなものに感じてしまう。

 僕はそそくさとエレベーターに乗り込むと、目的の階層ボタンを押した。

 程なくして扉が開くと、その正面にガラスのドアが見えた。

 両開きになっているその自動ドアには、お洒落な筆記体で「L'konoルコノ」と書かれている。

 慣れない雰囲気の場所に来た僕は、思わず緊張した。


「アポなしで来ちゃったけど…鉤野こうのさん、いるかな…?」


 そう。

 何を隠そうこの「L'konoルコノ」という会社は、妖怪“針女はりおなご”こと鉤野さんが経営する服飾ブランドなのだ。

 手先が器用で、編み物や刺繍など針仕事が得意な彼女は、服飾のセンスも良かったらしく、その才覚を買われて服飾メーカーに就職。

 そこで実績を積み、晴れて独立して立ち上げたのが、この「L'konoルコノ」だった。

 そして現在、雑誌で見た通り、この業界では飛ぶ鳥を落とす勢いのある企業のトップになっているのである。

 僕や釘宮くん、飛叢さんは普通に接していたが、実はかなりの著名人と一緒に居たことになる。


「ごめんください」


 恐る恐るドアを抜ける。

 赤い絨毯が敷き詰められたフロアと、大きな観葉植物、そして額縁に入った名も知れぬ絵画が僕を出迎えてくれる。

 見るからに高級そうな雰囲気のオフィスだ。

 しかし、豪奢というよりは落ち着いたシックな感じである。


「はーい」


 そう女性の声がした。

 そして、奥から一人の小柄な女性がとてとて走って姿を見せる。

 …小柄といったが、本当に背が小さい。

 摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)よりは背が大きいが、下手をすれば女子中学生のようにも見える。

 しかし、シニヨンに髪をまとめ、ビジネススーツをピシッと着こなし、姿勢よく僕を見上げる姿は堂に入っている。

 不思議なのは、暖かい室内なのに、マフラーを巻いているところか。

 所在無げに立ち尽くす僕に、女性は小首を傾げた。


「どちら様でしょう?」


「あっ、突然お邪魔してスミマセン。僕は十乃といいます。実は…」


「十乃さん!?」


 女性が両手を口に当てて、目を見開く。

 あれ…?

 待てよ…この女性、どこかで…


「お久し振りですね、十乃さん!私です、柏宮かしみや 千尋ちひろ です!」


 僕は目を見開いた。


「柏宮…さん!?」


「はい!」


 柏宮さんがニッコリ笑う。

 しかし、思わぬところで知人に会った。

 彼女は“機尋はたひろ”という特別住民ようかいである。

 “機尋”は布の妖怪だ。

 織り手の女性の怨念がはたで織られた布に憑りつき、蛇の姿と化したもので、外に出たまま帰らぬ夫の行方を探し回るという。

 彼女は、降神役場主催のセミナーの受講者だった。

 慣れない人間社会の慣習に苦労していたが、持ち前の執念深さ…いや、根気強さで高いステージもクリア。

 昨年無事に卒業していった、いわば卒業生の一人である。

 そう言えば、鉤野さんが勤めていた会社に入社したって聞いていたけど…

 多分、鉤野さんが「L'konoルコノ」を起業した時に、一緒について来たのだろう。

 僕とはたった一年間だったが、受講中によく勉強のお手伝いをし、懇意にしていた。

 僕は苦笑した。


「驚いた。すっかり雰囲気も変わっていたから、誰だか分かりませんでした」


「十乃さんこそ、普段着だから分かりませんでしたよ?いつも背広姿しか見て無かったですもん」


 そう言ってニコッと笑う柏宮さん。

 以前の彼女は、もっとおとなしめの性格で、ラフな格好をしておりどちらかというと地味な印象の女性だった。

 いま目の前にいる彼女は、どこに出しても恥ずかしくない、キッチリしたOLである。

 唯一変わっていないのは、いつも巻いていたマフラーだろう。

 僕は笑いながら言った。


「やっぱり、そのマフラーは外さないんですね」


「勿論!これは“機尋”である私が自分で決めたアイデンティティーみたいなものですから!」


 これも以前とは違い、ハキハキとした口調で応える柏宮さん。

 “機尋”である彼女は、このマフラーを通して妖力を行使するから、手放せないのだろう。

 もっとも、マフラーでなくても、布類であれば何でも妖力は行使できるのだが。

 そこで、柏宮さんは少し不安げにマフラーを摘んだ。


「…でも、十乃さんから見ても変ですか?」


 まあ、OLスタイルにマフラーは、少し違和感がある。

 しかし…


「いえ、貴女らしくて、僕は良いと思います」


 そう笑い掛けると、彼女は満面の笑みになった。


「良かった…やっぱり十乃さんは変わってないです」


「柏宮さんは見違えましたね。もう立派に一流企業のOLですよ」


「えへへ…そうですか?」


 照れ笑いを浮かべる柏宮さん。

 受講者時代に必死になって勉強していた姿が、それに重なる。

 僕は思わず微笑んだ。

 僕達がお手伝いをした特別住民ようかいの皆さんが、こうして人間社会にも順応し、立派に働いている姿を見ると、言いえぬ感動を覚える。

 それは素直な嬉しさと、彼らの積み重ねた努力が実を結んだことを実感できるからだ。

 そして、改めて僕はこの仕事に誇りと希望を持つ事ができる。

 人間と妖怪が共存する世界が、また一歩近付いていると、信じることができるのである。


「ところで、十乃さんは何故ここに?今日はお休みみたいですけど…?」


「あっ、そうだ。今日は鉤野さんに会いに来たんですよ」


「社長に?」


 柏宮さんは少し表情を曇らせた。


「スミマセン、十乃さん。社長は今日一日不在なんです」


「そうですか…」


 今日ここに赴いたのは、いま話題の民間セミナーの話を聞くためもあるが、役場のセミナーを長く欠席していることへの聴き取りも兼ねている。

 業務上の話になるが、長期欠席している受講者に対しては、渉外担当である僕が出席を促したり、必要ならば二弐ふたにさん(二口女ふたくちおんな)の個別相談やカウンセリングを勧めることになっているからだ。

 有給休暇を使用してまで行うことではないかも知れないが、鉤野さんとはよく見知った仲だし、気になってしまったのだから仕方がない。


「せっかく来ていただいたのに申し訳ありません」


 頭を下げる柏宮さんに、僕は慌てて手を振った。


「いいんですよ、柏宮さん。アポ無しで来た僕が悪かったんですから」


 そして、少し間を置いて尋ねる。


「柏宮さん、鉤野さんが最近、役場うちのセミナーに出席されないのは、単純にお忙しいからですか…?」


「それは…」


「実は…今日来たのは、これの話を聞こうと思って来たんです」


 民間セミナー「K.a.I」のチラシを見せる僕。

 それを見て、柏宮さんはキッと顔を上げて、僕を見た。


「十乃さん、いまお時間あります?」


「え、ええ…今日は休みですし」


「こちらへどうぞ。少しお話しましょう」


 そう言うと、彼女はオフィスの奥へ僕を案内した。

 そして、会議室らしい一室に入る様に僕を誘導する。

 扉を閉めると、柏宮さんは席に着くよう促した。

 何だか知らないが、彼女の表情は真剣だった。


「十乃さんは『K.a.I』の話をどこまでご存知ですか?」


「お恥ずかしい話ですが…実はつい先日知ったばかりです。新聞やテレビでは、そんな動きがあるって前々から聞いてはいましたけど…」


 柏宮さんは少しの沈黙の後、口を開いた。


「…社長が忙しいのは事実です。その為に役場のセミナーに出席できないのも」


「やっぱり…その、もしかして『K.a.I』の件で?」


「そうです。このセミナーはまだ立ち上げたばかりで、うちの会社も協賛企業として出資しています。そして、社長は『K.a.I』の顧問にもなっておられます」


「鉤野さんが、顧問に?」


特別住民ようかいが企業の社長にまで登り詰めた、理想的なモデルですからね。勿論、社長以外にも『K.a.I』の顧問になっている特別住民ようかいは居ますけど」


「成程。じゃあ、安心した」


 僕が笑いながらそう言うと、柏宮さんは驚いた顔になった。


「…十乃さん、怒ってないんですか?」


「怒る?何でです?」


「だって…あんなに役場のセミナーに出席していた社長がサボって、こんなセミナーの立ち上げに関わってて…その、言うなれば裏切りに近いじゃないですか?」


 ははあ。

 彼女は、役場うちのセミナーの受講者を「K.a.I」が横取りしようとしていることを気にしているのだろう。

 そして、それにより、特別住民支援課の評価にも影響が出ることも。

 笑いながら僕は言った。


「僕はそうは思わないなぁ」


「ええっ、何でです!?」


「だって、妖怪の皆さんが人間達ぼくたちと共存するためのサポート機関が増えるわけでしょう?それなら、役場だって何も言えないし、逆に喜ぶべきことだと思います」


「十乃さん…」


「僕は民間企業に勤めたり、社長になったことがないから、詳しいことは分かりません。でも、鉤野さんの会社がこういう事業にも進出していくってことには、色々と事情があるんだと思ってます。ましてや、鉤野さんは、他の妖怪の皆さんのお手本になるにはうってつけの女性です。なら、活躍できる場は多いに越したことはありません」


 困ったような、嬉しそうな表情になる柏宮さん。

 彼女はこの件で、僕達と鉤野さんの関係が悪化しないか、ずっと心配していたのかも知れない。


「鉤野さんには『いつでも帰ってきてください。皆で待ってます』とお伝えください。あと『働き過ぎでお身体を壊さないように』と」


 僕は柏宮さんを見た。


「無論、貴女もです」


「…本当に、変わりませんね、十乃さん」


 目尻を拭う柏宮さん。

 セミナーを卒業し、知識や慣習を学んだ彼女も、人間社会に出てからは、色々苦労は多いに違いない。

 そんな時は、息抜きがてらに役場のセミナーに顔を出してもらい、他の妖怪の皆さんと旧交を温めるのもの良いだろう。


「では、僕はこれで…」


「あ、待ってください、十乃さん」


 席から立って、失礼しようとした矢先、柏宮さんに呼び止められた。

 見ると、彼女は思い詰めた表情をしていた。


「…これは私の杞憂きゆうであればいいんですが…」


 柏宮さんは、少し声を落として続けた。


「先程も言いましたが、うちの会社はあくまで『K.a.I』の協賛企業です。つまり『K.a.I』の運営を担う母体企業が別に存在します」


「成程。何という会社なんです?」


「『muteミュート』という会社です」


「…聞かない名前の会社ですね」


 頷く柏宮さん。


「そう思って私も調べてみたんですが…実はまったく分かりませんでした」


「分からなかった?」


 僕は彼女に向き直った。


「はい。実績も出資先も不明の謎の企業なんです。代表である人物はいるようですが、それもプロフィールにノイズが多くて、正直ガセネタじゃないかって思える程です」


 何だ。

 何だか、キナ臭い話である。

 僕は彼女に合わせて声を落とした。


「そんな正体不明の会社の事業に、何で鉤野さんや他の企業家が協賛してるんです?怪しいってもんじゃないでしょうに」


「それは…この『mute』の事業に国から補助が出ているからです」


「国…政府から!?」


 僕は驚いた。

 世論に押されているため、日本政府は妖怪達の保護や人間社会への適合化に確かに執心している。

 が、そんな怪しい企業にも補助金を出して、バックアップをしているというのだろうか…?


「…鉤野さんは特に疑ってないんですか?」


「はい。社長は良くも悪くも真っ直ぐな方なので、国の援助がある企業を疑ってはいないように見えます。でも、単純に私自身の調査不足かも知れないので、この話は十乃さんの胸の内にしまっておいてください」


「…分かりました」


「私はもう少し『mute』の情報を調べてみます。何も無ければいいんですが…」


 不安そうになる柏宮さん。

 僕はその横顔に、言い得ぬ不安を感じた。


(…一体何が起こってるんだろう、この町で)

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