【六十五丁目】「知るか“エロ女”」

「はあ…疲れた」


 降神町おりがみちょう役場特別住民支援課。

 自席に戻った僕…十乃とおの めぐるは、ヘトヘトになった身体で椅子に座った。

 時刻は午後4時半。

 あと一時間足らずで閉庁時間だ。


「お疲れさま」

「大変だったようね」


 お茶を出しながら、二弐ふたにさん(二口女ふたくちおんな)がそう苦笑する。


「ありがとうございます」


 僕はお礼を言うと、熱いお茶を一口含んだ。

 僕も自分でお茶を煎れることはあるが、同じ葉で何故ここまで味が変わるのだろう。

 二弐さん独自のテクニックがあるのだろうか。


「ああ…あったまるなあ。これだけで明日からまた戦える…」


「普通のお茶に大袈裟ねぇ」

「でも、喜んでもらえて良かったわぁ」


 前後の口でニコッと笑う二弐さん。

 そのいつものほんわかオーラに癒される。

 そんな二弐さんとは対照的なのが間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)だった。


あまりの奴め!まったく、油断も隙もねぇ!」


 まるで、突撃前のイノシシみたいに荒い鼻息をついている間車さん。

 原因は、今日行われた特別住民ようかいの皆さんによる合宿旅行の発表会にあった。

 発表者の一人、余さん(精螻蛄しょうけら)が女性陣を敵に回すような内容の発表を行おうとし、特別住民の女性陣総出で集団 私刑リンチが勃発。

 騒ぎを聞きつけ、止めに来た筈の間車さん達女子職員数人が事情を知って参戦し、もはや収拾つかない事態になってしまったのだ。

 幸い、黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)が上手く場を取りまとめ、一応、騒ぎは鎮静化した。

 しかし、事の次第の説明を上層部から求められた僕は、呼び出しを受け、たったいま帰って来たところである。


「おい、巡!まさかお前、あいつの資料の中身を見たりしたんじゃないだろうな!?」


 突然、間車さんにギロリと睨まれ、僕は慌てて首を横に振る。


「み、見てません!見てませんよ!大体、資料は個人作成ですから!事前チェックだってしないですし!」


「本当だろうな!?」


 ズズイッと詰め寄られる僕。

 そこに二弐さんが助け船を出してくれた。


「そんなに問い詰めたら、十乃君が可哀そうよ」

「見てないっていってるんだから、信じてあげたら?」


 間車さんは、二弐さんの豊かなバストをジト目で見た。


「余裕の発言だな“二乳女ふたちちおんな”」


「ふ、ふたちちって…私は“二口女”よ!」

「そもそも女性は皆、二つでしょう!?」


「うるさい。特に何もしないでそんなにデカくなりやがって。しかも、まだ膨らんでるとかあり得ないわ、実際」


 完全にひがみモードになっている間車さん。

 間車さんは、決して卑下するようなプロポーションではない。

 が、二弐さんと比べれば、確かに分が悪い。

 いや、この場合、相手が悪いというべきか。

 特にバストについては、二弐さんは黒塚主任をも凌駕する豊かさを持っている。

 先の合宿旅行でも水着姿になり、その圧倒的な迫力で、他の女性陣をたじろがせていたし。

 個人情報をバラされた二弐さんが、真っ赤になる。


「ちょ、ちょっと!さらりと何言ってるの!」

「十乃君の前で変なこと言わないでよ、りんちゃん!」


「知るか“エロ女”」


「え、エロっ…!?もはや“ちち”ですらなくっ!?」

「確かに“二口”に似てるけどっ!?」


 理不尽な言い掛かりと共に完全に矛先向けられ、二弐さんがひるむ。

 よく分からないけど、女性にとって、バストの大きさというのはここまで深刻な確執を生むものなのか…

 そういえば、とある一件で女性化した僕のバストサイズを測った妹の美恋みれんが「大丈夫。落ち着け、私!これは敗北ではない。ただのアクシデントよ」と、真っ青になりながらブツブツ呟いていたが。

 あれも美恋なりに何か思うところがあったのだろうか?


「エロ女といえば…ここ最近、おしずの姿が見えないよな。何かあったのか?」


 この流れでそういきますか、間車さん。

 ちなみに「お静」とは、鉤野こうのさん(針女はりおなご)のことである。

 僕は溜息を吐いた。


「またそんなこと言って…聞かれたら本人に怒られますよ?」


「だってよ、あれこそ正真正銘のエロボディだぜ?なあ、唄子うたこ?」


「確かに。あれだけバランスのいいボディラインとプロポーションの女性は、そうざらにはいないし…」

「実際、同性から見ても淫靡いんびよね、淫靡。おっぱいの張りも形も、あと感度も申し分なかったし」


 何故か頬を紅潮させ、手をわきわきする二弐さん。

 …しかも何だか嬉しそうだし。

 話が妙な方向に行きそうなので、僕は咳払いをして、取りあえず話題を変えることにした。


「鉤野さんが欠席して理由は、多分これでしょう」


 僕は机上の片隅にあった『週刊マドンナ』を開いて見せた。

 鉤野さんの特集記事を見た二人は目を丸くする。


「ははぁ、成程。にしても、こいつはたまげたな!」


「ホント。『美人妖怪社長』ですって、スゴいわねぇ」

「この雑誌、どうしたの?」


沙牧さまきさんにもらったんですよ」


 そう言えば…

 沙牧さん、鉤野さんが役場のセミナーを欠席している理由は他にもあるようなことを臭わせていたな…

 あの後、余さんの一件で大騒ぎになって、うやむやになってしまったけど。


「十乃はいるか?」


 不意に黒塚主任がやって来て、そう言う。

 今日も眼鏡にビジネススーツで身を固め、全く隙が無い。


「あ、はい。何でしょうか?」


 僕は自分の身体に緊張が走るのが分かった。

 先の“天毎逆あまのざこ”事件で、主任が出刃包丁を振るい、戦っている姿を見て以来、その時のインパクトのせいなのか、主任を見ると無意識に身体が強張ってしまう事がある。

 思えば、主任のあんな姿を見たのは初めてだった。

 叱る時など、文字通り角を生やす事もある主任だが、実際に“鬼女”として力を振るう姿を僕は今まで目にしたことが無かった。

 それだけに“安達ヶ原の鬼婆”としての主任の姿は、一種衝撃的だったといえる。

 ちなみに、だからといって僕が主任に恐怖や嫌悪を感じることはない。

 僕は妖怪の多くが、そうした「人の脅威」となる存在であるということは知っているし、だからといって、毎日顔を合わせている主任や間車さん達を避けていたら仕事にならない。

 なので、この緊張感もいずれは慣れていくものだろう。

 そんな僕に、主任が問い掛けてくる。


「すまないが、今月に入ってからのセミナー受講者の出欠記録を出せるか?」


「ええ。それならすぐに」


 僕は自席のパソコンに戻ると、必要なデータを引っ張り出す。

 主任が僕の横に立ち、画面を覗き込んだ。


「これがそうか?」


「はい」


「先月との比は出せるか?」


 僕は頷くと、先月分のデータを表示した。

 主任の眉根が寄る。


「…やはりな」


 そう呟く主任。

 思わず見上げたその横顔に、僕は再び身を固くした。

 思ったより近くに主任の顔があったのもそうだが、白磁のような肌とアップされた烏の濡れ羽色の黒髪、そこから露わになったうなじの稜線に、ドキリとなったからである。

 僕は慌てて画面に目を戻した。


「あ、あの、これが何か?」


「気付かないか?見ろ、この先月に比べて出席者の総数が、目に見えて減ってきている」


 その言葉に、僕はハッとなった。

 確かに先月に比べて、セミナーの出席者数が減っている。

 それも徐々に、担当である僕も気付かない程度にだ。


「前年度比を見たい。出せるか?」


「は、はい」


「…ふむ。昨年度では月ごとの差がほとんど無いか。ということは、やはり時期的な現象ではないな」


 主任の言葉通り、前年度の統計では、月ごとの出席者数の差はほとんどない。

 が、今年度はその差がはっきりしている。


「…そういやあ、送迎バスを回してる時にも思ったんだが」


 間車さんが顎に手を当てながら続けた。


「ここのところ、乗ってく妖怪の数が減ってきてたな」


 運転・送迎担当の間車さんは、役場で開かれるセミナーやイベントに合わせて、町で運営する無料バスの運行を行っている。

 利用者はセミナーの出席者である特別住民ようかいほとんどだが、人間の町民も利用できるため、重宝がられていた。


「そうか…では、間違いないな」


 主任が難しい顔で腕を組む。

 ここ降神町役場で行っている人間社会への適合セミナー参加率は、特別住民ようかいの皆さんだけでなく、実は人間である僕らにとっても重要な意味を持っている。

 それは、彼ら妖怪が人間社会に対し、どれだけ熱意を持って適合しようとしているのか、その目安にもなるからだ。

 受講は決して義務化されている訳ではないが、高ければ高いほど、妖怪達が人間達と共存しようとしていると判断できるし、それだけ人間達も好意的に受け止められる。

 が、反対に軒並み低下していけば、彼らが人間社会に適合しようとする意欲を失っていると心配されることになる。

 無論「卒業生」として社会に巣立っていく妖怪もいるが、釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)や鉤野さんのように本人が望めばいつまでもセミナー受講者として在籍は可能なので、受講者の数は例年横ばいか、僅かに上昇傾向にあったのだが…


「すみません…気付きませんでした」


 セミナーの受講者を増やすため、未参加の特別住民ようかいに対し、参加を促す渉外担当は僕である。

 そして、出席率の悪い受講者の説得なども、同じく僕の役目だった。

 その当人が、この現況に気付かなかったなんて…


「いや、ここのところドタバタが続いていたからな。多少の減は仕方あるまい」


 肩を落とす僕を、主任がそう言って慰めてくれる。


「とはいえ、このまま減少し続けるのも問題だ。至急、原因を洗う必要があるな」


「欠席者を中心に、聞き取り調査をやってみますか?」


「手間だが、それが堅実かも知れん。出来るか、十乃?」


「僕の管轄ですからね。やってみせますよ」


 ショックはあるが、いつまでも落ち込んではいられない。

 主任は頷くと、間車さんに向き直った。


「間車、十乃をサポートしてやれ」


「了解!へへ、久し振りのタッグだな、巡」


 トレードマークのキャップのつばを指で押し上げ、ニッと笑う間車さん。

 今回は荒事とは無縁なのだが、何か嬉しそうである。


「あの~」

「いいですか、主任」


 そこへ、今まで黙っていた二弐さんが手を挙げた。


「どうした、二弐?」


 聞き返す主任に、二弐さんは持っていた『月刊マドンナ』の一ページを開いて見せた。


「関係あるかは分かりませんが…」

「もしかして原因って『コレ』かも」


 そのページは、時事ネタを取り扱う特集ページの様だった。

 そして、そこにはこうデカデカと見出しが躍っていた。。 


「応募者殺到!民間企業主導による『特別住民ようかい専用セミナー』特集」

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