【番外地】「また、会えるよね…?」

「ああ、疲れた…」


 降神町おりがみちょう役場特別住民支援課。

 自分の卓上でパソコンを打っていた僕…十乃とおの めぐるは、大きく背伸びをした。

 現在、午後3時過ぎ。

 窓口に来る来庁者もなく、電話も鳴らない実に平和な午後である。


「…とはいっても」


 のんびりとした空気の中、僕は卓上に積み上げられた書類の山をゲンナリした顔で見降ろした。

 雉鳴山じめいさんでの一件から一週間が過ぎた。

 国からの要請により、特別業務で出張っていた僕らが留守にしていたのは二、三日程。

 僅かな時間とはいえ、その間、業務が全く動かなかったせいか、帰って来た僕を待っていたのは、白い花園ならぬ白い書類の山だった。

 おまけに、役場のみならず、国からも報告書の提出を求められており、その手間も忙しさに拍車をかける。

 手伝ってもらおうにも、間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)と沙槻さつきさん(戦斎女いくさのいつきめ)は有給休暇消化中。

 摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)は、別件で出張中だ。

 頼みの綱の二弐ふたにさん(二口女ふたくちおんな)は、黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)に随行して国へ出頭している。

 つまり、孤軍奮闘状態の僕だった。


「はああ…山登りよりこっちの方がキツいや」


 諦めて、再び画面に向かう僕。

 そこには今回の一件の顛末が書かれていた。


 あの後。

 僕はヤクモさんに身体を返してもらい、ついでに元の男の身体に戻る事が出来た。

 乙輪姫いつわひめ天毎逆あまのざこ)と縁深いヤクモさんの魂と接触したことにより、乙輪姫の権能けんのうが中和されたのかも知れないとのことだったが、実のところ原因は良く分からない。

 まあ、乙輪姫が倒されたことで、彼女の権能けんのうの効力も切れかかっていたようである。

 原因はともかく、僕としては大歓迎だった。

 更にもう一つ朗報があった。

 乙輪姫に迎撃され、消息不明になっていた第一次調査隊が、全員無事で発見されたのだ。

 彼らは乙輪姫によって眠らされ、花園の奥に立っていたお堂に収容されていたらしい。

 これは、摩矢さんのお手柄だった。

 彼女は乙輪姫の目から逃れるために一度「死」を偽装し、その意識が自分から外れたことで、花園の調査に潜入できたとのことだった。


「そんな作戦いつ考えついたんです…?」


「ん、最初から」


 僕の質問に、摩矢さんはしれっとそう答えたのだった。

 「敵を騙すにはまず味方から」とは言っていたが、全く人騒がせにも程がある。

 もっとも、今回ばかりは摩矢さん自身もいくばくか反省はしたようで、この前、僕と沙槻さん、間車さんに『MISTRALミストラル』で、スイーツバイキングをおごってくれた。

 僕はともかく、間車さんは思い切り堪能していたようだし、沙槻さんも初めて目にするきらびやかな洋菓子の軍団に目を輝かせていたので、まあ埋め合わせとしては十分だったのだろう。


「…さて、肝心なのはここからか」


 僕は一人呟いた。

 報告書は佳境に入っている。

 あとは、乙輪姫との決着の部分のみを書くだけだ。


「御免」


 不意にそんな声がしたので、僕は窓口を振り向き、そして目を丸くした。


「あ、秋羽あきはさん!?それにはやてさんまで…!」


「御無沙汰しております、十乃殿」


「息災の様でなによりです。その節は本当にお世話になりました」


 僕の姿を認めると、二人が慇懃無礼に一礼する。


「ど、どうしたんです?二人して」


「突然押し掛けてしまい、失礼しました。実は…」


「あ、待ってください。立ち話もアレですから、どうぞこちらへ」


 僕は慌てて奥の応接セットに二人を案内する。

 二人は腰を落ち着けると、再び謝意を示した。


「で、今日は何のご用で?」


 煎れたお茶を勧め、僕がそう切り出すと、秋羽さん(三尺坊さんじゃくぼう)が微笑んだ。


「黒塚殿から依頼がありまして、十乃殿の手助けに参りました」


「へ?主任から?でも、手助けって…何のです?」


「国への報告書の件です」


 颯さん(木葉天狗このはてんぐ)が説明する。


「ご存知の通り、内容が内容なので、お館様と相談し、不肖私めも微力ながらお手伝いできればと」


「十乃殿もそろそろ報告書を仕上げている頃だろうと思い、お邪魔させていただいたのです」


「ああ、そういう事ですか」


 僕は納得して頷いた。

 彼らは国の機関「特別住民対策室」に所属する特別住民ようかいだ。

 だから、僕達から国へ報告書を出す際に『本当の事』を書いたら、マズイ事になる。

 二人はそのために、口裏合わせの手伝いに来てくれたのだ。


 あれからの事を僕は思い出す。


 ヤクモさんと再会を果たした乙輪姫は、随分としおらしくなった。

 そして、僕達の申し出にも、快く応じてくれた。

 ただし、幾つかの問題が発生したのだ。


 まずは、乙輪姫の処遇だ。

 交渉に応じてくれるのは良いのだが、秋羽さんによれば、彼女の身柄は国に管理される可能性が高いということだった。

 それは今後、彼女の自由が著しく制限される事を意味する。

 これには、間車さんをはじめ、妃道さんや『SPTENTRIONセプテントリオン』の面々、果ては美恋まで猛反対した。

 気持ちは分からなくもない。

 これまで、ひっそりと暮らしてきた彼女が、人間の都合で拘束されるなど、不条理も甚だしい。

 加えて、彼女とヤクモさんとの再会を目の当たりにした女性陣は、いずれも彼女に同情的な感情を持つようになっていた。

 あれだけ派手な戦いを繰り広げていたのに、切っ掛け一つでこうも団結するのだから、女性の心理は全く良く分からない。

 かと言って、彼女一人を放置して帰る訳にもいかなかった。

 いつどんなきっかけで、彼女が発見され、大騒ぎになるか分かったものではない。


 結果、散々もめた結果、秋羽さんが一計を講じた。


「乙輪姫殿の髪を一房、持ち帰らせてください。それで、我らが彼女を退治した事にいたしましょう」


 そして「激戦の末、秋羽さんをはじめとした妖怪達が乙輪姫を退治、消滅させた」という、何とも大胆なでっち上げのシナリオが完成したのである。

 証拠に彼女の髪の毛を持ち帰れば、国の上層部も怪しむ事は無いし、神霊の身体の一部という貴重な研究対象が入手されれば、当分はそちらに夢中になるだろう。


 そして、もう一つの問題は「マシロソウ」の花園だった。

 絶滅したとされているマシロソウだが、これが現存することが分かれば、乱獲に来る連中は増えるだろう。

 ご禁制品である“反魂香はんごんこう”の原料となれば、なおさらだ。

 そこで乙輪姫と鉢合わせれば、折角「消滅」を偽装したのにもかかわらず、彼女の生存が世に明らかになってしまう。

 かといって、花園を廃棄することは乙輪姫自身が強硬に反対した。

 当然だろう。

 この花園があるから、ヤクモさんの魂はこの世に留まれるのだ。

 それが失われれば、二人は二度と再会することは出来なくなってしまう。

 しかし、そこに樹御前いつきごぜん彭侯ほうこう)が折衷案を出した。


「姫様さえよければ、妾の“北無きたなしの森”へ参りませぬか?あそこなら、人も入らぬし、土地もある。それに、花の世話なら妾も手伝えましょう」


 これは乙輪姫にとっても思いがけない福音となった。

 樹御前なら、知己でもあるし、信頼も出来る。

 そして、森自体が結界になり、乙輪姫の妖気を覆い隠す事も可能だ。

 加えて、植物の精霊である彼女の助力があれば、マシロソウの移植やその後の管理も容易になるだろう。


「そういうことなら、あたしらも手伝うよ」


 そう申し出たのは妃道ひどうさん(片輪車かたわぐるま)だった。

 信頼のおける走り屋連中に声を掛け、花の運搬に大型車両やバイクを手配してくれるという。


「では、花の移植は我々が手伝おう」


 エルフリーデさん達もそう言って協力を申し出てくれた。

 霊体であるため、昼夜問わず寝る事も無く働ける彼女達は、労力としては大変頼りになる面々だった。


 こうして。

 乙輪姫と純白の花園は、人も分け入らぬ森の奥で、平穏な日々へと戻って行ったのである。


「でも…」


 僕は秋羽さんと颯さんに問い掛けた。


「お二人は本当に良かったんですか、これで…?」


 全て丸く収まったはいいが、国に属する秋羽さん達は、一歩間違えば実に危うい立場になりかねない。

 神霊である乙輪姫も、反魂香の原料になるマシロソウも、国としては見過ごせない危険因子であることには変わりはない筈だ。

 しかし、秋羽さんは苦笑して、


「仕方がありません。あの場で皆さんと敵対するのは好ましくはなかったですし…何より、私もほだされてしまいましたからね」


 出会った時は堅物の印象が強かった彼女だが、こうして向き合うと、女性らしい一面も見える。

 きっと、彼女も同じ女性として、乙輪姫の心情を知り、思うところがあったのだろう。


「それに遥か昔へ辿れば、彼女は我々天狗の祖でもあります。その…何とかしてやれるのであれば、力になってやりたいのです」


「そうでしたね」


 二人とも乙輪姫には苦汁を舐めさせられているとはいえ、それぞれに思い入れもあるらしい。


「それにしても皮肉なものですな。“天逆毎”を守るために、我ら自身が“天逆毎”のように『本当の事』とは真逆の事を口にせねばならぬとは」


「“嘘も方便”とも言うからな…いや、十乃殿の言葉を借りれば、これも誰かが幸せになる『いい方法』なのかも知れん」


「そうですな」


 秋羽さんの言葉に颯さんが笑って頷く。


「さて、それでは僕は仕事に戻ります」


 三人でひとしきり談笑した後、僕はソファーから立ち上がった。


「では、お二人とも、宜しくお願いしますね」


「お任せあれ。颯よ、パソコン入力の方は任せたぞ。私は出来あがっている十乃殿の報告書をチェックしておこう」


「え゜」


 秋羽さんの指示に、颯さんが固まる。

 それに秋羽さんが怪訝そうな顔になった。


「何だ?何か問題があるのか?」


「いえその…私は機械の類は苦手でして…お館様、交代していただけませんか?」


「…」


 何故か固まる秋羽さん。

 もしや…


「…お二人とも…もしかして、パソコンを触った事が無いんじゃ…」


 更に凝固する天狗達。


 …一体、何しに来たんだ、この二人。


 僕は溜息を吐いた。


「仕方がありません…では、お二人で文章を添削してください」


「…分かりました」


「面目ない…」


 しょげる天狗達に、僕は思わず噴き出した。

 乙輪姫もそうだったが、彼らも十分に人と変わらない存在なのだと。

 そう思うと、僕の笑いは止まらなかった。


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 穏やかな午後の日差しの中、秋の風が吹き抜けていく。

 その風の中、乙輪姫は一人、目の前に広がる白い花園を目を細めて見詰めていた。

 山の上と違い、この森を抜ける風は幾分温かい。

 マシロソウは寒冷な高山に咲く植物だから、この森に根差すのは難しいと思っていた。

 しかし、この森の主でもあり、樹木の精霊“彭侯”である樹御前の力で、花々は枯れることなく根差している。

 森の一角に設けられたその花園には、小さな小屋も建てられていた。

 樹御前が気を利かして、彼女の為に用意してくれたのだ。

 乙輪姫はここで寝起きし、日がな一日、花園の世話をする。

 やって来る者は居ないが、鳥や獣が毎日顔を見せ、時折、樹御前が話し相手になってくれた。

 それは前とは違うが、穏やかな日々であった。


「あー、多忙ひまー。超 多忙ひまー。極 多忙ひまー」


 日課のように呟き、寝転がる。

 秋晴れの空に、白い雲が浮かんでいる。

 退屈しのぎに猛気で撃ち散らそうとして手を上げ、そのまま手を開く。


「…」


 広げた薬指には、小さな指輪がはまっていた。

 白い花で作られた、簡素ながらも美しい指輪である。

 それは。

 長い時を経て、再び出会えたヤクモから贈られたものだった。


 あの日。

 奇跡の再会を果たした後、限られた時間の中だったが、乙輪姫はヤクモと色々な話をした。

 今までのこと。

 そして、これからのこと。

 話は尽きなかったが、その時間は終わりを告げた。


 そして、彼は去って行った。

 だが、その魂はマシロソウの力で、今まで通りこの世に留まっているという。

 原因は不明だが、永く花の力に触れていたためか、彼は花々と共存する存在となったらしい。

 巡の身体に彼の魂が降りた際に、その姿が彼自身のものに変化したのも、その影響によるものではないかとされた。

 それを知った妖怪達の申し出もあり、その厚意に甘えて、彼女はこの森へとやって来た。

 彼女が守っていた花園も、妖怪達の力で無事にこの森へと移植された。


「えへへ…」


 ピッタリと指にはまった指輪に、相好を崩す乙輪姫。

 不思議だった。

 今までと同じく、ヤクモの声も温もりも感じる事は出来ないのに。

 彼女は寂しいとは思わなかった。


「また、会えるよね…?」


 一人、呟いて目を閉じる。

 それはあの日、二度目の別離わかれの際、名残惜しむ彼女へ彼がくれた言葉。

 秋風がその髪を揺らす。

 まるで、彼に撫でられているようだ。

 だから、彼女はうっすらと微笑んだのだった。

 そして。

 その様子を、ほのかな燐光に包まれた若者が、花園の中から静かに見守る。

 その顔には、優しい微笑みが浮かんでいた。


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「…以上が、降神町役場から提出された報告書の中身です」


「御苦労さま」


 内閣府特別住民対策室。

 その室長である雄賀おがは、目の前の女性にねぎらいの言葉を掛ける。

 制服に身を包んだその女性は、一風変わった特徴があった。

 まるで目隠しをするように、両目を紫色の布で覆っている。

 そして、その布には意匠化した白い単眼の紋様が縫い込まれていた。


日羅ひら戦士長からの報告書との差異は、ほぼありません」


「あー、あれね…でも、いい加減、巻き物で提出って何とかなんないものかなぁ」


 辟易へきえきしたように苦笑する雄賀。

 それに女性が冷徹な声で付け加える。


「…言わせてもらえれば、双方の報告書は


「ま、そうなるよね」


 眼鏡を外し、レンズに息を吹きかけ、雄賀は黒いコートの裾でレンズを磨き始めた。

 女性は特に気に掛けず、淡々と告げる。


「如何しますか?所長」


「如何って…?」


「所長もご存知の通り、両者の報告書は明らかに虚偽の内容で構成されています。神霊“天逆毎”はなおも健在。危険植物であるマシロソウの群生地もまた同様です」


「そうみたいだねぇ」


「これは明らかに捏造・造反行為です。しかるべき処置を…」


れんくん」


 不意に名前を呼ばれ、女性は口を閉ざした。

 雄賀は人差し指を口に当て、ウィンクする。


「ま、いいんじゃないですか?とりたてて、今すぐに問題になる訳じゃないし」


「…」


「それにツッコミすぎると、こちらのお尻にも火が点きますよ?」


「それはそうですが…」


うちでうっかり壊してしまった雉鳴山の結界…その中にあんな神霊モノが潜んでいたんです…なーんて、今更言えないでしょ?」


 雄賀はヘラヘラと笑った。


「その厄介者を、彼らは上手く闇に葬ってくれたんです。しかも、こちらは痛くもかゆくもない方法で」


「…では、このまま放置ですか?」


「今のところは…ね」


 含みを持たせた声で、雄賀は卓上にあった書類を取り上げた。


「それより…僕はこっちが気になるなぁ」


「例の少女ですか?」


「うん。君の妖力でモニタリングしていたけど、見ていて久し振りに胸がときめいたよ」


 雄賀の口元が釣り上がる。


…実に興味深い」


 書類に目を落としながら、雄賀が呟く。

 その書類には、マル秘のスタンプが押印されている。

 そして、その片隅にはこう記されていた。


「最優先研究対象:十乃とおの 美恋みれん」と。

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