【五十丁目】「却下です」

 話は一週間前に遡る。


 その異変は、降神町おりがみちょう北部にある山間部で、不意に起きた。

 最初に気付いたのは、日本に散らばる名のある霊的感応者達。

 そして、国の中枢機関に在籍する一部の特別住民ようかい達だった。

 観測者たる彼らの主張は、いずれも「降神町北部に高密度の妖気を放つ“何か”が突如出現した」という点で一致した。

 妖気の濃さから、そのランクは実にカテゴリー「A」…つまり、妖怪や霊的存在など専門に研究する機関が定めたランクで「神霊しんれい」級クラスに相当する。


 「神霊」…専門分野では、一般に「神様」と呼ばれる程の高次的存在の事を指す名称だ。


 平たく言えば「降神町の北部に、神様が顕現した」のである。

 ハッキリ言って、これは大事だ。

 神話や伝説に語られる神々は、神秘や信仰が薄れた現在、この世界にはほぼ存在しない。

 彼らは、遥かな昔、僕達の住むこの世界からは観測不能な「異なる次元」に去ったというのが、神学者・霊科学研究者達の間で語られる通説である。

 そして、ごく一部の者(或いは方法)を除き、彼らと接触コンタクトするのは不可能に近いとされていた。

 そんな存在が、こんな地方都市にひょっこり出現したのだから、国の中枢は慌てたらしい。

 早速、極秘裏の内に調査隊が組まれ、調査に向かった。


 …そして、誰も帰らなかった。


 最後の通信では、一人の隊員が、こう伝えてきたという。


 「もはや打つ手は無い」と。


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「おいおいおいおいおい!」


 不意に間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)が席を立つ。

 降神町役場会議室。

 その中に、特別住民支援課の面々が顔を揃えて居た。

 僕…十乃とおの めぐる

 課の指揮官たる“鬼女きじょ”の黒塚くろづか主任

 運転・送迎担当の“朧車”の間車さん。

 保護担当の“野鉄砲でっぽう”の摩矢まやさん。

 窓口担当の“二口女ふたくちおんな”の二弐ふたにさん。

 最後に、出向で来ている“戦斎女いくさのいつきめ”の沙槻さつきさん。

 全員で、黒塚主任の話を聞いていたところだった。


「ちょっと待てよ、あねさん!何でそんなファイナルバトルっぽい状況がうちらに回ってくんだよ!?」


 合点がいかずにまくしたてる間車さんへ、黒塚主任は、諦めた様に溜息を吐いた。


「間車よ、お前はいつになったら私を『姐さん』以外で呼んでくれるんだ?」


「そんな話は置いておいて!ちゃんと説明してくれよ!国の連中が出張ってそんな有様なんだろ!?あたしらに何が出来るってんだよ!?」


 間車さんの言い分はもっともだ。

 たかが地方都市の役場の職員風情に、そんな窮地で何をしろというのか。


「仕方があるまい。相手は未知の霊的存在だ。そういう手合いと接触・交渉するのも私達の仕事だろう」


 黒塚主任が真顔で言う。


「いや、そんな『何をいまさら』みたいな顔で言われても…」

「第一、神霊級の存在との交渉なんて、降神町役場うちでも初めてなんじゃないですか?」


 二弐さんが不安そうにそう言った。


「そうですよ。そもそも、妖怪相手に交渉するのとは勝手が違うと思います」


 僕がそう言うと、黒塚主任は机に肘をついて、指を組んだ。


「言い分はもっともだが、残念な事にこの手の業務における経験値は、降神町役場うちが国をも凌ぐ勢いなのだ」


 …まあ、基本、妖怪はこの町にしか居ないし。

 下手をすれば、ここの町民の方が国の専門機関の職員よりも怪異の類いに接する機会が多いかも知れない。

 そういう意味では、国の機関でもまだまだ対応不足なのか。

 黒塚主任は続けた。


「それに交渉においては、成功例も高い」


「…そうなんですか?」


「とぼけるな、十乃。その業績の一翼を担っている癖に」


「え?」


 驚く僕に、黒塚主任は薄く笑った。


「発生二千年を超える古妖“彭侯ほうこう”の説得に、致死率の高い怨霊“七人ミサキ”の調伏…入庁二年目の新人にして、お前の実績は破格と言えるぞ」


 …全然自覚が無かった。

 だって、樹御前いつきごぜんのケースは単純に彼女の懐が大きかったお陰だし。

 エルフリーデさんも、結局は善意の行動だった訳だし。


 う。

 間車さんが「お前のせいか」というジト目で見てる…


「…でも、接触が失敗したら?戦闘になる可能性は?」


 摩矢さんが静かに問い正す。

 そうだ。

 仮に接触時点で失敗し、万が一交戦状態になった場合、国の精鋭が集っていたであろう調査隊がそんな結果に終わっているのに、僕達だけで対処が出来るのか?

 主任は沙槻さんを見やった。


「その場合も考慮されて、降神町役場うちにお鉢が回って来たんだろう」


「あちゃあ…そういや、うちには今、沙槻コイツが居たんだった」


 間車さんが顔を手で覆い、天を仰いだ。

 沙槻さんは、良く分かっていない様に、不思議そうな顔をしている。


 つまり…


 国は「何だかよく分からない存在との接触経験・交渉成功率が豊富で、かつ日本有数の霊的戦力(沙槻さん)を擁する」という判断で、僕達を投入する事にしたらしい。

 何とも無茶苦茶な話だ。

 黒塚主任が腕を解いて言った。


「悪い冗談の様ですまんが、状況がひっ迫しているのは事実だ。明日は各々準備期間とし、明後日には現地に飛んでもらう。何か質問はあるか?」


 間車さんが挙手した。


「明日からの休暇申請したら、受理はいつ?」


「一連の問題が解決したらだな。他には?」


「いーや。も、無いっす」


 無駄な抵抗を試みるも、玉砕した間車さんは肩を落とした。


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 二日後、僕達は間車さんの運転で現地…降神町北部の山「雉鳴山じめいさん」に向かった。


「…で、何であたしまで借り出されてんだ?」


 解せない様子で“片輪車かたわぐるま”の妃道ひどうさんがブツブツ呟く。

 だが、彼女のバイクの後ろに乗せてもらっている僕には、良く聞こえなかった。

 ちなみに、間車さんは車の方の運転手。

 摩矢さんは「バイクの音、嫌い」と乗車を拒否。

 沙槻さんもバイクは苦手の様だし、車も荷物で一杯なので、必然的に僕が乗せてもらう事になったのだ。


「間車め!何が『グルメ決定戦の時のお礼がしたい』だよ…これじゃ、ていのいい運び屋じゃないか!」


 ブツブツと何事かを呟き続ける妃道さん。

 よく分からないが、あまり機嫌が良さそうではない。 

 間車さんに呼び出されたようだが、もしかしてまた一悶着あったのだろうか。 

 仕方ない。

 変なしこりが残らないよう、僕からも謝罪しておこう。


「すみません、妃道さん。でも、本当に助かりました」


「別に謝んなくていいよ。あんたのせいじゃないだろ」


 ぶっきらぼうにそう応える妃道さん。

 そして、ポツリと呟いた。


「…ま、これはこれで一応、お礼って形にはなってる、か」


「えっ?お礼?」


「何でもないよ。こっちの話さ」


 気のせいか、フルフェイス越しの顔が少し赤い。

 また、体調が良くないのだろうか。

 妃道さんは、僕の質問を振り払う様に続けた。


「それより、もっとしっかりあたしに掴まっときな!そんなんじゃ振り落とされるよ」


「あ、はい」


 「“スネークバイト”の女王」として恐れられる彼女のドライビングテクニックは、もの凄いものだった。

 確かにバイクに手を添えていただけでは、いずれ振り落とされるかも知れない。

 僕は迷った末に、おずおずと彼女の腰に手を回した。


「じゃ、じゃあ…失礼します」


 その瞬間。

 バイクが派手に蛇行し出した。

 うわわわわわっ!?

 ちょ、危なっ!


「ひ、妃道さんっ!?」


「なななな何でもねえ!少しスリップしただけだ!」


 その割に、何故か妃道さんの声が裏返っている。

 ひええええっ!

 落ちるっ!

 死ぬっ!

 僕は恐怖のあまり、更にギュッと妃道さんに抱きついた。


「なあっ!?あ、あんた、ちょ…やっ、どこ触ってのさ!?」


「だだだって!落ちちゃいますよぅっ!」


 悪いが、こっちも必死だ。

 妃道さんは真っ赤になって叫んだ。


「ああもう!好きにしろ!あと、責任とれよな!」


 そんなこんなで、どうにか現地に着いた。

 降神町北部は険峻な山岳地帯になっている。

 人口も少なく、何となくさびれた感じがする地区だ。

 だが、その代わりに自然は豊富である。

 山林に湖沼、滝や湿地もあり、手つかずの自然が今なお残っている。

 動植物も、かなりの数が生息・分布しているらしい。

 そういえば、最近は近隣で温泉が湧いたというニュースもあったっけ。

 地域が活気づいていく切っ掛けになってくれればよいが。

 そんな静かな環境の中、一カ所だけ物々しい雰囲気に包まれている場所があった。

 雉鳴山麓。

 そこには多数のテントが設営され、警察官や機動隊、果ては自衛隊みたいな人達が集っていた。


「やあやあ、よく来てくれました」


 そう言いながら、僕達を出迎えてくれたのは、夏だというのに黒いコートに身を包んだ一人の優男だった。

微笑みを湛えた、温和そうな男性であるが、緊迫感漂う現場には不釣り合いな感じがした。


「私は、内閣府特別住民管理室の雄賀おがと申します。ここの指揮を任されております」


 僕達の手を取って握手をしながら、ニコニコと笑う雄賀さん。


「おっと…君が十乃君ですね。噂はかねがね聞いていますよ」


「え?僕の…ですか?」


「勿論。新人ながら数々の特別住民ようかいとの交渉を成し遂げてきた、降神町役場の若きエース。同じ特別住民ようかい達と関わる者として、非常に興味深い」


 にこやかな笑みのまま、雄賀さんは続けた。


「聞いていると思いますが、状況は過酷です。ですが、君のようなエキスパートがいれば、光明が見えてくるかも知れません」


「は、はあ…恐縮です」


 僕は思わず頭を掻いた。

 いつも特殊な力を持つ特別住民ようかいの皆さんに囲まれているせいか、自分の仕事にそんな評価をもらった事はない。

 それに、役場には交渉術や折衝能力など、同じ人間でも僕なんかより上の先輩は何人もいる。

 それでも。

 今まで自分がしてきた仕事の事を褒められるのは、悪い気はしなかった。


「早速だけど、あたし達は何をしたらいい?」


 間車さんがそう尋ねると、雄賀さんは頷いた。


「こちらへ。状況を説明しましょう」


 雄賀さんの案内で、僕達は一番大きなテントの中に案内された。

 中には大きな卓があり、付近のものと思われる地図が広げられている。

 図上には様々な印がつけられているが、その中心…雉鳴山の山頂と思われるところに、何故か可愛いクマのぬいぐるみが置かれていた。

 困惑しながら全員が無言で見つめる中、僕達の視線に気が付いた雄賀さんが、照れた様に笑う。


「あ、コレは今回現れた神霊級のマークです。いやー、マーキングするのにちょうどいい物が無くて…クマったなぁ、もう…なーんて、ハハハハ」


 何とも言えない空気になるテント内。

 …一応、ひっ迫してるんだよな、今。


「ご覧の様に、接触対象となる神霊級…私達は仮に『テディちゃん』と呼称していますが…」


「いいえ、正式には『NG《エヌジー》』です。指揮系統が混乱するので、名称の捏造ねつぞうは控えてください、室長」


 不意に鋭い声が、そう横槍を入れる。

 見れば、一人の女性がテントの中に入って来た。

 長身に黒髪を結い上げた、切れ長の目をした日本刀を思わせるクールビューティーだ。

 頭に漆黒の兜巾ときんを巻き、同じく黒いカーボン製と思われる胴丸…昔の武者鎧みたいな防護服を身につけている。

 何というか、その場に居るだけで、不思議な威圧感を発する女性だった。


「ああ、居たのか、秋羽あきは君」


 雄賀さんは、苦笑しながら彼女の脇に立つ。


「紹介しましょう。僕と同じ特別住民管理室で戦士長を務めている、日羅ひら 秋羽あきは君です」


「…」


 紹介された日羅さんは、無言で会釈する。


「まあ」


 それを見て、不意に沙槻さんが声を上げた。


「ごぶさたしております、ひらさま」


「こちらこそ。ご健勝でなによりです、五猟ごりょうの巫女…それと、私の事は名前で呼び捨てにしてくださる筈では?」


「そうでしたね…あきはさま」


 微笑みながら、そう呼んだ沙槻さんに、日羅さんも相好を崩した。

 そうすると、思いの外、柔らかな表情になる。


「何?沙槻の知り合い?」


 間車さんがそう聞くと、沙槻さんが頷く。


「ええ。いぜん、あるまもののとうばつでおせわになったかたです」


 そう言うと、懐かしそうに続けた。


「あきはさまは“さんじゃくぼう”という、とてもえらいてんぐさんなんです」


 ………え。


 沙槻さん、いま“三尺坊さんじゃくぼう”って、言った…?


「ももももしかして…秋葉三尺坊大権現あきはさんじゃくぼうだいごんげんんんんんんんー!?」


 思わず、そう叫ぶ僕。

 これが驚かずにいられようか…!

 “三尺坊”…正式名「秋葉三尺坊大権現」は、古くから遠州(今の静岡県)は秋葉山に奉られる、れっきとした神様である。

 伝承では、その姿は白狐に乗り、剣と羂索けんじゃくを持った烏天狗からすてんぐとなっており、様々な神通力のほか、七十五の眷族を従えるとされる。

 誰もが知っている“天狗てんぐ”は、元々数多の神通力を持つ高位の妖怪はあるが、更なる修道により、神霊に近い存在となった天狗の一人が、三尺坊なのだ。


「ご存じとは光栄です」


 キリッとした表情に戻る日羅…いや、秋羽さん。

 道理で、妙な威圧感がある筈だ。

 それにしても、神に近い妖怪が、国の機関で働いているとは…


「それより、その『NG』って、一体何なのさ?」


 クマのぬいぐるみを見ながら、妃道さんがそう尋ねる。


Namelessネームレス God《ゴッド》…つまり『名も無き神』の略です」


「私は『テディちゃん』の方が親しみやすくて良いと思うんだけど…」


「却下です」


 雄賀さんのささやかな反論を、一言で封殺する秋羽さん。

 全く容赦が無い辺り、二人のパワーバランスがよく見てとれる。

 雄賀さんはションボリとなった。


「…相変わらず、秋羽君は固いなぁ」


「室長がおちゃらけ過ぎなのです。そもそも、正体不明の存在に、親しみを持つ必要性は微塵もありません。この綿人形ぬいぐるみの設置のを容認している分、譲歩していると思ってください」


 一刀両断。

 まさに日本刀の様な切れ味だった。


「そんな事よりも、状況説明の途中だったのでは?」


「あ、ああ、そうだった」


 雄賀さんは咳払いをして、取り出した指し棒を伸ばす。


「先程言った通り、これが対象となる神霊級…『NG』です。現在、雉鳴山頂付近に停滞し、ここ数日目立った動きはありません」


「動かないのか…で、あんたらは指をくわえて見てただけか?」


「ハッキリ言いますねぇ…でも、図星です」


 間車さんの無遠慮な指摘に、雄賀さんは苦笑した。


「政府から指示もあり、迂闊な行動で相手を刺激しないようにしているのです。先の調査隊の一件からして『NG』は、決して我々に友好的な存在ではありません。有する戦力も未知数です」


 秋羽さんがそう補足する。


「今は、その動向を監視し、二次的な被害が出ないようにするのが精一杯なのです」


 神に近い天狗である彼女がいても、ままならないということか。

 …何か、ますます僕達の存在が場違いの様な気がしてきたぞ。


「…とはいえ、ずっとにらめっこをしていても始まりません。そこで今回、第二調査隊を編成し『NG』に接触。その意思を確認したいと思います」


「その第二調査隊ってのに、あたしらが加わる訳か」


「その通りです。ちなみに秋羽君の部隊が同行し、皆さんの護衛に当る事になっています」


 かの三尺坊が護衛とは…

 破格の待遇だ。


「それはたのもしいです。あきはさま、よろしくおねがいいたしますね」


「こちらこそ。我らが眷族、総力をもって御身をお守りいたします、巫女」


 胸に手を添え、そう宣言する秋羽さん。

 何だか、たおやかな王女に忠誠を誓う、凛々しい女騎士のみたいだ。


「妃道、お前はここで帰ってもいいんだぜ。元々、これはあたしらの仕事だしな」


「勝手に呼びつけて、ここで帰れってか…」


 間車さんにそう言われ、妃道さんが鼻を鳴らす。


「冗談だろ。せっかくこんな僻地へきちまで来たんだ。その『神様』ってのを拝んでから帰らせてもらうよ」


「へっ、勝手にしな」


 そう言いながら、間車さんはニヤリと笑う。

 全く、仲が良いのか悪いのか、計りかねる二人である。


「出発は?」


 背中の銃をチェックしながら、摩矢さんが雄賀さんに尋ねる。


「長旅でお疲れかも知れませんが、一時間後ということでひとつ如何でしょう?」


「問題無い。山頂まではどれくらい?」


「人の足で三時間程です」


 うえええええ…

 ゲンナリする僕の背中を、間車さんが笑いながら景気よく叩く。


「ま、せいぜいがんばりな『降神町役場の若きエース』さん」

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