ゲノムコイン

Yuu YOSHIMURA

第1話

渋谷の喫茶店で、僕の目の前では丸眼鏡の男と中学生くらいの少女がココアをすすっている。

「Googleへは行かなかったのか?」

丸眼鏡の男はにやりとしながら言う。

「まあいいや、本題に入ろう。“ゲノムコイン”を知っているか。ブロックチェーン技術で人間の卵細胞を取引するための市場だ。ある遺伝子を持つ人間の卵子と“Gコイン”と呼ばれる暗号通貨を交換することができる。他の暗号通貨と同様にマイニングによって報酬が支払われ、取引所で円や米ドルと交換することができる。欲しい卵子の遺伝子情報をブロックチェーンで募集することができるし、またオークション機能もブロックチェーン上で可能なように実装されている。もちろん募集したりオークションに参加するためにはGコインが必要だ。従って卵子が欲しい者は自国の通貨などをGコインと交換する。これにより為替が生まれる」

「もちろん、こんな取引をどこかの国で実行した場合、一瞬で警察に摘発されるだろう。しかしブロックチェーンよる分散台帳技術と暗号通貨“Zcash”で話題になった“ゼロ知識証明”を利用していて、取引した者をたとえ警察や国家であっても追跡することができない。もちろん警察などが無限の計算資源を持っていないという仮定はある」

「特定の卵細胞は高額で取引されるうえ、卵細胞は1個単位で売買することができる。さて、人間はいくつの卵細胞を持っているか知っているか?」

「人間は生まれた瞬間に最も多くの卵細胞を持っており、その数が少しずつ少なくなっていきやがてゼロになる。やや雑な計算だが、もし15歳から40歳までの25年間で1ヶ月に1度排卵したとすると、25 × 12 = 300となるので約300個の卵細胞は自然に入手できるということになる。ただ、人間はときにより多くを望んでしまう」

「牛などのクローンを作る際に必要となる卵細胞はどうやって入手するだろうか。それは肉となる雌牛の死体の卵巣から入手するわけだ。これと同様にゲノムコインで卵子を売買するにあたっては、持ち主の人間が必ずしも生きている必要はない。もちろん卵子が死んではならないが、卵子が正常な状態であればたとえ持ち主が死んでいても取引とは関係ない」

「問題は君の目の前にいる少女が持っているであろう卵子を全て合計すると日本円で数十億円という値段が付いてしまったことだ。ただ彼女の家系が何かの分野で非常に優れた成果を出したかというとそうではない。なぜそういう値段が付いているのかは自分にも理解できないが、まあそうなっている」

「悪いことに、無料で遺伝子調査を行っていると謳ってゲノムコインで高額に売買できる卵細胞を探している悪質な業者にうっかり彼女の親が手を出してしまったらしくてね。さまざまな非合法組織が資金源として彼女を追跡している。時間が経てば経つほど卵細胞が減っていくので、非合法組織も必死になる」

「ああそう。ゲノムコインは後発のブロックチェーン技術なだけはあって、電子署名などのプリミティブには“同種写像暗号”といった耐量子コンピュータ性のある技術を採用しているので、たとえ実用的な量子コンピュータが手元にあったとしても直ちに破壊できるわけではない」

「君は、(1) 我々をここで殺害するなどして巨万の富を非合法に獲得するか、あるいは (2) 一銭の得にもならないが我々に協力して彼女の卵細胞を守るかだ。二択で選ぶことができる」

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