詐欺とペテンの大百科は辞典である。


 その大きさは手のひらどころか顔まで隠せるほど大きく、指三本よりも厚い。それに似合った重量のあるハードカバーの本だった。


 中身としては、あいうえお順に書き並べられたエピソードは全て実際に行われた詐欺、ペテン、悪ふざけ等が短く、長くても3ページ以内にまとめられていた。


 中には殺人事件のようなのもあるけれど、多くは笑えるような、あるいは今の私たちから見れば信じられないようなエピソードがぎっしりだった。


 ……ビブリオマニアとしては、面白い活字ならなんでも読むつもりだし、読んできたけれども、こういう変化球は、いきなりすぎる気がする。


 それにこの本、私物だった。


 家の本棚、目立つ場所に置いてあって、見はするけれど読みはしない一冊、それを持ってきてしまったのだ。


 詐欺とかペテンとか、そんな辞典持ってるなんて、変な娘と思われちゃったらどうしよう。


 昨日の夜と打って変わって自信がない。


 それでも放課後はやってくる。


「図書室、行かなきゃ」


 わざと声に出して、自分に言い聞かせて、右手に本を、左手に鞄を、持って席を立つ。


 教室を出て廊下を歩く足取りは、期待よりも不安の方が大きかった。


 ……別に、この本を持ってきたからって、見せる必要はないんだ。


 気がついたのは図書室の前についた時だった。


 そうだ、これを隠して、図書室の本を勧めよう。何も考えてないアドリブになるけど、いや、それでどんな本がいいの訊けば話も広がる。もっと一緒にいられる。


 瞬間的に思いついた打開策、軽くなった気持ちと一緒に本を持つ右手を引き戸へ伸ばす。


 と、勝手に開いた。


「「あ」」


 重なる声、目に前の悠太郎の顔、目と目があって見つめ合って、一瞬が永遠みたいに引き伸ばされて、頭が真っ白になる。


 何も考えられない。


 ただ漠然と、ずっとこのままがいいと欲していた。


 ……だけど、そんな夢のような一瞬は、左手から滑り落ちた分厚い本の角が上履きの上から小指を殴りつけて動き出した。


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