第8話
じわりと握った手に汗が浮かぶ。
喉が鳴り、顔が引きつる。
それを必死に隠す珠華を追い詰めるように、琉凰は近づく。
「他にも証拠はあるぞ?李雷辰から面白い事を聞いていてな。貴妃には以前から影武者がいたそうだな?」
ドキ!と心臓が鳴った。
「顔立ちがそっくりな、まさに瓜二つの娘がいると…。彼女は貴妃を守る親衛隊にいるようだ。それを聞いたのを思い出し、あれはそなたの事だろうと思った」
そこまで告げて琉凰が逃さないように、怯んだ珠華の腕を掴んだ。
「どうだ…?そなたは今、貴妃なのか?」
「なっ…!!違う!」
ハッと我に返り、珠華は掴まれた腕を振り払い否定する。しかし、琉凰の手は離れず、ギュッと握られ、顔が触れるほどの距離に引き寄せられた。
「違うのなら貴妃に会いに行っても何ら問題はないだろ。何故そう怯える必要がある?」
グググッと力を入れて琉凰は自分の方に引き寄せ、珠華は逃げようと後ろに引っ張る。
「だからそれは…っ、今はいないからよ!」
「いないのは、そなたがここにいるからだろう?それは認めているという事か?」
珠華が否定して遠ざけようとしても琉凰は信じず、頑なに珠華を貴妃だと疑い、鋭く探ってくる。
「ち、違う!そういう事では…」
「いいや!そうだから、そなたはそんなに否定するのだ。いなくてもいい。貴妃の元に戻ってみればいい。そしたら答えが出るだろう」
ギュッと肩まで掴み、訴えかけるように告げた。
その琉凰の気迫に気圧されて、珠華はグッと言葉を詰まらせた。
その様子に琉凰はフッと笑い、彼女を解放した。
「そなたが影武者で何であれ、今の貴妃は偽者なのかそうではないか…確かめる必要がある」
それは琉凰が珠華の事を知って、貴妃は偽物なのだと確信があるからだ。
(この顔…っ。自分の考えがあたっているって確信してる顔だ!だから、こんなにも強引に…っ)
悔しそうに、グッと唇を噛む。
そしてふと、珠華は掴まれた手首が赤くなっている事に気づき、ぞくりとした。
(陛下は…ここまでわかっていて、何故…?)
いつもと違い乱暴で、どこか焦っているような…。先ほどの彼を思い出して疑問が浮かんだ。
「…陛下。私が貴妃だったから、どうするのですか?」
何故か、気づくとそう口走っていた。
(し、しまった!自分で墓穴を…!)
ハッとして顔を引きつらせる。
「今のは、深い意味は…っ!?」
慌てて言い直そうと、珠華が伏せていた顔を上げると、琉凰は鬼気迫るような必死の表情を浮かべていた。
「処罰はしない。ただ、余の…余が、知りたいからだ」
それは珠華が貴妃の時に、彼が刺客の珠華を呼んだあの雰囲気に似ていた。
(これは…嘘ではないようね)
『処罰はしない』と聞き、そこは安心した。
(でも、自分が知りたいって、私欲のためにこんな所に呼び出したの?確信があるから疑うのよね?私はどうすれば…)
秘密を貫き通す。それは変わらない。
だが、何故か琉凰が自分達を知りたいと思っている事に興味が湧いた。
彼がそこまで知りたいとは…立場以外の何かか?
「いいでしょう。教えてあげます。あなたの言われた通り、私はあの方の影武者でございます。ですが、貴妃ではありません」
本物の貴妃は珠麗だ。
珠華が白状すると、彼は一瞬息を飲み、微かに悲しそうな表情を見せた。
「では、そなたはいつから貴妃の代わりをしていたのだ?」
「え…?いつからって、ただ珠麗様が出られないときに代わっているだけですよ」
あまり代わっていることを告げればボロが出そうで、当たり障りのない返答をした。
「それはいつからしていたのだ?最近の貴妃はずっとそなたではないのか?」
「あ〜…いえ、毒事件では侍女頭を捕まえたときと、裁判の時に代わっていました。珠麗様は出たがっていましたが、危険でしたので私が代わりました」
「そうか…。そうだな。危険性を考えればそうなるな。それで…代わっていたのはいつから?」
なんだろう…。細かいところを探られているが、琉凰は何が知りたいのか。
「あの、陛下。どうしてそこまで知りたいのですか?」
珠華は眉を寄せて、訝しげに尋ねる。
琉凰が何故そう食い付いてくるのかわからなかったからだ。
「貴妃に、言われたからだ。入宮したあの日、余は貴妃と誓った」
それには微かに珠華も驚いた。
あの日、会ったのは、珠華だったからだ。
「貴妃の命は必ず守り抜くと誓ったんだ」
忘れない。
珠華が琉凰に誓わせたこと。
珠麗に何かあれば許さないと、そう固く誓わせた。
「あれには驚いたが…今回の事件で、肝が冷えた。貴妃に誓ったのに、彼女を危険な目に合わせその命を脅かした。でも…」
ふと、彼は言葉を切り、珠華からどこか遠い所を見つめる。
「でも…あの後。貴妃にもう一度会った時、彼女は違うことを言った。まさに、正反対な言葉を。だから余はあのとき、貴妃は二人いるのだろうと思った」
それは初めから疑っていたと言っているようなものだ。
今回の毒事件でのことじゃない。
珠華が更に驚く。しかし、珠華はそのことではなく、あのときの後に会ったという本物の貴妃が、つまり珠麗が何を言っていたのか知りたくなった。
「陛下、それは…中庭で会ったのは私です。あのときは私が珠麗様としてあなたに会いました。あの言葉は私があなたに伝えたかった言葉です」
珠麗はそれを知らないまま、この世を去った。その誓いのやり取りは勝手に珠華がしたものだ。
そう白状すると、今度は琉凰が驚いた。だが、琉凰はそれを咎めず違うことを話した。
「そうか…あのとき誓ったのがそなたなんだな。そうか、そなただけじゃなく貴妃も、互いを大事にしてきたのだな」
「珠麗様も…?それは、一体どういう意味で…?」
彼の意味深な言葉に眉をひそめ、聞き返す。
「貴妃がな、自分の命よりも周りを…大切な者を最優先したいと言ったのだ。そなたは自分、つまりは貴妃を守り抜けと言ったが、貴妃はそばに居る親衛隊や侍医…侍女の知り合いを守るためにここで頑張ると笑って言っていた」
「珠麗様が、そんなことを?」
「ああ。貴妃に聞いてみろ。そなただけじゃなく黄侍医も、あの親衛隊長の慧影も…貴妃は大切に思っている」
何故、今更、それを明かすのか…。
「何故、それを今、私に言うのですか?」
「あんな事があったからだ。またいつ何があるかわからない。だから、命を大切にしろと、余はそなたを気に入っていたからな。ただ、そこには余だけじゃなく、そなたの主人も守るべき貴妃も、そなたを手放したくないほど大切だと何故か伝えたくなった」
珠華は琉凰の言葉に、ハッと胸をつかれた。
知らないのに、まるで知っているかのように話す彼に、泣きそうになった。
(何よそれ…。なんで今更そんなことを言う?知らないくせに…。なにも、珠麗がいない今、命の大切さを語るなんて…!)
「…話は、それだけですか?」
気持ちが揺れ、涙腺が緩む。
今、泣きそうになる自分を必死に取り繕い、珠華はわざと冷たく言った。
「いや、それだけじゃないが…。あのとき、貴妃に初めて贈り物をした。余のために嫁ぐと決めた彼女をどうしても喜ばせたくて。がらにもなく、余は簪を手渡した」
あれは、今でも珠華が使っている。
生前、珠麗が大切にしていたから。
珠華はあの日に珠麗が言っていたことを、ふと思い出した。
『無理はしないでね。私もお姉様が大事だから、お姉様も命を大事にしてね』
珠華から珠麗に、影武者をすると提案した。
そのときからずっと珠麗は珠華を案じていた。
「…どうやら、余はそなたを悲しませたようだな」
突然、琉凰がそう言って、珠華から視線を逸らした。
「えっ?何を急に…?あ、れ…?」
そのとき、はらはらと、頬を冷たいモノが流れた。
「え?えええ?なんで…これ」
我慢していたのに。
涙が、勝手に流れ落ちる。
琉凰が急に珠華から視線を逸らしたのは、泣いている事に気づいたからだ。
(こんな、情けない…!泣いたら、陛下に何もかもバレるじゃないの?)
己を叱咤するが、涙は止まらない。
今まで自分は自分を喪くしてまで珠麗に成りきり、彼女として生きるのだと決めて、この命など大事にしなかった。
それなのに今、生前の珠麗の言葉を聞いて、彼女の奥に押し込めていた感情が一気に溢れ出たのだ。
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