第9話

体調が優れないと夕餉を断り寝室に引きこもると、黒服に着替え変装して、誰にも見つからないように窓から出て行く。



外はすでに日が沈み、暗かった。


好都合だな、と屋根を伝い後宮から離れ、目指したのは皇帝陛下のいる宮殿奥。



寝ていないなら、彼は執務室にいるはず。



朝議のことは、侍女から耳にしている。




今日の昼間に、あの陸志勇が捕まった。



一旦牢屋に閉じ込め、翌日は裁判をする。



「時間が、ない…」



これはすぐにでも専門に確かめてもらわなければならない。確かなる証拠となりそうだ。


棚裏に隠された箱を大事に抱え、珠華は天狼のいる場所に向かう。



あのあと、気まずさから会わないようにした慧影を呼び戻し、天狼の居場所を吐かせた。



慧影はまだ後宮内にいて、内侍省に向かっていた。



彼は彼でまだ他の仕事があったようだが、それを後回しにさせて、慧影を部屋に置き、侑鈴や侍女に貴妃が不在である事がバレないようにして欲しいと頼んだ。



あまり長くはできない、と言われたが、それは珠華もわかっていたのでなるべく短時間で済ませようと、こうして急いでいるのだ。




宮殿は警備が強化されている。



天狼のいる執務室の近くに警備兵はいない。



死角になる場所に移動して、隣の部屋の窓から侵入する。



使われていないようで、人の気配はなく、隣の執務室からくぐもった声が聞こえた。



それは陛下の声だ。


それと、天狼に…洸縁と、雷辰がいる。



陛下を支持する仲間か。



あまり彼等の前に出るのは避けたいが、どうにかこの箱の中にある物を天狼に調べてもらいたい。



珠華は部屋の前に人がいないか確かめてみた。



執務室の扉の前に三人の警備兵がいた。



(三人か…。窓の外は確か、二人だった。窓から行くか)



珠華はもう一度窓から外に出る事にした。



気配を殺し外に出ると、周りを見渡している二人の警備兵に襲いかかり、彼等を一撃で気絶させた。



(ごめんなさい…!ちゃんと急所は外したからっ)



倒れた彼等に心の中で謝罪をして、目的の執務室に移動する。


慎重に窓から中を覗くと、先程までいた四人の姿がない。



(嘘!もう、移動して…!)



慌てて窓に身を乗り出し、中へ入ろうとした瞬間、真横から殺気を感じた。



「動くな」



刹那、低い男の声がして冷たいモノが首元に触れた。



「な…っ!?」



驚いて息を飲む。



目の前に鈍く光る剣が見えた。



あと数センチ中に身を乗り出していたら、その首は確実に飛んでいた。



「ここが、王の執務室だと知っての狼藉か?」



声に聞き覚えがある。



(こ、こいつ…!)



珠華が声の主に気づくと同時に、スッと横から李雷辰が現れた。



剣は動く事なく、彼女の首元に触れている。



「わ…、私は…怪しい、者では…っ」



怪しい者じゃない事を証明したいが、声が掠れる。



喋るとその振動で、皮が切れてしまう。



微かな痛みを感じ顔をしかめると、殺気立った雷辰がそのまま剣に力を込めた。



「止めよ、雷辰」



すると、静まり返った執務室によく通る声が響いた。



その声は、皇帝陛下…緑琉凰の声だった。



ハッ!として雷辰の後ろを見れば、険しい様子の彼の姿があった。



その横には冷めた眼差しを送る洸縁と、興味なさそうにぼんやりしている天狼がいた。



(なによ!みんないるじゃないの!)



彼等は珠華の気配に気づいていたようだ。居なくなったと見せかけ隠れ、先手を打った。



「ここでは斬るな。そなた、何用でこの場に現れた?」



鋭い眼差しを向けてゆっくりと近づいてくる。



珠華だと気付いていないのか、顔を隠しているとはいえ、あの時の態度と違う。



ごくりと唾を飲み込み、剣を収めた雷辰の前に降り立った。



「私はあなたには用はありません。そこの白服の方に用があります」



白服はこの場で天狼だけだ。



珠華が答えると、天狼が微かに驚き、ふと眉を寄せてまじまじと彼女を見つめた。



途端、『あ、お前か』という顔をした。



珠華は視線だけで『そうだ』と答え、天狼も気づかなかった事に少し呆れてしまった。



「白服といえば…黄侍医の事か?何故、彼に用があるのだ?」



険しさは変わらず訝しげる琉凰に、珠華は窓の外に向かって親指を立てる。



「窓の外に見せたい物があるのです。今回の貴妃暗殺未遂に使われたと思われる毒、その証拠品になる物を見つけました」



刹那、ハッと男達は息を飲み、顔色を変えた。



琉凰は雷辰を押しのけ、真っ先に珠華の前に移動した。



一瞬の移動の速さに珠華がギョッとすると、目の前に立った琉凰が彼女の腕を掴み引き寄せた。



「何故そなたが、それを見つけた?」



真正面から冷たく殺気立った目を向けられた。



今にも取って喰われそうな、肉食獣の目のような鋭さにぞっとした。



慌てて距離を取ろうと掴む手を振り払うが、琉凰の腕力には敵わず、彼の手は離れない。



その近づき過ぎる距離にも圧倒されて、ぐっと唇を噛みしめた。



「それは言えません。それよりも早く、証拠品となる物をあの方に調べてもらいたいのですが…っ」



こちらも強気にと睨み返すが、言葉が悪かったのかより一層強く睨まれた。



「言うのが先だ。そなた、誰に仕えている?あの時と今と、まるで貴妃と深い関係があるようだ」



ぎくっと顔が強張る。


(陛下は、私が前に会った刺客だと、気づいていたのか!)



そんな珠華の反応に、彼の眉がピクリとした。


「まさか、本当に貴妃に仕えているのか?」



微かな驚きと困惑から、それが意外に思っているのだと見て取れた。



追い詰められた珠華は強く掴まれた腕をもう一度、今度は本気で払おうと短剣を取り出した。



途端、ハッとしたように琉凰が手を離した。



「陛下っ!貴様ぁ!!陛下に何を…!」



その異変に気付き、雷辰が琉凰を庇って珠華に剣を突きつけた。



緊迫した空気に、珠華本人は内心焦りと怯えでパニックになっていた。



雷辰とこの場で戦うつもりはないが、一斉触発な状況になり、短剣を出したのはいいがどうしようかと思った。



「お待ち下さい、陛下!」



そこに天狼が声を上げて、止めに入った。




琉凰が天狼の方を向くと、天狼はその場に座り、額を床に擦り付けた。



その姿に珠華は驚いて息を飲む。


琉凰は珠華の腕を離し、彼の方に冷ややかな目を向けた。



「なんのつもりだ、黄侍医よ」



「申し訳ございません!その者は私が貴妃様の為にと、独自に調査に向かわせた一人です。決して、怪しい者ではありません!」



素性がわからない珠華のため、天狼は咄嗟に嘘をついた。



「そなたが…この者の、主人と?」



全くの予想外だったらしく、琉凰が軽く目を見張り聞き返した。



「はい、その通りでございます。この者の一族は古くから王家に仕えてきました。あの方に、忠誠を誓った者です」



話に乗ってきた琉凰に、内心ドキドキしながら天狼は自国に居た頃の珠華の立場を話した。



珠華は確かに王家のそれも王の血を引く者だが、姫家に養子に出された身だ。



その後は天狼の言われた通り、自国で珠麗に仕えて王家に忠誠を誓っていた。



「(なるほど…だから、余の誘いに乗らないのか)」



ボソボソと琉凰は鋭い視線を珠華に向けて呟き、もう一度天狼の方に視線を戻した。



「それならば致し方ないな。急ぎの用件だと言っていたな。顔を上げろ、黄侍医。余も聞きたい。この者に話してみよ」



何のお咎めなしに、ホッとしたように顔を開ける天狼。



珠華は琉凰の許可が下るとともに、窓の外に置いた箱を中へと持ってきた。



「これが、その証拠品となる物です」



珠華は三人の男の前でそれを開けた。



中にあった香炉と小さい袋を見て、それぞれハッとしたように険しい表情を見せた。



「寝室の、棚裏に隠されていました。年季の入った物ですが、匂いや付着物からするに最近使われた物だと考えられます。この袋も、件の匂い袋と同じ役割かもしれません。天狼様に、これを調べ頂きたいのです」



天狼にと、彼を名指しすると、他の者も彼の様子が気になったのか、そちらに顔を向けた。



天狼は眉間にシワを寄せ、鋭い目つきで見つめていた。



「これは…棚裏からということもあり、安直に考えれば今回の事件に使われた物だと思われる。しかし、これの置き場が、何故寝室の棚裏なのか…そこが腑に落ちません」



唸るように考える天狼に、珠華はその意味が理解できず眉を寄せた。



「どういうことです?何故、寝室の棚裏にあることが、腑に落ちない?」



理由がわからず問いかける。



「それはこの箱の隠し場所が最も分かりやすい、見つかりやすい場所にあったからですよ」



答えたのは天狼ではなく、今まで黙っていた洸縁だった。



「え…?」



驚いたように彼の方を向くと、洸縁はため息をついた。



「つまり、あの毒事件の犯行に使われただろう貴妃様の部屋、それも寝室の棚裏という場所は、大変見つかりやすい場所です。一度、我々もそこを調査しましたが、その時はこのような物はありませんでした。それなのに、厳しく調査が行われている今、それをそこに隠しておくのでしょうか?あの陸侍中も独自で動き、調べていたのですよ?これではまるで、使った犯人が貴妃様に見つけてくださいと言っているようなものです」



洸縁の推理となる言葉に、珠華は難しい表情で首を傾げ、うーん、と唸る。



まだわからなかったのか、そんな様子に天狼が口を開いた。



「ええ、洸縁様のおっしゃる通り。匂い袋の件もそうですが、宮内でこの噂が耐えないというのに隠しもせず、犯行現場に成り得るその場所に置いていた。これが犯人と繋がる物ならば、それをわざわざそこに置いていたのが謎です」



そこまで言われて、ようやく珠華も気づいた。



黒幕が誰にせよ、今の厳しい管理下の元、犯行に使われたと思われる凶器を犯行現場にわざわざ残した、それが不思議なのだ。



暗殺未遂事件の後、陛下側が調査した時はなかったと、洸縁は言った。


それが今回の騒動で何故か棚裏に隠れていた。




「コレは、確かなる証拠だな。犯人…いや、黒幕に頼まれたのかは知らんが、その者は未だ機会があれば、貴妃を毒殺しようと目論んでいる。一度の毒殺の失敗から刺客を送り、余もろとも暗殺しようとしたがこれも失敗した。もう、後はないだろうな」




どこか楽しそうな笑みを浮かべ、琉凰が言った。




その言葉にゾッとした。



珠華は青ざめた顔で、ギュッと手に力を込める。



頭に侑鈴の顔が浮かんだ。



……まだ、貴妃の命を狙っているのだ。



それも追い詰められた犯人は、今度はなり振り構わず仕掛けてくる。




天狼は陛下に話したのだろうか?



間違いなく、これは彼女が使っていた物だろう。



これを元に茶器に細工し、珠麗に毒を飲ませた。



「天狼様。これを、侑…侍女頭が使ったのですか?」



珠華の口から掠れた声が出る。



天狼がハッとした。



「証拠を、彼女がやったという証拠を掴むと言っていた…。それを、私が見つけてしまった。珠麗様は香炉を使わない。なのにあの場にあったのは…」



「やめろ!今、それを聞いて何になる?」



鋭く静止の声を上げた天狼に、珠華はグッと唇を噛み締めた。



「後がないじゃない。これが寝室にあったということは間違いなく彼女だ!」



叫ぶように天狼に告げて、珠華は琉凰の方に真剣な表情を向けた。



「陛下…!あなたは、珠麗様がどのように殺されたのか、その原因をご存知ですか!?」



「おいっ、その話はまだ…!」



勝手に喋り出した珠華に天狼は怒って詰め寄ると、そんな彼を彼女はキッと鋭く睨みつけた。



「もう時間がないのですよ!?悠長に待っていられない!」



ヒステリックのように大きく声を荒げ、琉凰に向き直った。



「陛下!陸侍中が匂い袋で捕まった今、他にも関与していたと疑うべき者がいます。貴妃様の身近に、それも長いこと、その時期を待っていた」



「そなた…。何を、知っている?」



二人のやり取りに驚いていた琉凰だが、天狼と慧影が調べ上げていたものを珠華が暴露すると、彼は鋭く問いかけた。



天狼は小さく舌打ちした。



これではもう止められない。



琉凰もこれを知りたいようだ。



「あのとき、襲われた珠麗様に使われたのは原因は毒針じゃない。本当はその前に、珠麗様は…」




「待って下さい!その続きは、私からお伝えします!」



すると、天狼が珠華の前に身を乗り出して、珠華の言葉を遮った。



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