第2話

結構、琉凰はいい性格をしている。



「え…?あ、も、申し訳ございません!私も聞いた話で…!」



お偉い人に怒られ慌てふためく平社員がごとく、琉凰は慌てたようにすぐに頭を下げた。



フリだとわかっているが、皇帝陛下自ら謝る姿に珠華はギョッとした。



(へ、陛下!ここまでしなくても…!)



正体を知っているため、心臓に悪い。



さっと青ざめると、ふとあの言い争っていた青髪の武官と内侍省の者に成りすました慧影も青ざめて、何か言いたげな表情をしている。



(あ…この表情。もしかしてこの二人、この警備兵が皇帝陛下だと知っている?)



あの態度や表情からして、そうとしか思えない。


まさか、ここにいる武官と内侍省全員、琉凰に命じられた協力者?




「感心しませんね。根拠のない噂話をこのような場で広めては茗恋様に悪影響が及びます。場をわきまえなさい」



キッと鋭く睨み、琉凰に強い口調で注意した。



琉凰は深いため息をついて、



「ですが侍中様。噂話は私だけではなく既に宮中に広まっています。何もしないでいたらそれこそ…っ!」



そこまで琉凰が言いかけた時だ。



ドン!と突然、陸尚書が慌てたようにその豊満な身体を使って思い切り琉凰に体当たりした。



「くっ…!?」



受け身を取り損ねた琉凰は、そのまま床に前から倒れ込む。



「ひっ…!」


珠華は思わず小さく悲鳴を上げ、琉凰の協力者の方々は凍りついた。



「いやいやっ、侍中様!御自らお越し頂いて感謝します!私もね、さっきから困っていたのですよ。呼ばれてここまできたのはいいんですが、なかなか解決出来ずにありもしない噂話に無理矢理付き合わされていまして、貴方様からこうして注意して下さり助かりました。この者たちももう噂などしないでしょう」



何も知らない陸尚書は手を揉んで、志勇が来てくれた事を大袈裟なくらいに喜ぶ。



「だ、大丈夫ですかっ!?」


「怪我は!?大事ないですか?」



そこに数名の宦官と武官が取り乱したように、琉凰に駆け寄った。



「いや、大丈夫だ」



琉凰は支えながら立ち上がり、淡々とした様子で首を振る。



あれやこれやと周りの者が彼の身体を労わる姿に、珠華も行くか行くまいか迷い、オロオロした。



その様子が陸尚書の癇に障ったらしい。



ただの警備であるはずの彼に対して、大袈裟なくらいに労わる彼らを見て、志勇に自分は被害者なのだと告げていた陸尚書はうるさそうに顔をしかめて、冷たい目を向けた。



「そこ、静かにしたまえ!大袈裟過ぎるよ君達は。侍中様の前だぞ」



そう吐き捨てるように言って、しっしっと犬を追い払うかのように手を払う仕草をした。



「け、刑部尚−−っ!」



見兼ねた青髪の武官が、陸尚書に注意をしようと口を開いたが、それを素早く手で制したのは琉凰だ。



ゆっくりと陸尚書の方に近寄り、彼ではなくその向かいにいる志勇の方に顔を向けた。



「侍中様。私は興味本位でこのような話をしているのではありません。実際に宮中で匂袋の匂いを嗅いだ事のある人がいるんです。それに、あの匂袋の香は紅国でしか手に入らず、香には毒性があると聞きました。今、この二人が話していたのは淑妃様のお香であり、噂話の真相です。広まっていったのはそれが本当の事なのか知りたいからじゃないでしょうか?このまま何も調査しなければ、ますます淑妃様にも迷惑がかかると思うのです」



そう丁寧に彼の言葉を逆手に取って強く切り込むと、志勇の眉がピクリと動いた。



刹那、スゥと目が据わり、冷たく殺気立った表情を向ける。



珠華はごくりと息をのみ、周りは動揺する。



真っ正面から受ける琉凰本人だけ、平然としているようだ。




「あ、あの…!!どうか、私たちからもお願いします!」


「この方の言う通り、調査を早めて下さい!」



そこに見かねた言い争いの二人が、慌てて琉凰の前に出て頭を下げた。



このままでは兵が門下省を怒らせたと、また違う問題が起きてしまう。



調査をしてもらわないといけないのに、ますます面倒な事になると考えて、彼等はこの場の空気を変えようと無理矢理割りこんだ。



「何を…っ」


琉凰が微かに舌打ちして、邪魔した二人を押し退けるように前に出ようとした。そこを青髪の武官が止めて、何やらコソコソ話し始めた。



(ふぅ…ヒヤヒヤするわ。今、陛下が彼を怒らせたら調査は難航する。それに本物の整備兵が可哀想だ。解雇になるかもしれない)



珠華は二人が止めた事にホッとした。



ここまで来て喧嘩されては、事件の調査ができなくなるところだった。



「あなたたちがいくら言っても、そのような噂話を調べるつもりはありません。噂をいちいち調べていたらきりがありません。私達は忙しい身だ。煩わせないで頂きたい」



志勇は彼等を蔑んだ目で見つめ、冷たく言い放った。



「いちいち…?忙しい?そんな理由で臣下の言葉に耳を傾けず、独断で決めつけるのですか?」



しかし、琉凰は食い下がることなく彼に詰め寄る。



それには流石の珠華も肝を冷やし、二人はやめてくれ、と言いたげに頭を抱えた。



「なんとでもいいなさい。あなた達の噂話は信憑性がない。茗恋様が使う香に毒性がある事も、武官と密会なんて…あるわけがないっ」



最後あたりは怒りに身を震わせて、琉凰の噂話を強く否定した。



「待って下さい。何故、そう言い切れますか?侍中様だって知らないのでしょう?いや、まさか…匂袋の事を知っていて、それを調べられない理由でもあるのですか?」



しかし、琉凰は熱くムキになった志勇に疑いの眼差しを向けて、彼をさらに追いこんだ。



「…なっ!あなた…何を馬鹿な事を…」



すると、一瞬志勇が息を呑み、表情を強張らせた。


それはすぐに冷たい表情に変わり、琉凰に何か言い返そうと口を開いた。




「−−−待って下さいっ!!」



その瞬間、誰かの呼び止める叫び声がした。



ハッとして志勇は我に返って、琉凰は怪訝そうに振り向く。他の皆も驚いたように一斉に振り返った。



そこには刑部の官吏がいた。



走ってきたのか息を切らせ、青ざめた顔で立っていた。



「な、何だね君!いきなり現れて持ち場から離れるなんて…!仕事はっ!?」



対峙する二人を止めるように声を上げたのが、突然現れた部下だったことに陸尚書は青ざめ、慌てふためいた。



「あっ…!陸尚書、良かった!」



だが、部下は上官の顔を見て、ホッとしたようだ。



「何がいいかね!?職務を放り投げて…っ」



「いえっ!それどころではないのです!」



彼は上官の言葉を遮り、切羽詰まった声で叫んだ。



「はっ?君は一体…」



上官に逆らうのか、と顔を歪める。



「大変なんです!上から突然、調査が入ったんですよ!陛下の勅命らしく、刑部は今、軍に制圧されています!」



刹那、陸尚書は驚愕して、その向かいにいる志勇は愕然としたように蒼白になった。




(軍が刑部にって、これ…さっき陛下が言っていたことよね?じゃあ、これも総て作戦なの?)



事前に聞いていたが、琉凰の強引なやり方に驚く。



珠華は慌てて琉凰に近づき彼の腕を掴んだ。



「おい、何を…」



「(ちょっと!どういうことですか?)」



微かに驚いた彼に身を寄せ、周りに聞こえないように声を落として告げる。



怒ったように睨みつける珠華に驚いていた琉凰は、彼女が何に怒っているのか気づき、微かにため息をついた。


「(見ただろう?あの男の態度を。あのまま調査を進めてもらっても、奴は結果を出さない。なら、後はこちらで奴を出し抜いてやるしかない)」



彼も周りに聞こえないように小声で話した。



その答えに珠華は息を呑み、チラッと志勇に視線を向ける。



彼は青ざめた表情で知らせに来た官吏に詰め寄っていた。



「(あれは…確かに匂袋の話を嫌がっていました。でも、それだけでは彼が関係しているとわかりません。その匂袋の話も本当かわからないのでしょ?あれではただ、彼を怒らせようとしただけだ)」



「(もちろん証拠にはならんな。この話を聞けば怪しいと思われるのは香の持ち主か、その匂袋を持っていた武官だ。だが、奴はこの話に興味を持ち、ムキになって言い返してきた。あの冷静沈着な奴がだぞ?何かあるから、奴は興味を示したんだ。この匂袋に使っていた香には毒性があるからな)」



そこまで告げて、琉凰が志勇に向けてふっと冷笑する。


それにドキッとしたが、珠華は彼の言葉を反芻してギョッとした。


「えっ…?じゃあ、本当にあの匂袋を持っていた人が怪しいと…!」



驚きに段々と声の音量が大きくなり、琉凰が「しっ!」と口元で人差し指を立てた。



「(あ…っ、すいません!でも、本当に、その香に毒性があるんですか?犯人は淑妃様だと?)」



「いいや。まだはっきりとはわからない。ただ、あの香を口にすると、耐性が無い者には毒になるらしい。それも含めてもういち一度調べようと、刑部を制圧した。だが、これではっきりしたな。あの陸志勇は、確実に朱茗恋と関係を持っている」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る