第三章 夫婦探偵の探り合い

第1話

琉凰と珠華が連れ立って向かった先では、琉凰が騙して演技させている武官と何も知らないであろう宦官が言い争う姿が見えた。




そのすぐ目の前で呼び出された刑部尚書の陸定佳が、うんざりした様子で頭を抱えている。



それを少し離れた建物の陰から、陸志勇が見つめていた。



「そなたは余の後について参れ」



「えっ?あそこに行くのですか?」



琉凰が堂々と出て行くことに珠華は驚き、思わずそう聞き返す。



すると、何故か琉凰はあきれたような顔をした。



「ああ、そうだ。そなたは何故、余が刑部尚書を呼んだと思う?」



「え…?」



何故今更そんなことを聞くのか分からず、珠華は困惑した。



その反応に彼は深いため息をついた。



「ただ刑部省を調べるためだけに尚書を動かしたわけじゃない。あくまで余の目的は貴妃事件の関係者だ。あの者はやたら最近刑部に干渉し、貴妃の事件に関わっている。そなたからあの者が後宮で毒やら何やら話をしていたと言ったな。余はそれを聞いてあの者が刑部が調べている毒に心当たり…いや、関係があるのかもしれないと思ったのだ」



「あ…」



そこまで言われて、ふと気づく。



琉凰が兵に化けてこんな芝居をしたのは、全部志勇の動向を探るためだ。そこに隠された貴妃暗殺未遂事件に関する情報を得ることと、それに深く関わっている彼が今から何をしようとしているか暴くため。



(あのとき、あの蒼衣の男と陸志勇は毒とか言って、珠麗殺害について話をしていた。だけど、調べている筈の刑部はまだ使われた毒がなんなのかも掴んでいなかった。陸志勇ほどの位の高い男が、自らこの件に関わっているのは?)



あの琉凰は珠華の話を聞いて、ますます志勇が怪しいと思い彼の動向を自ら探ろうとしているのだ。



(あ、でも…いいのか?私が、これを知っても)



だが、そのことを全部知ってもいいのかと、珠華は不安になる。



琉凰はまだ珠華を刺客だと思っている。




もし万が一、本当に珠華が刺客で、志勇と何らかの関係があって知り合いだとしたら、普通はここまで話さないだろう。



…というよりも、刺客に話していい内容ではない。



珠華が瞬時に顔を曇らせ、琉凰にどう伝えようかと迷った。



「どうした…?」



その反応に彼が気づき、訝しげに眉を寄せて尋ねる。



珠華はハッとしたように表情を引き締めたが、やはり曇った表情は崩せなかった。



「あの…陛下。私のような者にそのような大事な話していいのですか?」



聞かないといけない。



皇帝陛下が何を思って刺客だと思っている相手に話したのか、珠華は知らないと。



すると、琉凰はその質問に一瞬驚いたように目を見張った。だが何故か、そのあとすぐに微かに柔らかな笑みを浮かべる。



(わ…っ!こんな顔もするんだ)



その初めて見る笑みにドキッとした。


だが次の瞬間、その笑みは消えて、代わりにいつもの冷めたような表情を向けた。



「それも聞くだけ時間の無駄だ」



そう冷ややかに呟き、くるりと前を向いた。



怒らせたのか、と蒼白になる。



(ああ…最悪。聞かなきゃ良かった)



琉凰はそのまま答えることなく、帽子を被り直して現場の方に近づいていく。



珠華は動きを止め、彼の怒りに触れてしまったのかと不安になったが、視界に志勇が入って、ハッと我に返った。




(いけない!しっかりしろ!今は調査に集中しないと!)




バン!と気合いを入れて両頬を叩く。



不安を消して、珠華も琉凰に続き現場に向かった。




「…怪しげなお香を持っていたと言っているではないですか!!」




現場の話し声が聞こえる範囲内に来ると、対立する武官の大きな声が聞こえた。



「怪しげではない!あれはちゃんとした、紅国から取り寄せたモノだ!」



その声に負けじと、宦官の一人が答える。



しかし、珠華はその宦官の方を近くで一目見て、ギョッとした。



「けいっ…!」



そこまで言いかけて、ハッと口を押さえる。



(いけない…!陛下の前だ!この名前を言ったバレる!)



驚いて思わず、彼の名前を口走るところだった。



珠華は慌てて琉凰の影に隠れ、様子を伺った。



武官と対立する内侍省の中の一人。



服装は内侍省の物だが、その顔は間違いなく慧影だった。



(なんで慧影がいるのよ!?このまま叫んでいたら、間違いなく貴妃の関係者だとバレて大事になるところだった!)



「取り込み中にもし訳ありません」



するとそこに、言い争う二人の間に前にいる琉凰が割って入った。



珠華は目を見開き、武官の男と宦官は同時に彼の方に振り向いた。



途端、二人は顔色を変えた。



「ん…?なんだ君は…あ。さっき呼びに来た警備の者か」



刑部尚書の陸定佳は琉凰の割り込みに眉を寄せて、その彼が自分を呼びに来た者だと気づくと軽く目を見張る。



「あ、すいません陸尚書。少々、気になる事がありまして…。このお二人のお話に耳を傾けていたら、その…私もあることで不可解な事が…」



そこまで言って、言いにくそうに言葉を濁す。



珠華は突然割り込み何をするのかと驚いたが、すぐに彼が意味もなく割り込む事はないと考えて、彼の次の出方を待った。



陸尚書の方は、途中で歯切り悪く言葉を切った彼に焦れたようだ。



「不可解な事とはなんだね?何か知っているのなら話してみなさい」



陸尚書の許しに、琉凰は頷き口を開いた。



「では失礼して…。私自身が気づいたわけでは無いのですが、同僚が妙な事を言っていまして…。兵達の稽古場付近にですが、何故か兵が使うとは思えない匂袋が落ちていたらしいです。その匂袋の匂いが、ある方と同じだと話していまして…」



「匂袋?その、ある方とは誰だね」



「その、紅国の…朱茗恋様だとか。まさか、淑妃となる方があの稽古場に来て落とされるわけがありませんし、違うだろうと同僚に言ったのですが、その同僚とは別に他にもその稽古場で実際に稽古していた武官の方が匂いに心当たりがあると答えたんです」



琉凰は迫真の演技で、嘘なのか真実かわからない話を語る。



その雰囲気にのまれ、珠華はゴクリと息を飲んだ。



(ま、まさか…朱茗恋が?でも、そうなると匂袋っていうのは武官…碧蘭姫がいいようにこき使っている陣湯庵のモノ?)



この話が本当なら、あの二人は密かに想い合っている事になる。



独身の男が、それも武官である者が匂袋を持っていることはそうそうない。


しかし、想い人や恋人から匂袋を貰い、それを大事にしているのは、若い男女の間で流行っている恋のおまじないだ。



お互いがその匂袋に想いを込めて、遠くにいても長く想い続けるようにと考えられたモノだ。



「そりゃあ、淑妃様が…武官の誰かに渡したと?」



陸尚書が目を見張って聞き返す。



それを琉凰は頷いた。



途端、彼は声を立てて笑った。



「…はっはっはっ!それはないな。あの淑妃様だぞ?そのようなことを話すものではない」



冗談だと笑い飛ばしてから、厳しい表情で釘を刺す。



表情は帽子で見えないが、琉凰の口元が微かに歪んだ。



冗談と受け流す彼を馬鹿にしたように嘲笑ったか、悔しくて舌打ちしたか…。



「いえ、冗談ではありません。陸尚書、一度確認して欲しいのです。匂袋の元が淑妃様の使うお香と同じかどうか…!」



琉凰は喰いさがることなく、陸尚書に詰め寄る。



刑部の彼が調査だと言って後宮を管理する内侍省の長官、黄内侍に話せば、調べることに協力するかもしれない。



だが、陸尚書は顔をしかめて、懇願する彼を冷たく払いのけた。



「君っ、さっきから図々しいぞ!私からは何もする事はない」



怒ったように声を荒げ、珠華はびくっ!とする。



何故調べる事をしないのか…。




「−−−話の最中に申し訳ないが、少々いいだろうか?」





すると、そこに今まで黙って隠れていた志勇が、隠れていたところと反対側から姿を現した。




微かに息を呑む琉凰と、ギョッとしたように見る陸尚書。



「警備の君、今の話なんだが、それは本当の事だろうか?私は門下省に務めているが、そのような事を耳にした事がない」



いきなりバッサリと否定された。



冷たく見つめる目は琉凰のことを蔑んでいるように見える。



だが琉凰は怒ることなく、微かに口端上げてニヤリとした。



(うわぁ…。なんか、陛下の性格がわかってきた。多分今、やっと餌が食いついてきたなって表情していそうだわ)



あの帽子の下で細く笑んでいるのが何よりの証拠だ。













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