第9話

音もなく軽やかに、気配を消して前を歩くのはこの翠国の皇帝陛下。



珠華は驚いた。



刺客と勘違いしている彼こそ、そうではないかと疑うような動きだ。



相当場数を踏んでいる。



「あの、陛下…」



志勇が向かった中庭を抜けた琉凰の背に、珠華は遠慮がちに声をかけた。



「なんだ?」



琉凰は振り返る事なく返事をした。



その態度に珠華は困ったように眉を下げ、微かにため息をつく。


「その、何故私が一緒にいなければならないんでしょうか?」



先ほど素性以外の事を簡単に話すと、琉凰は珠華を見逃す代わりにこの手伝えをしろと脅した。



彼の言う手伝いは珠華と同じ事で、貴妃暗殺未遂事件に関わっていそうな人物を捜し出す事だ。



珠華の疑問に、琉凰は眉間にしわを寄せ後ろを振り向いた。



「何故、とは…さっき説明した通りだが?」



(いや、それそうだけどさぁ。でもなんで、『見逃してやるから手伝え』が、『一緒に行動する事』になるわけ?)




珠華が聞きたいのはそこだ。



一緒に行動しなくても別々に捜した方が効率がいい。暗殺未遂事件に関わっている候補者は他にもいるからだ。



「え〜と…。先程の言葉だけでは、私が一緒にここにいる理由にはなりません。別々に捜し出した方が効率が良いではないですか?」



困惑した様子で珠華がもう一度具体的にわかりやすく、彼に問いかけた。



すると琉凰はますます眉間に縦皺を寄せて、



「信用できないだろ。一緒にいなければそなたは逃げ出すかもしれん。そうなればこうした意味がない」



ため息とともに冷たく吐き捨てた。



その答えに珠華は目を見張った。



(つまり、私を逃がさないようにするため、共に行動し監視すると、そう言っているのか?はぁ…よくもまぁこの状況で、そんなことまで考えが回るなぁ…)



彼の言動に感心する。



しかし、珠華は彼と一緒に行動する事は避けたかった。




「なんだ?嫌、なのか…?」



不安が顔に出たのか、琉凰が少し意外そうな目で問いかけてきた。



一瞬、自分の心を読まれたのかと思い珠華はギョッとした。だがすぐに感情を押し殺して笑顔を貼り付けた。



「いえっ、まさか!皇帝陛下ともあろうお偉い方から私の腕を見込んでご一緒にと誘って下さっているのですよ?私のような下賎な者が、嫌がるはずがありません」



そして、思いもしてない事をペラペラと棒読みで告げた。



軽く目を見開き、琉凰はさっと冷たい視線を向けた。



「その言い方はよせ。癇に障る」



余程今の発言に苛ついたのか、不機嫌な顔をした。



珠華は微かに嘆息し思案するように視線を下に向けると、ゆっくりと口元に歪んだ笑みを浮かべた。



「じゃあ初めから言わないでくださいよ。私はあなたの臣下などではない。こう見えて忙しいんですよ」



そうわざともっと不快になるような発言をした。



刹那、琉凰の顔から表情が抜けた。



翡翠の目が深く陰り、その中に底冷えするような冷たさを感じて、ゾッとした。



「ならば切り捨てるまでだ」



そう言うが早いか、琉凰は腰に携えている剣を引き抜いて珠華の首筋に剣先を向けた。



今度は脅しなどではなく本気だ。



今の彼から殺意を感じる。



珠華は顔を強張らせ、思わず後ろに下がった。



「どうした…?刺客よ。今更怖気付いたわけじゃなかろう?」



クッと微かに口元をつり上げ嘲笑うように呟く。



一瞬にして態度を変えてきた琉凰に驚き、恐怖を感じた。



(この人…!ほ、本気で今あたしを殺そうと考えてるっ!?)



さっきまでとはまるで別人のようだ。



あの彼からは脅されただけでまだ本気さを感じられなかった。だが今は全く違う。



冗談抜きで真剣に向き合わないと、一瞬にして首を切り落とされるだろう。



「〜〜っ!わっ、わかった!私が悪かったです!ちゃんとあなたの言われた通りにするから、殺さないで欲しい!」



次の瞬間、珠華は懇願するように頭を下げ、真剣な表情で訴えた。



琉凰はそれをじっと探るように冷たく見つめて、ふっと、向けていた剣を下に降ろした。



そのまま鞘に収める彼に、珠華は免れてホッと息をついた。



「これからは肝に命じておけ。これは単なる脅しではない。刺客のそなたなぞ、今すぐにでも捕らえ、処刑できる」



この台詞も脅しじゃなく本気だ。



皇帝陛下のお言葉一つだけで、簡単に珠華は捕らえられ処刑されるだろう。



珠華は自分の立場を軽視していたらしい。



ゴクリと喉を鳴らし、琉凰のその宣言に素早く頷いた。



今は、この命を落とすことはできない。



この事件を終わらせるまでは、まだ何一つ解決できていないのだから…。



「さてと…。では、了承を得た所で、改めて仕切り直そうか」



琉凰の言葉にハッとした。



この話は終えたとばかりに、話を切り替えてきた琉凰を見ると、彼の顔は心なしかスッキリしたように見えた。



それを呆然と見つめる珠華に、琉凰は厳しい視線を向けた。



「良いか、月光賊よ。今度こそ陸志勇を見失わないように、あの者の後を追いかけるぞ」



そう命ずるように言って前方を見据え、すでに姿のない陸志勇の後を追いかけるように促した。




しかし、珠華の方はまだ気持ちを切り替えられなかった。



このやりとりで、琉凰に対する印象ががらりと変わったからだ。



今回、逃げられると甘く見ていた珠華は、己の考えがいかに浅はかだったか思い知らされた。



この場で冗談は通じなく、彼が本気を出せばそれは全て現実となり、逃げることなどできなくなる。



油断しているとその命、いつか持っていかれるだろう。



今まで以上に恐ろしく、警戒しなければならない。



珠華が珠麗の代わりに貴妃をしていることは絶対、気づかれないように振り舞うべきだ。



「おい。さっさと行くぞ」



琉凰が考え込んでいる彼女に、もう一度告げる。



「あ…は、はい!」



途端、珠華はハッとして我に返り大きく返事をした。



「…?まぁ、いいか」



そんな彼女を琉凰は変に思い訝しげに見つめたが、それ以上聞くこともなければ突っ込んでくることもなかった。



彼はすでに目前の問題…陸志勇に注意を向けていた。



琉凰に対する態度を改めようと考えていた珠華は、無理矢理気持ちを切り替え、目前の問題に取り掛かろうと首を振る。



(大丈夫…。今までよりも一層強く警戒し、適度な距離を保ちつつ完璧に演じれば、何も…何もバレやしないわ)



そう自分に言い聞かせ不安を振り払うと、珠華はさっと歩き出した琉凰に続きその後を追いかけた。



……だが、その心の奥底には、彼女自身も分からない、漠然とした不安が大きく募っていた。































  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る