第8話

「刑部官吏であるそな…お前こそ、どうしてこんな所にいる?」



逆に質問を返された。



珠華はギクッとして、



「そ、それは…しょ、尚書のことが気になり…」



咄嗟のことでしどろもどろになる。



「なっていないな…。しかし、その顔…」



ふと、彼が珠華の方に身を乗り出し、近づく。



それは顔を確認するような仕草。あまり見られたくない珠華は、変装でヒゲを生やしているとしてもバレないかと微かに顔を強張らせた。



「き、君!一体急に不躾に…っ」


動揺しながら、近づいた彼から逃げるように一歩後ろに出ると、黒髪の兵が軽く首を傾げた。



「その瞳と、髪の色…前に会った刺客と同じだな。そうなると何故余…私の顔に気づかない?」



「え…?」



ギクリとした。



髪は今回は染めずに地毛の髪色だ。



珠華のそれを知っていて、刺客がどうのかという人物に一人、心当たりがあった。



(まさか…いや、でもよく見れば…)



珠華の方も目の前の兵を探るように見つめた。



すると、彼は微かに笑って自分の頭に手をかけて思いっきり帽子を脱ぎ捨てた。



そこからはらりと流れる滑らかな、手入れが行き届いた漆黒の髪。



珠華を見つめる切れのある冷たい双眸は、翡翠だ。




「え…っ?あ、嘘!あなた、皇帝陛下!?」



珠華が驚きに声を上げた。



目の前の警備兵は、変装をしたこの国の皇帝陛下、緑琉凰だった。




「た、大変失礼を…!」



珠華は即座にその場で頭を下げる。



だが、琉凰は「止めろ」と一言、彼女を止めた。



「この場でそれはやめろ。今の余…私は、この国の兵だ」



そう告げたのはいいが、その喋り方や堂々とした態度や、畏怖ある雰囲気。



どれもこれも、一国の兵士には見えない。



「…何故、そのようなお姿を?」



恐る恐る理由を尋ねた。



彼は軽く肩をすくめ、



「偵察だな。余、自ら調べてみたい事があった。そなたこそ、どうしてまだここにいる。刺客が、文官に変装か?」



うっと言葉に詰まる。



琉凰に本当の事など言えない。ましてやこの自分が実は貴妃に成りすましているという事実は、絶対伏せておかないと…。




「な、何のことか私にはさっぱりぽん…」



動揺して言葉遣いが変になった。



途端、琉凰は珠華を剣呑な目つきで睨みつけた。



「誤魔化しても無駄だ。その髪色は珍しいからな。言え。何故刑部に潜伏し、何をしようとしている?」



命令口調で脅すように言って、再び距離を詰めていく。


「だ、だから私はただの刑部に勤める一官吏であり…」



息を呑み、ジリジリと迫り来る彼に珠華は動揺し、後退する。



(こんなっ、いつ人が通るか分からない場所で見破られたら…っ!)



ギュッと拳を固く握りしめ、あの時同様逃げられない程に追い詰められた瞬間。




「−−−ちょっ!こんな所で何をしてるんですか!」



バタバタと、一人の兵が二人の方に駆けてきた。



その兵は先程琉凰と一緒に来た栗色の髪の兵である。



「チッ…」



彼の登場に追い詰めていた琉凰が離れ、微かに舌打ちした。



「油など売ってないで早く来てくださいよ。調べるから手伝えと無茶な要求をして…って!なんでここに刑部官吏がいらっしゃるのですか?」




珠華の存在に気づいた栗色の髪の兵が顔色を変えた。



ここに刑部の者がいる事がいけないみたいな反応だ。



珠華はどうしたものかと、逃げ出すこともできず戸惑っていると、琉凰が彼の反応に面倒臭そうにため息をついて口を開いた。



「この者は放っておけ。余の協力者だ。それよりも、あの陸志勇が追いかけて行ったのだが、刑部尚書はどうなった?」



「え…?あ、ああ。あなた様の言葉通りに、部下が彼を足止めするようにしています」



珠華の正体(刺客だと思い込んでいる)をバラす事なく琉凰が話をかえると、栗色の髪の兵が渋々答えた。




「そうか。なら、そなたは直ぐに待機している者と一緒に刑部を調べろ。余は、あの陸志勇の事が気になるのでもう少し調べてみる」



陸志勇が居なくなった方角に琉凰が一瞬、鋭い視線を向け、すぐに栗色の髪の兵の方に戻した。



「志勇殿…ですか。了承しました。私はこれで失礼します」



まだ何か珠華の事について言い足りない様子だったが、陛下の命には逆らえないようだ。



彼が突然被っていた帽子を脱ぎ、大きく一礼した。



その瞬間、珠華は露わになった兵の顔を見て、ギョッとした。



(えっ…!?李、雷辰?)




それは珠華がよく知る男、李雷辰だった。



驚きに口を開けてぽかんとしていると、その視線に気づいたのか雷辰が訝しげに眉をひそめた。



「なんだ?君。私に何か、話でも?」



その視線にハッと我に返る。


「あ、いや…!何でもありません!」



慌てて言い返したが、内心はかなり動揺していた。



「雷辰、さっさと行け。時間がない」



そこに助け舟をよこすように琉凰が先を急いだ。



雷辰は顔をしかめ、今度こそその場を離れて行った。



「いつまで見つめているんだ?」



珠華が居なくなった彼の後ろ姿を見ていると、琉凰から声がかかった。




「えっ?別に見つめていませんよ」



ただ、彼まで変装していた事に驚いただけ。




珠華が気まずそうに小さく答えると、琉凰はわかったのかわからなかったのか、「そうか」と一言だけ。




何か妙にピリピリしたような雰囲気に居心地が悪くなる。




「あ、では陛下も忙しそうですので、私はこれで…」



この機にこの場から逃げようと、そそくさとその場を離れようとした。



「待て」



だが、琉凰に肩を掴まれた。



逃げたいのに、と軽く舌打ちして、珠華は愛想笑いで「なんでしょう?」と首を傾げた。



「どさくさに紛れて逃げようとしても無駄だ。まだ話は終わっていないだろ」




ぐっと、肩を掴む手に力がこもる。




そう簡単に逃してはくれないようだ。



珠華は諦めたように深いため息をついた。




「わかった…わかりました。ちゃんと説明します」



こうなったら彼が納得するまで付き合おうと、降参とばかりに手を挙げた。



その珠華の姿にようやく琉凰は手を離す。



軽く彼女を睨むように冷たく見つめて、



「では話せ。何故刺客が刑部にいるんだ」



もう一度、珠華に問いかけた。



珠華は微かにため息をついて、自分の素性を隠して、この刑部で貴妃未遂暗殺事件の事を調べているのだと答えた。




後宮で陸志勇と蒼衣の大柄な男が貴妃の事件について話をしていた事、それを刑部が担当していることでどこまで調べ何に気づいたのか探ろうと、教えられる範囲内で彼に白状した。





















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