第5話
月の光を浴びたような美しく靡く髪が、白く浮かぶ顔が、…の心を惹きつけた。
『私のところに、来る?』
手を差し伸べる彼女の表情は慈愛に満ちて、見知らぬ赤の他人である自分にどうしてこんな顔をするのかわからなかった。
だからいつものように目の前の彼女をひどく警戒し、距離を取った。
だけど、彼女は次の日も次の日も自分の前に現れて、何故か勝手に自分の身の上話をする。
初めは胡散臭くて、鬱陶しい存在だった。意地悪して更に距離を置こうとした……はずだった。
なのに何故か知らず知らずのうちに丸め込まれて、今ではもう彼女なしでは自分は生きていけない。
自分には彼女しかいないのだと、執着していた。
◇◇◇◇◇◇◇
翌日の朝、廊下を歩いていた李雷辰を捕まえた。
「な、なんですか!?」
雷辰はギョッとしたように珠華を見つめた。彼女は何も言わず、彼を人気のない裏庭へと連れて行った。
「ちょ…っ、貴妃様っ!?」
珠華は驚いて狼狽する雷辰の手を離し向き直った。
「失礼、雷辰様。少し話があります」
真剣な顔でズイッと彼に詰め寄ると、ギクリと顔を強張らせた。
「あ、お、お前ぇえ!」
戦慄いて声を上げた雷辰を見て、珠華はハッとして慌ててその口を塞ぐ。
「シッ!静かにして下さい。誰かに見られます」
そう囁くように呟くと、雷辰がハッとして表情を変えた。それを見て、ホッと息をつくと、珠華は彼から手を離し距離を取る。
「度々、失礼しました。至急あなた様に大事なお話があり、このような真似をしました」
まずは拉致した謝罪をすると、雷辰は不機嫌な顔をした。
「本当に急だな。こんな事までして…それなりの大きな話なんだろうな?」
「ええ。もちろんです。ですが、あなたによっては少々酷な話かもしれません」
「おい、回りくどい事はよせ。さっさとしろ。時間がない」
回りくどいと、意識したわけじゃないが、少し慎重になり過ぎたようだ。
珠華は微かに目を見張り、ふっと笑う。
「そうですか。それなら簡潔に話しますが、あなたの部下の陣湯庵様ですが、ある所から情報を得て、湯庵様が無断で夜間の後宮に出入りしているようです。碧妃と朱妃の二人と会っては何やら悪巧みをしているそうですよ」
所々を端折って告げると、訳が分からない様子で雷辰が訝しげに眉を寄せた。
「は…?いきなり、なんの話だ?」
「後宮の話ですよ。武官が許可なく無断で出入りしているという情報がありましてね。それがあなたの所属する隊にいる部下の事だとか…。その事について、何か知っていますか?」
もう一度、更に詳しく話をしてみるが、雷辰はまだ訳がわからないって顔をしていた。
(なんだ…。こいつ、知らないのか)
何か情報を得られないかと思って彼に聞いたが、知らないのなら論外だ。
「あ、ご存知ないならいいです。他を当たります」
珠華はすぐにこれ以上彼を引き止めても無駄だと悟って、無理矢理話を終わらせた。
そのまま右回りして踵を返す。
「ぁ…っ、ちょ、ちょっと待て!」
だが、離れようとした緑華の手を我に返った雷辰がとっさに掴み引き止めた。
「わっ!?危なっ…!な、何ですか急に!」
(いきなり手を掴むなよ!)
急に引き止められて体勢を崩し、後ろから転がりそうになり慌てた。
「もう一度具体的に話せ!何故湯庵が、後宮に出入りする!?」
だが、雷辰が険しい表情で止める自分を見て、珠華はしょうがないな、と深くため息をついた。
「分かりました。詳しくお話しますから…まずは手を離して下さい。これでは話すにも話せませんよ」
まだ掴みかかっている彼にそう告げると、ハッとしたように慌てて手を離した。
「す、すまん!そ、それでどういう事なんだ?」
少し落ち着いたのか、問いかける声が和らいでいる。
「…そうですね…。まずは雷辰様。今から話すことは他言無用でお願いします。陛下にも、誰にも、言ってはなりません」
決して誰にも口外するな、と脅すように怖いくらい真剣な表情で告げると、雷辰は微かに息を呑んだが、すぐに頷き返した。
「では、まずはあなたもご存知の通り、私の主人が暗殺されそうになったのを知っていますよね?」
いきなり初めから物騒な話が出て、彼はぎょっとした。
「なっ…!それは、軽々しく口にしては…!」
「ええ、そうです。これは普通なら、誰もが口外してはならない話です」
途端に顔色を変え珠華をいさめようとした雷辰に、彼女は険しい表情で遮るように強調して言った。
それに気圧されたように雷辰は言葉を詰まらせた。
珠華はそんな彼に厳しい目を向けた。
「それで私は今、その調査にあたっています。主人である彼女が誰に狙われたのか…。これは私達の務めでもあるからです。そこで私は内侍省に行き、あの菅内侍と洸縁様が話しているのを偶然耳にしたのです」
そこで言葉を切り雷辰の様子を伺うと、彼もいつもの将軍らしい、険しい表情を浮かべていた。
「それがどうやら、徳妃以外の二夫人である淑妃と賢妃のお二人方が、夜間に武官と密会していたという話でした。その相手こそが、あなたの部下である陣湯庵様だったそうです」
そこで核心に迫り、彼が何か知らないか探るように告げた。
雷辰はそれに対して眉をひそめただけで、特に隠しているような素振りは見せなかった。
(やはり、知らないのか…。雷辰にしては知らなさ過ぎるな)
一応、彼は陛下の直属の護衛者だ。
洸縁と並び、彼も陛下側の人間。
その雷辰が何も掴んでいないのがおかしい。
「それであなたを呼び止めたのは…」
「聞きたいのは、湯庵の素性か」
珠華が最後まで告げる前に、雷辰は彼女の言葉を先読みした。
軽く驚く珠華に、今度は雷辰が厳しい目を向けた。
「つまり貴様は、上官である俺から湯庵の事を聞き出そうとして、こんな真似をしたんだな?だが、貴様は湯庵が後宮に無断で出入りするような奴ではない事を知っている。いや、そう思っていた。だから二人の姫と会っていた事に不思議に思った。彼等はどう繋がりがあって、こんな危険な真似を犯してまで会うのか…それを探ろうとしている」
雷辰はペラペラと、まるで珠華の心を呼んだかのように、彼女が聞き出そうとしていた内容を当てた。
(やはり、馬鹿ではなかったか…)
頭の回転は速い方だと、改めて思った。
「まぁ…そういうことですね。湯庵様の事ならあなたに聞けば分かると思ったのです。あなたが、どこまで知っているのか…探りも入れて尋ねました」
珠華が試すような真似をした事を素直に白状した。
「はっ…。貴様は私を軽く見ているな。それを知らなかったのは確かだが…。それで貴様は、湯庵の素性を知ってどうするつもりだ?」
「軽く見ていたわけではないですが…。そうですね。他の夫人が犯人の可能性であるのなら、その証拠を見つけるまで探るつもりですよ」
最終的にはそうなる。
それを答えると、雷辰は微かに舌打ちした。
「いいだろう。不本意だが、俺も後宮に起きていたことは知らなかった。湯庵の事を話してやる。だがその代わり、お前が知っているだけでいい。後宮のことを話せ」
それが条件だ、と交換条件をつけられた。
珠華は彼らしいな、と微かに苦笑し、「いいでしょう」と頷いた。
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