第4話

後宮内は広い。



内侍省は妃嬪達のいる部屋等のある場所から少し離れた場所にある。



珠華は屋根に登り、慎重に音を立てず、誰にも見つからないであろう天井裏から中に侵入した。



侵入してからは誰もいない部屋が続き、廊下らしき所を進んで責任者の執務室となる場所に来ると、ボソボソと下から話し声が聴こえた。



聞き覚えのある声にハッと止まり、天井の隙間から下の様子を伺った。




するとそこには、内侍省長官である菅内侍がいた。



その向かいの椅子に腰をかけているのは洸縁だった。



「大体の状況はわかりました。引き続きお願いします」



「はい…洸縁様。あの、ですが最近、妃嬪達の様子がおかしいのです。碧姫と朱姫が特に。二人でよく話をされてまして…なんでも部下が見ていた所、夜間に武官らしき者が現れたとか…」



碧姫は碧州出身の碧蘭姫ヘキ ランキの事で、朱姫は紅国の第四王女、朱茗恋シュ メイレン。二人の花嫁の様子がおかしいのは、香凜が言っていたように怖がっているのだと思う。


しかし、その夜に武官が来ているとは、聞き捨てならない会話だ。



微かに息を呑み、よく耳をすませた。



「武官らしき者、ですか。二人の護衛ではなく?」



珠麗のように親衛隊の事を言っているのだろう。



「いいえ。二人の護衛ではなく…その、あれは確か、李将軍の隊にいた方だった気がします」




(李将軍?それってあの、李雷辰の事か?)



他に李の名のある将軍はいなかったと記憶している。



珠華は眉を寄せて、彼の隊にいる武官達を思い出してみた。



「李将軍と言っても、その武官の特徴は分からなかったのですか?」



「え…?あ、そうですね。特徴は…あの、細目でよくニコニコされている方です。名前が思い出せませんが、よく李将軍といる気がします」



細目でニコニコしている武官。



珠華の顔が強張る。



(見に覚えがある…!確か、その人の名は陣湯庵ジン ユアン!!)



「それは、陣…湯庵か!」



李雷辰の同期として陛下の為に尽くしてきた貴族の子息。



先先代が立ち上げた商売が繁盛し、貴族に成り上がった一族。その家の長男として生まれた。



中でも湯庵は武官として剣の腕を認められ、先代の皇帝陛下に尽くした呂大将軍に隊に勧誘されたそうだ。



「湯庵殿なら私も知っております。しかし、何故彼が後宮を出入りするのですか?男子禁制と重々承知しているはず」



「え、ええ。ですから困っているんです。勝手に忍び込んで妃嬪と逢瀬するなど、あるまじき行為だ。私も見間違いではと、部下に確認はしたのですが…」



その次の言葉を濁す彼に、洸縁は厳しい表情でその続きを口にした。



「陣湯庵殿だった、と間違いないと言っていたのですね?」



「は、はい…。私共でも、簡単に妃嬪達に近づく事すらできません。武官なら尚更でしょう」



菅内侍の言葉は説得力があった。



確認するように吐かれた言葉を、洸縁は微かに頷いた。



「ですから、洸縁様から厳しく処罰をして欲しいのです。出来るだけ早く。来月には確か妃嬪達のお披露目会がありますでしょう?陛下もそのお披露目会で、今後の妃嬪達の境遇をもう一度はっきりさせると噂が。その前にもしもあらぬ疑いがかかって、それが妃嬪達の親族にでもばれたら大事になります」



焦る気持ちが声に出ていた。



このままではお披露目どころではなく国同士の問題となり、即位したばかりの皇帝陛下のいるこの国は危うくなる。



「なるほど…。それは早急に対策を考えた方がよいですね。わかりました。こちらで確認しましょう。ですからあなたもくれぐれも、この話は内密にお願いします」




「ええ…っ、もちろんです!ああ…洸縁様に話して気が楽になりました」



菅内侍はほっとしたように、胸をなで下ろす仕草をした。



話を聞き入れてくれた事がよほど嬉しかったようだ。



会話はそこで途切れた。洸縁が退室する足音を聞きながら、ふぅと息をつく。



(良かった。いい情報が手に入った)



忍び込んだかいがあった。



しかし、陣湯庵は一体何故、彼女達と密会したのか?



彼と二人の妃嬪の接点がないか、今一度調べ直した方がよさそうだ。



うまく情報を掴めたことに喜びつつ、元来た場所に戻ろうと天井をゆっくり移動していた時、丁度裏庭に近い部屋で、誰かの話し声が聞こえてきた。




「の毒が……であるから…」



「淑妃様は………と?」



その毒とか淑妃という聞き捨てられない言葉に、珠華は思わず止まった。



慌てて天井の穴から、誰が下にいるのか確かめた。



蒼衣の大柄な男と、紅衣の赤茶髪をした男。



(あの服は…)



どこの官服だったか思い出そうとしていると。



「あるか!黙れ、陸志勇リク シユウっ。……毒は…で終わった。これは刑部に……」



突然、蒼衣を着ている男が声を荒げた。



ギョッとして思わず身体が震え、ギシっと音がした。



途端、目の前で話し込んでいた二人が、ピタリと口をつぐんだ。



ハッとして、息を飲む。




「おい…今、聞こえたか?」



「音がした…誰かに聞かれたか?」



二人は気配を殺し、周囲を見渡した。



蒼衣の男が視界から姿を消し暫くすると、



「いや、廊下は誰もいないな」



そう声が少し離れた所から聞こえた。



朱の上官服の男、陸志勇は部屋の窓の方にいて、彼も外を見たらしく「こちらもいない」と答えた。




「ただの風だろ…。興が逸れたな。そもそも…」



陸志勇がため息とともに吐き捨てる。




「おいっ…。だが例のあの暗器使いは?」



それをどこか慌てて止めて違う質問をする蒼衣の男。



「踊らせとけ。お披露目には間に合わん。有利に使えるかもしれない」



どこか嘲笑するように、陸志勇が答えた。



そこで蒼衣の男は納得したのか、「先に行く」と言って部屋を出ていく音がした。



一人残った陸志勇は、窓から部屋の中心に向かい、壁脇に移動した。



そしてすぐにまた珠華がいる位置あたりに戻って来ると、突然、天井を仰ぎ見て、バチッと目があった。



(なっ…!?)



ドキッ!として、パッ!と素早く天井から顔を離す。



ドキン、ドキン、と心臓が嫌な音で鳴り、もしやバレたか!とじわりと背中に冷や汗が浮かんだ。



「…うーん…。気のせいか…」



だが、それは杞憂に終わり、すぐに彼の足音もそこから遠ざかっていった。



(あ、危なかった…!)



まさかあそこで天井を見上げるとは…!



張り詰めていた緊張感が解かれ、一気に脱力した。



大きく息を吐いて、すぐに険しい表情で虚空を見つめた。




「陸…志勇か。確か奴はあの生き残りだったな」



八年前、先代皇帝陛下が領土を広げる事に躍起になっていた時代。



その広げた先のある紅国付近の一部を手に入れるため、その州に領土を渡して傘下に下るか、無理矢理奪われるかの選択を与えた。



しかし、傘下に下る事を拒否し戦う事を選んだその州は紅国に応援を頼む。だが、紅国はそれを拒否して結局その州は敗北し、あっさり傘下に下った。



何故かそのときの詫びとして、紅国から王女を一人後宮入りさせたらしい。



そして、当時、その州を守るために最後まで戦った男がいた。その英雄視された男こそ、陸の名を持っていた。



(聞いたことがあるな…。あの陸将軍の息子が一人、生き残ったと噂があった…)



「今の奴が、そうか?」



自問自答したところで答えはわからない。



やはりこの件も調べてみなければと、珠華は思った。











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