第二章 調査開始

第1話

翌日の夜、寝静まりかけた珠華の前に、他の花嫁の遣いである侍女が彼女の自室に現れた。



要件は最近、珠麗を脅かす刺客の話だ。



昨日のこともあり、無闇に他の花嫁と会うのは危険かと思ったが、刺客の話が気になり、会う約束をした。



何故、その者がその話を持ちかけてくるのか怪しいが、実は彼女は珠麗が後宮に上がった時からの仲だった。よく珠麗と会っていたのは知っていた。



次の日の朝から着替えを済ませて寝室から隣りの部屋に移ると、ゆっくり扉が開いた。



外からいつものように護衛者として、慧影が現れた。



「珠麗様。そろそろ珀香凛ハク カリン様との約束の時間になります」



彼は、いつもと変わらず笑みを耐えることなく話しかけてきた。



一瞬、慧影の温もりを思い出して、珠華は慌ててそれを頭から追い払った。



「あ、ああ。そうですね、行きます…」



緊張からか、声が裏返ってしまった。



しまった、と思い慌てて口元を押さえ、恥ずかしさに顔を赤らめる。



気まずいな、とチラッと彼の反応を見れば、変わらずいつもの笑みを浮かべて、ただじっと見ている。



逆に、変わらない彼の態度に、何故かもやもやした。



「珠麗様…?」




「あ、大丈夫です。行きましょう」



待機する侍女の手前、なるべく冷静さを保ち返事を返した。



一瞬、慧影の顔に微かな戸惑いが見えたがすぐににこやかな笑みを浮かべて、頭を下げた。



「では、待ち合わせ場所に向かいます」



その一言に、侍女は用がないとばかりに部屋を出ていった。



慧影も外に出て、その後をついて部屋を出る。



出てからというもの二人は無言のまま。



気まずいな、と珠華は思いながらも、約束の場所である人気のない裏庭近くに向かう。



するとそこにはすでに珀香凜がいた。池の橋を前に、微かに肩を震わせ、下げていた頭をあげた。



その顔は如何にもお姫様らしい、色白で可愛らしい顔立ちだった。ただ、その表情がいつもより青ざめていた。




「急ぎ会う約束を取り次いでくれて、とても感謝してます」



返事を返してくれたことへの感謝だろう。



もう一度頭を下げた彼女に、「いいですよ」と軽く返事を返す。



「香凜様とは長い付き合いです。肩苦しい挨拶はなしにしましょう」




そう付け足すと、彼女がハッとしたように顔を上げた。



「ありがとうございます」



「ええ。それで、これは迷惑をおかけしましたそのお詫びの品です。好きな桂花の入った茶葉です」



にこやかに答えて、持ってきた品物を手渡すと、一瞬驚いたように目を丸くして、すぐに彼女が可愛らしくはにかんだ。



「え、ええ…!お気遣いありがとうございます」



お詫びの品を受け取る彼女を見て、ホッとした。



珠華はあまり好みではないが、珠麗は好きだった。香凜も好きで同じお茶好きとして一緒に同席していた。



「ああ、いい香りです」



その場で品物を確認し封を切った彼女の青ざめ強張っていた顔が、和らいでいく。



緊張していた珠華も満足したようににこやかに笑った。



「そうですか…。気に入ったのなら私も嬉しいです。それにしても香凜様。あの話のことですが…」



こちらから本題に入ろうと厳しい表情で話すと、彼女はハッとしたように顔を引き締めた。



「は、はい。侍女が事前にお伝えした通り…即位式後に起きたあの事件の事です。外部に漏れないように関係者以外はあの事を口にしてはいけない事だと陛下直々に通達があったそうです。ですが、他の姫君にはすでに耳に入り、その話で持ちきりで…宮中でも噂が広まっています」



「そうか。やはり噂は広まっているのね。姫が何故知っているのかおかしいとは思っていましたが…周りではどのように噂されていますか?」



花嫁として、後宮や宮中で起きたことを把握するのは当たり前なのだが、彼女は未だ何も把握できていない。



暗殺未遂事件があったためか、周りから気遣われすぎて、今の情報が耳に入らないのだ。



「誰が流したのか分かりませんが…、その話をお聞きして私、珠麗様が心配で心配で…」



今にも泣き出しそうな顔をされる。



心配してここまで来たらしいが、それだけでわざわざあの話を持ち出すのもおかしいだろう。


珠華は鋭く彼女に探るように視線を向けた。



見ている今のところは、心配だというそれは演技ではないとは思う。



「そうだったのですが…。香凜様、あなたのその優しさだけで救われる思いです。ここまで来るのにさぞかし勇気がいったことでしょう」



目の前で労わりのある言葉を投げて、泣きそうな彼女を慰めた。



香凜は「ありがとうございます」と感謝した。



「しかし…香凜様。その噂が宮中に広がっているのを止めようとする者はいないのでしょうか?後宮からなら、それを管理する内侍省はどうしていますか?宮中も刑部辺りが陛下の御耳に入らないようにするはずです」



おかしいのは、その点。他にもあるが、とにかく噂が広まる前に普通は阻止するはず。



そのまま黙認していたのなら、噂は後宮にいる他の花嫁関係者や刑部が関係しているのかもしれない。



「それが…おかしいのです。管轄下にいる内侍省でさえもそれを知っているはずなのに、宮中でも刑部の監査が入るはずでしょう?彼等もまるで噂をわざと広めているような…」



泣くのを堪えた彼女は微かに眉をひそめて呟いた。



「わざと…?」


彼女の言葉に軽く目を見張り呟くと、香凜は小さく頷いた。



(まさか…それが本当なら、内侍も刑部省も陛下の敵に…。後宮丸ごと乗っ取り陛下を陥れるつもりか?)



一週間も経たずに、この短時間で噂を流すような相手。その思惑に、顔から血が引いていく。



(いや、そもそも皇帝陛下の勅命を無視し噂を流すなんて馬鹿のする事だ。勅命なぞ知るか、と陛下に喧嘩を売っているようなもの)



珠華でさえそれがわかるのだから、きっとすでに陛下は気づいている。



(昨日のあの刺客も、事前に知っていたようだし。わざと誘き寄せていたみたいだから、黒幕ももうとっくに気づいて…)



珠華はそこまで考え、ゾッとした。



このままいけば、花嫁になった珠華はすぐにでも命を落としかねない。



陛下が花嫁をどう思っているのかわからない今、このまま囮として使わるなら、自分自身で身を守らなくては。



自分の考えることが本当なら、皇帝陛下もあてにはならない。



「あの…珠麗様?」



香凜の言葉に、思惑に囚われていた彼女はハッとした。



慌てて取り作るように笑みを浮かべた。



「いや、ごめんなさい。なんでもない。香凜様、此度のあなたのその心遣いに感謝します。とても良い情報を得ました」



毅然と、花嫁らしく余裕な笑みを浮かべ告げると、彼女は少しホッとしたように息をついた。



「そうですか。私も珠麗様のお役に立てて嬉しい限りです。あ…でも、噂のことはこのまま放って置かれてもよろしいのでしょうか?これには、妃嬪も脅えているんです。周りの者達が止めないようなら、誰かが止めないと。あの事件も未解決ですから、このままいけば珠麗様は危険です。他の妃嬪達だって、脅えて暮らさなければならなくなる」



そこまで言って、また彼女は顔を曇らせた。



「ええ、あなたの言う通りです。誰も止めないままでは後宮だけじゃなく周りに不安が蔓延し、収集が効かなくなる。陛下の失脚をと、宮殿を牛耳ろうとする派閥争いがまた起きます。私だけでなく妃嬪も危うくなる」



香凜の言葉に真剣な表情で頷き、大袈裟にそう呟いた。



身を守るに、味方が必要だ。



これを全て解決できるような人を味方につけて、皆の安息を得ねばならない。



珠華は目線を少し伏せて、考えるだけで頭の痛い現状にため息をついた。



それがどう映って見えたのか、香凜がハッとしたように表情を引き締め、立ち上がった。



「珠麗様っ、私、あなたの味方です!もうずっと長く後宮内に居て…おこがましいですが、今でもあなたを親友だと思っています」



急に勇ましい様子で訴えては迫るようにこちらに身を乗り出す香凜。



珠華はびっくりして、目を丸くした。



「え…?か、香凜様?」



「ええ、もちろん!こんな事を言ってはいけないと重々承知ですっ。でも、本当に心配で…!犯人が捕まるように、私も微弱ながら手助けしたいと思います!」



そうはっきりと、彼女は珠華の手を握って意気込んだ。



味方が欲しいと思っていた手前、目の前でやる気満々の彼女の誘いを断る事も出来ず、彼女の気迫に少々押された感じで「わかった」と頷いた。




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