第8話
いきなり現れた洸縁はその勢いのまま、琉凰に詰め寄った。
「陛下!何故もっと早く呼ばないのです!始めの計画と違うではありませんか!こんな、陛下自身が闘うなど、二度としないで下さい!もうっ、もうっ、私…心臓が止まる思いでしたよ!」
すごい剣幕で一気にまくし立てて洸縁が告げると、琉凰はうんざりした様子で顔をしかめ、ため息をついた。
「洸縁…声が大きい。怒る前に、これをどうにかしろよ」
その言葉に、彼はハッとしたようだ。
再び仕掛け扉の方に振り返り、中に向かって誰かに声をかけている。
すると、そこから数名、待機していたらしい兵が現れて、床に転がる刺客達を捕らえて連行して行った。
緑華は何が起きているのかいまいち状況が理解できず、訳がわからないと言った顔をして、二人の様子を見つめていた。
「やはり、予想通りでしたね。前回は後宮入りに貴妃を狙い、今度は二人っきりの時を狙った。警告にしてはもう行き過ぎています」
「ああ…だが、今回ではっきりわかったな」
「ええ、そうですね。では予定通りこのまま実行しますか?」
「ああ、そうだな。それよりも洸縁、妃を…」
そこでようやく、琉凰が珠華に顔を向けた。
洸縁はハッとして、慌てた様子で彼女に近づいた。
「これは大変失礼しました珠麗様!今日のところはこれでお開きになります。外に強者の衛兵を待機させますので」
「え…っ?あ、あの!でも、これは一体どういうことですか?彼等は一体…」
いきなり襲われて、素直にこの部屋にいられない。
それにまたしても命を狙われた。
彼等は事前にこの事を知っていて、仕掛け扉の中で待機していたのか…?
珠華はそこに仕掛け扉があったことも知らなかった。
珠華が戸惑うように問うと、洸縁は「すみません」と頭を下げてきた。
「今は、怖い思いをされたことで気が動転していると思いますので、この話は後ほどお話させていただきます」
今は何も聞くな、と言っているみたいだ。
珠華は息を呑み、彼の後ろにいる琉凰にちらっと視線を向けた。
彼は冷たくこちらを見下ろすように、じっと見つめていた。
これは聞かないほうが賢明だな、と珠華は悟った。
「…そうですわね。何がなんだか…ちょっと混乱しているようです。仰られる通りにします」
ここは、まだ怯えた風を装って、珠華は言われた通り頷いた。
その言葉に洸縁は微かにホッと息をついたようだった。
「皇帝陛下!貴妃様!失礼します!」
すると突然、琉凰の返事を待たずして、寝室に誰かが飛び込んできた。
「なっ…!貴様ぁ!許可なしに入って…!」
洸縁が厳しい声を上げて、許可なく中に入ってきた人物の前に立ち塞がった。
珠華はその声にハッと顔色を変え、そちらに振り返る。
許可なく入ってきたのは、彼女の親衛隊、劉慧影だった。
彼は珍しく取り乱した様子で、青ざめた顔でそこにいた。
「よい、洸縁。その者は貴妃の護衛者だ」
すると、琉凰が洸縁の肩に手を置き、慧影の前に立ち塞がった洸縁を諫めた。
「いえ、ですか陛下…!」
「大丈夫だ。この者は違う」
心配なのか、食いつく彼に琉凰がきっぱりと告げた。
「申し訳ございません、皇帝陛下…洸縁様。無礼は承知の上で勝手ながら、今しがた起きた騒ぎを聞きつけ参りました」
慧影がその場で深く頭を下げ、しっかりと自分が来た目的を告げた。
(は、早いわ慧影。まさか、ずっと近くにいたのかしら?)
そう考えて、その通りかもと顔を強張らせた。
珠華の知る慧影ならやりかねない。
「ああ、そうか。彼女は前のこともあり…心身共に疲れているだろう。そなたが護衛してやれ」
琉凰から許しが出た。
慧影は「はっ!」と短く返事を返し、二人から離れて寝台から立ち上がる珠華に駆け寄った。
「姫っ…珠麗様!お怪我は…お怪我はございませんか?」
酷く取り乱し、震える声で心配そうに尋ねる。
珠華は取り繕う暇もなく感情を露わに喋る彼に微かに戸惑い、驚いた。
「け、慧影…。大事ないわ。安心してちょうだい」
こっちまで心配になるくらい、慧影は取り乱していた。
「ほ、ほんとうに…?どこも、何とも?」
だが、まだ安心できないのか、辛そうに顔を歪めたかと思うと、珠華の両肩を掴んで引き寄せ、彼女の体に怪我がないか確かめた。
隅々と身体を確認されて、まるでさっきの琉凰とそっくりだ。
微かに苦笑し、安心させるためににっこり笑った。
「大丈夫…。心配ないわ。私は無事です」
そうはっきりと答えると、慧影はようやく安心したのか深く息を吐いて肩から手を離した。
「良かった…」
耳に残るような小さい呟きと、微かに震える身体。
(慧影…そんなに心配かけたのか)
悪い事をしたな、と安堵する彼の肩に手に置いて、ポンポンと優しく叩いた。
「いつまでそうしているんだ」
するとそこに、琉凰の冷たい声が聞こえた。
寄り添うように立っていた二人はハッとして離れた。
「申し訳ごさいません」
慧影が珍しく焦った様子で、珠華に頭を下げる。
珠華は彼の行為に特に気にしていなかったが、琉凰が自分たちを冷たく睨んでいる様子に戸惑った。
珠華は彼が割り込んできたことに驚いたのだ。
「余はこれで帰る。そなた達、送り出せ」
微かに苛立った突き放すような口調で、琉凰が冷たく言い放つ。
慧影は顔を強張らせ、こちらを射抜くように冷たく見つめる彼に軽く息を呑んだ。
「す、すみません陛下!」
慧影が慌てて琉凰の言葉に従う。
珠華は突然不機嫌になった彼の様子を不思議に思いながら、慧影とともに扉に向かう琉凰を送る。
「では陛下、今後の参上を楽しみにしております」
扉の前で琉凰の方に頭を下げて、一言伝えた。
しかし、彼は深刻な様子で洸縁と話し込んでいて、送り出す珠華を見てはいなかった。
(ちょっと…なんなのよあれ。二人だけで話しちゃって。なーんか、感じ悪いな)
そんなに自分には言えない話なのか。
襲われたのは琉凰だけじゃないのに、まるで蚊帳の外だ。
二人の態度に気分を害した珠華だが、これ以上外に留まることもできず、洸縁と深刻な話をして離れて行く琉凰の姿を最後に、その場を後にした。
自室に戻ると、慧影と二人っきりになった。
「…慧影?」
隣で妙に静かに佇む彼が心配になった彼女が問いかけると、慧影は彼女の方を振り返った。
「珠華様」
思い詰めたような顔で、慧影が珠華の名を呼んだ。
「ちょ、その名はだめだって!」
ここでその名を出すのは禁句だ。
ギョッとして、誰かに聞かれたらまずいと慌てて慧影の口を塞ぎ、扉の外に視線を向けた。
見たところ洸縁が呼んだ護衛の者は、無理に部屋に入ってくる気配はないようだ。
ホッと胸を撫で下ろす。
「慧影、あんたねぇ…」
彼に注意をしようと小声で呟き、彼に視線を戻すと、大きく目を見開き、息を呑んだ。
「姫様…」
慧影の顔が目の前にあった。暗く悲しみに満ちたその瞳が至近距離で揺らぎ、不意に顔がギリギリまで近づいてきたかと思うと腰に腕を回され、覆いかぶさるようにギュッと抱きしめられた。
吐息が耳元をくすぐり、肩にすりつくように慧影が顔を埋める。
刹那、カチーン、と文字通り、珠華は固まった。
「心臓が、止まるかと思った。また、大事な人を失うんじゃないかって…」
くぐもった慧影の声が遠くから聞こえる。
抱き締める腕に力が入り、その身体が震えているのに気づき、ハッと我に返った。
「け、慧影…」
彼は珠華が思っていたよりも、珠麗の死に衝撃を受けていたようだ。
まだ日も浅いのに、今度は珠華まで殺されるんじゃないかと、気が気じゃかったのだろう。
普段なら人目を気にして立場を弁え、こんな場所で抱き締めてくるような人じゃない。
それほど気が動転していたのだろう。
戸惑っていた珠華は慧影の気持ちに気づくと、それ以上何も言えなかった。
暫く慧影が落ち着くまで、その場で抱き締められていた。
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